安倍晋三の8月15日敗戦の日靖国参拝見送りは自らの信念が口先だけであることを暴露する

2013-07-29 03:28:16 | Weblog



 国家主義者安倍晋三が中韓に配慮して8月15日の終戦記念日の靖国参拝を見送る意向を固めたと、複数の政府関係者の話としてマスコミが伝えている。

 自らの信念に対する折り合いを口先だけとするらしい。 

 安倍晋三の靖国参拝に関わる歴史は長い。その主なところを拾ってみる。

 2005年5月2日、小泉内閣時代の自民党幹事長代理だった安倍晋三はワシントンのシンクタンク「ブルッキングス研究所」で次のように講演。

 安倍晋三(中国が小泉首相の靖国神社参拝の中止を求めていることについて)「小泉首相の次の首相も靖国神社に参拝するべきだ。国のために戦った方に尊敬の念を表することはリーダーの責務だ」――

 安倍晋三は日本という国のリーダーとなった場合の政治家は靖国神社参拝を責務とすることを自らの信念としていた。

 そして小泉純一郎を継いで、2006年9月26日に首相に就任。1年経過した2007年9月26日、病気を理由に首相職を投げ出して、辞任。

 日本にとって不幸な苦節5年余、再び首相就任の位置につけることが可能となる2012年9月26日投票の自民党総裁選に立候補、9月14日の立候補者の共同記者会見での発言。

 安倍晋三「国の指導者が参拝し、英霊に尊崇の念を表するのは当然だ。首相在任中に参拝できなかったのは痛恨の極みだ。(参拝は)今言ったことから考えてほしい」(MSN産経)――

 小泉首相の次の首相になりながら、「小泉首相の次の首相も靖国神社に参拝するべきだ。国のために戦った方に尊敬の念を表することはリーダーの責務だ」とした自らの信念を自ら裏切ったことを以って、「痛恨の極み」だとした。

 自らの信念を自ら裏切るということは自らの信念を言葉で終わらせてしまったことを意味する。あるいは想いだけで終わらせてしまったことを意味する。信念が強ければ強い程、その信念が言葉や想いだけで終わった場合、トラウマとなって取り憑く。「痛恨の極み」はトラウマが言わせた想いでもあるはずだ。

 もしトラウマとまではならない信念の裏切りであるなら、信念自体が元々大したことはないということになる。

 当然、「痛恨の極み」と反省した場合、トラウマ解消への衝動も強化され、信念をなおさらに新たにすることになる。今度こそ、言葉や想いだけで終わらせまいと強く、強く信念することになっていたはずだ。
 
 それが、「(参拝は)今言ったことから考えてほしい」という確約の言葉となった。もし自民党総裁に返り咲くことができ、首相に再度就任することになった場合は、かつてのようには言葉や想いで終わらせずに、在任中に必ず自らの信念を参拝の形で現すと約束したのである。

 そして野党自民党総裁として戦った212年12月の総選挙で大勝して、2012年12月26日に再び首相の座に就くこととなった。

 靖国参拝に向けて自らの信念を奮い立たせるためなのか、2013年2月7日の衆院予算委員会でも、言葉や想いで終わらせてしまった自らの信念に対する「痛恨の極み」を発言し、トラウマ解消への決意を訴えた。
 
 安倍晋三「私の基本的な考え方として、国のために命を捧げた英霊に対して国のリーダーが尊崇の念を表する、これは当然のことだろうと思いますし、各国のリーダーが行っていることだろう、こう思っています。その中で、前回の第一次安倍内閣において参拝できなかったことは、私自身は痛恨の極みだった、このように思っております」――

 かくまでも強く思い固めた靖国参拝への信念をよもや言葉や想いで終わらせることは二度とないはずである。終わらせない参拝実行こそがトラウマから逃れることができる唯一の手段であり、「痛恨の極み」を慰謝し、その感情から解放してカタルシスを与えてくれる唯一の道である。

 当然、このように固ーく信念していたなら、参拝という具体的な形への移行は靖国の戦死者が最も悔しい思いをしたであろう日本が敗戦した日の8月15日、それも自らの信念をより早く証明できる今年の8月15日の参拝を措いて、他に信念の最も強烈な具体化を可能としてくれる参拝日はあるまい。

 「痛恨の極み」として引きずることとなったトラウマの完全払拭を強烈に表現してくれて、そのカタルシスを激しく高めてくれる、またとない機会としても、今年の8月15日の敗戦の日こそが最適の大舞台となるはずである。

 それが来年の8月15日の敗戦の日であったり、再来年の8月15日の敗戦の日であったりしたら、二度と言葉や想いで終わらせまいとした強い信念が先延ばしされることになって、その強さが薄まった状態で発揮することになるし、当然、「痛恨の極み」となったトラウマからの解放も、味わうべきカタルシスもより弱い形となる。

 また、秋季例大祭や春季例大祭であったりしたなら、例年の8月15日の敗戦の日以下の意味しか持たないはずだ。

 だから、安倍晋三が首相就任後の最初の4月21~23日の靖国神社春季例大祭に他の閣僚のように靖国参拝をせずに供え物の真榊(まさかき)の奉納にとどめたのは正解である。

 言葉や想いで終わらせた自らの信念を参拝という具体的な形で表現する日を今年の8月15日敗戦の日こそ大舞台と思い定めていたからこそであろう。「痛恨の極み」となったトラウマに終止符を打ち、そのカタルシスを全身に最大限に味わう大舞台はこの日を措いて他にないと。

 だが、見送りの意向を固めているという。

 再び、「次の首相も靖国神社に参拝するべきだ」とした信念を言葉や想いだけで終わらせるつもりなのだろうか。「首相在任中に参拝できなかった」ことが「痛恨の極みだ」となったトラウマをさらに引きずって、言葉や想いのすべてを一過性のものとするつもりなのだろうか。

 尤も、「痛恨の極み」は「首相在任中に参拝できなかった」ことに対する慙愧の念だから、8月15日の敗戦の日に限られているわけではなく、在任中のいつの日でもいいという論も成り立つ。最悪、次の首相が決まって、辞任間際であってもいいわけだが、中韓に対する影響も時限的とすることができるからとの理由でそうした場合、中韓の顔色を窺った信念の発揮ということになり、自らの信念を単に言葉や想いだけで終わらせなかったことよりもマシ程度となって、その信念の程度、「痛恨の極みだ」としたトラウマの程度が疑われることになる。

 当然、今年の8月15日の敗戦の日に参拝してこそ意味を成す、胸を張ることのできる信念の確実な具体化、さらに「痛恨の極みだ」となったトラウマの解消によって得る強烈なカタルシスは消化不良の形で胃の中に滞留させることになる。

 「首相在任中に参拝できなかったのは痛恨の極みだ」と言い切った言葉の重みからしても8月15日を1カ月切った時点で参拝宣言が出るだろうと予想していたが、今以て一向に参拝宣言が出ないこと、逆に安倍晋三が8月15日の敗戦記念日の靖国参拝を見送る意向を固めたとマスコミが報じたことを考え併せると、再び安倍晋三の靖国参拝信念が言葉だけのもの、想いだけのもので終わることを運命づけたと断言できる。

 口先だけであることの暴露以外の何ものでもない。

 例え他の日に参拝したとしても、信念を弱めた形の参拝でしかない。これまでの言葉を弱め、想いを弱めた参拝となるだろう。

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