文科省が言うネット上のイジメを「いじめの形態が変わり、大人が把握しづらくなっている」は事実か

2014-11-10 09:14:29 | Weblog


 イジメの認知件数が昨年よりも減少しているものの、ネット上のイジメは逆に増えていると次の記事が伝えている。

 《いじめ18万件余 PCや携帯使用が増加》NHK NEWS WEB/2014年10月16日 18時06分)

 昨年度、全国の学校で確認されたイジメ――

 ▽小学校      11万8805件
 ▽中学校        5万5248件
 ▽高校         1万1039件
 ▽特別支援学校       768件

 合計18万5860件

 最も多かった昨年度比約1万2000件減少。

 「仲間外れ、集団での無視」、「金品を要求される」等が前年度より減少。

 「パソコンや携帯電話で悪口を言われたり嫌なことをされたりする」イジメは1000件近く増え、約8700件。

 教育委員会から寄せられた回答による全体件数が減少した理由。

 「教職員を対象にした研修を行うことで、イジメを未然に防ぐための知識や理解が深まったため」

 ネット・イジメが増加している原因。

 文部科学省「イジメの形態が変わり、大人が把握しづらくなっているのが課題だ」

 学校現場から離れた目の届かないネット上のイジメのために把握が困難だということらしい。

 要するに教職員のイジメを「未然に防ぐための知識や理解」は学校現場でのイジメに関しては深まっているが、ネット・イジメに関しては今のところ力不足だということになる。

 と言うことは、教師たちのイジメ防止の知識・理解は目の届くところではある程度有効だが、目の届かないところでは無効の傾向にあることを示すことになる。

 尤も児童・生徒の全員が全員、教師の目の届かない場所ではモラルの点でコントロールが効かない状態に陥るわけではないはずだが、教師にとって児童・生徒が目の前の存在でありながら、一部に関しては目の届かない場所では教師の普段の躾(しつけ)が影響力としての力を持たないとしなければならない。

 但し授業中、教師の目が間近にありながら、席立ちや私語を行って、教師の注意を聞かない児童・生徒が存在するようだが、教師としての役目そのものを喪失した姿を曝け出している有り様なのだから、これはもはや論外であろう。 

 そのような教師は却って目の届かないところで好き勝手をやってくれと願っているに違いない。目の届かないところでは自分に責任はないとする責任逃れからである。

 だが、目の届く場所であろうと、届かない場所であろうと、教師としての躾の影響力という点で、有効性を発揮し得ているかどうかによって役目上の責任の有無に関係してくるはずである。

 勿論、教師だけではなく、親も同じ立場にある。

 つまりネット・イジメは児童・生徒の側からすると、学校に於いて教師の目の届かない場所でのイジメと同様に教師や親の躾の影響力を無とした状況での行為ということになる。

 他人の目のあるところでは何の問題も起こさない児童・生徒が目の届かな場所ではモラルの点で問題行動を起こすということは人間として自律(自立)していないことの証明に他ならない。

 いわば教師にしても親にしても、そのような児童・生徒を自律(自立)した人間に育ち得ていないことになる。

 このことを逆説すると、自律(自立)した人間に育てる教育が学校内であろうとネット上であろうと、よりよくイジメを防止する方策足り得ることになる。

 勿論、事は簡単には進まないが、学校はテストの成績を主眼とした教育に専念している。

 自律(自立)した人間に育っていくためには人間や社会について学び、それぞれが個の存在であることを認識しなければならない。学び、認識するためには教師が自立(自律)についての知識・情報を教えて、児童・生徒がそのまま自身の知識・情報に置き換える暗記教育ではなく、自分について、あるいは自分以外の周囲の人間について、そしてそれらの相互の関わりとしてある個の存在同士の人間関係が学校社会の一部を形成していくということについて考えることをしなければならない。

 考える最良の方法は議論することである。読書させて、その感想文を書かせるだけでは、登場人物同士の関わり合いを本の世界の出来事と把えがちとなって、実社会の人間同士の関わり合いとのつながりを見ないまま済ませてしまいがちとなる。

 学校で議論を通した、それぞれ個の存在であることを学ぶ自律(自立)教育を教えないから、児童・生徒が仲間同士で勝手に、あの人は嫌いだ、とか、自身の欠点に気づかずに他人の欠点のみを責めることになる。身体的に障害ある者を一個の人間・個の存在であることを見ずに身体的欠陥を人間性とイコールさせて評価することになる。

 そのような自律(自立)教育を行った上でネット上のイジメを「把握しづらくなっている」と、その防止が困難であることを嘆くのは理解できるが、行わずに言うのは言い訳に過ぎない。

 ネット上のイジメ防止に携帯電話の所持規制の試みが各地で行われているということだが、問題の根が児童・生徒が自律(自立)できているかどうかにかかっている以上、携帯電話を使わない、形を変えたイジメへと変化しない保証はない。

 自律(自立)教育はこれから始めるとしても、時間がかかる。現実に起こっているネット上のイジメに限らず、教師の目が届かない場所でのイジメの把握のより良い方法は出席の取り方にあるのではないだろうか。

 教師が児童・生徒の名前を呼んだとき、児童・生徒を椅子から立たせて返事させているのだろうか。そうしているとしたら、児童・生徒の顔色を一人ひとり見ることができるはずだ。イジメられている子は努力しても普段と同じ顔の様子を見せることは非常に困難であるはずである。そのイジメが深刻なレベルに達していたなら、尚更である。教師はその顔色を読まなければならない。

 もし単に名前を呼んで、児童・生徒を着席させたまま「ハイ」と返事させて、その繰返しの出席の取り方だったら、前の生徒の背中に隠れて一人ひとりの顔色を読むことができないし、一番前の席の児童・生徒にしても、教科書や机に顔を伏せたまま返事をしたなら、やはり顔色を窺うことは難しいから、起立して返事をさせる方法に変えるべきだろう。

 元気がない、あるいは顔色が悪ければ、教師は問いかけて、理由を尋ねる。芳しい返事がなければ、教員室に呼んで改めて理由を尋ねなければならない。

 ネット上であろうと、学校内であろうと、あるいは学校外であろうと、イジメに遭っていたとしたら、元気のない浮かない顔を教室にまで引きずっているはずだ。元気な顔を見せたとしても、自然な顔ではなく、どこかに無理が見える顔となっているはずだ。

 起立させて返事を取る出席の把握は、そうすることの理由を全校生徒に知らせた上で、朝のホームルーム一回限りではなく、各授業毎に行うべきだろう。どんな些細なイジメも見逃すまいとする学校・教師の姿勢が児童・生徒にも伝わるはずだし、伝われば、自ずと各児童・生徒に対する自動制御の役目も果たすはずだ。

 参考にもならないかもしれないが、2012年12月19日当ブログ――《いじめ防止対策プログラム - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》      

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