午後1時55分からの日テレ『ミヤネ屋』が善光寺の北京オリンピック聖火リレー長野コース出発点の辞退を受け、善光寺代表の単独インタビューを伝えていた。どことなく落ち着きのない早口の喋り方の男だった。
「いわゆる国宝、善光寺、というものを中心としていたしまして、重要文化財でございます。並びに経堂、そしてまた仁王門、ああいったものに関しても、危害、は困る。あってはいけない。そしてまた、勿論一般の参拝客、にも、危害が、あー、あってはならない。ま、そして、また勿論、チベット問題に関しても、同じでございます。同じ宗教者としていたしましてもお坊さんがああいった形で抗議しているところに対して、弾圧を加える。そういったことにも抗議したい。まあ、そういったこともありまして、ま、本当に善光寺として、色々な、その後もご意見、ございましたけども、やはり、辞退しようという、そういうことで決定したという、そういう形でございます」
リポーター(スタジオからの辞退の理由点の確認に対して)「参拝客であったり、重要文化財というものに危害が及ぶ危険性があるという点、それともう一つ、抗議の意味。どちらの方が割合が重いんですか、というふうに確認しましたら、五分五分と思ってくださいと、いうことだったんです」
NHKインターネット記事では「善光寺辞退の経緯」として、<善光寺の代表は、記者会見で「チベット問題の中国政府の対応に憂慮している。善光寺は開かれた寺なので、参拝者の立ち入りを一時的にせよ制限したくないし、寺の国宝も守りたい」などと説明しました>と単独インタビューとは辞退理由の順序が逆になっている。。その解説部分――。
<聖火リレーのスタート地点の辞退は、善光寺がチベット問題を「同じ仏教徒の問題」として抗議する姿勢を明確にしたものです。
善光寺によりますと、僧りょの間では、この1か月余り、チベット問題への中国政府の対応から、善光寺での聖火リレーの開催を疑問視する声が広がっていたということです。
また、聖火リレーの開催に反対する電話が、連日100本前後、善光寺に寄せられていたということです。開催が迫り、僧りょの間では、善光寺の境内をスタート地点とするかをめぐって連日激論が交わされました。
「いったん引き受けたことは断るべきではない」として計画どおりスタート地点を受け入れるべきだといった意見もあったということですが、結局、「同じ仏教を信仰する者として筋を通そう」という意見が大勢を占め、辞退を決めたということです。>・・・・・
<善光寺がチベット問題を「同じ仏教徒の問題」として抗議する姿勢を明確にしたものです。>と辞退の重点理由に挙げているが、この見方は妥当な見方なのだろうか。
「ミヤネ屋」のテレビカメラの前で実際に喋った善光寺代表のインタビューでは、言葉の貧相なのは政治家も同じで、日本の坊主もこの程度だと思えば我慢できるが、辞退理由を国宝・重要文化財の善光寺、経堂、仁王門といったハコモノへの危害を最初に持ってきている。次に「一般の参拝客」への危害。最後にチベット問題に対する「抗議」。
そしていわゆるどちらに重点を置いての辞退なのかの問いに答えて「五分五分だと思ってください」という返事だったとするリポーターの解説。
この経緯はNHKが伝える<善光寺がチベット問題を「同じ仏教徒の問題」として抗議する姿勢を明確にしたものです。>とする辞退理由の明確な優先度とズレが生じる。
確実に言えることはチベット問題に対する「抗議」をいくら国宝、重要文化財とは言え、本堂、仁王門といったハコモノよりも辞退理由の下位に置くわけにはいかないということである。6対4でハコモノへの危害を防ぐ方に重点を置いた辞退ですと。ましてや7対3、あるいは8対2でハコモノ保全優先ですとは、実際にはそうであっても、口が裂けても言えない。
だが、「五分五分」ということはチベット問題に対する「抗議」がハコモノ保全よりも優先度が決して上ではないことをも証拠立てている。
もしハコモノや一般参拝客への危害を防ぐことだけに理由を置いた辞退としたなら、同じ仏教に関わる組織として、中国チベット地区での僧侶を含めたチベット人への中国当局による人権抑圧に向けた抗議活動や世界各地での聖火リレーを利用した抗議のデモンストレーションに対する自らの認識を抜け落ちさせることとなる。
だが、チベット問題に対する「抗議」をすべてとした聖火リレー出発点の辞退なら、一般参拝客も守れるし、ハコモノへの危害も回避可能となる。わざわざ辞退理由にハコモノ保全を挙げる必要もないし、当然のこととして、辞退理由の重要度を「五分五分」とする必要も生じないことになる。
それともチベット問題に対する「抗議」のみを理由とした辞退としたら、マスコミにそのことだけが取り上げられて報道が集中し大騒ぎになる。チベット問題で突出したくないという事勿れ主義から、緩和剤として一般参拝客や国宝、重要文化財の保全を持ち出したということなのだろうか。
だから止むを得ずハコモノと一般参拝客の保全を最初に持ってきて、チベット問題に対する「抗議」は後回しにして目立たなくしたということなのだろうか。
だが、人権問題は人間の存在性に深く関わる問題である。仏教も人間の存在性を問題とする教えであろう。
【仏教】「紀元5世紀、インドのシャカ族の王子ガウタマ・シッダールタ(釈迦)が6年間の苦行の結果えた悟りの内容を説いた教え。人生は苦であること、その原因としての無常や無我の理を悟り、迷いの根本としての執着(しゅうじゃく)をたち、解脱の境地にいたるべきことを説く。釈迦没後20の部派にわかれたが、これらを自己解脱だけを説く小乗と非難し、他者の救済を主張する大乗仏教が起こった。・・・・
大乗仏教は中国・朝鮮を経て6世紀に日本に伝来し、聖徳太子や蘇我氏によって積極的に受容され、法隆寺(斑鳩〈いかるが〉寺)や法興寺(飛鳥寺)が建立された。(後略)」(『日本史広辞典』山川出版社)
日本の仏教が自己解脱だけを説く「小乗」仏教ではなく、「大乗仏教」と言うことなら、「他者救済」を主たるテーマとしているはずである。チベット問題に対する抗議を最優先の辞退理由としてどこに不都合があるだろうか。
形式化した仏教と言うことなら、「抗議」は辞退理由に加えなければ格好がつかないことからの付け足しの体裁となったとしても仕方がない。
鍵は「聖火リレーの開催に反対する電話が、連日100本前後、善光寺に寄せられていた」ことにあるのではないのか。「開催に反対」の理由はその殆どがチベット問題に対する「抗議」の意思表示として「辞退すべき」という内容だと見るべきで(他にどんな「反対」理由があるだろうか)、それを無視した場合、同じ仏教に関わる組織として体裁を失うことになる。
体裁を失わない自己保身上の決定からの「辞退」、いわば付け足しの体裁として持ち出した「辞退」だから、ハコモノ保全や一般客の安全が否応もなしに最初に持ってくることになったということもある。
善光寺代表はインタビューに答えて初めにハコモノ保全とその次に一般客の安全確保を持ってきてから、「ま、そして、また勿論、チベット問題に関しても、同じでございます。同じ宗教者としていたしましてもお坊さんがああいった形で抗議しているところに対して、弾圧を加える。そういったことにも抗議したい。」と辞退理由を述べている。
この場合の「ま、そして、また勿論」はある程度は強めの意味を与えてはいるものの、付け足しの意識を持たせた言葉であろう。決して積極的な意味合いを持たせた言葉ではない。
つまりこういうことではないだろうか。聖火リレーに関わってしまった。最初は何事も起こらなかったが、次第に物騒な状況となってきた。「聖火リレーの開催に反対する電話が、連日100本前後、善光寺に寄せられ」るようにもなり、同じ仏教関係者として何らかのアクションを起こさざるを得ない立場に立たされてしまった。そのことの仕方なさからの「辞退」だが、そのことだけを理由とした場合の大騒ぎ・混乱は予想されることで避けたいから、それを誤魔化すためにハコモノの保全と一般客の安全を先に持ってこざるを得なくなって、付け足しの「抗議」の形となってしまった。
このことはチベット問題に連帯を申し出る仏教組織が善光寺以外に聞いていないことからも証拠立てることができる。
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【善光寺】「長野市長野元善町にある寺。定額(じょうがく)山と号す。創建の時期・由来は伝説に包まれ不明であるが、7世紀後半には建立されていたと推測され、百済伝来の一光三尊の阿弥陀仏を安置した堂に始まるという。近世以来、この堂を天台宗大勧進と浄土宗の大本願の二宗の僧侶が護持する。鎌倉時代には北条市の保護を受けて全盛をきわめ、親鸞・一遍をはじめ名僧が参詣した。戦国期には、武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いによって荒廃し、弘治年間には本尊が甲府に移される事態も生じたが、1598年(慶長)に戻った。本尊の銅造阿弥陀三尊立像(重文)ほかの多くの文化財がある。
本堂 江戸時代を代表する巨大に寺院建築。現存の本堂は、1707年(宝永4)の再建。正面7間ん、側面16間で裳腰(もこし)がめぐる。屋根は棟がT字型の撞木造。堂内は奥から阿弥陀三尊を安置する瑠璃壇、開基とされる善光夫妻と善佐の木造を納める三卿の間。内々陣、内陣、外陣(げじん)からなる。瑠璃壇・三卿の間の下には戒壇と呼ばれる巡回路が巡る。国宝。」(『日本史広辞典』山川出版社)