学習意欲のない状況下でのPISA成績向上という逆説は基本的に日本の教育は暗記教育であることの示唆

2013-12-06 09:36:06 | Weblog


 
 2012年経済協力開発機構(OECD)実施の国際学力テスト「PISA」で日本は数学的リテラシー(活用力)、読解力、科学的リテラシーの全3分野で世界トップ水準に返り咲いたと、誇らしさえ見せてマスコミが報じ、関係者がその成果を謳っていた。

 下村博文文科相「きめ細やかな指導体制をさらに整備し、学力と規範意識を兼ね備えた世界トップの人材育成を進めていきたい」(MSN産経

 下村博文文科相「少人数教育の推進やゆとり教育からの脱却、全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)などの取り組みが着実な成果を上げたのではないか」(時事ドットコム

 藤田英典共栄大教授「この10年、学力重視の方針の下、授業の改善や充実を図ってきた。少人数の指導や習熟度別の授業などをきめ細かく続け、基本的な学力の底上げをやってきたことの現れではないか。

 子どもが『努力をすればできるんだ』という自信を持ったり、興味を持ったりして取り組んでいくことで、そこに誇りも生まれていく。ただ、先進国ほど学習意欲が低い傾向があるため、日本ではさらに手厚いケアをして充実した教育の場を作ることが必要だ」(NHK NEWS WEB

 要するに少人数教育、脱ゆとり教育、学力重視の教育方針、習熟度別の授業が功を奏したPISA成績向上ということになる。

 但し藤田共栄大教授が「先進国ほど学習意欲が低い傾向がある」と言っていることは、「数学の応用力」に対する学習意欲のみの調査のようだったが、参加した65の国や地域の中で低い順位だったという調査結果を指す。

 アンドレアス・シュライヒャ―OECD教育・スキル局次長「調査では、21世紀を生きる子どもたちに必要な、持っている知識を新しい状況に照らしあわせて活用する力があるかどうかを調べているが、日本の子どもたちはこの力が大きく改善してきている。

 社会がより複雑化し、急速に変化するなか、失敗しても何度でも挑戦していく力や、異なる価値観を理解する力、それにまだ存在しない仕事や技術を作り出して問題を解決していく力が求められている。そのためには、より質の高い教員を集めたり、子どもたちそれぞれの能力を引き出せるように教員の指導力を高めたりする態勢を強化していくことが必要だ」」(NHK NEWS WEB)――

 シュライヒャ―氏の日本の15歳に対する評価は素晴らしい褒め言葉となっている。

 発言の全体的な趣旨はPISAの試験問題は自身が挙げた、今後の社会が必要とするそれぞれの力を育む方向に各国の教育を向かわせる指針となるテストの内容であって、その育みをより完全にするには質の高い教員と教員の質の向上が必要だというものであろう。

 ただ、ケチをつけることになるが、「持っている知識を新しい状況に照らしあわせて活用する力」にしても、「失敗しても何度でも挑戦していく力」にしても、「異なる価値観を理解する力」にしても、「まだ存在しない仕事や技術を作り出して問題を解決していく力」にしても、常にそれぞれの状況に合わせた学習し挑戦する意欲を必要とする。この意欲を持って初めて、それぞれの力が生きた状態で発揮することが可能となるはずだ。

 だが、日本の15歳たちは「数学の応用力」への学習意欲が2003年比で少し上がっているものの、参加した国・地域で低い順位だった。基本となる学ぼうとする意欲が低くて、シュライヒャ―氏が挙げた社会生活上必要とする力強く生きていくための各々の力は育み可能となるのだろうか。

 勿論、テストの成績で表すことになる学校の勉強だけが社会的なスキルを生み出すわけではない。だが、テストに参加した日本の15歳は「読解力」は2009年8位から2012年4位、「科学応用力」2009年5位から、2012年4位、「数学応用力」は2012年9位から2012年7位とそれぞれ成績を上げているのであって、成績向上は学習意欲の反映であるはずである。

 いわば学習意欲の上昇に応じた成績上昇の関係とならなければならない。同じ生徒がすべての科目のテストを受けるのだから、「数学の応用力」テストのみ学習意欲が減退状態にあったということは考えにくい。数学が一般的に苦手なら、その分学習意欲を燃やさなければ、「失敗しても何度でも挑戦していく力」は生まれてこない。

 学校現場では最近の教育傾向として表現力・活用力重視の「PISA」型授業を取り入れているということである。

 「PISA」型授業を取り入れているにも関わらず、学習意欲のない状況下での成績向上という逆説を描いていることになる。この逆説はどのような理由からなのだろう。

 「PISA」型授業がどんなものか、12月3日7時からのNHKのニュースだったと思うが、油が60リットル、その他が30リットルと10リットルの三種類の成分の合計100リットルの液体をそれぞれの成分配合を変えずに150リットルにするには各成分を何リットルずつにすればいいかを問う質問を紹介して、数学の応用力の問題だとか、考えさせる質問だとか解説していたが、合計が1.5倍になるから、各成分も1.5倍ずつにするのが正解だと説明していた。

