右翼の軍国主義者安倍晋三は教育にばかりか、国の防衛に関しても愛国心の植えつけを企んでいる。新策定の外交と防衛の基本方針「国家安全保障戦略」に「わが国と郷土を愛する心を養う」必要性を盛り込む方向で調整を進めているとマスメディアが伝えていた。
来週12月17日の閣議決定を目指しているという。
当初の政府案は「国を愛する心を育む」と直截・露骨に愛国心の植え付けを方針として掲げたが、公明党が改正教育基本法を踏まえるべきだと主張したことから、改正教育基本法の表現を踏襲して、「わが国と郷土を愛する心を養う」と明記することになったと「MSN産経」記事が伝えていた。
だが、公明党案でいくら「わが国と郷土を愛する心を養う」と明記しようとも、右翼の軍国主義者安倍晋三の心と頭の中は「国を愛する心を育む」=愛国心の植えつけを一直線に目指していると見なければならない。
勿論、その「愛国心」が国民一人一人が自律(自立)した考えを持ち、基本的人権に則った対等・公正・公平な社会関係の構築を基礎として外交的と軍事的と経済的国家防衛を手段とした国の平和な発展を望み、行動する意味での「愛国心」なら問題はない。
だが、そういった「愛国心」ではないとしたら、問題となる。
要は右翼の軍国主義者・国家主義者安倍晋三が「愛国心」の概念(意味・内容)をどう把えているかである。概念の把握によって、求める「愛国心」の質や方向性が決まってくる。
安倍晋三が軍国主義と国家主義である以上、軍国主義と国家主義の観点から意味づけた「愛国心」と見なければならない。
国家と国民の関係は軍国主義に於いては国民の生活・教育等を、すべてに亘って国家の軍事力強化に従事させ、国家主義に於いては国民の権利・自由を国家権力に従属させる関係の国家構造を言う。
いわば両主義共、国家を主体とし、国民を従の存在とする価値観を構成している。
この場合の従属は、無条件の奉仕を同義語とする。単に国家の言いなりになる消極的・受動的従属であっても、背かないという点で軍国主義国家・国家主義国家に於いては国家の利益を形成する奉仕となる。当然、積極的従属は国家への強力な奉仕の形となって現れる。
軍国主義国家・国家主義国家に於ける「愛国心」とは如何なる場面に於いても国家に従属し奉仕する精神を言い、国家への従属と奉仕の度合いによって愛国心の程度が計られることになる。
この国家への従属と奉仕を求める「愛国心」は安倍晋三の元駐タイ大使岡崎久彦と共著の『この国を守る決意』の中の、「(国を)命を投げ打ってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません」という言葉に端的に現れている。
これは国民の愛国心を言っている言葉だが、この言葉の主体はあくまでも国家であって、国民を国家に対して従の関係(=国家に従属させる関係)に置いている。
一度ブログに用いたが、他にも安倍晋三の「愛国心」が国民の国家に対する従属と奉仕の精神を意味している発言を示すことができる。
4月10日(2013年)の衆院予算委で山内康一みんなの党議員が少年の犯罪発生件数との関係から、道徳教育の効果について安倍晋三に問い質した質問に対しての答弁の中に現れている。
安倍晋三「これはですね、犯罪発生率等はですね、その時代の時代背景なんですが、この段階でまだ貧しかったんですね。
私は日本はね、そういう中に於いて、えー、子どもたちが犯罪に走らざるを得ないという、そういう経済的な状況といいうのがかなりあったわけでありまして、基本的にはそういう分析がなされております。
これは少年犯罪だけではなくて、一般の犯罪も物凄く多いですから、昭和20年代までそれはそういうことなんですが、あとは先程ですね、道徳教育をお話しをされたんですが、ではなぜ明治時代に教育勅語を出して、そして修身教育を行ったのかと言えば、それは伊藤博文がヨーロッパを回ってくる中に於いてですね、育下の役割が極めて多いということに気づいたわけですね。
そしてそれは子どもたちは神様を見ていると。神と自分の関係に於いて罪を犯してはならないと、こういうことだったわけです。ございますが、日本に於いてはお天道さま(おてんとうさま)が見ているということであったわけでございますが、しかし教会が果たす役割をどうすればいいかということを考えた中に於いてですね、教育勅語を当時の陛下が出され、そして修身というものが生まれたということですね」――
起承転結の一貫性のない答弁となっていて、頭の程度を窺い知ることができるが、教育勅語と修身教育に道徳教育の価値を見い出していることは理解できる。
だが、教育勅語は天皇の教えに従った天皇や日本国家への忠義を求めることによる国家の秩序形成と、父母への孝行を求めることによって社会の基本的単位である家族の秩序形成の両面から国民を統治する装置としての働きを持たせ、修身は教育勅語の忠義と孝行の教えを拠り所とした道徳教育を通して忠孝や忠君愛国を国民(戦前は国民は天皇の臣民とされていた)が形成すべき精神とし、そのような精神形成によって国民を統治する装置としての働きを持たせていたのである。
この戦前の忠義と孝行、忠孝と忠君愛国の上下の関係性は自律(自立)した対等性によって関係づけられているのではなく、下の上に対する従属と奉仕を力学として関係づけられている。忠義と孝行、忠孝と忠君愛国自体が従属と奉仕を基本的な構造としている。
当然、教育勅語や修身の教えに忠実に従属する国民は愛国心ある国民とされたはずである。いわば軍国主義・国家主義に添うことによって成り立ち可能となる価値観であった。
このことは北朝鮮の独裁国家を見れば、一目瞭然として理解可能となる。
安倍晋三が日本の教育と国家安全保障戦略を通して植えつけようとしている「愛国心」とは、国民による国家への従属と奉仕の精神であり、国民をその精神によってどっぷりと彩ることが成功したとき、否応もなしに日本国家は軍国主義・国家主義の姿を取ることになる。
いわば国民の国家に対する自律性を欠いた従属と奉仕の行き着く先がそういった国家だということである。
そのような国家は戦前の日本と極めて近似性を持つことになるだろう。安倍晋三の「愛国心」には戦前回帰の危険性を感じ取らなければならない。