オバマの言葉の胡散臭さ

2008-04-18 08:13:15 | Weblog

 私はヒラリー・クリントン贔屓である。その理由は知性を充分に感じさせる女性であり、女性初のアメリカ大統領を見てみたいからに他ならない。女性初のアメリカ大統領が何をするかを。

 アメリカ初の黒人大統領をオバマで見たいという人間も多くいるに違いない。実現の可能性は後者、オバマに軍配が上がる勢いとなっている。

 バラック・オバマに限りなく大きな可能性を見い出す向きもある。彼が口にした言葉とその卓越した雄弁から詩人だとか預言者のようだとか持ち上げる者もいる。あるいは2月28日の「東亜日報」インターネット記事(≪オバマ氏とヒラリー氏の「言葉の戦争」≫)は彼の演説がケネディ元大統領とキング牧師を合わせたものよりも大きな感動を与えると把える人々がいることを伝えている。

 そういった感動的共鳴が当初の予想を裏切って民主党大統領候補選選での有利な展開を導く大いなる牽引力となっているのだろう。

 当ブログ記事「バラック・オバマはアメリカ合衆国第44代大統領の場合は自らの言葉を自ら裏切ることにならないか」(08.2.11/月曜日)で批判的に取り上げたが、2004年の大統領選民主党候補にジョン・ケリー上院議員を選出した党大会でオバマが行った基調演説の際立った格調の高さが当方の批判に反してまだ無名だったオバマのカリスマ性を世間の目に際立たすターニングポイントとなったらしい。

 「リベラルのアメリカも保守のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ。黒人のアメリカも白人のアメリカもラティーノのアメリカもアジア人のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ。・・・・イラク戦争に反対した愛国者も、支持した愛国者も、みな同じアメリカに忠誠を誓う“アメリカ人”なのだ」

 原文を「Yakinasu’s Cafe » Blog Archive » But I Am Not A Democrat…」なるHPで探し当てた。

 「Well, I say to them tonight, there’s not a liberal America and a conservative America; there’s the United States of America.

 There’s not a black America and white America and Latino America and Asian America; there’s the United States of America.

 The pundits, the pundits like to slice and dice our country into red states and blue States: red states for Republicans, blue States for Democrats. But I’ve got news for them, too. We worship an awesome God in the blue states, and we don’t like federal agents poking around our libraries in the red states.

 We coach little league in the blue states and, yes, we’ve got some gay friends in the red states.

 There are patriots who opposed the war in Iraq, and there are patriots who supported the war in Iraq.

 We are one people, all of us pledging allegiance to the stars and stripes, all of us defending the United States of America.

 There are patriots who opposed the war in Iraq, and there are patriots who supported the war in Iraq.

 We are one people, all of us pledging allegiance to the stars and stripes, all of us defending the United States of America・・・・」

 英語はからしき苦手のチンプンカンプンの「オッパッピー」、正確な訳は得意な人に任せるしかないが、決してこうあるべきだと希望を語り、理想を求めたのではなく、「現実」を語った言葉となっているように思える。

 人間の現実の姿を見たとき、あるいは社会の現実を見たとき、オバマが言うようには事はそう簡単には片付かないように思えるのだが、オバマは言葉で片付けてしまっている。言葉で自分が言っているようにアメリカはそうだと描いて見せた。

 アメリカがオバマが言うような世界となっていたなら、アメリカの政治家は何のために闘ったらいいのだろうか。政治家の闘いはもはや必要ではなくなる。だが現実には政治家のそれぞれが何らかの利害を代弁しながらの闘いを展開している。結果として利害が様々な矛盾を引き出す悪循環を誘い出している。

 それらの矛盾を避け、それぞれが自分にのみ有利な状況に転換すべく自己利害にのみ立って動くから、政治家を代弁者に仕立てた利害の闘いは激しさを増し、結果としてオバマが描くアメリカと現実のアメリカは異なった様相を展開することとなる。

 日本の場合は現在、道路族議員がその代表的となる利害相克のすさまじい闘いを繰り広げている。

 言葉は確かに人を動かす力を持っている。だが、言葉で人を動かそうと言葉に頼ったとき、言葉は言葉のための言葉となって自己目的化する危険を孕む。言葉だけが美しいものとなり、現実と遊離することとなる。

