さいたま市立小6女子児童突然死事故対応テキスト作成の成果は教師の臨機応変な判断能力にかかっている

2012-10-04 04:28:45 | Weblog

 9月29日の当ブログ記事――《さいたま市小6児童突然死に見る学校のAED使用責任 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に対して「Unknown」氏から、「御存知でしたら失礼します。
 
 さいたま市小6児童突然死について検証委員会報告とは別に御遺族、市教委、校長、教員等が協力し教訓を明らかにし女児の名を愛称にした「ASUKAモデル」体育活動時等における事故対応テキストが9月30日にさいたま市から発表されました。」という内容の、アドレス付きのコメント投稿があった。

 で、アクセスしてみて、内容を下記に転載、思ったことを一言。 

 「体育活動時等における事故対応テキスト」を作成しました(さいたま市HP)

 平成23年9月、さいたま市立小学校6年生の桐田明日香さんが、駅伝の課外練習中に倒れ救急搬送された後、翌30日に死亡するという大変悲しい事故が起きました。

 さいたま市教育委員会では、「さいたま市立小学校児童事故対応検証委員会報告」(平成24年2月21日)を受け、校長、教員など「教育実践者レベル」の視点で、事故を巡る対応の在り方について掘り下げて教訓を明らかにし、教員研修のためのより分かりやすいテキストを作りました。

 詳細は下記のとおりです。

                        記

1 内容
 「体育活動時等における事故対応テキスト」~ASUKAモデル~

 体育活動時等に特化した教員研修のためのテキストです。体育活動時等における重大事故を未然に防ぐための取組や、事故発生後にとるべき対応について具体的に示しました。

(1) 日常における重大事故の未然防止

 ・児童生徒を対象とするAEDの使用を含む心肺蘇生法の実習の実施 
 ・「傷病者発生時における判断・行動チャート」の作成
 ・口頭指導に対応する記録用紙の活用
 ・重大事故発生時携行機材等のパッケージ化 など

(2) 体育活動時等における重大事故の未然防止

 ・体育活動時等の指導開始前及び指導終了後におけるチェックリストを活用したブリーフィング(簡単な打合せ)の実施

(3) 重大事故発生時における対応

 ○第一発見者としての対応
  ・傷病の状況把握、応援要請、応急手当の実施
 ○ 応援者としての対応
  ・指揮命令者
  ・指揮命令内容チェックシートによる確認
  ・傷病者発生時における判断チャートによる確認
  ・AEDを含む重大事故発生時携行機材等の手配
  ・救急車の要請
  ・児童生徒の状況及び対応の記録 など

2 発行日 平成24年9月30日

平成24年度版「体育活動時等における事故対応テキスト」~ASUKAモデル~(さいたま市教育委員会/平成24年9月30日)
  
「さいたま市立学校児童生徒事故等危機管理対応マニュアル作成指針」を作成しました 

 要するに運動中に突然倒れたものの救命処置を放置された小6女子児童に対する教職員の危機管理対応の不備をモデル(=教訓)とした、不備解消の対策として作成した規則集である。

 どういう手順に従って、どう行動するかの具体的な細かい取り決めは上記、《平成24年度版「体育活動時等における事故対応テキスト」~ASUKAモデル~》(さいたま市教育委員会/平成24年9月30日)のPDF文書に書いてあって、ざあっと覗いてみた。

 最初に「さいたま市教育委員会教育長 桐淵博」名で、次のようなことが書いてある。

 〈はじめに

 平成23年9月29日、さいたま私立小学校6年生の桐田明日香さんが、駅伝の課外練習中に倒れ、救急搬送された後、翌30日に死亡するという大変悲しい事故が起きました。この事故では、明日香さんが倒れた当初、現場で指導をしていた教員等が「脈がある」「呼吸がある」ととらえたことから、心肺蘇生及びAED装着を実施しませんでした。約11分後の救急隊到着時には心肺停止状態になっていたことから、対応が適切であったか、また、緊急時の学校の危機管理体制が十分であったかなどが検証課題となりました。

 そこで教育委員会は。ご遺族とも話し合い、まず医療の専門家等に協力をお願いして設置した「さいたま市立小学校児童事故対応検証委員会」において検証を進め、平成24年2月に報告(以下「検証委員会報告」とします。)をいただきました。「検証委員会報告」に基づき、平成24年4月、学校で起こりうる様々な危機事案に対する組織的・実践的な危機管理の基本的な在り方を示した「さいたま市立学校児童生徒事故等危機管理対応マニュアル作成指針」を作成するとともに、教員研修の充実や、中学生以上の保健体育の授業にAEDの使用を含む心肺蘇生法の実習を導入するなどの取組を進めてきました。

