野田首相の内閣改造目的発言から見る統率能力不足・指導力不足・責任感不足

2012-10-06 09:49:51 | Weblog

 野田首相は10月1日(2012年)の首相官邸記者会見で内閣改造の目的を次のように説明していた。

 野田首相「今般の内閣改造は、山積する内外の諸課題に対処する上で、政府・与党の連携を一層深め、内閣の機能を強化するために行うものであります」

 2日後の10月3日、野田首相は民主党最大の支持母体である連合中央委員会で行った挨拶の中で、内閣改造の目的とした「内閣機能強化」の具体的課題に言及している。《チームの突破力不足を反省 野田首相「内閣改造で強化」》MSN産経/2012.10.3 12:11)

 野田首相「不足しているのはチームとしての突破力だった。政府と与党が一致結束して政策を前進させるためチーム力アップの新しい体制を発足させた」

 政府・与党協力関係に於ける政策前進の突破力不足解消が内閣改造の目的だった。当然与党を仕切っている人間と政府を仕切っている人間のそれぞれのチームに対する統率能力と相手チームに対する相互的な関係構築能力にかかってくることになる。

 統率能力にしても関係構築能力にしても、それぞれの立場に於ける指導力と深く関わっていることは断るまでもない。

 いわば自チームに対するそれぞれの統率の上に相手チームとの間の強力な関係構築が可能となり、そのようなそれぞれの統率能力を基盤とした相互的な対関係構築能力が外部に向かって総合的なチーム力としての政策前進の突破力へと発展していくはずだ。

 自らのチームを統率するだけの指導力を発揮できずに相手チームとの有効な関係構築は期待できない。結果として、例え両チームがどのように協力しても、政策前進の突破力は生まれてこないことになる。

 だが、与党を仕切っていたのは当然輿石幹事長であり、政府を仕切っていたのは内閣の長たる野田首相である。政策前進の突破力不足は第一義的にはいずれかのチームを取り仕切っていた差配者たる輿石幹事長か野田首相の統率能力不足が原因ということになる。

 だが、野田首相は党代表を再選されたのだから、政府というチームに対する統率力は所属議員や党員、その他から合格点を与えられたことになる。

 その合格点が正しい判断であったかどうかを問題としなければならないが、取り立てて異議申立てがなかった以上、与党を仕切っていた輿石幹事長の統率力欠如が「政府と与党が一致結束」する関係構築能力に悪影響して、チーム力としての政策前進の突破力にまで昇華できずに、その不足を招いていたということになるはずだ。

 だが、野田首相は内閣改造に当っての党役員人事で与党に対する統率能力欠如の輿石幹事長を留任させて、与党に対する取り仕切りを再度任せている。
 
 ここに生じる矛盾は決して無視できないはずだ。承知の上で敢えて統率能力欠如の輿石幹事長を留任させたとすると、不足していたのはチームとしての突破力であったから、政策前進の突破力確保のために党人事をも含めて内閣改造をしたとする口実は的外れとなる。

 もし輿石幹事長の与党統率能力を何ら疑わずに留任させて、与党仕切り役以下の人事の変更と改造内閣で政府・与党一致結束の政策前進の突破力確保が可能であると考えているとしたら、判断が甘すぎるということになる。

 いずれにしても野田首相は与党代表でもある。政府・与党の一番のトップとして与党を実質的に仕切る幹事長をも統率下に置く強力な指導力――全体的な統率能力・全体的な関係構築能力まで求められているはずだ。

 このことは内閣改造に関係なく、党代表となる資格、首相となる資格として前以て備えていなければならない資質であって、それなくして与党の統率も内閣の統率も不可能であろう。

 だが、「不足しているのはチームとしての突破力だった」と言っていることは、党代表及び政府代表として自らが当初から備えていなければならない、野田首相自身の政府・与党全体に対する統率能力や指導力の発揮不全に対する言及でもなければならないはずだが、自身が関係していない、他所事(よそごと)の指導力欠如や統率能力欠如の発言となっている。

 この発想の構造には自身の統率能力や指導力に対する認識不足だけではなく、責任感の不足も含まれているはずだ。

 野田首相の指導者としての各能力に対する所属議員や党員、その他の合格点が正しい判断であったかどうか、些か疑わしくなる。

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