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菅義偉は五輪開催擁護のために「デルタ株」の感染力に対する危機感を失念させ、開催が感染爆発の原因となった

2021-08-09 10:46:04 | 政治

【お断り】
 2019年4月以前は月にかなりの回数のブログを投稿していたが、当時は殆ど1日で仕上げていた。それ以降、1つのブログの仕上げに2日かかり、ときには3日かかるようになり、1週間に1度の投稿ペースとなったが、80歳の残り少ない人生となって、読者数も少なく、ただ書いては投稿する繰り返しに徒労感が募り、時間が勿体なくなり、今後、1カ月に1回か2回にペースを落とすことにした。投稿数が増えても減っても、殆ど変わらない注目度だから、断りを入れる程のことはないのだが、一応知らせることにした。「Twitter」は、これも大して中身のあるものではないが、気が向けば日々投稿しているから、よろしくお願いします。

 最初に今回のブログのテーマに関係ないが、2021年8月6日開催の広島市平和記念式典で菅義偉が挨拶を読み上げる際、一部分を読み飛ばした件について。2021年8月6日付「毎日新聞」記事によると、複数枚の原稿を糊で1枚につなぎ合わせて蛇腹折りにしたもので、糊が一部はみ出して紙同士がくっつき、首相が開く際に剥がれなかったためにその箇所を読み上げられなかったとみられると伝えている。要するに原稿を何枚か繋いで折り畳んであるから、目を通す箇所を順に開いていく形式になっていたものが、一部分糊でくっついていて、そこが綴てある具合になっていて開くことができず、次に開くことができた箇所を続きだと思って、そのまま読み続けた結果、一部分を読み飛ばしてしまった。

 「共同通信」記事によると、政府関係者の話として「完全に事務方のミスだ」と伝えているが、意図しないミスであったとは限らない。政権に不都合な情報を官僚がマスコミや野党側にリークして大問題になることが間々ある。意図したミスだとしたら、菅義偉に失点を与える、あるいは菅義偉の足を引っ張る目的からそうした可能性が浮上する。そういうことをして、身内の中で喜ぶ誰かがいる。色々と考えられるが、魑魅魍魎が跋扈する永田町である、意図したミスである方が断然と面白い。

 糊がくっついていて一部開くことができなかったが事実だとしたら、菅義偉は前以って目を通していなかったことになる。いくら官僚に書かせたとしても、官房長官等と図って、このような文章にしてくれと官僚に指示した箇所もあるはずだし、内容そのものが広島原爆投下の犠牲者を悼むと同時に平和への誓いを平和記念式典参列者のみならず日本国民に向けて発信する厳粛なメッセージとなり得るものだから、普通だったら、思いを噛み締め、伝えるために一度は目を通すはずだ。だが、目を通さなかったために糊がくっついた状態のまま平和記念式典の場に持ち込んでしまった。要するに平和記念式典という厳粛な空間で事務的なひと仕事を消化したに過ぎなかったといったところなのだろう。読み飛ばしても、意味が繋がっていないことに気づきさえしなかったのだから。

 2021年6月9日に厚生労働省がインドで広がる変異ウイルス「デルタ株」が6月1日~6月7日の1週間に8都県から合わせて34人の感染が確認されたと報告があったと発表したこと、7月中旬には国内で確認される新型コロナウイルスの半数以上を「デルタ株」が占めると予想する専門家がいたし、京都大学の西浦博教授が2021年6月9日開催の厚生労働省専門家会議でインドで確認された新型コロナウイルスの変異ウイルスについて国内での感染力は従来のウイルスの1.78倍になっている恐れがあるという分析結果を示したことなどを複数の「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。

 2021年5月31日~6月6日までの1週間に東京都の研究機関が行ったスクリーニング検査でインドで確認された変異ウイルス「デルタ株」が3割あまりにのぼり、これまでで最多となったと「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。

 2021年6月10日付の「NHK NEWS WEB」記事はイギリス政府2021年5月22日提出報告によると、「デルタ株」に対するウイルスの働きを抑える中和抗体の量はファイザー・ワクチン88%、アストラゼネカ・ワクチン60%で「2回の接種で十分な効果が得られる」と伝えている。

 つまり、2021年6月10日の時点で両ワクチン共に「デルタ株」に関しては1回接種のみでは的確な有効性は期待できないと言うことを知らしめたことになる。このことはイギリスがワクチン接種が進んだことから様々な制限を解いて社会経済活動を活発化させたが、2021年5月末から「デルタ株」による新規感染者が増加、6月30日には25606人の新規感染者、7日間平均が19005人にまで達したために2回目の接種を急いだという事情が証明することになる。

 と言うことは、「デルタ株」を向こうにしてワクチン1回接種の進み具合のみで感染状況の増減についてあれこれとは評価できないことになる。

 こういった情報は菅政権は把握し、専門家に検証を指示しなければならない。

 2021年6月16日付「NHK NEWS WEB」記事が厚生労働省が2021年6月14日時点の自治体報告集計で「デルタ株」感染者は全国合計117人、1週間(8日~14日)で30人増と発表したと伝えている。勿論、感染者数自体が多いからだろう、東京都が最多の30人、神奈川県が17人、千葉県が16人等と首都圏が上位を占めている。但し感染者全てのウイルスの型を調べているわけではない。感染者の幾例かのウイルスを抽出・検査して人数を割り出す。陽性率は検査実施件数に占める「デルタ株」保有者の割合で示す。実際の感染者数はもっと多いかもしれない。感染力が従来のウイルスの1.78倍(菅義偉は1.5倍としている)ということなら、危機管理として計算よりも多い感染者数と見るだけの危機感を有して対処すべきだろう。

 菅義偉は東京都に関して言うと、発令していた緊急事態宣言を6月20日に解除、7月11日までまん延防止等重点措置に移行することを伝えた2021年6月17日の記者会見で、「全国の感染者数は、5月中旬以降、減少が続いています。殆どの都道府県において新規感染者数はステージ4を下回っています。全国の重症者数も減少が続き、病床の状況も確実に改善されてきております。しかしながら、地域によっては感染者数に下げ止まりが見られるほか、変異株により感染の拡大が従来よりも速いスピードで進む可能性が指摘されております」と発言、現状の感染者数減少に主に目を向け、「デルタ株」については感染力の強さが指摘されている程度で済ませていて、さして警戒感を示していない。

 対して政府分科会会長の尾身茂は同じ記者会見で「人流の増加というのはもうこの直近5週間ずっと続いているのですよね」と前置きして、「例のデルタ株という変異株の影響。こういうことを考えますと、下げる要因、感染の拡大を下げる要因というのはワクチンというのがある。しかし、上げる要因というのはかなりあるのですね」と、人流の増加と、人流の増加に応じたデルタ株による感染拡大を警戒している。

 菅義偉は2021年7月8日の記者会見では次のように発言している。

 菅義偉「こうした中でも、残念ながら首都圏においては感染者の数は明らかな増加に転じています。その要因の1つが、人流の高止まりに加えて、新たな変異株であるデルタ株の影響であり、アルファ株の1.5倍の感染力があるとも指摘されています。デルタ株が急速に拡大することが懸念されます。

 一方で、感染状況には従来とは異なる、明らかな変化が見られています。東京では、重症化リスクが高いとされる高齢者のワクチン接種が70パーセントに達する中、一時は20パーセントを超えていた感染者に占める高齢者の割合は、5パーセント程度までに低下しています。それに伴い、重症者用の病床利用率も30パーセント台で推移するなど、新規感染者数が増加する中にあっても、重症者の数や病床の利用率は低い水準にとどまっております」

 首都圏の感染拡大は人流の高止まりと「デルタ株」の影響だとしている一方で、「デルタ株」の影響はその程度にとどめ、高齢者に対するワクチン接種が進んで、高齢者の新規感染者が減っただの、あるいは重傷化率が減少、医療現場に余裕が出てきたといった趣旨のことを言って、感染状況の好ましい変化を基にワクチン接種の効果に重きを置いた発言となっている。

 いわば高齢者のみならず他の世代へのワクチン接種の進捗が「デルタ株」を含めてコロナ感染の解決策となるというメッセージとなっている。このことは菅義偉が常々口にしている「ワクチン接種というのは、正に感染症対策の切り札です」としているメッセージと対応することになる。

 菅義偉はこのメッセージを殆ど固定観念としているが、固定観念としているからこそ、このメッセージにはイギリス政府の「デルタ株」の感染力に対してはワクチンは1回接種のみでは的確な有効性は期待できないとする危機感を受けつける余地を持たせていない。要するに「デルタ株」がいくら感染を広げても、ワクチン接種がその感染をいつかは収束させるという文脈の発言しか窺うことができす、「デルタ株」に対するどのような危機感も窺うことはできない。

 「デルタ株」に対する危機感のなさは、前にブログに取り上げたが、同じ記者会見(2021年7月8日)での次の発言が証明することになる。

 菅義偉「全国の津々浦々でワクチン接種の加速化が進んでいます。自治体や医療などの関係者の御尽力により、今や世界でも最も速いスピードで接種が行われていると言われています。1週間の接種回数は900万回を超えています。本格的な接種が始まってから2か月余りで累計の回数は5,400万回を超え、既に高齢者の72パーセント、全国民の27パーセントが1回の接種を終えています。

 先行してワクチン接種が進められた国々では、ワクチンを1回接種した方の割合が人口の4割に達した辺りから感染者の減少傾向が明確になったとの指摘もあります。今のペースで進めば、今月末には、希望する高齢者の2回の接種は完了し、1度でも接種した人の数は全国民の4割に達する見通しであります」

 世界最速と言われている日本のワクチン接種速度を誇り、1回目の接種は本格的な接種開始以降約2カ月で累計の接種回数5400万回超、高齢者72パーセント、全国民の27パーセント終了したとその実績を誇っている点は如何にワクチンの力に比重を置いているかのメッセージとなっていて、「ワクチン接種というのは、正に感染症対策の切り札です」の信念が言わせている文言となっている。「デルタ株」を感染拡大の要因以外に見ていないから、「デルタ株」に対する危機感の影すら、当然、見えてこない。

 後段の「1回接種人口比4割=感染者の減少傾向開始」のメッセージは、勿論、イギリス政府の対「デルタ株感染力ワクチン1回接種=非的確な有効性」のメッセージとは相反しているが、どちらが正しいか、2021年8月6日付「NHK NEWS WEB」記事から見てみる。2021年8月6日政府発表の最新のワクチン接種状況について1回目接種者5809万5553人、全人口の45.7%。2回目接種者は4155万5539人、全人口の32.7%。高齢者1回目接種者3096万4771人、高齢者全体の87.3%、2回目接種者2839万5544人、高齢者全体の80.0%となっていると伝えている。この全人口にはワクチン接種対象外年齢の子どもを含んでいると解説しているが、集団免疫が全人口の何割の接種とするという基準に従っているからなのはご承知のことと思う。7割という学者もいれば、6割で十分という学者もいる。菅義偉のメッセージは「1回接種人口比4割=感染者の減少傾向開始」だから、集団免疫に向かう「4割」と見ることもできる。

 菅義偉は7月末までに希望する高齢者全員に接種を完了すると常々約束していたが、自治体の中には住民の接種履歴を入力、国が管理するVRS(ワクチン接種記録システム)に後日纏めて入力するケースも存在とするから、上記「NHK NEWS WEB」記事も、〈実際はこれ以上に接種が進んでいる可能性があり、今後増加することがあります。〉と断っているが、少々の数字の違いが出るかもしれないものの、大した数字の違いではないはずで、1回目接種完了の高齢者87.3%を接種を希望した割合と看做すと、1回目接種のみで2回目はやめた高齢者がいたとしても、2回目接種完了者が85~6%近辺にまで近づいていなければ、希望する高齢者全員への接種完了とは言えなくなる。

 なぜなら、65歳以上高齢者に対するワクチン接種対象者数は3600万人。うち3000万人が接種を受けたと仮定しても、その1%は30万人。2回目と1回目の差、7%は210万人に当たると推定できる。210万人もの高齢者が1回目は接種を受けて、2回目は受けなかったと仮定することは難しい。要するに菅義偉の約束どおりには7月末までに希望する全員が接種を終えていなかったと見るのが妥当であろう。

 菅義偉の「先行してワクチン接種が進められた国々では」云々の「1回接種人口比4割=感染者の減少傾向開始」のメッセージはさも日本にも当てはまるかのように自らのワクチン接種の進捗度を、「今や世界でも最も速いスピードで接種が行われていると言われています」との言葉を使って誇っているが、上記「NHK NEWS WEB」が2021年8月6日の政府発表として伝えているように1回目接種者全人口の45.7%に達していて、菅義偉が言う「人口の4割」を超えているが、「感染者の減少傾向」どころか、全国的に感染者が増加、特に東京都に至っては7月半ば前後から新規感染者は千人を超え、7月末になると、2千人を超え、3千人を超え、2021年7月31日には4058人の新規感染者となっている。「1回接種人口比4割=感染者の減少傾向開始」どころか、「1回接種人口比4割=感染者の拡大傾向開始」となっている。

