武部勤引退の弁「私は世襲を批判してきたが、息子となると別です」といったところか

2012-09-17 05:50:22 | Weblog

 〈自民党元幹事長の武部勤衆院議員(71)=北海道比例ブロック=は16日、稚内市で記者会見し、次期衆院選には立候補しないことを正式に表明した。〉ので出しで始まる、《武部氏が引退を正式表明 後援会は長男を後継に推薦》asahi.com/2012年9月17日1時52分)記事。

 小泉内閣の幹事長を務め、「偉大なるイエスマン」を自認した、あの武部勤である。
 
 同9月16日(2012年)開催の宗谷管内連合後援会は引退を了承し、後継について秘書で長男の新(あらた)氏(42)の推薦を決めたと書いてあるが、予定の行動というわけなのだろう。

 武部勤「民主党政権を許した自民党の責任は重いが、政権奪還のチャンスは迫っている。

 自民党自身が改革を断行し、若い人に奮い立ってもらうことが必要。まず私が身を引いて若い人材にバトンタッチすることが重要だ。私の判断が混迷する政治に一石を投じることになれば、と決断した。

 (私の後継者は)宗谷・網走の問題を共に考え、問題意識と解決策となる政策を持っているかが問われる。

 政治家になるために、どれだけの経験や訓練を積んできたかを、有権者がどう判断するかだ。私は世襲を批判してきたが、候補者は公募して機会均等にやってほしい」

 後段の発言を記事は、〈10年余にわたり秘書を務めた新氏への期待をにじませた。〉と書いている。

 後援会が武部勤の長男の推薦することを決めたことと併せると、「候補者は公募して機会均等にやってほしい」とは言っているが、そのような形式を踏んだとしても、タテマエに過ぎず、「私は世襲を批判してきたが、息子となると別です」と言ったところか。

 誰にでも、何にでも二重基準、三重基準はある。

 特に政治の世界は国民との契約であるマニフェスト/政権公約でさえ、二重基準、三重基準を仕掛けて平然としているぐらいである。自身の発言を裏切ることぐらい、野田首相の「シロアリ発言」、菅直人の「米海兵隊沖縄全面撤退」発言等々を振返るまでもなく、例を挙げたらキリがないだろうが、お馴染みとなっていて、最早驚かない。

 いわば過去の発言とは異なる現在の行動に、過去の発言には目を背けて自ら簡単に「イエスマン」となる政治家が多い。

 勿論、世襲であっても構わない。真に優秀であるならである。ただ、対国民との関係にある以上、言行一致だけは守って貰いたいと願うのは二重、三重基準が当たり前の政治の世界では無理な注文なのだろうか。


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