 果たしてこれを思考力を問う応用力の問題だと言うことができるのだろうか。なぜなら、解答方法の遣り方の暗記で済ますことができるからだ。

 PISAテストの各出題の傾向を把握して、この傾向の出題に対してはこういった解答方法で対処するという遣り方を教えた上で様々な出題例を出して生徒に反復型の解答訓練をさせ、その過程で生徒は反復訓練に応じて基本となる解答方法を暗記していき、PISAテストや全国学力テストといった本番で暗記した解答方法を出題に合わせて機械的に応用していくことで解決できる解答方法に過ぎないのではないだろうか。

 要約すると、PISAテストに対する“傾向と対策”を本質的構造とした解答術と言うことになる。PISAテストが行われる前は、その時代のテストの出題傾向に応じた“傾向と対策”が存在し、それを学び、暗記することによって生徒は対処してきた。

 教師等がPISAテストの傾向を読み取り、その対策を立てて生徒に教え込み、生徒は教師が教え込む“傾向と対策”を暗記して、テストの際、暗記した引き出しからいつでも答を引き出すことができるように準備し、引き出すことができた生徒が正解をより多く獲ち取ることができる。

 これが暗記教育の力学で成り立たせた「PISA」型授業の実態といったところなのだろう。

 “傾向と対策”で解決できるPISAテストと言うことなら、学習意欲にしても、“傾向と対策”を如何に身につけるかに向けた学習意欲であって、主体的に学び取ろうとする学習意欲ではないはずだ。

 数学に関しては苦手意識が生徒の大勢を占めているために“傾向と対策”を如何に身につけるかに向けた学習意欲でさえ、参加した国・地域で低い順位だったと言うことができることになる。

 「科学応用力」と「読解力」に関してはそれぞれ4位を占めた分、それなりの“傾向と対策”向けの学習意欲が発揮できたということであって、主体的に学び取ろうとする学習意欲ということではないのは、「毎日jp」記事が伝えているが、PISAテストを「どのくらい真剣に頑張ったか」という自己評価10段階の「努力値」が日本平均は「6・3」で、全参加国中最低で、03、06年も最低だったということが証明する学習意欲の質であろう。

 新井健一ベネッセ教育総合研究所理事長「自ら学ぼうという『主体的な学び』をいかに身につけさせられるかが今後の課題」(同毎日jp)――

 「主体的な学び」となっていないと言うことは、取り入れたとしている「PISA」型授業が強制性を持ったな訓練によって成り立ち可能となる従属的な学びとなっていることを意味する。

 それが教師が上から与えることになる“傾向と対策”の反復訓練ということであろう。暗記教育自体が従属的学びを本質的な構造としている。

 だとすると、「PISA」型授業が単なる暗記力や計算力ではなく、知識の活用力や表現力を重視し、伸ばす方向の教育だとしていることや、成績向上が少人数教育や脱ゆとり教育、学力重視の教育方針、習熟度別の授業が功を奏した成果だとしていることも見当違いの評価ということになる。

 アンドレアス・シュライヒャ―OECD教育・スキル局次長が言っている、PISAテストを解く力を育む教育によって、「持っている知識を新しい状況に照らしあわせて活用する力」や、「失敗しても何度でも挑戦していく力」、「異なる価値観を理解する力」、「まだ存在しない仕事や技術を作り出して問題を解決していく力」等々を身につけることができるとする予定調和も大分怪しくなる。

 11月29日金曜日の「世界の読書事情」をテーマとした日テレ『ネプ&イモトの世界番付』で、ハーバード大のタレント、パックンが次のようなことを紹介していた。

 パックン「(アメリカには)『ブッククラブ』というのが結構あって、こうやって(と、別画面を手で示して)友達とか知り合いが同じ本を読んで、そして定期的に集まって、その本の感想を話し合って、議論を生じたりして、評価し合う・・・・」

 ヒナ檀芸能人から、「いいなあ」の声。

 パックン「その中で一番有名なのがオプラ・ウインフリー(黒人女性)とかテレビの司会しているブッククラブなんですけど、この方が一声、この本は面白いって言っただけで、ベストセラーになる。

 年収ナンバーワンなんです。年収200億とか超えたりしている」

 決めた一冊の本をそれぞれ家で読んで、決めた日に集まって、その本の内容を評価し合う。当然、それぞれの解釈がぶつかった場合、自己主張と他者評価理解が混ざり合った議論が生じることになる。

 このような議論は“傾向と対策”では決して解決できない、その場その場の臨機応変の自分に独自な解釈の展開を必要とする。相手の解釈に刺激を受けて、自分では思ったこともない新しい解釈を口にし、そのような解釈の発見に自ら驚くこともあるだろう。

 学校教育で求めなければならない力は様々な議論と議論を通じた考える力を必要とする、生徒それぞれの解釈の力ではないだろうか。

  参考までに。

 2008年5月24日当ブログ記事――《テストで成果を測る教育は暗記の強化に役立っても、「考える力」を育まない-『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

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