 大体が菅義偉の「1回接種人口比4割=感染者の減少傾向開始」のメッセージは、「では、全員が全員、ワクチンを接種しなくてもいいじゃないか」と誤って伝わる可能性は否定できない。

 菅義偉がなぜこういう見込み違いを招いたかと言うと、「デルタ株」の感染力の強さを言いながら、危機感を強く持てずに楽観的態度に終始していたからである。菅義偉が言う「1回接種人口比4割=感染者の減少傾向開始」のネタ元は2021年7月17日付「asahi.com」記事が紹介していて、野村総研の「リポート」を読めば、菅義偉が「デルタ株」を如何に軽く見ているかが理解できる。菅義偉は2021年7月3日に首相公邸で梅屋真一郎・野村総研制度戦略研究室長と面会し、リポートの内容についての説明を受けたと、「asahi.com」は解説している。

 リポートは、〈日本でも感染拡大が懸念されるインド変異株については、特に1回のワクチン接種時での有効性が低下するという指摘もあり、今回の試算の目安となる状況が担保されるには、特にワクチンの2回接種が相応の比率に進捗するまで、変異株のまん延を回避することが重要になってくる。〉を警戒点として挙げている。要するに変異株のまん延を回避しながら、2回目接種を一定程度の割合にまで進めていかなければならないという条件をつけた「1回接種人口比4割=感染者の減少傾向開始」だった。言い直すと、「1回接種人口比4割」と並行させて「デルタ株」の蔓延を回避しつつ2回目接種を相応程度に進めて初めて成立する「1回接種人口比4割」ということだった。

 だが、菅義偉は7月3日に首相官邸で野村総研側から説明を受けていながら、たった5日後の7月8日の記者会見でこの「デルタ株」(=インド変異株)についての警戒点も、2回目接種のそれ相応の進捗度の必要性も一切省いて、「1回接種人口比4割=感染者の減少傾向開始」のメッセージを発信した。「デルタ株」に対する危機感を持つことができず、危機感とは逆の楽観的態度でいたからである。多分、何て言ったって、ワクチン接種が感染症対策の切り札だとするメッセージを常々発信しているのだから、ワクチン接種が全てを解決してくれると思い込んでいたのだろう。

 以下「NHK NEWS WEB」記事から拾い出してみると、この7月8日の記者会見の2日前の7月6日の東京都の新規感染者は593人。 前週火曜より117人の増加。「デルタ株」感染者は最多の94人。7月7日の東京都新規感染者は920人。「デルタ株」は71人と減っているが、記者会見と同じ日の7月8日の新規感染者は19日連続前週を上回る896人。「デルタ株」は最多の98人。翌7月9日は822人の感染、「デルタ株」は過去最多の167人。

 ネット記事によると、2021年7月8日の日本のワクチン1回目接種者は人口比30.7%。2回目接種者人口比18.1%というワクチン接種が遅れている状況の中で「デルタ株」の感染者は確実に増えていた。野村総研のリポートが伝えている「デルタ株」に対する警戒だけではなく、2021年6月10日付の「NHK NEWS WEB」記事が「デルタ株」に関しては1回接種のみでは的確な有効性は期待できないとするメッセージをもたらしている以上、どのようなメッセージも把握・検証して感染対策に活用しなければならないはずだが、ワクチン接種こそが感染収束の切り札であるとワクチンのみを信奉、「デルタ株」に対する危機感を持つことができず、警戒を怠った。

 「東京都の変異株スクリーニング検査の実施状況」を見てみる。「デルタ株」の感染状況は

 「L452R」がデルタ変異株を指す。

 7月26日~8月1日は「デルタ株」の陽性例は減少しているが、変異株PCR検査が前の週の5688件に対して3557件と約63%しか行われていない。数字に基づいて計算すると、2779÷3557×100=77.7%となって、「デルタ株」の陽性率は一貫して増加していることになる。明らかに「デルタ株」の感染力の強さによって感染が拡大している状況が見えてくる。だが、その一方で感染は人流の増減に深く関わっている。例えば極端な例であるが、人流ゼロのところに「デルタ株」感染者が1人現れたとしても、他に感染させることはできない。それなりの人流、あるいはそれなりの人出が感染条件として必要となる。

 菅義偉は最初に触れているが、2021年8月6日の広島市平和記念式典出席したあと、記者会見を行った。記者が感染者数の増加とオリンピック開催の関係を質問したのに対して「東京の繁華街の人流はオリンピック開幕前と比べて増えておらず、オリンピックが感染拡大につながっているという考え方はしていない」と述べたと2021年8月6日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。つまり一方の感染条件となる人流は感染爆発前と比べて増えていないと述べている以上、「デルタ株」の感染力だけで特に東京都の感染が爆発的に増加しているという説明となる。

 首相官邸のエントランスホールで行われた2021年7月29日の緊急事態宣言、まん延防止等重点措置の取扱い等についての会見でも、記者の東京オリンピック開催により警戒心が緩んでいるのではないのかとの記者の指摘に対して、「色々な人が色々な御意見を言っていることは承知してます。ただ、このオリンピック大会を契機に、目指して、例えば自動車の規制だとか、あるいはテレワークだとか、こうしたことを行っていることによって、7月の中旬から始めていますけれども、人流は減少傾向にあり、更に人流の減少傾向を加速させるために、このオリンピックというのは、皆さん御自宅で観戦していただいて、御協力いただければと思っています」発言、オリンピック開催が人流の増加を招いているわけではなく、間接的にオリンピックが現状の感染爆発を招いているわけではないと否定している。

 7月30日の記者会見でも、「オリンピックが始まっても、交通規制やテレワーク、さらには皆さんの御協力によって東京の歓楽街の人流は減少傾向にあります。更に人流を減らすことができるよう、今後も御自宅でテレビなどを通じて声援を送っていただくことをお願いいたします」云々とオリンピック開催は人流の増加を招いていないを錦の御旗とした紋切り型の説明を繰り返し、オリンピックが感染拡大の原因ではないと否定している。

 このようなメッセージには2つの問題点がる。1つは「東京の繁華街の人流はオリンピック開幕前と比べて増えていないなら、少しぐらい外に出ても大丈夫じゃないか」という誤った伝わり方をしなかったという問題点である。

 2021年8月7日付「NHK NEWS WEB」記事はIT関連企業の「Agoop」の情報に基づいて2021年8月6日の東京の人出を2つの期間と比較して伝えている。(東京都のみの人出を抽出)

 分析時間は日中が午前6時~午後6時までの12時間。夜間が午後6時~翌日の午前0時までの6時間。

🔴 2021年7月23日のオリンピックの開幕前に当たる3回目緊急事態宣言発出中期間(2021年4月25日~6月20日)の平日の平均と8月6日の東京の人出を比較

▽渋谷スクランブル交差点付近は日中+10%、夜間+2%  
▽東京駅付近が日中+4%、夜間+13%

🔴4回目緊急事態宣言が8月31日まで延長することが決まった(7月30日)から1週間前(7月24日~7月30日?)と8月6日の東京の人出を比較

▽渋谷スクランブル交差点付近は日中-2%、夜間-1%
▽東京駅付近が日中-2%、夜間+4%

 この傾向はほかの記事も同様に伝えている。3回目緊急事態宣言を受けた人出の減少幅程には4回目緊急事態宣言では減っていないこと。反対に五輪会場付近では場所や種目によって20~30%増加していること。要するに五輪会場付近を除いたとしても、人流は減少しているものの、3回目緊急事態宣言時程には人流の減少は見られなかったということになる。

 これが菅義偉の「東京の歓楽街の人流は減少傾向にあります」の実態であり、菅義偉がこのメッセージを繰り返すたびにこのメッセージが「では、少しぐらい外に出ても大丈夫じゃないか」という誤った伝わり方をした可能性は否定できない。

 もう1つの問題点は2021年7月8日の記者会見で菅義偉が「デルタ株はアルファ株の1.5倍の感染力がある」というメッセージを発信している以上、
「デルタ株の1.5倍の感染力」と菅義偉が言う人流の減少が釣り合っているかどうかである。感染力が強ければ強い程、人流はその感染力に比例させる形で減少させなければならない。この釣り合いも考えずに「人流は減少傾向にある」を繰り返すだけでは「デルタ株」に対する警戒感も危機感もないと批判されても、その批判に妥当性を与えなければならない。

 2021年8月1日付「NHK NEWS WEB」記事が「デルタ株」について「水ぼうそう」と同じ程度の感染力の可能性があるとする内部資料をアメリカのCDC(疾病対策センター)が纏めていたと伝えている。

 従来のウイルスの感染力が1人から平均1.5人から3.5人程度に対して「デルタ株」の感染力は平均5人から9.5人程度の可能性を推定、この感染力は1人の患者から平均8.5人程度となっている水ぼうそうの感染力と「同程度」である可能性があるとしているとしている。

 記事は、〈デルタ株に感染すると、重症化したり死亡したりするリスクが高くなるとする各国の研究結果や、ワクチン接種を終えた人でも接種をしていない人と同じように感染を広げる可能性を示す研究結果が示され、「戦いの局面は変わった。ワクチンの効果は高いが、接種した人にも追加の対策を呼びかけるべきだ」と結論づけています。〉と付け加えている。

 従来のウイルスの感染力の平均が2.5人程度、「デルタ株」の感染力の平均が7人程度。水疱瘡の感染力は平均8.5人程度。「デルタ株」の感染力の強さが従来の株よりも水疱瘡に近い感染力の強さを持っていると予測される以上、「デルタ株」の感染力に対しては水疱瘡に対するのと近い危機管理を働かさなければならない。当然、人流も感染力の強さに応じて減少しなければならない。

 従来の人流を1と看做して、従来株の感染力を1と仮定すると、デルタ株の感染力を菅義偉のメッセージどおりに1.5倍とすると、どの程度の人流の抑制が必要なのか計算すると、従来株の感染力=1、従来株の感染力に必要な人流の抑制=1、デルタ株の感染力=1.5倍、デルタ株の感染力1.5倍に必要な人流の抑制=xと仮定する。答は反比例式で出るから、1(従来株の感染力に必要な人流の抑制):x(デルタ株の感染力1.5倍に必要な人流の抑制)=1.5(デルタ株の感染力):1(従来株の感染力)

 1.5x=1  x≒0.67×100=67%。従来株の感染力に必要な人流の抑制を1とすると、その1に対して感染力1.5倍のデルタ株に対する人流の抑制は67%としなければならない。従来の人流を5分の3程度以上に減らさなければならないから、相当な人流の抑制を図らなければ、デルタ株に対抗できない。感染力1.5倍のデルタ株に対して3回目緊急事態宣言よりも数パーセント減ったとか、横ばいだといった状況では人流の抑制のうちに入らないということになる。そしてこのことは東京都を筆頭とする全国の感染拡大が証明することになる。

 要は「デルタ株」の感染の広がりを見据え、十分な危機感を持って、五輪開催に備えた人流の十分過ぎる抑制を図る対策を打たなかった。バブルと称して、オリンピックの内側だけの対策で十分だと勘違いした。当然、五輪開催が現在の感染爆発の原因となる。

 菅義偉は自身がメッセージとして垂れ流している「人流は減少している」が「デルタ株の1.5倍の感染力」に釣り合っている「人流の減少」かどうかを考えもせずにもう一つのメッセージである「オリンピックが感染拡大につながっているという考え方はしていない」を垂れ流しているのだから、その不合理性から言って、そのメッセージは五輪開催擁護の役目しか果たさない。

 五輪開催が人々の高揚感を刺激し、デルタ株の感染力に釣り合う人流の抑制を阻害した。
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菅義偉の責任回避を目的とした自己正当化発言とそのために自分に都合よくツマミ食いした情報の発信

2021-08-02 11:18:52 | 政治
 2021年7月12日の当「ブログ」に、〈菅義偉は2021年7月8日の記者会見で、「ワクチンを1回接種した方の割合が人口の4割に達した辺りから感染者の減少傾向が明確になったとの指摘もあります。今のペースで進めば、今月末には、希望する高齢者の2回の接種は完了し、1度でも接種した人の数は全国民の4割に達する見通しであります」と発言している。2021年5月28日の記者会見では「イギリスでは1回目を5割打ったら大体ものすごい効果が出たということで、今、マスクなしにしていますけれども」云々と発言している。