 一方、ご遺族と話し合いを続ける中で、再発防止策を徹底し学校の安全度を高めるためには、「検証委員会報告」を踏まえて、さらに、「教育実践者レベル」(教育委員会事務局職員、校長、教員など)の視点で、この事故を巡る対応のあり方について細部を掘り下げて分析し、教訓を明らかにするとともに、教員研修のためのより分かりやすいテキストを作ることが必要であると考えました。〉云々とあり、上記《「体育活動時等における事故対応テキスト」~ASUKAモデル~》で取り上げたおおまかな項目の具体的行動として重大事故の日常的な防止策や危機事案発生の場合のAED装着、その他の心肺蘇生の判断とその行動方法等の手順、その知識取得のための研修会や講習会の受講とその頻度、教職員による救急車の要請、保護者への連絡、到着した救急車の誘導等、対応のあり方の規則を事細かに定めているが、〈対応が適切であったか、また、緊急時の学校の危機管理体制が十分であったかなどが検証課題となりました。〉と書いている、その責任検証については、他処のところで触れているのかどうか分からないが、そこでは触れていない。

 その場にいた教師の全員が学校に備えていたというAEDの存在すら失念していたのか、失念していたとしたら、当然、AEDを使用して蘇生措置を施すといった危機管理は思い浮かぶはずもないことで、その疑いが濃いが、事実はどうであったかを明らかにすることが同時に、責任を云々するまでもない、危機管理に欠かすことのできない重要な資質である教師の日常的な咄嗟の判断能力を明らかにすることになる。

 咄嗟の判断能力とは、規則や決まり事といった与えられた情報に情報通りに従うのではない、自身の情報をも駆使して瞬時に判断して適切な行動を選択する能力であるから、その行動は常に責任を受け止める態勢にあることになる。

 また、そのような臨機応変な判断能力は児童・生徒に対する教育上の情報伝達にも深く関わって、教科書の知識・情報を教えるだけではない、臨機応変な判断能力を伝えていくと同時に、そのような判断が紡ぎ出していく教科書にはない知識・情報を伝えていくことにもなる。

 と言うことは、教師の臨機応変な判断能力とそのような判断能力に従った日常的な知識・情報の伝達行動は救命行動のみならず、日常的な教育上の責任と関連し合うことになる。

 もし咄嗟の判断能力を働かすこともできずにAEDの存在を失念していたとしたら、〈「脈がある」「呼吸がある」ととらえたことから、心肺蘇生及びAED装着を実施しませんでした。〉と言っていることは単なる責任逃れの弁解と化す。

 忘れてはならないことは、何か大きな事故が起きて、その事故に満足のいく適切な対応ができずに人命等の重大な犠牲を払ってから、そのような対応の不備・不足をモデル(=教訓)に対策をつくり出す例が殆どだということである。

 いわば事前対策ではなく、その多くが事後対策であって、自分たちの行動不備と責任を忘れないことが次の対策を有効にしていくはずだ。

 今回の、《「体育活動時等における事故対応テキスト」~ASUKAモデル~》にしても、同じ経緯を辿った事後対策と言える。

 そしてその事後対策たるや、発生した危機事案に適切な対応が取れずに再び人命等の重大な犠牲が生じた場合の責任が過重になることを恐れて、行動の漏れがないように念には念を入れた事細かな規則尽くめの対策となる傾向にある。

 ページを覗いてみれば分かるが、《~ASUKAモデル~》も実際にそうなっている。

 もし教師が日常的な咄嗟の判断能力――臨機応変な判断能力を欠いたままなら、《~ASUKAモデル~》に書き込んである事細かな規則に忠実に従った行動を取ることになる。

 但しこのような行動には一つの利点がある。例え結果的に人命を失う事態が生じても、規則通りに救命措置を行ったとすることで責任を回避できる利点である。

 ということは、自身の判断を働かすことのない、臨機応変な判断能力を欠いた規則通りの杓子定規な行動は巧まずして責任回避を伴わせた行動となると言うことである。

 その場その状況に応じてちょっとでも気を利かしていたなら救えたかもしれないケースであっても、規則通りの行動が責任履行のアリバイ証明となってくれる。

 あるいは失敗を恐れる自己保身から最初から責任回避意識の強い人間は自身の判断があっても、その判断を抑えて規則に忠実な行動を取って、そのことを以って責任履行とする自己保身を図ることになる。

 いわば規則通りの忠実な行動は結果がどう出ようとも、意図的であろうと意図的でなかろうと、責任回避の免罪符とし得る。

 寸秒を争う時間が勝負の救命行動に於いて規則通りの忠実な行動が自己保身や責任回避につながったとしても、時にはそのことが原因となって、救命に手遅れが生じない保証はない。

 漏れのない規則やルールを作ったからといって、常に救命を保証するわけではない。救命措置に限らず、規則やルール云々ではなく、その場その状況に応じた臨機応変な判断能力に基づいた責任ある行動を取れるかどうかに児童・生徒の普段からの生きて在る生命(いのち)はかかっているはずだ。

 児童相談所の対応不備から、親の虐待から引き離すことができずに子どもを死なせてしまう事案にしても、教師の危機管理不備からいじめを受けていた子どもを保護できずに自殺に追い込んでしまう事例にしても、それぞれの関係者がそれぞれの取扱いの規則を含めた日常的な行動を自らの行動のルールとしていて、そこから一歩も出ずにそのルールに従うだけで、その場、その時に応じた臨機応変な判断能力に基づいた責任ある行動を取れていないことが原因となっているはずだ。

コメント
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