既に多くの人がそう見て取っていると思うが、私なりに解釈してみる。
遺体が発見された3人を含めて8人が行方不明となっていたという、死体遺棄等の罪で起訴された兵庫県尼崎市の角田(すみだ)美代子被告(64)は、事件を取り上げているWEB記事を読むと、自身も多少は用いることはあったろうと思うが、基本的には他者に身体的、あるいは言葉による暴力を振るって相手に恐怖を植えつけることでその精神と行動を萎縮させ、その両面を自由に操る人間支配を巧まずしてできた人物であるように見える。
いわば自身は殆ど手を出さない、指示・命令を専らとした支配者として君臨し、その君臨の手足となって恐怖を植え付ける実働部隊となっていたのが、角田のいとこの李正則受刑者(38)であり、多分支配の状況に対する監視役が角田被告の息子と結婚した瑠衣(27)被告、角田の義妹の三枝子被告(59)であったらしい。
娘や息子などの義理の親族というだけで他人の家に入り込んだり、自分の家に住まわせて、先ず手の届く関係に置き、徐々に支配状況を作っていって、睡眠や食事、トイレは角田美代子の許可を必要とするまでに支配を完全なものにまで持っていった。
行動の自由を奪われて行動の決定権を他者に委ねることになった者が行動の許可を取るという主体性の放棄、あるいは隷属性程、卑屈な感情を強いるプロセスはあるまい。
その卑屈さがまた、相手の支配を強めることになる悪循環を誘うことになる。
指示を破れば、いとこの李正則受刑者が暴行し、近くの公園に一日中立たされる「罰」もあったと「YOMIURI ONLINE」が書いている。
家族同士で暴力を振るわせたり金を要求したりしていたともいう。断れば、暴力を覚悟しなければならなかったに違いない。少なくとも相手の次の行動として暴力が浮かび、その暴力の恐怖から前以て要求に従う構図が出来上がっていたはずだ。
監視役の瑠衣被告と義妹の三枝子被告(59)が住人女性らの年金を盗んだとして今年の8月から9月にかけて逮捕、窃盗罪で起訴されると、支配されていた者たちが徐々に口を開き始めたと別の「YOMIURI ONLINE」記事が伝えている。
捜査幹部「角田被告の側近中の側近の瑠衣、三枝子両被告も逮捕され、ようやく暴力の恐怖が遠のいた」(同「YOMIURI ONLINE」)
逮捕によって監視が機能しなくなり、監視から解放されて精神と行動の自由を取り戻したということに違いない。
監視は密告を一心同体とする。支配者に監視役を仰せつかっている場合、あるいは支配者に対して監視役を担っている場合、支配者に対する密告なくして監視は成り立たない。報告ではなく、あくまでも密告である。
支配自体が異常な状況となっているのだから、その異常な支配に応えるには当たり前の報告では監視役の手柄とはならない。監視対象に不利となる密告あってこそ、異常な支配はその異常さを充足させることになる。
優れた密告こそが優れた監視を証明することになる。
このような支配者と監視役の関係には監視役の支配者に対する媚、あるいは追従(ついしょう)が介在することになる。支配者に気に入られようとするあまり、実際にはない偽造した事実の密告が往々にして起こる。
支配される側はそれが事実にない密告であっても、証拠に基づいた裁判を行うわけではない。支配者の側のみの恣意的な正義が横行する関係性の中で事実は無意味と化す。
怒りや暴力や何らかの懲罰の波及の被害少ないことだけを願って事実でない密告を事実と認める無力な恐怖を選択することになるに違いない。
以上のような暴力が与える恐怖で人間を支配し、従属させる支配と被支配の関係は自己批判と総括の名のもとに暴力を用いたリンチを行い、中には死刑まで宣告して実行し、最終的に12人の同志を死なせた、連合赤軍の永田洋子を支配者とした恐怖支配と、支配者が同じ女性という点からではなく、基本的な構図自体に類似性があるように思える。
少なくとも人間的な程度の低さ、猥雑さの点で双方は親近関係にあるように思える。
永田洋子は合法活動から非合法活動に移った場合は合法活動時代の髪型、歩き方、指輪は警察に知られている危険性から、いわば別人となるのが常識であるのに反して合法活動時代のままの指輪をしているとか、自由恋愛主義者だから非合法活動は守れないと女性同志を批判、総括という名の自己批判を求めるが、理屈にならない価値観に立った、あるいは恣意的な正義に基づいた批判でありながら、批判する側の永田洋子が上位者として君臨しているというその上下関係でのみ批判が強い言葉を持って正義を見せかけることになり、そのような上下関係が周囲の人間をしてその見せかけの正義に同調する構造を取ることになって、自己批判は集中攻撃を受けたり、あるいは助けとはならない沈黙を受けることになって追いつめられていく。
そして追いつめられた自己批判は総括できていない、革命戦士にはなリ切れていないという理由で、真に反省して総括をしろと食事を断たれたり、ローブで部屋の柱に縛られたりする懲罰を受けるが、既に既定事実となっている上下関係が決する正義が罷り通って、下の者の正義(あるいは人権)は顧みられることなく懲罰はエスカレートし、殴打を用いて総括を求めるまでになり、その殴打が過ぎてリンチ同然となって死に至らしめることにもなった。
自己批判や総括の果ての殴打、その果てのリンチ死や死刑はそれが繰返されると、その対象から逃れるために自己批判、あるいは総括はこの運命劇を演出する上位者に気に入れられようとして否応もなしに媚や追従(ついしょう)が入ることになる。
だが、そのような自己批判、総括は逆に甘いと言ってなおさらに批判を受け、反省が足りない、真剣に自己批判しろ、総括しろと厳しさを植えつける殴打で応え、それがリンチに発展する。
自己批判と総括を求める行為自体が正当性がないままに永田洋子やその他の上位者自身の正義の示威行為(正義の自慰行為と言ってもいい。)に既になっていたのだから、その非正当性に応える術はなく、応えることのできなかった結末としての殴打やリンチ死、死刑は上位者たちの正義の終局的顕現でもあったはずだ。
死を革命戦士となれなかった「敗北死」と解釈していたこと自体がそのことを証明している。いわば自分たちを自己批判も総括も必要としない革命戦士の側に位置づけていたということであり、例え明確に意識していなくても、「敗北」の対局の「勝利」に自分たちを置いて、深刻な高揚感すら持って革命ごっこでしかない死んだ者の凄惨な悲劇を眺めていたのかもしれない。
上位者の下位者に対する殴打、リンチ等を用いた暴力による恐怖支配は断るまでもなく、いじめと類似性を持つ。違いは大人と子供のスケールの違いぐらいであって、人間支配の基本的構造は同じであるはずである。
いじめにしても、身体的、あるいは言葉による暴力を振るって相手に恐怖を植えつけ、その精神と行動を萎縮させて、一個の人間の自由あるいは喜怒哀楽を奪う構造となっている。
尼崎死体遺棄事件にしても連合赤軍事件のリンチ死にしても、学校で児童・生徒がいじめの心理劇を学ぶ格好の教材として利用できるのではないだろうか。