 オバマが他人の言葉をさも自分が紡ぎ出した言葉であるかのように使った「盗作」が問題となったが、「盗作」であることよりも、その言葉に自己目的化した姿を窺うことができる。

 ≪オバマ氏に盗作疑惑 州知事の演説を引用?≫(MSN産経/2008.2.19 18:33 )

 <【ミルウォーキー(米ウィスコンシン州)=有元隆志】米民主党大統領候補指名争いで18日、クリントン上院議員の陣営は、オバマ上院議員がマサチューセッツ州のパトリック知事の演説を盗作したと非難した。

 オバマ氏は16日の演説で、「私には夢がある-。単なる言葉だろうか。すべての人間は平等につくられた-。単なる言葉だろうか」と述べた。パトリック知事は同様の言葉遣いを2006年の知事選の時にしていた。AP通信によると、クリントン陣営はオバマ氏の候補としての適格性に「疑問を投げかけるものだ」と攻撃している。

 オバマ氏は友人である同知事の“著作権”を明示すべきだったと認めたものの、クリントン氏も「歴史のページをめくるときだ」などとするオバマ氏の言葉遣いを使っていると反論した。>・・・・・・・

 「私には夢がある-。」はマサチューセッツ州パトリック知事が演説で使った言葉で、「すべての人間は平等につくられた-。」は独立宣言の言葉だそうだ。

 オバマは
「単なる言葉だろうか」、いや、そうではないと「否定フレーズ」を用いることで「単なる言葉」ではないことを強調しているが、強調することによって逆に言葉で人を動かそうと言葉に頼った言葉のための言葉の自己目的化に陥っている。

 まさかオバマの夢はアメリカ初の黒人大統領になることではあるまい。子供が将来の夢を聞かれて大統領になるは許されるが、大統領候補の資格を得るべく選挙戦を戦っている現在、大統領になることが夢だとすることは許されない。大統領となって、アメリカをどう改革していくか、アメリカ社会をどう変えていくか、世界の指導国として世界の変革にどう関わっていくか、そのデザインの実現を「夢」としなければならない。「初」を実現したとしても、それは単なる記録に過ぎない。「初」だからと言って、力を持つわけではないからだ。大統領当選は最終目的とすべき困難な事業が待ち構えている出発点に立つに過ぎない。

 「すべての人間は平等につくられた-。」――神はそう言っている。多くの理想主義者がそのように口にしている。

 だが、現実には「すべての人間は平等につくられた-。」「単なる言葉」と化している。例え「単なる言葉」ではなく、「すべての人間は平等につくられた-。」を現実のものとしなければならないとする訴えだとしても、言葉で訴えるだけで片付く程生易しく出来上がっている人間社会の「平等」破綻ではない。

 もし正直な人間なら、「この社会は余りにも不平等につくられている。不平等に扱われている人間がどれ程存在するか。一方に不平等をつくり出して平気でいる人間がいることも問題だ。我々はそういった矛盾と闘っていかなければならない」と言うだろう。但し、正直なだけ、人に感動を与える格調高さは失われる。

 上手の手から水が洩れたのか、サルも木から落ちるの類なのか、ケネディ元大統領とキング牧師を合わせたよりも大きな感動を与える格調の高さ、詩人、預言者と称せられる得意技の言葉でオバマは躓く。

 「ペンシルベニアの田舎町の人々は、失業に苦しんだ結果、社会に怒りを持つようになり、(その反動で)銃や宗教に執着するようになった」≪オバマ氏失言「田舎、銃や宗教に執着」予備選に打撃≫ asahi.com/2008年04月14日20時03分)

 (昨17日夕方のTBS「eニュース」では、「ペンシルベニアの小さな町で失業に苦しむ人々は銃や宗教にすがり、自分たちと異なる人々に反感を抱いている」)

 対するヒラリー・クリントン「エリート意識丸出しで、地方の人々を見下している」(同「asahi.com」記事)