 だが、ネットで調べてみると、イギリスのワクチン接種率は1回目終了が86%を超え、2回目終了が64%を超えているが、ここにきて感染が急拡大し、2021年7月19日時点の新規感染者数は31800人、7日間平均で30040人となっている。その理由はインド型の変異株だと言うが、何よりもワクチン接種が進んだことによる社会活動の活発化、つまり人流の大幅な増加にあるとされている。

 日本もインド型の変異株が拡大し続けると、「1回接種した方の割合が人口の4割に達した」としても当てにはならなくなる。菅義偉は情報把握をしっかりとして、安易な希望的観測となるような情報の垂れ流しはやめるべきである。責任問題である。〉と書いた。

 2021年7月17日のTwitterに、〈菅義偉、記者会見、その他で「ワクチンを1回接種した方の割合が人口の4割に達した辺りから感染者の減少傾向が明確になったとの指摘もあります」。イギリスはワクチン接種が1回目も2回目も人口の5割を超えているが、感染者が増え続けている。何を根拠の菅義偉発言なのか。ただの希望的観測なのか。)と投稿した。何を根拠の「1回接種人口比4割=感染者の減少傾向開始」なのか、ずっと気になっていたが、2021年7月17日付「asahi.com」記事が「ネタ元」を紹介していた。

 最近の菅総理の記者会見では打ち切り間際に女性首相秘書官が「ただ今挙手頂いております皆様におかれましては、恐縮でございますが、1問をメールでお送りいただきたいと思います。後日、回答を総理より書面にてお返しさせて頂くと共にホームページで公開させていただきます。どうぞ御理解と御協力をよろしくお願いいたします」と知らせる。そこで朝日新聞が〈「該当する国やどのような方がどのような分析をして『4割』が導き出されたのか」と質問。書面での回答は、野村総研がまとめた「ワクチン接種先行国における接種率と感染状況から見た今後の日本の見通し」をその根拠に挙げ、「イスラエルやイギリス、アメリカにおける接種率(人口比)と新規感染者数の推移を比べたうえで、1回目接種率が4割前後に達したあたりから、新規感染者数の減少傾向が明確になり始めたと指摘されている」〉と説明してあったという。
 
 さらに記事は野村総研のこのリポートは5~6月に纏めたもので、〈菅義偉は2021年7月3日に首相公邸で梅屋真一郎・野村総研制度戦略研究室長と面会し、リポートの内容についての説明を受けている。〉と解説を加えている。

 要するに菅義偉は野村総研のリポートを根拠に「1回接種人口比4割=感染者の減少傾向開始」と看做して、「今月末(=7月末)には、希望する高齢者の2回の接種は完了し、1度でも接種した人の数は全国民の4割に達する見通し」だと2021年7月8日の記者会見で述べた。と言うことは首相公邸で梅屋真一郎・野村総研制度戦略研究室長と面会した2021年7月3日の時点から記者会見の7月8日までのいつかの時点で7月末には日本は「感染者の減少傾向」に入るという見通しを立てたことになる。見通しを立てたときには喜び勇んだに違いない。首相夫人とハグして、「大丈夫だ、大丈夫だ。首相としてやっていける」と自信の言葉を漏らしたということもある。

 朝日のこの記事を読んだとき、Twitterに〈#菅義偉、自分に都合のいい情報は検証せずに言いなりに信用し、都合の悪い情報は内容に妥当性があっても、退けるタイプの自己都合主義者なのだろう。貧すれば鈍するほど、平衡感覚を失って、そういったタイプに陥りやすくなる。〉と投稿した。

 で、7月末を迎えて、菅義偉のこの見通しはど真ん中のどストライク、見事に当たった。東京都は2021年6月21日から7月11日まで「まん延防止等重点措置」を発出していたが、7月12日から8月22日までとする「緊急事態宣言」に切り替えることになった。増減はあったものの、7月10日前後に800人、900人と、千人に迫る感染者を出す日も出てきたからだ。やはり増減はあったものの、7月半ばになると感染者は千人を超え、7月20日を過ぎると、2千人を超え、3千人を超え、7月31日は4058人という最多の新規感染者を出すことになった。7月30日の記者会見では、7月12日から8月22日期限の第4回「緊急事態宣言」を8月31日まで延長すると発表しなければならなくなった。とてものこと、「7月末1回接種人口比4割=感染者の減少傾向開始」どころではない感染爆発と言ってもいい最悪の事態を迎えることになった。本当に首相としてやっていけるのだろうか。

 菅義偉のこの見通しの見当違いは野村総研のリポート自体が見通しを誤っていたのか、あるいは誤っていなかったが、菅義偉の感染収束の願望が強過ぎて、リポートの情報を自分に都合よくツマミ食いして自身の願望通りの情報に仕立ててしまったのか、上記朝日記事の案内でネットから探し出し、目を通してみた。
 「ワクチン接種先行国における接種率と感染状況から見た今後の日本の見通し」(2021年5月 株式会社野村総合研究所 未来創発センター戦略企画室 制度戦略研究室)(一部抜粋)

 〈概要

新型コロナワクチンの接種が先行して行われたイスラエルやイギリス、アメリカでのワクチン接種率 (人口比) と新規感染者数の推移を比べると、 以下のような大まかな傾向が見て取れた。

① 様々な行動制限策も相まって、 ワクチン接種が始まってから1 回目接種率が2割前後に届くまでの間に新規感染者数が減少へと転じ始めた。
②1回目接種率が4割前後に達したあたりから、新規感染者数の減少傾向が明確になり始めた。
③必要回数(主に2回)の接種率が4割前後に近づくにつれ、新規感染者数の抑制・低減傾向が強まった。

 仮に感染の広がり方などに今後も大きな変化がなく、上記①~③の傾向が日本でも当てはまり、5月 27 日から3 週間後に日本で1日最大100万回の接種が達成できるとした場合、日本が「1回目ワクチン接種率4割」に達する日を試算すると8月20日、「必要回数(2回)ワクチン接種率4割」に達する日は最短で9月9日という結果となった。なお、このケースにおいて、東京オリンピックの開会式が行われる7月23日時点での1回目ワクチン接種率を試算すると、29.2%という結果となる。

 また、1日の最大接種回数が80万回となった場合には、日本が「1回目ワクチン接種率4割」に達する日は9月10日、「必要回数(2回)ワクチン接種率4割」に達する日は最短で10月1日になると試算される。

 一方で、日本でも感染拡大が懸念されるインド変異株については、特に1回のワクチン接種時での有効性が低下するという指摘もあり、今回の試算の目安となる状況が担保されるには、特にワクチンの2回接種が相応の比率に進捗するまで、変異株のまん延を回避することが重要になってくる。〉

 先ず3カ国の人口比ワクチン接種率の進行状況に応じた感染減少傾向との関係を3項目に分けて挙げ、解説しているが、項目自体にも解説にも様々な条件が付けられていることに気づく。読み取ることができた感染減少傾向はあくまでも「大まかな傾向」であること。「様々な行動制限策」がそれなりの成果を上げていること。例えば人流抑制策、あるいは移動自粛要請策であるなら、それらが一定程度効果を見せていること。さらに「感染の広がり方などに今後も大きな変化」がないこと、①~③の3項目の「傾向が日本でも当てはま」ること、「5月 27 日から3 週間後に日本で1日最大100万回の接種が達成できる」ことなど、1日のワクチン接種回数が重要な要素となること。特にインド変異株が「1回のワクチン接種時での有効性が低下するという指摘」を踏まえて、「ワクチンの2回接種が相応の比率に進捗するまで、変異株のまん延を回避する」ことが「今回の試算」で示した「目安」、そう、あくまでも「目安」を担保する条件だと、最後の最後に肝心な条件を付けている。

 このインド変異株ついて相応の比率での2回接種の必要性に関しては別のところでより具体的に述べている。

 -ワクチン接種が進むまで変異株のまん延回避などが重要に-

また、英イングランド公衆衛生庁が5月22日に公表したところによれば、ファイザー/ビオンテック社のワクチンの有症状疾患(symptomaticdisease)に対する有効性は、イギリス株(B.1.1.7)が1回接種後3週間でおよそ50%、2回接種後2週間で93%なのに対し、インド株(B.1.617.2)では1回接種後3週間で33%、2回接種後2週間で88%となっており、特に1回接種のみでの有効性がイギリス株に比べて低下しているとみられる。

このため、より感染力の強いインド株などといった新たな変異株の広がりが懸念されるなかで、今回の試算の目安となる状況が担保されるには、特にワクチンの2回接種が相応の比率に進捗するまで、変異株のまん延を回避することが極めて重要になってくる。

 要するにインド変異株に対してワクチンの有効性を保ち、その感染の社会的な広がりを防ぐためには2回接種が相応の比率で進捗していなければならないと条件づけている。

 東京都の新規感染者数とインド株の割合を、載っていない日もあるが、「NHK NEWS WEB」記事から抜粋してみる。文飾当方。

 2021年7月6日東京都新規感染者593人中インド株(=デルタ株)最多の94人。(検査の実施件数に占めるインド株の割合はまだ示されていない。)
 2021年7月7日新規感染者920人中インド株最多71人。
 2021年7月8日新規感染者896人中インド株最多98人
 2021年7月9日新規感染者822人中インド株最多167人
 2021年7月12日新規感染者502人(第4回目緊急事態宣言2021年7月12日~8月22日発出)中インド株87人)
 2021年7月13日新規感染者830人中インド株最多178人
 2021年7月14日新規感染者1149人中インド株138人
 2021年7月15日新規感染者1308人中インド株177人感染(検査の実施件数に占める割合は29.9%)
 (要するに新規感染者1308人のうち約30%の390人前後がインド株感染者と看做すことができる。)
 2021年7月19日新規感染者727人中インド株143人感染(検査実施件数に占める陽性割合34.5%。1日の発表としてはこれまでで最高)
 2021年7月20日新規感染者1387人中インド株過去最多317人感染認(検査数に占める陽性割合は40.1%)
 2021年7月21日新規感染者1832人中インド株最多681人感染(検査数1488件中681人陽性、陽性割合45.8%)
 2021年7月26日新規感染者1429人中インド株940人(検査数1810件。陽性割合51.9%)
 2021年7月27日新規感染者2848人中インド型株280人(検査数557件。陽性割合50.3%)
 2021年7月29日新規感染者3865人中インド株665人(検査数は1058件、陽性割合62.9%)
 2021年7月30日新規感染者3300人(第4回東京都緊急事態宣言を8月22日~8月31日まで延長決定)中インド株1367人(陽性率68.7%)(以上)

 かくこのようにインド株の急激かつ広範囲な浸透に対して日本のワクチン接種率は2021年7月31日付「NHK NEWS WEB」によると、65歳以上高齢者に〈医療従事者や64歳以下の人も含めると、1回目の接種を受けた人の割合は2021年7月29日時点で全人口の38.43%、2回目の接種も終えた人は27.64%。〉と伝えていて、1回目も2回目も4割に到達していない。特に2回目は人口比3分の1以下の状況にある。

 菅義偉は7月30日の記者会見で東京都の感染拡大の「大きな要因として指摘されるのが、変異株の中でも世界的に猛威を振るっているデルタ株です。4月の感染拡大の要因となったアルファ株よりも1.5倍ほど感染力が高く、東京では感染者に占める割合は7割を超えている、このように言われております」と発言していて、デルタ株の脅威を認識していながら、野村リポートが「ワクチンの2回接種が相応の比率に進捗するまで、変異株のまん延を回避する」ことが「今回の試算」で示した「目安」を担保する条件だとしているのに対して東京都のインド株の陽性率は7月30日時点で68.7%にまで達していて、変異株のまん延を回避できてきているとは到底言い難い。
 
 要するに野村リポートの制約条件をクリアしているわけでないのに菅義偉は2021年7月8日の記者会見で「先行してワクチン接種が進められた国々では、ワクチンを1回接種した方の割合が人口の4割に達した辺りから感染者の減少傾向が明確になったとの指摘もあります。今のペースで進めば、今月(7月)末には、希望する高齢者の2回の接種は完了し、1度でも接種した人の数は全国民の4割に達する見通しであります」と、日本も7月末には感染者の減少傾向に入るかのようにさも請けけ合った。

 この前後の関係は自分に都合よくツマミ食いした情報の公表によって成り立つ。野村リポートの制約条件をクリアしているかどうか厳格に検証していたなら、野村リポートをツマミ食いして自分に都合のよい情報に仕立てることなどできない。だが、ツマミ食いして、自分に都合のよい情報に仕立てた。都合のよい情報に仕立てる目的は自己政策の肯定であり、自己正当化である。都合のよい情報に仕立てることまでして自己正当化・自己政策の肯定を謀るのは自身のコロナ対策が首尾よく進んでいるかのように見せかけるためであり、首相としての自己を肯定するため以外にない。そのための自分に都合のよい情報のツマミ食い=情報操作であり、そうである以上、責任回避意識が仕向けた情報のツマミ食い=情報操作ということになる。

 自分に都合よくツマミ食いした情報の発信であることは埼玉県、千葉県、神奈川県、大阪府への緊急事態宣言発出と北海道、石川県、京都府、兵庫県、福岡県へのまん延防止等重点措置の実施、東京都、沖縄県への期限8月22日までだった緊急事態宣言を8月31日まで延長する決定を伝える2021年7月30日の菅義偉の「記者会見」発言が証明することになる。

 菅義偉「8月下旬には、2回の接種を終えた方の割合が全ての国民の4割を超えるよう取り組み、新たな日常を取り戻すよう全力を尽くしてまいります。さらに、ワクチンに関する正しい情報の発信に努めてまいります」

 「7月下旬末」を「8月下旬」に言い変えているが、情報を自分に都合よくツマミ食いした結果迫られることになった情報修正であろう。「2回の接種を終えた方の割合が全ての国民の4割を超えるよう取り組む」と言っていることは希望する医療従事者や65歳上高齢者に全員接種しても、特に50代以下から12歳までの国民への接種が各年代ごと4割を超えないと、感染縮小に向かわないという意味での、やはり情報修正ということになる。若者は若者、中高年は中高年、高齢者は高齢者と言う関係で主として群れを作ることを主な社会習性としている。高齢者へのワクチン接種が進んで新規感染者の減少を迎えているが、一方で20代を最高に50代までの世代で大幅な感染が生じていることが証明しているワクチン接種の世代の偏りであろう。

 当然、7月30日の記者会見で65歳以上高齢者へのワクチン接種が2回接種73パーセントと進んで、同じ高齢者の新規感染者数が「4月までの20パーセント台から、今では2パーセント台に低下している」ことを成果の一つとして挙げていても、このことが全体の新規感染をカバーするまでに至らず、東京都で言えば、緊急事態宣言を延長するまでに事態が急迫している以上、単なる一部分の成果にとどまる。だが、菅義偉は65歳以上高齢者の新規感染数の激減を以ってさも大した成果であるかのように他の記者会見やその他でも触りの主な一つとしている。これなども情報の立派なツマミ食いの部類であって、感染対策が首尾よく進まないことの責任回避と同時に自己正当化を図る一つのテクニックに過ぎない。

 感染の多い少ないは人流の増減に深く影響する。勿論、コロナ株の感染力の強弱が新規感染数に影響していくが、極端なことを言うと、デルタ株(=インド株)がいくら感染力が強くても、人流のないところでは感染という作用は起きない。基本はあくまでも人流であろう。人流が多ければ、感染リスクが高まり、少なければ、感染リスクが減る。東京都の新規感染者数の増加を受けて、夏休みとお盆の時期だから不要不急の外出や移動の自粛その他をお願いするのは人流の増減が新規感染者の増減に影響していくことになるから当然のことだが、その一方で7月30日の記者会見で、「オリンピックが始まっても、交通規制やテレワーク、さらには皆さんの御協力によって東京の歓楽街の人流は減少傾向にあります。更に人流を減らすことができるよう、今後も御自宅でテレビなどを通じて声援を送っていただくことをお願いいたします」と人流が減少傾向にありながら、感染が拡大しているという矛盾した状況を伝えている。

 2021年7月29日の首相官邸エントランスホールでの「記者会見」でも、東京オリンピック開催が人々の警戒心を緩めているとの指摘があることを問われて、同じ趣旨の発言をしている。

 菅義偉「色々な人が色々な御意見を言っていることは承知してます。ただ、このオリンピック大会を契機に、目指して、例えば自動車の規制だとか、あるいはテレワークだとか、こうしたことを行っていることによって、7月の中旬から始めていますけれども、人流は減少傾向にあり、更に人流の減少傾向を加速させるために、このオリンピックというのは、皆さん御自宅で観戦していただいて、御協力いただければと思っています」

 要するに五輪の自宅観戦が人流の減少傾向に一枚加わるという意味を取るが、新型コロナ対策経済再生担当相の西村康稔も2021年7月30日の衆院議院運営委員会でほぼ同じことを言っている。「五輪を自宅で観戦して頂いた分、20日以降人流が減っている」、あるいは「多くの人が自宅で観戦している。視聴率が高いのはその表れだ」

 東京都知事の小池百合子も7月30日の定例会見で、「五輪の視聴率は20%を超えており、ステイホームに一役買っている」と間接的に自宅観戦が人流の抑制に役立っている発言をしている。

 視聴率計測器が取り付けてあるテレビは全国で5900世帯で、東京都は600世帯数前後とネットに出ているが、社会的行動心理学上、政府の自宅感染の呼びかけに対して視聴率計測器が取り付けられているという義務感から自宅観戦を心がける可能性は高いと考えられるから、そのまま五輪テレビ放送の視聴率へと反映されることになり、その義務感のない視聴率計測器が取り付けてない世帯とのギャップが生じない保証はないし、視聴率には反映されない録画視聴が特に若者を中心に広がっているということを考えると、録画視聴は外出行動と自宅観戦という相反する行動を時間差で行うことができるから、自宅観戦=人流の減少を答えとするとは必ずしも言えなくなる。また若者が競技場の近くで競技の雰囲気を身近に感じながら、スマホの動画放送を視聴、路上飲みする光景も容易に想像できるから、五輪放送の視聴率が高いことを以って即、人流の減少と考えるのは自分に都合よくツマミ食いした情報の発信で、正確な情報の読み違えに繋がらないとも限らない。

 そもそもからして菅義偉は自身が「7月の中旬から人流は減少傾向にある」と発言しているその状況下で東京都の感染が急拡大している原因をデルタ株の浸透だけに置いてもいいのだろうか。2021年7月14日に新規感染者が千人を超え、2021年7月19日に一旦千人を割ったものの、翌日の2021年7月20日には再び千人を超え、2021年7月28日には3千人を超え、この記者会見の2021年7月29日には3865人にまで達している。そして7月30日の記者会見の日は新規感染者数は少し減って3300人。

 この3300人について前で触れているように7月30日の記者会見では、勿論、大きな要因をデルタ株に置き、「アルファ株よりも1.5倍ほどの感染力」だと発言し、結果、「東京では感染者に占める割合は7割を超えている」状況にあるなら、「1.5倍ほど感染力」に見合った、今まで以上の人流の抑制が必要になるとするのが常識的な危機管理となるはずだし、そのような危機管理を満足に機能させることができていないから、3千人を超え、7月31日の過去最多の4058人の新規感染者という見方が成り立つ。だが、菅義偉はこの見方には立たず、あくまでも「人流は減少傾向にある」を主張して譲らない。

 記者との質疑応答でも、「オリンピックでありますけれども、今、東京への交通規制、首都高の1,000円の引上げ、こうしたことや、あるいは東京湾への貨物船の入港を抑制するだとか、いろいろな対応、テレワークもそうでありますけれども、そうした対応によって人流が減少しているということは事実であると思います」と言い、デルタ株の感染力の強さや新規感染者数との関係で人流の程度を捉えることはしない。

 となると、人流の程度に関しては菅義偉は自分に都合よく情報をツマミ食いしているわけでも何でもなく、「人流が減少しているということは事実」であり、この「事実」をデルタ株の「アルファ株よりも1.5倍ほど」の「感染力」が無効にしてしまって、東京の現在の爆発的な新規感染状況を生じせしめているという関係を取ることになる。

 果たしてデルタ株の1.5倍程の「感染力」に見合う人流の抑制が五輪のテレビ観戦という呼びかけだけで実現できているのだろうか。2021年年7月28日に開催された「45回新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード」(厚労省)の、「資料3-4 西田先生提出資料」に次のような記述がある。東京都のみを取り上げる。

 〈(主要繁華街の滞留人口モニタリング/ 2021/07/24 までのデータ)

 【東京】<緊急事態宣言中>:

• 夜間滞留人口は4週連続で減少(5週前(6/20-26)比:22.4 % 減)。昼間滞留人口も3週連続で減少(4週前(6/27-7/3)
比:17.1 % 減)。

• 緊急事態宣言後の直近2週間では、夜間滞留人口は18.9 % 減(前週比:6.5 % 減)、昼間滞留人口は 13.7 % 減(前週比:
6.7 % 減)。夜間滞留人口のうち18~20時は 20.0 % 減(前週比:3.9 % 減)、22~24時は 12.7 % 減(前週比:5.5%減)。

• 前回(3回目)の宣言発出後2週間では、18~20時は 47.3 %減 、22~24時は 48.5 %減少。今回の宣言による夜間滞留人口の減少幅は、前回の宣言によるそれと比べ ½ 以下にとどまっている。ハイリスクな深夜帯(22~24時)の滞留人口は4週連続で減少してはいるものの減少幅は小さく依然として高い水準。〉――

 先ず東京都の緊急事態宣言とまん延防止法等重点措置の動きについて見ておく。3回目緊急事態宣言発出は2021年4月25日発出、2度の延長を経て、6月20日に解除、翌6月21日から7月11日期限でまん延防止法等重点措置に移行、7月11日解除の翌日7月12日に8月22日期限の4回目の緊急事態宣言が発出され、7月30日に8月31日までの延長が決められた。

 3回目緊急事態宣言発出後2週間(2021年4月25日~5月8日)での18~20時の滞留人口は 47.3 %減 、22~24時の滞留人口は48.5%減少。但し7月12日の4回目の緊急事態宣言を受けた「夜間滞留人口の減少幅は、前回の宣言によるそれと比べ ½ 以下にとどまっている。ハイリスクな深夜帯(22~24時)の滞留人口は4週連続で減少してはいるものの減少幅は小さく依然として高い水準」

 7月中旬前後から東京都に於けるデルタ株が感染者に占める割合を増加させている中で7月12日発出の4回目の緊急事態宣言がデルタ株の1.5倍程の「感染力」に見合う人流の抑制に繋がっていないことになる。少々の人流減少でデルタ株の感染力に太刀打ちできると言うなら、少々で構わないが、そうでないことを2021年7月25日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。東京の人出のみを拾ってみる。

4回目の緊急事態宣言(2021年7月12日発出)が出ている東京の7月24日の人出を3回目の宣言の期間だった4月25日から6月20日までの土日、祝日の平均と比較。

▽渋谷スクランブル交差点付近では日中(午前6時から午後6時まで)は48%、夜間(午後6時から翌日の午前0時まで)は62%ぞれぞれ増加
▽東京駅付近では日中は7%増加、夜間は18%増加しました。

オリンピック開始(2021年7月23日)の1週間前(7月16日)との比較

▽渋谷スクランブル交差点付近では日中が1%の減少、夜間は11%の増加
▽東京駅付近では日中は13%の減少、夜間は7%の増加となり、いずれも夜間が増加(以上)

 2021年7月23日オリンピック開始1週間前(7月16日)は日中は減少しているものの夜間は増加。だが、東京の7月20日の新規感染者は千人を超え、さらに拡大傾向を見せているのだから、人出は減少を見せていいはずだが、オリンピック開始翌日の7月24日の人出は4月25日から6月20日までの土日、祝日の平均との比較で、特に渋谷スクランブル交差点付近では昼夜共に相当に増加していることになる。菅義偉が言うとおりに五輪開始前後から「人流は減少傾向」にあるとしても、東京の7月に入ってからの新規感染者数の増加に応じた、あるいは2021年7月12日の4回目緊急事態宣言発出に応じた人流の減少は起きていなかった。特にデルタ株のアルファ株と比較した1.5倍程の感染力の強さを考慮した場合、相当程度の人流の減少を図らなければならないのだが、それが実現できていなかった。

 となると、東京都の新規感染者の爆発的拡大とデルタ株の従来株と置き換わりつつある状況を示す60%を超えるデルタ株の陽性割合を前にして「人流は減少傾向にある」と言うだけでは都合のよい情報のツマミ食い以外の何ものでもなく、緊急事態宣言やまん延防止法等重点措置の発出の正当性を損ないたくないための責任回避と自己正当化と指摘されても仕方がない。

 五輪の自宅観戦についてもう少し見てみる。同じく2021年7月30日の記者会見・

 フジテレビ杉山記者「菅総理は、これまで緊急事態宣言で大きな成果を上げてきたのが酒類の停止だとおっしゃってきました。一方で、東京都内で数1,000件に上る飲食店が時短などの要請に応じていない現状をどのように受け止めているのでしょうか。

 また、菅総理は、先日、東京オリンピックを中止しない理由として、人流も減っていると述べましたが、その認識は今も変わりないでしょうか。ワクチン接種も進み、人流が減っているのであれば、首都圏でここまで感染が急拡大することはないのではないかという指摘もありますが、見解をお聞かせください」

 菅義偉「飲食店による感染リスクを減少させることは感染の肝だということを、私は申し上げています。このことは、専門家の委員の皆様からもそこが指摘をされているということも事実です。そして、今は家庭での感染が一番多くなっています。それは、そうした外から感染して、家族にうつす方が一番多いということです。さらに、職場での感染が2番目になっています。そうしたことからしても、やはりここはしっかり対応しなければならないというふうに思います」

 どう、「しっかり対応」しているのだろう。「飲食店による感染リスクを減少させることは感染の肝」で、「外から感染して、家族にうつす方が一番多い」。となると、飲食店に向かう人流を抑える以外にない。また、新規感染者の3分の1程度ある感染経路判明者は市中感染と見るべきで、これも人流の抑制をしっかりと実行する以外に抑える手はない。当然、数字ではっきりと示すことができる程に人流の抑制を図らなければならないはずだが、菅義偉の「人流が減少しているということは事実であると思います」と推測する、あるいは西村康稔や小池百合子のように五輪視聴率の高さを以って人流減少の根拠とする程度では自己正当化には役立ちはするだろうが、情報を自分に都合よくツマミ食いして発信する程度のことしか責任を果たしていないことになる。

 もう一つ、自分に都合よくツマミ食いした情報の発信。2021年7月30日の記者会見で菅義偉は「足元の感染者の状況を見ますと、既に高齢者の73パーセントが2回の接種を完了する中で、これまでの感染拡大期とは明らかに異なる特徴が見られております。東京における65歳以上の新規感染者の数は、感染が急拡大する中にあっても、本日も82人にとどまり、その割合は4月までの20パーセント台から、今では2パーセント台に低下しております。これに伴い、重症者の数の増加にも一定の抑制が見られて、東京では人工呼吸器が必要な重症者の数は、1月と比較しても半分程度にとどまり、そのための病床の利用率も2割程度に抑えられております。また、死亡者の数も1月の水準と比較し、大幅に低い水準にとどまっています」と発言、このことを以って「ワクチン接種の効果の顕著な表れ」だとしている。

 この発言で問題となるのは「重症者の数の増加に一定の抑制が見られる」と言っていることと、「東京では人工呼吸器が必要な重症者の数は、1月と比較しても半分程度にとどまり、そのための病床の利用率も2割程度に抑えられております」と言っていることである。要するに重症患者が減った。だが、2021年7月31日付け「毎日新聞」を見ると違った景色が見えてくることになる。

 毎日新聞のインタビューに国立国際医療研究センターの大曲貴夫国際感染症センター長が答えた内容である。

 大曲貴夫国際感染症センター長「東京都の重症者は80人以上で推移している。ほかにも高濃度の酸素を必要とする人は多い。この1年半、治療法が変化し、人工呼吸器ではなく鼻から酸素を送り込む『ネーザルハイフロー』という呼吸療法を使うケースが増えた。これを使う人は、重症者にカウントされないが、酸素が足りずに身動きもとれない状況にある。重症者と同じように苦しんでいる人が、重症者の何倍も存在する。1年前と同じ感覚で重症者数だけを見て、『少ない』と言うのは状況の過小評価になる」

 要するに症状が同じ重症状態にありながら、治療法が口から酸素を取る人工呼吸器から鼻から酸素を取る「ネーザルハイフロー」という機器に変わって治療を受ける場合、「重症者にカウントされない」、「重症者と同じように苦しんでいる人が、重症者の何倍も存在する」。

 2021年7月28日付「NHK NEWS WEB」記事も「ネーザルハイフロー」について触れている。

〈この治療は人工呼吸器ではないため、東京都の基準では重症には含まれませんが、症状が重い患者が対象で、周囲への感染対策を徹底したなかで治療を行う必要があることなどから、医療スタッフの負担は大きいということです。

都内では27日時点で重症患者の数は82人でしたが、今村顕史部長(厚生労働省の専門家会合のメンバーで、東京都立駒込病院で治療に当たる感染症科部長)によりますと、この治療を受けている患者は先週の段階で合わせて91人に上ったということです。〉

 今村顕史部長「重症患者とされていなくても、非常に重い肺炎の人が多くいる。今後、さらに毎日2000人、3000人の新規感染者数が続くと入院患者が積み上がり医療提供体制が圧迫される。デルタ株が広がっていることで感染がすぐには収まらない可能性もあり、ここを乗り越えることができるかどうか、重要な局面になっている」

 要するに菅義偉は「重症者の数の増加に一定の抑制が見られる」としているが、実際には中等症扱いとなっている隠れ重傷者が相当数存在するということになる。尤も単なる治療法の違いであって、確実な治癒が保証されるなら、何も問題はないが、政府の側が首相の菅義偉を筆頭に隠れ重傷者が相当数存在している情報を無視して、「ワクチン接種が進んで重症患者が減った、減った」と自らの成果を誇れば誇る程、コロナ感染症に対して一般的に希薄と言われる若者の危機感を一層希薄にして、ワクチン接種への意欲を持たせるのとは逆の必要性を感じなくさせる状況を作り出すことになっていないかという危惧が生じることになる。

 もしそうであるなら、「ワクチン接種が進んで重症患者が減った、減った」との成果誇示にしても自分に都合よくツマミ食いした情報の発信に分類しなければならない。重症患者並みの中等症患者が相当数存在していながら、「重症患者が減った、減った」は菅義偉自身が意図していなくても、結果的に自らの責任回避と自己正当化を果たすことになる成果誇示となる。

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被災地の復興の姿を反映せずの復興五輪という名づけも、橋本聖子の五輪への集いが多様性と調和が実現した未来の姿だとする認識も危険な五輪賛歌

2021-07-26 10:20:12 | 政治
 オリンピック・パラリンピックと被災地復興 (東京2020オリンピック競技大会公式ウェブサイト/公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会) 

コンセプト:「つなげよう、スポーツの力で未来に」
スポーツには、「夢」、「希望」、「絆」を生み出す力があります。

2011年に発生した東日本大震災からの復興の過程においても、スポーツが子供たちを笑顔にする一助となってきました。

東京2020組織委員会は、世界最大のスポーツイベントであるオリンピック・パラリンピックを通じて、被災地の方々に寄り添いながら被災地の魅力をともに世界に向けて発信し、また、スポーツが人々に与える勇気や力をレガシーとして被災地に残し、未来につなげることを目指します。

また、東京2020大会が復興の後押しとなるよう、関係機関と連携して取組を進めながら、スポーツの力で被災地の方々の「心の復興」にも貢献できるようにアクションを展開します。



 東京2020大会はかくこのように被災地復興に積極的に関わることを大きな目標としている。勿論、その復興たるやスポーツを通した精神面からの関与ということになる。政治も精神面からの復興への関与を推し進めてきた。東日本大震災発災3年後の記者会見で安倍晋三は「これからは、ハード面の復興のみならず、心の復興に一層力を入れていきます」と発言している。

 「心の復興に一層力を入れていきます」の物言いはこれまでも「心の復興」に力を入れてきたが、今後は今まで以上に力を入れていくという意味を取る。本来なら少なくともハード面の復興と心の復興を同時進行させなければならないのだが、心の復興よりもハード面の復興を先行させてきた。

 2020年9月25日の「復興推進会議」で菅義偉は「来年3月で、東日本大震災の発災から10年の節目を迎えます。これまでの取組により、復興は着実に進展している、その一方で、被災者の心のケアなどの問題も残されております。そして福島は、本格的な復興・再生が始まったところであります」と発言。この「心のケアなどの問題」とは、勿論、安倍晋三が言っているところの「心の復興」に当たる。

 そしてこの半年後の2021年3月11日の「東日本大震災十周年追悼式」で菅義偉は[被災地では、被災者の心のケア等の課題が残っていることに加え、一昨年の台風19号、昨年来の新型コロナ感染症に続き、先般も大きな地震が発生するなど、様々な御苦労に見舞われています。特に、新型コロナ感染症により、地域の皆様の暮らしや産業・生業(なりわい)にも多大な影響が及んでいます」と発言、依然として「心のケアの問題」=「心の復興」が依然として課題として取り残されていることを告白している。本人としたら、告白などしていないと言うだろうが、告白そのものである。

 そして東京2020大会でも競技を通して「東京2020大会が復興の後押しとなるよう」、と同時に「心の復興に貢献できるアクション」の展開を図っている。言って見れば、政治の力だけでは「心の復興」は成し遂げることができずにいた。当然、問題は大会競技を通して果たして「心の復興」の面で「復興の後押し」に貢献できるのかできないのかということになる。できなければ、看板倒れ、見せかけ倒れということになる。

 なぜかくまでも政府にしても大会組織委員会にしても、発災から10年経っても、「心の復興」を全面に出さなければならないのか。勿論、「心の復興」が遅れているからなのだが、その本質的な原因は「ハード面の復興」自体に格差が生じているからである。「ハード面の復興」が被災者各人の生活の復興となって現れていたなら、つまり格差を免れることができていたなら、被災者は自ずと「心の復興」をも果たしていく。その逆の被災者が多い。つまり「ハード面の復興」の格差がそのまま「心の復興」の格差となっている。

 だが、どちらの格差であっても、政府自らがそのことを口にすることができないから、格差是性の言い換えとなる「心の復興」を叫ばなければならなくなり、政府は東京2020大会にコンセプトの一つとして「被災地の復興」を掲げることになった。このコンセプトに従って大会組織委員会は「ハード面の復興」は政治の役目だから、「心の復興」のみを取り上げて、競技を通した「心の復興に貢献できるアクション」を掲げざるを得なくなったといったところなのだろう。
 復興に格差が生じていることは、「2021年2月27日実施 東日本大震災10年・被災3県世論調査」(社会調査研究センター/2021.3.3)を見れば一目瞭然である。(一部抜粋)

 「復興は順調に進んでいる」と「期待したより遅れている」は宮城県では半々で、岩手県では「期待したより遅れている」が「復興は順調に進んでいる」の1.7倍、福島県では1.8倍で、「期待したより遅れている」が半数か、半数以上を占めていて、復興の格差そのものを示すことになっている。格差が生じていなければ、「期待したより遅れている」は0に近い少数派となっていなければならない。「政府の予算の使い方」に対する評価も被災3県共に「適切だと思わない」が「適切だと思う」の1.6倍から1.7倍となっていて、格差が生じていること自体を示している。

 このように復興に大きな格差が生じている状況下で東京2020大会がオリンピック・パラリンピックを通して「心の復興」に、いわば精神面で復興の格差を補う貢献を果たすについてのどのような具体的な手立てを念頭に置いているのかを見てみる。

 先ず大会組織委員会が「東京2020オリンピック競技大会公式ウェブサイト」に挙げた復興に関わる目標を纏めてみる。

1 オリンピック・パラリンピックを通じて被災地の魅力をともに世界に向けて発信する。
2 スポーツが人々に与える勇気や力をレガシーとして被災地に残し、未来につなげることを目指す。
3 スポーツの力で被災地の方々の「心の復興」に貢献できるアクションを展開する。

 以上を以って東京2020大会を復興の後押しとして活用する。

 どのような具体的な手立てを考えているのか、2021年7月21日付「NHK NEWS WEB」記事から大会組織委員会会長橋本聖子の東京江東区メインプレスセンターでの記者会見の発言を覗いてみる。メインプレスセンターのサイトを覗いてみたが、誰の記者会見も載せてなかった。

 橋本聖子「大人以上に感性がある子どもたちの将来の考え方の形成にとって重要だと思っているので、少しでも多くの人たちに見ていただきたかったという思いが正直ある。

 新型コロナウイルスの対策に追われたこの1年も、東北の復興なくして大会の成功なしという思いで活動してきた。東北で最初の試合が行われた東京大会が“復興オリンピックだった”とのちのち思ってもらえるように組織委員会として努力してきたい」

 言っていることが矛盾している。大会の成功は東北の復興があって初めて成し遂げることができるという思いで活動してきたという意味を取るが、現実には東北の復興は十分には成し遂げられていない。菅義偉も「東日本大震災十周年追悼式」で、「震災から10年が経ち、被災地の復興は着実に進展しております」
と言い、「復興の総仕上げの段階に入っています」との表現で復興が未完成であることを伝えている。その上、復興に格差が生じている。当然、このような不満足な復興状況では橋本聖子の発言からすると、大会は成功しないことになるが、東北が復興しようがしまいが、東京大会は粛々と進められていく。現実にも既に進められている。要するに「思いで活動してきた」という「思い」が鍵となる。「思い」なのだから、結果的に現実が伴わなくても止むを得ないと逃げることができる。

 「東北の復興なくして大会の成功なしという思いで活動してきた」がいくら「思い」に過ぎなくても、現実を少しも反映していないのだから、危険な綺麗事に過ぎない。

 大体が「復興オリンピック」と掲げること自体が僭越である。政治が満足な復興を成し遂げることができていないのに東京大会がどう成し遂げることができると言えるのだろう。だから、「思い」なのだと言い逃れるだろうが、論理的に合わないことを「思い」に過ぎなくても、口にするだけで危険なペテンとなる。
 
 橋本聖子は無観客となったことについての残念な思いを特に子どもたちから観戦の機会を奪ったことに置いている。オリンピック観戦が「大人以上に感性がある子どもたちの将来の考え方の形成にとって重要」だとしている。確かにテレビ観戦するのと競技場で直に観戦するのとでは肌感覚として伝わってくる感動や臨場感に大違いがあるだろうし、これらが違えば、記憶の強弱や記憶の時間の長さも違いが出てくる。被災地で行われる宮城の女子サッカーは有観客で、福島のソフトボールと野球は無観客と決まっている。政府が五輪開催に向けて感染を極力抑えることができなかったツケなのだから、悔やむなら、政府の無策を悔やむべきだろう。

 記事は橋本聖子が、〈この中で大会の理念である復興について、選手村で提供される料理に東北の食材が使われていることや、表彰式では被災地で育てた花を使ったブーケを贈ることなどを紹介しました。〉と解説しているが、これらのことで「オリンピック・パラリンピックを通じて被災地の魅力をともに世界に向けて発信する」一助とするということなのだろうが、オリンピック・パラリンピックという世界の一大イベントが持つスケールから見たら、チマチマし過ぎている。これらのことをしただけで、特に風評被害を未だ受けている福島の農水産物全体の売れ行きに良い影響を与えるだけの力を発揮できるのかは疑わしい。

 また、被災地の全ての競技を有観客で行い、被災地の観客が勇気や力を与えられたとしても、レガシーとなるのは被災地のどこそこの競技場でどんな競技が行われた、競技者の成績、金メダルを取った、銀メダル取った、銅メダルで終えたといった業績であって、被災者自身が置かれている「ハード面の復興」に於いて生じている格差のうち、復興が進んでいる境遇に置かれているならまだしも、遅れている境遇に位置させられているとしたら、その遅れがそのまま「心の復興」の遅れとなって現れていることになり、競技によって与えられたレガシー、競技の業績に対する記憶など、一時的なものとなって、腹の足しにならないものとして打ち捨てられかねない。

 要するに「ハード面の復興」の進展に応じて「心の復興」が進展している境遇に恵まれた被災者にとってはレガシーも業績も精神面の支えとなって役に立つかも知れないが、「ハード面の復興」の停滞がそのまま「心の復興」の停滞となって現れている境遇に置かれた被災者にとっては少しぐらいのレガシーにしても業績にしても精神面の足しにはならないのは目に見えている。スポーツの力を用いて「心の復興」に貢献すべくどのようなアクションを実践しようとも、そのアクション自体が「ハード面の復興」の格差に対しても、「心の復興」の格差に対しても無力だということである。

 大体が政治自体が無力で、10年経過しても無力を引きずったままでいるのだから、いくらオリンピック・パラリンピックが世界の一大イベントだろうと、「復興」ということに関しては政治以上に無力なのは自然の成り行きというものであって、どれ程の復興の後押しができるというのだろう。

 それでも「ハード面の復興」の格差に対応して現れている「心の復興」の格差をスポーツの持つ力を用いた何らかのアクションで埋めたいと願うなら、橋本聖子自身が「大人以上に感性がある子どもたちの将来の考え方の形成にとって重要だ」としている子どもたちのスポーツ観戦を、「ハード面の復興」の格差に対しても、「心の復興」の格差に対しても大人程には切実に受け止めるだけの生活の世界が広くない点を利用して観戦のみで終わらせずに被災地の子どもたちに限ってオリンピック・パラリンピックの競技が行われる被災地の競技場で五輪競技の一種目を行わせ、逆に被災地の大人たちに直接観戦であっても、テレビ観戦であっても、観戦させたなら、「ハード面の復興」の格差も、「心の復興」の格差も解消できなくても、子どもたちの活躍や成績が被災地の一つのレガシーとして子ども自身の記憶だけではなく、大人たちの記憶に残ることになったなら、格差を癒やす妙薬となる可能性は否定できない。

 被災地の子どもたちがオリンピック競技場で何かの競技をプレーすることで将来的にオリンピックアスリートを目指すことになる可能性も否定できない。その子どもの親が自分ではなくても、被災地の子どもであることによって被災地の大人たちの誇りの一つとなったなら、「心の復興」の格差を癒やす役目をも果たす可能性も否定できない。

 だが、被災者の子どもを主役に立てることは何一つしなかったし、子どもが脚光を浴びることによって被災者の大人たちに何らかの勇気や元気を与えるということもしなかった。もしこのようなことをしていたなら、「復興五輪」と名付ける資格は出てくる。

 勿論、政治は「ハード面の復興」の格差を解消して、その解消を「心の復興」の格差の解消に繋げていく努力を果たしていかなければならない。この役目を担っているのはあくまでも政治であって、東京大会が担っているわけではない。だからこそ、「復興オリンピック」と掲げること自体が僭越そのものとなる。

 今東京大会は「閉会式コンセプト」(ガジェット通信)として「多様性と包摂性」を謳っている。(一部抜粋)

 〈“Worlds we share”

 17日間の大会を経て、私たちはそれぞれに違う個性や文化、経歴を持つ人々が、スポーツを通して互いに高め合い、理解し合う姿を目にするでしょう。この経験こそが多様性と包摂性を考える糧となり、また、次に始まるパラリンピックへと繋がっていくと考えます。〉

 「多様性」とは人種や性別の違い、身体状況の違い、年齢の違い等々の違いそれぞれを多様な個性と見ることを言い、「包摂性」はこれらの違いを全て包み込むことを言うと自己解釈している。そしてどちらの状況も、認め合いの意思の介在によって成り立つ構造となっている。

 確かに競技を見ると、「多様性と包摂性」を窺うことができる。スポーツマンシップやフェアプレーの精神がそうさせるのだろう。だが、オリンピック競技ではないが、現実には白人アスリートが競技中に相手チームの有色人選手に対して差別発言を投げつける行為はなくならないし、日本人サッカー・サポーターがプレー中の有色人種に対して差別発言を浴びせる光景もなくならない。

 このような差別発言は自チームが負けている、贔屓チームが負けている、相手チームの点を入れたのが有色人種であるといったことに対する怒りや憎悪が理性を失わせて発せられる。日本の柔道指導者が女子柔道選手たちにパワハラ行為を行ったのも、思い通りの成績や成長を見せていないことに対する怒りや憎悪が仕向けることになった感情の爆発であろう。戦争に於ける残虐行為も怒りや憎悪が理性を奪うことによって形を取る。スポーツの世界のことだけで片付けるわけにはいかない。

 つまり「多様性と包摂性」はオリンピックという場にのみ存在するものであっては意味はなく、一般社会に於いて「多様性と包摂性」が当たり前の態度となっていて、その反映としてあるオリンピックという場での「多様性と包摂性」でなければ意味をなさない。果たして一般社会がおしなべて「多様性と包摂性」を当たり前の態度としているのだろうか。当たり前の態度としていたなら、LGBTの問題は起きないし、女性差別の問題も起きない。子どもに対する虐待も、女性に対する暴力も起きない。

 “Worlds we share”とは「多様な世界の共有」を意味するそうだが、要するにオリンピックという場だけの、それも表面的なことに過ぎないかもしれない「多様な世界の共有」ということで、現実離れした「多様な世界の共有」に過ぎないことになる。

 オリンピック開会式で橋本聖子がバッハと共に「スピーチ」(NHK NEWS WEB/2021年7月20日 19時22分)を行った。(一部抜粋)

 橋本聖子「今、あれから10年が経ち、私たちは、復興しつつある日本の姿を、ここにお見せすることができます。改めて、全ての方々に感謝申し上げます。

あの時、社会においてスポーツとアスリートがいかに役割を果たすことができるかが問われました。そして、こんにち、世界中が困難に直面する中、再びスポーツの力、オリンピックの持つ意義が問われています。

 世界の皆さん、日本の皆さん、世界中からアスリートが、五輪の旗の元に、オリンピックスタジアムに集いました。互いを認め、尊重し合い、ひとつになったこの景色は、多様性と調和が実現した未来の姿そのものです。

 これこそが、スポーツが果たす力であり、オリンピックの持つ価値と本質であります。そしてこの景色は、平和を希求する私たちの理想の姿でもあります」

 江東区メインプレスセンターでの記者会見では「東北の復興なくして大会の成功なしという思いで活動してきた」と言っていながら、ここでは「私たちは、復興しつつある日本の姿を、ここにお見せすることができます」に変わっている。前者は復興完了を前提とした大会開催を言い、後者は復興途次の状態での開催だとしている。一種のペテンでしかない。

 後段で言っていることは当方が解説するまでもなく、五輪への集いが生み出す「スポーツが果たす力」によって「互いを認め、尊重し合い、ひとつになったこの景色は、多様性と調和が実現した未来の姿そのもの」だという意味を取る。つまり世界の未来は五輪への集いを通した「スポーツが果たす力」と「オリンピックの持つ価値と本質」によって「多様性と調和」の実現が約束されると高らかに謳っていることになる。

 東京大会2020がオリンピックの出発点ではない。「Wikipedia」にオリンピック憲章は1914年に起草され、1925年に制定されたとある。100年近い歴史を誇っていることになる。現実世界を見回したとき、「オリンピックの持つ価値と本質」と「スポーツが果たす力」によって「互いを認め、尊重し合い、ひとつ」となる「多様性と調和」がどれ程に実現し得たと断言できるだろうか。社会の力が政治を動かしつつ、未完ながら、「多様性と調和」の実現を少しづつ闘い取ってきたのではないだろうか。だが、まだまだ闘い取れきれていない。決してオリンピックではない。パラリンピックが回を重ねるだけで、障害者が生きやすい社会が実現することはないだろう。子どもが通学路で自動車事故に遭い、死者が出てから通学路の安全が図られていくように障害者が電車のプラットホームから誤って落ちる事故が頻繁に起きるようになってから、ホームドアの設置が始まった。このような現実はオリンピックから遠い位置にある。

 当然、「オリンピックの持つ価値と本質」と「スポーツが果たす力」が未来社会で「多様性と調和」を実現させ得る保証はどこにもない。戦争や不景気が生み出す生活困窮が人間を不寛容な生き物に変え、それまで築いてきた「多様性と調和」をたちまち後退させてしまうこともある。

 橋本聖子のオリンピックに関する発言・認識は現実世界を反映していない綺麗事に過ぎない。物事を相対化できずにオリンピックを絶対善と取る橋本聖子の認識は危険な五輪賛歌以外の何ものでもない。今回のオリンピックを復興五輪と取る考え方にも五輪を至上価値とする五輪賛歌が覗いている。
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相変わらず学習しない、相変わらず非効率な同じ繰り返しの自然災害時の救出・捜索活動

2021-07-19 11:01:06 | 政治
 梅雨前線に伴う7月1日からの大雨は各地に土砂災害をもたらし、7月3日午前10時30分頃、静岡県熱海市伊豆山地区逢初川中流部山腹を起点に土石流が発生、土石流は山中の谷に沿って1キロメートル下り、傾斜地の伊豆山地市街地に襲いかかって、住宅を押し流し、家々を破壊し、さらに東海道新幹線と東海道本線の高架下を潜り、海にまで達したという。流速は時速約40キロに達したと報道されている。

 土石流の発生要因は降雨であるが、逢初川上流部山腹の盛土が長雨を受けて崩落、約5万立方メートルの盛土が土石流となったと推定されている。10トンダンプの平均積載量が6立方メートル前後ということだから、約8333台分の土石となる。この約8333台分が盛土崩落地点から下流に約500メートル程の場所にあった高さ10メートル(ビル3階建に相当する)、長さ43メートルの砂防堰堤を乗り越え、逢初川沿いに流れ下って市街地を襲った。砂防堰堤上流側に約7500立方メートルの土砂がたまっていたと報道されているが、堰堤に貯まった岩、土砂や流木は次の土石流に備えて取り除くことになっているということだが、今年の梅雨前に万が一の大雨に対する危機管理として堰堤内の土砂等を取り除いていたとしたら、約7500立方メートルの土砂はほぼ盛土の一部と推定できて、その量の土砂を堰堤内にとどめたと計算可能となるだけではなく、約5万立方メートル+約7500立方メートル=5万7500立方メートルの土砂が崩落したことになる。

 逆にもし取り除いていなかったとしたら、既に土砂が内側に埋まっていた堰堤は最初からスキージャンプ競技で言うところのジャンプ台の助走と踏切台の役目を果たして、土石流の時速、いわば勢いを早めたと想定することもできる。堰堤はその内側に土石が溜まっていないことによって土石流に対して最大限の力を発揮するのだから、大雨に備えて土石を取り除いていなかったのか、いたのかも検証しなければならない。

 土石流によって120棟あまりの住宅が被害を受け、合計7人の死亡が確認された。安否不明者は当初113人としていたが、215人記載の住民基本台帳上と避難所の名簿を照合、64人へと変更、市内の他の場所、市外・県外の家族のところ、あるいは旅行といった形で移動しているケース、別荘を所有する県外居住者が多いことから、被害に巻き込まれたケースを考慮して、64人の氏名を公表、安否情報を求めることになった。

 氏名公表後、7月7日の時点で県と市は安否不明者を27人に絞ったが、他にも安否不明の通報が警察に6人あり、確認作業が進められることになった。そして安否確認作業と捜索活動の結果、7月17日時点で13人が遺体となって発見され、安否不明として15人が残された。

 人間が飲まず食わずで生き延びることができる生死を分けるタイムリミットが3日間、72時間とされていて、72時間以降、生存率が下がるとされているが、一般的な自然災害の場合であって、建物を破壊する衝撃力を持った土石流に建物ごと飲み込まれた場合、酷な話だが、水や泥濘が破壊された建物内の隙間全てを埋め尽くすして空気をシャットアウトする(空気を閉め出してしまう)確率が高く、先ず数十分のうちに窒息死してしまうことになり、救助活動はその数十分内に行われなければ、生存は難しく、その数十分以降は救出活動ではなく、遺体の捜索活動となるはずである。

 地震で建物が破壊された場合でも、津波に襲われなければ、水が破壊された建物内の隙間全てを埋め尽くして空気をシャットアウトする(閉め出してしまう)ということは殆どなく、身体自体が倒れてきた柱や落ちてきた天井によって受ける何らかの衝撃を避け得て、壊れた家具や折れた柱が支えとなって少々の空間に恵まれた場合、少なくとも72時間か、体力があれば、それ以上は持ちこたえる可能性は出てくる。

 東日本大震災の地震で家が倒壊した2階に閉じ込められ、その後津波に襲われて、水位が倒壊した2階にまで到達、水位の上昇は収まらず、天井近くにまで達したが、天井との間に10センチだか、20センチだかの隙間を残して水位が止まり、その隙間に顔を突き出して呼吸して生命を維持、後に救出された事例が確かあったと思う。

 大きな怪我をしていなくて、空気さえ確保できる状況なら、大体は72時間の生存は可能で、その間の救助活動がその後の生存を左右することになるが、こういった幸運は津波や土石流に襲われた場合は皆無に近い。救援隊は救助活動ではなく、遺体捜索となると分かっていても、被災者に1日も早い日常を取り戻して貰うために一刻も早い遺体発見が求められることになる。

 当然、残る安否不明者15人は遺体の捜索活動の対象となる。7月17日時点までの13人の遺体発見に約2週間かかったことになるが、警察や消防、自衛隊が1000人体制で捜索に当たったものの、全てスコップ等を使った手作業で行わなければならなかったからである。勿論、大量の土砂が障害となって重機を現場に持ち込むことができなかったから、止むを得ず効率の悪い手作業となった。土石流の最も被害が大きかった熱海市伊豆山地区に中型・小型の重機が投入されたのは7月16日となっている。7月3日土石流発生から13日目である。重機投入によって遺体の捜索活動は捗ることになる。

 だが、土砂災害や地震や津波、大雨・洪水等々によって唯一の交通路だった道路が寸断された、崖崩れて道路が塞がった、橋が落ちたといった理由で重機の搬入ができず、手作業での非効率な救出・捜索活動を強いられ、重機搬入までに多大な時間を取られる同じケースが繰り返されている。遺体捜索活動となりがちな土石災害や津波被害だけではなく、津波を伴わない地震による、生存の可能性は決して否定できない建物倒壊被害であっても、重機が入れずに手作業を強いられ、72時間を費やしてしまう同じ繰り返しが延々と続けられている。非効率な手作業によって救える命が救えなかったケースが存在しなかっただろうかといったことは考えないのだろうか。

 但し過去に道路が寸断されて、重機が搬入できず、手作業で捜索活動を強いられていたが、道路復旧前に重機を搬入した例がある。2008年6月14日午前8時43分発生のマグニチュウード7以上の岩手・宮城内陸地震の際、宮城県栗原市を流れる北上川水系迫川(はさまがわ)の支流三迫川(さんはさまがわ)上流の東栗駒山の斜面を崩壊源とした大規模な土石流が発生、栗駒山側の中腹にある「駒の湯温泉」を直撃、建物を倒壊し、1階部分が泥流に埋没、宿の住人と宿泊客7人が行方不明となり、後に5人が遺体で発見され、残る2人の捜索に手間取った。手間取った理由は例のごとく道路が寸断されたために重機が搬入不可能だったことと、寸断された道路が復旧して例え搬入できたとしても現場付近が大量の土砂と川水でぬかるみ、重機が使えなかったからだという。

 足場が大量の土砂と川水でぬかるんでいたとしても、元々の地面は固い土で覆われていたはずで、重機さえ搬入できれば、重機のマフラーは一般的にはバケットで容量以上の土を掬い取っても、前に突んのめらないように車体尻部分にカウンタウェイト(重り)を取り付けていて、カウンタウェイトの運転席側がエンジン部であって、そのエンジン部の後尾に垂直に取り付け、口を斜め上に向けている。あるいは運転席とエンジン部が一体となって回転するエンジン部の下側、キャタピラの上部に取り付けてある。どちらであっても、運転席に水が入らず、キャタピラが8分目程度が水に埋まっても、マフラーに水が入る心配はない(カウンタウェイトの上部に取り付けてあるのが最適であるが)。例え水深が目視できない状態で急に深くなっている場所があったとしても、アームを前に降ろして、バケットで水深を測りながら前進することができ、水深の程度で作業ができるかどうかは判断できる。

 要するに川水でぬかるんでいたとしても、水深が作業の可否を決める。キャタピラの上部まで水が達して、作業できない水深なら、近くの山肌の土を削って、それを埋めて足場を作る方法を取る。重機なら、簡単にできる。

 政府は地震発生の6月14日から12日後の6月26に陸上自衛隊の大型ヘリで吊り下げて中型ショベルカー(重さ4・4トン)を搬入している。重機搬入を阻んでいたという「道路寸断」を一気にクリアしてしまった。結果、道路が寸断され、重機搬入ができず、手作業での捜索活動で安否不明者の所在発見に手間取ることになったという経緯は時間と手間をムダに費やしたという結末を迎えたことになる。

 この岩手・宮城内陸地震が発生した2008年6月14日から約1カ月遡る2008年5月12日午後のマグニチュード7.9~8.0、死者7万人近くの中国中西部の四川省で発生した四川省大地震では中国政府は大型のヘリコプターMi-26 型(最大吊り下げ重量20t、世界最大)2台を用いて大型重機を運搬している。

 このMi-26はソ連製で、中国が買い取ったのか、中国でライセンス生産したのか、いずれかであろう。

 日本で自然災害現場に自衛隊の大型ヘリでの重機搬入例は後にも先にもこの一件で、再び自然災害が起きるたびに道路寸断等の理由で重機搬入ができず、手作業での捜索活動で行方不明者の所在発見に手間取ることになった、あるいは難航しているという光景が再び繰り返されることになった。今回の熱海市伊豆山地区土石流災害でも同じである。多くの報道で「手作業」という文字を散見することになった。泥と苦闘し、捜索活動が難航している云々と。

 勿論、手作業であっても、安否不明者の遺体発見はできる。重機で行うよりも時間と手間がかかるだけのことでしかないのかもしれない。あるいは土石流災害の場合は短時間で生存可能性はゼロに近づくから、72時間の壁は意味を持たない制約でしかなく、単純に遺体捜索と認識しているから、重機の搬入は通路の確保後だと、従来どおりの発想で割り切っているのかもしれない。だが、手作業が長くなればなる程、つまり重機の搬入が遅くなればなる程、遺体捜索の次の段階の瓦礫撤去完了が遅くなり、遅くなれば、街の原状回復が先送りされることになって、生存被災者の日常生活への戻りが順送りされる可能性が生じる。

 但し国家の大事を預かる国側としたら、数百人の住民の日常生活への回復が少しぐらい遅れても大したことはないと考えているのかもしれない。考えていないとしたら、自然災害発生のたびに初期的には手作業という人力に頼る光景が繰り返されることを当たり前の光景としていることから少しぐらいの工夫はあっていいはずである。

 例えば画像で載せておくが、この自走式除雪機は歩きながら作業する器械で、バッケとを持ち上げることができないが、3馬力の力があるから、雪を押し寄せる代わりに土砂や残材を寄せ集めたりすることができる。1馬力とは「75kgの重量の物体を1秒間に1m動かす(持ち上げる)力」のことで、「コトバンク」に「成人で短時間なら0.5馬力程度、連続では0.1馬力程度である」と出ているから、3馬力となると、スコップを動かして土石を取り除くよりも遥かに仕事量も仕事のスピードも早いことになる。

 使い方は雪かきとほぼ同じで、瓦礫の山の端に機械を斜めに据えて、瓦礫の山を斜めから少しずつ削っていく形で取り除いていく。雪かきと異なる点は一人が瓦礫が取り除かれていくときに瓦礫の中に万が一埋まっていた遺体を発見した際はバケットで傷つけないように監視役を務めることである。この監視役は重機を使うときも同じように務めるはずである。衣服の端らしき物を見つけたら、重機をストップさせて、手作業で周囲の土砂・残材を慎重に取り除き、遺体かどうかを確かめる。

 この除雪機は本体乾燥質量が71kgだから、4人が天秤棒でロープに釣るせば、1人当て18kg程度の重量だから、少しぐらい足場が悪くても必要現場に持ち込むことができる。
 
 除雪機では力不足なら、2020年7月の当ブログに使用したものだが、動画で紹介している除雪にも使用する日立歩行型ミニローダーML30-2は7馬力で、スコップ使用とは比較にならない大量の仕事をするが、バケットを最大限に持ち上げ、ダンプ姿勢を取ったときの地上よりバケット刃先までの高さを表す「ダンピングクリアランス」が1350ミリ。2トンダンプの床面地上高が940ミリ、軽ダンプの床面地上高が710ミリだから、両ダンプに積み込む作業ができる。この機体質量は335kgだから、道路寸断状態であっても、一般的な重機に先んじて災害現場にヘリコプターで吊り下げて、簡単に持ち込むことができる。

 軽ダンプは車両総重量が1430kg前後だから、これもヘリで持ち運び可能で、本格的な重機が入るまで土石を邪魔にならない場所にできるだけ集めておけば、重機が入ってからの片付けの期間短縮を図ることができる。

 道路が寸断されたからとスコップを主として使う手作業で安否不明者の捜索も瓦礫の片付けも時間をかける、相変わらず何も学習しない非効率な同じ繰り返しをするのではなく、街の可能な限りの早期の原状回復に務めて、生存被災者の日常生活の確立に手助けすることが国や自治体の役目であるはずである。だが、そうはなっていない。何も学習しない、非効率な同じ繰り返しが続いている。

 菅義偉は2021年7月12日に被災地熱海市伊豆山地区を視察し、現地で会見を行っている。一部抜粋。

 菅義偉「今日、災害現場を訪れました。大量の砂にうずもれた家屋だとか道路、2メートルを超えるそうした残土をかき分けながら人命救助のために取り組んでおられる皆さんから、お話も伺いました。大変厳しい中で、こうした行方不明の方の捜索をされている皆さん、正に警察、消防、海上保安庁、自衛隊の皆さんに心から感謝申し上げたい、そのような思いであります。

  ・・・・・・・・・・・・・・・

 皆さんが前を向いて生活することができるように、被災者生活・生業(なりわい)再建チームで、国の中で、そこはしっかり受け止めて、連携をしながら前に進めていきたいと思っています。それと同時に今お話がありました大規模被害、これは毎年続いています、線状降水帯、そういう中でその発生を予測するための資機材だとか、あるいは開発、これは思い切って前倒しで進めたいと思っています。こうした中で、大規模の災害対策というものをしっかりと進めていきたいと思います」

 警察、消防、海上保安庁、自衛隊の各メンバーの労苦に感謝申し上げる前に労苦を少しでも軽くすることを考えるべきだろう。前と変わらない同じ状況で繰り返す労苦を軽くする方策を考えもせずに言葉だけの感謝で済ます同じ繰り返しを見せるだけなのは芸がなさ過ぎる。

