タレント候補谷亮子への二足のワラジ批判の非合理性

2010-06-27 06:38:31 | Weblog

 民主党は5月10日午後、夏の参議院選挙の比例区に柔道のオリンピック金メダリストの谷亮子選手(34)の擁立を発表、党本部で記者会見を行っている。《民主、参院選比例区に柔道・谷 亮子選手の擁立発表 谷選手「現役はもちろん続けます」》FNN/10/05/10 17:34)

 記者会見に立ち会った小沢幹事長(当時)と谷亮子の記事が伝える発言は次のとおり。

 谷亮子「小沢先生からお話がありました通り、参議院選挙に比例代表で立候補させていただくことになりました。小沢先生からお話をいただきました経緯についてお話させていただきますと、小沢先生には、本当に長きにわたり応援をしていただいております。ことし(2010年)3月に入りましてから、今度の参院選に立候補して、国政に携わってはどうかというお話をいただきまして、4月下旬なんですけど、わたしの中でやってみようという決断をいたしました。また、民主党のほうで、先生方にいろいろ教えていただきながら、また、小沢先生の強いリーダーシップのもと、わたしも一生懸命頑張っていきたいと決意いたしました。これから皆さまのご支援、ご協力、よろしくお願いいたします」と決意表明した。

 (谷選手が当選した場合、どのような活動を期待している?)

 小沢幹事長「今、ごあいさつの中で申し上げました、3つの点について、私は日本の未来にとって、大変重要な大事な要件であろうと思います。谷さんは、ご案内の通り、長年にわたって、チャンピオンとして今日までやってこられております。それは、ただ単に漫然として、そういう偉業を達成してきたわけではないと思います。非常に厳しい自己努力と、自己犠牲、そして普段の努力によって達成した。自分の理想、目標に向かって全力で立ち向かっていく、努力する。そういう生きざま、生き方、それが今日の日本の社会で希薄になっていると感じます。その意味で、谷さんの精神を、さらに政治を通じて、日本国民に広く培っていただくよう努力をしていただきたい、そのように思っています。2点目の子育ての問題についても、同様でございます。私はその意味で、特に民主党は、日本の未来、将来を考えた時に、子ども手当の話もありますけど、あらゆる意味で子育て、教育に力を注いでいますので、そういう面で、ぜひ今までのご自身の経験を生かしながら、政治の場でいっそう活躍してもらいたい。そう思っています」

(当選した際、どのような活動をしていきたい?)

 谷亮子「今、小沢先生が言われた通りで、わたし自身が柔道を小さいころから続けてきまして、これまで中学のころから、いろいろな国に行きました。そこでやはり、国際交流ですとか、スポーツのあり方、そういったことを今日まで学んでいる最中です。そこで、微力ながらも、自分自身で何か伝えたい、何かできることはあるのではないかというようなところから、スポーツにおいて、何かスポーツ振興であったり、スポーツの環境を整えたりだとか、そういったことに携われたらいいなという希望が1つ。あとはやはり、子育てをしながら、現在、いろいろなことにチャレンジをしているんですが、その中で、国民の皆さまが誰もが望むような国造りができていったらいいなという希望も持っています。そして、現役はこれまで公言してきた通り、もちろん続けます。そして、ロンドンオリンピックで金メダルを目指します。また、国政にも携わって、政治の方にも一生懸命、同様に頑張ってまいりたいと思います

 このいわゆる現役続行宣言が不評を買った。「政治は片手間でできる仕事ではない」とか、「柔道を引退もせずに両立できるのか」とか、「柔道と政治の二足のワラジが履けるのか」とか、「国会議員の仕事を舐めているのか」とか等々――。

 こういった批判は物事を全体的に見る目を欠いた人間のタワゴトに過ぎない。

 谷亮子が国会議員に当選もしないうちから、あるいは国会議員の仕事に就かないうちから、片手間にしか政治に携わることができないとなぜ断言できるのだろうか。

 柔道が本職だから、政治家は片手間仕事になると最初から決めつけること自体が固定観念に囚われている。全体を見る目がないから、固定観念に取り憑かれることになる。

 柔道に関わる物理的時間と議員として関わる物理的時間を差引き予想して、それを以て「片手間」だと言うなら、物事を機械的にしか判断できない非合理な頭の持主と言わざるを得ない。

 柔道は個人競技だが(団体戦もあるが、基本的には個人戦の総合成績)、政治はチームプレーによって成り立っている。秘書が提供する新聞・テレビ、その他から収拾・整理した必要的確な知識・情報の手助けを受けて、あるいは共通の政策を勉強し合う同僚議員との議論から情報的な触発を受けて(議論には様々な知識・情報が含まれている)、短時間の内に個々の政策に関わる自らの知識・情報を組み立て、整理することも不可能ではない。様々な勉強ができる。

 自身が直接目を通す新聞やテレビの朝夕のニュースからも、政治や社会に関わる様々な知識・情報を得ることができる。

 いわば議員となった場合、秘書や同僚議員からの知識・情報、あるいは自身が直接目に触れた知識・情報を谷亮子がどう解読・料理し、自らの知識・情報とし得るかの自らの創造性とそれを具体化するための行動力に自らの政治家としての才能がかかることになる。

 また、秘書からの知識・情報の提供にしても、あるいは共通の政策を勉強し合う同僚議員との様々な知識・情報を含んだ議論にしても、直接的に知識・情報の提供を受ける場合もあるだろうし、時間と場所を同一としなくても、今の時代はメールによって別の時間・別の場所で受け取り可能とすることができる。

 極端なことを言うと、柔道の合間の休憩時間でも、携帯のメールを開くことで可能となる。さらに極端なことを言うと、練習中に中座したトイレで便座に座りながらであってもできる。

 谷亮子が柔道の練習に励んでいる時間も、秘書の活動は谷亮子の代理の活動であるのは勿論のことだが、共通の政策を勉強し合う同僚議員の活動にしても、共通の政策を勉強し合う関係で、一定部分は谷亮子の代理の活動をしているとも言える。

 直接的な議論や直接的な知識・情報の提供、あるいはメール等を通した間接的な提供を受けることによって、それは谷亮子の活動の一部となる。

 肝心なことは、谷亮子が他から提供を受けた知識・情報を鵜呑みにし、その知識・情報をなぞるだけで自らの知識・情報を付け加えて自分なりの解釈を何ら施さず、機械的に自分の知識・情報として発信するだけの創造性しか持たないことである。

 そうであった場合、片手間であろうと両手間であろうと関係なしに単なる頭数でしかない議員に成り下がる。そこに彼女独自の存在性を認めることができないゆえに秘書からも同僚議員からも軽蔑されることになるだろう。

 尤も似た者同士なら、軽蔑は起こらない。

 断るまでもなく、柔道選手としての谷亮子は彼女独自の存在性を持って存在している。

 問題は個々の政策に如何に自分自身の創造性を発揮できるかどうか、それを自らの存在性とすることができるかどうかにかかっているということである。

 二足ワラジとか片手間とかの問題ではない。

 また、スポーツの練習に於いて日本人は長時間のハードトレーニングが得意だが、長時間のハードトレーニングをしたからと言って、優秀な成績を残せる保証があるわけではない。短い時間に集中することによってモチベーションは高まる。このことは政治活動に関しても同じことが言えるはずである。いわば片手間であっても、短い時間に集中できれば、政治活動のモチベーションを高めることは可能である。

 大体が、「二足のワラジ」批判は政治を専門にしている“一足ワラジ”の政治家はすべて優れているとすることになる。それとも、本職の国会議員でさえ、単なる頭数としかなれない連中がゴロゴロ転がっているのだから、ましてや「二足ワラジ」ではまともな政治はできないということなのだろうか。

 だが、日本の最高学府である東大を卒業し、総理大臣にまでなる程に政治を本業としながら、何ら指導力を発揮できなかったという手合いもいる。本職であることが有能の絶対条件というわけではないことが証明されるなら、二足ワラジでは満足に仕事はできないが例え事実だとしても、政治を本業としている“一足ワラジ”の仲間入りはできることになる。

 少なくもとゴロゴロと転がっている頭数にしかなれない連中の仲間入りはできるはずである。それが税金の無駄遣いだというなら、ゴロゴロと転がっている頭数に対しても同じ批判を浴びせるべきだろう。

 スポーツはその場その場で決着していく勝敗、あるいは成績によって自身の能力、あるいは自らの存在性を証明していく活動であるが、政治は自らの知識・情報に依拠した活動と時間の積み重ねを経て頭角を現していく。自らの存在性を現していく。谷亮子にしても、現在34歳なのだから、年齢的に選手生命は次の2012年のロンドンオリンピックまでだろう。柔道に注いだ積極的な自己表現、積極的な自己存在証明が政治活動にのみ振り向けられたとき、柔道の練習と試合の経験を通して自身も様々な知識・情報を積み上げているはずだから、きっと本業の政治家とは違う政治的な自己表現、政治的な自己存在証明を発揮する可能性は否定できない。

 その可能性を潰すも潰さないも、やはり他からの知識・情報を如何に料理・吸収して自らの知識・情報とし、それを自らの政治活動に如何に具体的・有機的に結びつけていくかの本人の創造性にすべてはかかっている。

 本人にしても「二足ワラジ」批判を承知している。それを乗り越えてやろうという決意は心に秘めているはずである。

 すべては結果責任である。行く末を見守るしかない。

 乱闘国会となって、誰かを投げつけて大活躍をしたといったことだけで終わる議員になるとは思えない。

コメント (5)
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