 オバマ「私の言葉の選択がうまくなかった。深く悔やんでいる」

 では、どういうふうな「言葉の選択」であったなら、批判を受けずに「ペンシルベニアの田舎町の人々は、失業に苦しんだ結果、社会に怒りを持つようになり、(その反動で)銃や宗教に執着するようになった」とする主張に正当性を与え得たというのだろうか。こういう言葉を選択すべきだったと明らかにする責任があるはずである。

 大体が上記言葉は政治党派や人種の違いもなく「ただアメリカ合衆国があるだけだ」とする自らの格調高い言葉を自ら裏切るものとなっている。いや、ペンシルベニアの「現実」がオバマの言うとおりの事実なら、「ただアメリカ合衆国があるだけだ」は真っ赤な嘘っぱち、口先だけで言った言葉と化す。 

 オバマの指摘が正しいか否かは別として、「ただアメリカ合衆国があるだけだ」と言いつつ、「ただアメリカ合衆国があるだけだ」では済まない社会の現実があることを自ら摘出する矛盾を犯したのである。

 そうでありながら、「私の言葉の選択がうまくなかった。深く悔やんでいる」とする胡散臭さ。

 日本の保守政治家が歴史認識で誤った発言をして謝罪をしておきながら、真意が伝わらなかったとするのと似たり寄ったりのゴマカシだろう。

 問題なのは「言葉の選択」ではなく、一方で「ただアメリカ合衆国があるだけだ」と格調高く謳いながら、例え的中した事実であっても、「ペンシルベニアの田舎町の人々」の姿・現実をそう見ていたこととの一致しない態度ではないのか。

 昨17日夕方のTBS「eニュース」。
 我が愛しのヒラリー・クリントン「国民を見下すのではなく、国民のために立ち上がる大統領をこそ国民が求めているのを彼は分かっていない」

 そのとおり。オバマは「失業に苦しんだ結果、社会に怒りを持つようになり、(その反動で)銃や宗教に執着するようになった」「ペンシルベニアの田舎町の人々」の現実を「アメリカ合衆国」に抱え込む寛容さを示した得たとき、自らが格調高く唱えた「ただアメリカ合衆国があるだけだ」に僅かながらでも整合性を与えることができる。

 僅かながらというのは、社会の矛盾に見舞われているのは何も「ペンシルベニアの田舎町の人々」だけではないからだ。
 * * * * * * * * * * * * * * * *
 ≪オバマ氏失言「田舎、銃や宗教に執着」予備選に打撃≫(asahi.com/2008年04月14日20時03分)

 【ワシントン=小村田義之】米大統領選で民主党の候補者指名を狙うオバマ上院議員が、22日のペンシルベニア州での予備選を前に、同州に多い労働者層を差別したかのような「失言」が波紋を広げている。ライバルのヒラリー・クリントン上院議員らから攻撃を受け、手痛い失点となる可能性も出てきた。

 オバマ氏は6日、サンフランシスコでの非公開の資金集めパーティーに参加。「ペンシルベニアの田舎町の人々は、失業に苦しんだ結果、社会に怒りを持つようになり、(その反動で)銃や宗教に執着するようになった」と語っていたことが11日、インターネットで明るみに出た。
 
 187人の代議員枠がある大規模州の同州は工場が多く、雇用不安にさらされる労働者の支持をいかに集めるかが焦点となる。「銃」「宗教」といった米社会では繊細なテーマにも触れたことから、クリントン氏はオバマ氏攻撃にさっそく利用。「エリート意識丸出しで、地方の人々を見下している」と激しくかみついた。

 オバマ氏は問題の発言について、「私の言葉の選択がうまくなかった。深く悔やんでいる」と表明したが、クリントン氏に対しては、自分の発言を政治的に利用していると主張し、「恥を知れ」と激しく反発した。

 同州での最新の各種世論調査では、先行するクリントン氏をオバマ氏が数ポイント差まで追い上げているが、この発言でブレーキがかかる可能性もある。

 保守派の論客、グローバー・ノーキスト氏はABCニュースに「彼は田舎の米国に対して『私はあなたが嫌いだ』と宣言した。この発言で彼は選挙に落ちるだろう」と語った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする