《首相“負担軽減に取り組む”》(NHK/10年6月23日 14時35分)
記事は昨23日、菅首相が沖縄を初めて訪問。同日開催の沖縄全戦没者追悼式に出席、追悼の言葉を述べたことを伝えている。記事動画から、原稿を読みながらのその言葉を文字化した。
菅首相「悪夢のような、戦により、文字通り焦土と化してから65年が経ちました。沖縄は大きな悲しみを乗り越えて立ち上がり、ひたむきな努力を重ねてこられ、今日の姿を、築き、上げられました。
一方で、未だに沖縄には、米軍基地が集中し、大きな負担を、かけて、きたことに対し、全国民を代表して、お詫びを申し上げます。他方、この沖縄の、ご負担は、アジア・太平洋地域の平和と安定につながって、きたことについて、率直に、お礼の気持も、表させていただきたいと思います。
今後、米軍基地に関わる、沖縄の負担の軽減と、危険性の除去に、一層、真剣に取り組んで、参りますことを、お約束をさせていただきます」――
一見、謙虚に聞こえるが、相反することを言っている箇所がある。
「未だに沖縄には米軍基地が集中し、大きな負担をかけてきたこと」
「この沖縄のご負担はアジア・太平洋地域の平和と安定につながってきたこと」
まさか相反する発言ではなく、「この沖縄のご負担はアジア・太平洋地域の平和と安定につながってきた」から、負担と相殺すべきだ、あるいはある程度の負担は我慢しろ、あるいは負担を誇りに思え等々の意味で言ったわけではあるまい。
鳩山前首相が5月28日の記者会見で、「日本の国土のわずか0.6%の沖縄県に駐留米軍基地の75%が集中するという偏った負担がございます」と言っていた、沖縄及び沖縄県民にとっての「大きな負担」が日米の安全保障に貢献しているということの相反性への言及であるはずである。
だからこそ、「お詫びを申し上げ」た。
対して本土は国土の99.4%を占める中、25%のみの米軍基地という小さな負担で済ましている。
いわば沖縄と本土を比較した場合、沖縄は大きな負担で大きな貢献、本土は小さな負担で小さな貢献という構図となっている。但し、日本が現在、平和と安全を享受しているゆえに沖縄も本土も等しく恩恵を受けていることになるが、人口比率から言っても国土面積から言っても、沖縄は大きな負担で小さな恩恵、本土は小さな負担で大きな恩恵となる。
沖縄の本土と比較したこの格差・不平等は少々の「米軍基地に関わる沖縄の負担の軽減と危険性の除去に一層、真剣に取り組んで、参」ったとしても、格差解消・不平等解消の構図を取ることになるのだろうか。
菅首相の「未だに沖縄には米軍基地が集中し、大きな負担をかけてきたことに対し全国民を代表してお詫びを申し上げます」が心底から発したウソ偽りのない心情であるなら、さらに、「今後、米軍基地に関わる沖縄の負担の軽減と危険性の除去に一層、真剣に取り組んで参りますことをお約束をさせていただきます」がウソ偽りのない約束の申し出であるなら、本土と面積比で平等とまでいかなくても、面積0.6%の沖縄県にせめて4分の1の25%、本土が逆に75%を引き受けることとし、現在の75%から50%の負担軽減を図って初めてウソ偽りない約束と言えるのではないだろうか。
もし真正な平等ということなら、沖縄の米軍基地負担も国土面積に応じて0.6%、本土は99.4%の国土面積に応じて99.4%を引き受けて初めて、応分・平等な負担と言えるのだから、4分の1の25%でも多過ぎる負担と言える。
沖縄海兵隊8000人のグアム移転が可能なら、沖縄を中心点としてグアムまでの距離を半径とした円を描いて、その円内に入る本土内も、沖縄に25%を残して米軍基地の移転は論理上可能となるはずである。
東は青森までがすっぽりと入る距離にある。
本土の国民にしても、菅首相が「未だに沖縄には米軍基地が集中し、大きな負担をかけてきたことに対し全国民を代表してお詫びを申し上げます」と言っていることがウソ偽りのない言葉であるなら、沖縄に「大きな負担をかけてきたことに対し」て「お詫び」の気持を持っているとことになり、沖縄の「大きな負担」を引き受けるにやぶさかではないはずである。
もしも「全国民」が沖縄に「大きな負担をかけてきたことに対し」て「お詫び」の気持を持っていないとしたら、菅首相の「全国民を代表して」はウソ偽りの気持の代弁となる。
いわば、「全国民を代表」も何もしていないことになる。「代表して」いないにも関わらず、「代表して」いるとウソをついたことになる。「代表して」もしていないのに、「代表して」いるかのように事実を装ったことになる。
もしそうだとしたら、これ程のマヤカシはないだろう。
「全国民」が沖縄に「大きな負担をかけてきたことに対し」て「お詫び」の気持を持っていてこそ、菅首相の「全国民を代表してお詫びを申し上げます」はウソ偽りのない真正・真っ正直な事実だとすることができ、「お詫び」に関してウソ偽りのない「全国民」の気持の代弁者とすることができる。
但し、「全国民」が沖縄に「大きな負担をかけてきたことに対し」て「お詫び」の気持は持っているが、沖縄の負担を引き受けることはできないとするなら、本土の国民は自分勝手に過ぎるとことになる。あるいは無責任に過ぎることになる。
菅首相自身は自らの言葉がウソ偽りのない真正な事実だと証明するためにも、自らの指導力によって沖縄の現在の75%から25%を残して50%の負担の本土移転を果たすことぐらいを自らの責務とすべきだろう。
また本土の国民にしても、アジア・太平洋地域を含めた日本の安全保障に同等の責任を果たすためにも沖縄の負担を25%を残して50%は引き受けなければならないはずだ。
菅首相が副総理時の10年5月7日、普天間移設問題で、「内閣の中でも、関わりを、持って、おりません」とノータッチであることを発言していたことに対して、以前6月7日の当ブログで、〈米軍海兵隊が沖縄に駐留せずとも極東の安全・安定は維持できるとする考えに立っていたなら、副総理となった以上、普天間移設問題に積極的に関わってもよさそうなものだが、鳩山前首相が、「『国外、最低でも県外』と言ったのは党の公約ではなく、党代表としての私自身の発言」だと訂正したのは5月6日午前の記者会見でのことだから、その翌日の菅直人発言であることからすると、辺野古回帰が不可避な状況となって、それが自身の政治生命に傷がつくことを恐れて口を噤むことにしたのだろうか。
だとしたら、かなりのご都合主義となる。〉と批判した。
このノータッチ発言の経緯について6月14日付「毎日jp」記事――《菅首相:普天間問題ノータッチ、鳩山氏の意向で》2010年6月14日 22時33分)が触れていることに気づいた。
6月14日の衆院本会議の各党代表質問。
自民党谷垣禎一総裁「意図的に避けてきたように感じる。首相をわざと支えず、職場放棄、戦略的サボタージュを決め込んだのではないか」
菅首相「(昨年9月に)国家戦略担当相になった時、鳩山由紀夫前首相から『外交については負担をかけないから』との言葉を頂いていた」
鳩山前首相(6月11日のBS朝日の番組収録)「菅さんは、(普天間移設問題に)タッチをされたかったのではないか。ただ、副総理も財務相も大変忙しい。国の財政も大事な時期だったので、『この問題はこちらで引き取ります』ということにした」
このことを事実だとすると、一方に鳩山首相は自らの「国外・最低でも県外」の発言が人質となって窮地に立たされるより大きな事実が立ちはだかることとなっていた。
例え鳩山首相に「この問題はこちらで引き取ります」と言われたとしても、2003年の民主党代表当時、「海兵隊の基地と人員についてはですね、必ずしも沖縄にいてもらわなくても、極東の安全・安定は維持できるという、日本国内からの移転ということを基本的な方向として考えております」(《菅首相と会談した沖縄・仲井真知事「8カ月前の選挙公約と180度変えた。理解難しい」》FNN/10/06/24 00:26 沖縄テレビ)と発言していたことは鳩山首相が「国外、最低でも県外」としていた沖縄に於ける米軍の存在に対してほぼ主張を共有する内容であって、いくら「ノータッチ」の指示だからといっても、鳩山前首相は共に民主党を立ち上げた同志のはずである、その同志の窮地を菅直人は無視できたのだろうかいささか疑問となる。
何らかの助言ぐらいのタッチはあったはずだ。もし鳩山首相の窮地を無視、自身をあくまでも基地問題の外に置いてノータッチが事実とするなら、正直に鳩山首相の指示に機械的に従っていたと言うなら、鳩山首相の命取りとなることも予想できていたのだから、なかなかの冷酷な策士でなければできない無視と言うことができる。
この策士振りをいい方向に解釈できないこともない。《首相“直ちに着工はせず”》(NHK/10年6月23日 16時7分)
昨23日の沖縄県糸満市で記者団に語った言葉。
菅首相「日米合意を踏まえて進めるという方針に変わりはないが、閣議決定をしたように、沖縄の負担軽減にも同時並行的に全力をあげたいと思っている」
菅首相「専門家の間での検討が8月中の終了という日程で進められると理解しているが、検討が終了したから、問答無用で工事に着工するということには法律的にも政治的にもならない。十分に地元の皆さんとの議論を重ねていきたい」
しかし沖縄の理解は普天間の県内移設、辺野古現行案絶対反対である。
また、6月15日の参院本会議で、県知事が海域の埋め立てを許可しない場合に備え、埋め立て権限を国に移す特別措置法制定については「全く念頭にない」と否定的見解を示している。(《首相「在任中は靖国参拝せず」 改憲に慎重姿勢》(47NEWS/2010/06/15 17:14 【共同通信】)
沖縄の理解は普天間の県内移設絶対反対、菅首相の特別措置法は全く念頭にない、日米専門家協議が終了したとしても問答無用で着工はしないを考え併せると、どうしても行き着く先は未解決の袋小路としかならない。
先ずは基地問題を進退両難の場所に立ち往生させて、沖縄基地問題に関して政権を立ち往生させることでもあるが、これしかない打開策として県外、あるいは国外をアメリカ側に申し出る。日米合意の破棄ではなく、やり直しに持っていく。
いい方向に解釈した、このようなことを計画した一連の言動であるなら、菅首相の沖縄全戦没者追悼式で述べた「お詫び」が全国民の総意ではなくても、「未だに沖縄には米軍基地が集中し、大きな負担をかけてきたことに対し全国民を代表し、お詫びを申し上げます」と発言した意図自体はウソ偽りのない真正の事実とすることができる。
ウソ偽りが実体の口先だけの「お詫び」で終らせるのか、最終的に沖縄県民の納得を得ることができる「お詫び」となるのか、今後の展開が証明することになる。