 「皆さんが前を向いて生活することができるように、被災者生活・生業(なりわい)再建チームで、国の中で、そこはしっかり受け止めて、連携をしながら前に進めていきたい」

 前を向いて生活することができる気分になるには少なくとも街が原状回復に向けてスタートを切り、それをキッカケに生存被災者たちが日常生活の遣り直しに向けて気持ちを新たにすることができてからであろう。安否不明者の捜索に手間取り、最も被害が大きかった熱海市伊豆山地区に重機が本格的に作業を開始したのは7月16日からで、作業開始4日前の、いつ重機が入るのかも分からない、原状回復どころではない、いわば被災者に対して前を向いて生活できる状況を与えることができていないままの7月12日に前を向いた生活の話をする。要するに被災者を真に思い遣った発言ではなく、自然災害時に決められた政府の手順を自らの責任として一つ一つ消化していくための発言だったのだろう

 街の原状回復と生存被災者たちの日常生活の遣り直しを早めるにはが安否不明者の捜索と瓦礫撤去を早めなければならない。当然、道路寸断等の理由で災害現場に重機搬入ができない状況下では、効率の悪い手作業での捜索活動や瓦礫撤去を効率が悪いままに繰り返すのではなく、効率よくする方策が必要になる。その効率化が被災者をして前を向いて生活する意欲・気力を早めに充実させる機会となり得る。
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菅義偉のメリハリのないコロナ対策が人流抑制の動機づけを失わせ、東京大会開催中の首都圏緊急事態宣言発出と無観客を招いた

2021-07-12 11:22:58 | 政治
 大相撲の正代を見ると日本の首相菅義偉を思い出す。菅義偉を見ると、なぜか正代の顔が思い浮かぶ。両者共に覇気のない顔をしている。

 これまでブログで東京大会は無観客にすべきだと何度か書いてきた。理由は菅義偉が東京大会という一大イベントを取り巻く一般社会のコロナ感染対策と対策を受けた国民の安心・安全と同時並行させて東京大会という一大イベントのコロナ感染対策と対策を受けた選手や関係者の安心・安全を策すのではなく、一般社会と切り離して東京大会だけのコロナ対策の安心・安全を優先させているからである。この思考は東京大会が無事済めばいいという自己中心主義で成り立たせている。特に殆どの競技会場を占めている東京都のコロナの感染状況と医療体制の改善を徹底的に図った上で東京大会を感染対策と共に開催していたなら、開催反対の声や無観客とすべきという声はこれ程までに大きくはならなかったろう。

 東京都のコロナの感染状況を徹底的に改善できれば、地方都市はこの改善に準じる傾向にあるから、全国的に改善することになり、東京大会の開催を受けた人流の増加による感染リスク自体、低く抑えることができることになる。だが、菅義偉は競技場に観客を入れたとしても、プロ野球やサッカーが緊急事態宣言下で観客を入れて試合を行っていても、「感染拡大防止をしっかり措置した上で行っている」という事実を以って、つまり感染が起きていないから、東京大会も同じように対応できると自信の程を見せていたが、野球場でも、サッカー場でも、東京大会のどのような競技場でも同じだが、社会的ディスタンスを維持できる範囲で入場制限を行いさえすれば、人と人の間隔を固定化できる。観客席に入ってから自分の席に行くまでに他者と近接することはあるが、知り合いでなければ先ず言葉を交わすことはないから、席に着けば、相互に距離を取ることになって、感染リスクは低く抑えていることが可能となる。つまり競技場内での感染リスクが高いから、無観客にすべきだと専門家にしても、誰にしても要求しているわけではない。

 但し観客が競技終了後に距離を取って出口まで進むことになるだろうが、競技場外の街中に出た途端、観客以外の街中の人とも交差することになって、競技場内での人と人の間隔の固定化はたちまち崩れることになる。マスクをしていても、友達同士がお喋りしながら歩行し、そこに他者が近接した場合、会話で生じる飛沫がマスクから漏れて他者にかからない保証はなく、その確率が高ければ、それだけ感染リスクは高くなる。専門家が有観客にすることによる人流の増加を感染リスク要因とする理由がここにある。だが、菅義偉は東京大会開催だけを考えて、このことを理解する頭を持たなかった。

<「緊急事態宣言」から日を置かずに「まん延防止等重点措置」に移行した東京都は感染がここのところ前週比で縮小せず、徐々に感染拡大の傾向を見せたために政府は東京都に第4回目の「緊急事態宣言」を発令することを決めた。東京都は日本の経済・文化・商業の各活動の中心地であること、そして東京大会の殆どの競技が東京都で行なわれることから、東京都に発令された「緊急事態宣言」と「まん延防止等重点措置」の推移のみを図に纏めてみた。ネットで調べ直して図にしたが、間違っていたらごめんなさい。

 2021年の東京都民は1月8日から現在に至るまで3月22日から4月24日までの約1ヶ月間を除いて政府指示の行動の制約を受けていたことになる。

 菅義偉は記者会見で「感染の抑制とワクチン接種、全力で取り組んで、1日も早くかつての日常を取り戻すことができるように全力を挙げるのが私の仕事だ」などと言っていたが、東京大会開催までには感染の抑制は最優先の課題だったはずだが、何もできずじまいでここまできた。

 菅義偉は緊急事態宣言なら「五輪の無観客も辞さない」という態度を取っていたが、2021年7月8日の東京都への4回目の「緊急事態宣言」の発令その他を伝える「記者会見」で東京大会について次のように発言している。

 菅義偉「オリンピックの開幕まであと2週間です。緊急事態宣言の下で異例の開催となりました。海外から選手団、大会関係者が順次入国しています。入国前に2回、入国時の検査に加え、入国後も選手は毎日検査を行っており、ウイルスの国内への流入を徹底して防いでまいります。選手や大会関係者の多くはワクチン接種を済ませており、行動は指定されたホテルと事前に提出された外出先に限定され、一般の国民の皆さんと接触することがないように管理されます」

 東京大会を契機として懸念される世間一般の「安心・安全」は相変わらず脇に置いて、東京大会という一大イベントの「安心・安全」だけを言い募っている。このこととプロ野球やサッカーの試合が一定の観客を入れて試合を行っていながら、感染騒ぎがなかったことを以って東京大会も同じ基準とする考え方方かるすると、あくまでも有観客を押し通すように思えた。

 だが、この記者会見後の同日、2021年7月8日夜の大会組織委員会と政府、東京都、IOC=国際オリンピック委員会、IPC=国際パラリンピック委員会の5者協議の末、東京 神奈川 埼玉 千葉の全会場は一転して無観客開催と決めている。菅義偉のこれまでの態度と違うこの決定は理由はなんだろう。

 菅義偉は国会で、「国民の命と暮らしを守る、最優先に取り組んできています。そこは念入りに言わせて頂きます。オリンピック・パラリンピックですけども、先ず現在の感染拡大を食い止めることが大事だと思います」と言い、「国民の命と健康を守るのが私の責任だと。守れなければ、やらないと。これは当然のことじゃないでしょうか」と答弁している。このような発言からすると、政府は東京大会開催に一定以上の決定権を握っていることを窺うことができる。当然、有観客か無観客かの決定権にしても一定以上有していることになる。だが、従来の有観客の態度を一転させて、なおかつ有観客一辺倒の大会組織委員会の意向とは逆の無観客に舵を切ったのは東京都のコロナ感染の縮小の見通しが立たない中、開催によって競技会場外の感染が万が一拡大した場合の責任問題の浮上が自民党総裁選や10月21日に任期満了となる衆院選に悪影響を及ぼすことが目に見えていたことを避ける意味合いがあったはずである。

 大体が「先ず現在の感染拡大を食い止めることが大事だと思います」と言っていながら、これまで感染拡大に手をこまねいてきた。

 東京 神奈川 埼玉 千葉の全会場は無観客開催と決定したが、北海道札幌ドームのサッカー競技は大会組織員会が上限を設けた上で観客を入れて開催するとしていたが、北海道知事のの鈴木直道の養成を受けて大会組織員会は無観客開催へと変更した。「NHK NEWS WEB」2021年7月10日 0時57分)

 北海道知事鈴木直道(7月9日よる記者団に対して)「1都3県から競技の観戦に訪れることを控えてもらうため、大会組織委員会とその取り扱いについて協議したものの、実効性を担保することは無理だと判断し、無観客とすることを決断した。道民の安全、安心を確保し、不安な気持ちにしっかり対応できるかを最優先に考えた結果として、大変残念ではあるが、無観客という形で行うことが適切だ」

 要するに1都3県からの競技観戦者を抑える措置を大会組織員会と協議したが、実効性を担保できる案を捻出できなかった。競技場内は入場制限を行うことによって人と人の間隔を一定以上に固定化できるが、競技場外の人流にまで社会的ディスタンスを厳格に守らせるアイデアは見い出せなかった。あくまでも競技場内の「安心・安全」を問題にしていたのではなく、競技場外の「安心・安全」を念頭に置いていた。菅義偉みたいに競技場内の「安心・安全」だけを問題にしていたわけではなかった。

 北海道のこの決定にソフトボールと野球を福島市で開催する福島県知事内堀雅雄は2021年7月10日に無観客で行うよう、大会組織委員会に要請し、了承を得ている。(「NHK NEWS WEB」)北海道が観客を入れずに開催すると前夜に発表したことで、東京など1都3県以外は観客を入れて実施するという前提が覆ったためだと理由をのべているということだが、ソフトボールと野球は人気種目である、チケットを持たないファンが競技場のすぐ外で競技場内で上がる歓声を耳にして熱戦の雰囲気を味わいながら、スマホでテレビ実況を楽しむ熱狂を演じない保証はない。また、そうすることを自身の一つのステータスにとし、自らの人生のレガシーの一コマとすることもある。

 結局のところ菅義偉は「ワクチン接種というのは、正に感染症対策の切り札です」と常々言いながら、東京大会開催までに大半の国民に接種できなかったばかりか、切り札以外の対策でコロナ感染の縮小を図ることはとてもとてもできず、結局のところほんの少しを除いて無観客という変則的な開催を強いられることになった。

 その原因は誰もが承知しているように日本の経済・文化・商業の各活動の中心地であり、東京大会の殆どの競技を担う東京都が大会期間中に緊急事態宣言の発出を受けたからに他ならない。そして緊急事態宣言発出の何よりの原因は感染者の増加傾向を受けてのことであることは当然だが、菅義偉は前々から同じことを発言しているが、2021年7月8日も同様のことを口にしている。

 菅義偉「残念ながら首都圏においては感染者の数は明らかな増加に転じています。その要因の1つが、人流の高止まりに加えて、新たな変異株であるデルタ株の影響であり、アルファ株の1.5倍の感染力があるとも指摘されています。デルタ株が急速に拡大することが懸念されます」

 但し変異株が感染拡大のそもそもの原因ではない。極端なことを言うと、変異株感染者が他に誰もいないところで2次感染源になることはない。そもそもの原因は人流の多いか少ないかの程度次第ということになり、感染抑止は人流の抑制にかかることになる。人流を抑制できれば、それが自動的な社会的ディスタンスとなって現れ、結果的に感染抑止策に繋がっていく。緊急事態宣言を発出しても、まん延防止等重点措置を発出しても、人流を抑制できず、人流の高止まり状態を許すようなら、目に見えた感染抑止を果たすことができないのは論理的帰結でもあるし、現実もそのとおりのことを示している。

 と言うことは最終的なコロナ対策は人流の抑制に絞られることになって、それができず、人流の高止まりを招いているということは菅内閣のコロナ対策の失敗を示すことになる。

 改めて東京都に発令された2021年の「緊急事態宣言」と「まん延防止等重点措置」の推移を見てみる。2021年の1月8日から現在に至るまで途中の約20日間を除いて緊急事態宣言下かまん延防止等重点措置下にあった。人流はどのように変化したのだろうか。「東京都時間帯別主要繁華街滞留人口の推移(2020年3月1日~2021年7月3日)」(中段辺りに表示)から見てみる。詳しくはサイトを覗いて頂きたい。

 暮の2020年12月26日から2021年1月2日まで滞留人口は徐々に減少しているが、1月3日から緊急事態宣言発出の1月8日向かって一気に上昇、1月9日以降、発出を受けて減少するが、1月16日以降、増減を繰り返しながら上昇していき、東京都の3月21日緊急事態宣言解除を受けても上昇していき、3月27日から減少に転じるが、4月10日に上昇に転じて、4月12日にまん延防止等重点措置を発出、4月25日に緊急事態宣言発出、この日を境に滞留人口は一気に減少に向かうが、5月8日を境に今日に至るまで上昇している。

 要するにまん延防止等重点措置を発出しても、緊急事態宣言を発出しても、見るべき人流の抑制を図ることはできなかった。よく言われている原因として「宣言疲れ」、「コロナ疲れ」がある。だが、この「宣言疲れ」、「コロナ疲れ」の何よりの原因は東京都に関して2021年1月8日から今日までの半年以上、宣言、措置のいずれかが解除されていた期間は3月22日から4月11日までの約20日間のみの短期間であり、特に若者の人流が減らなかった理由を如実に読み取ることができる。

 結局は宣言、措置のいずれかをメリハリもなくダラダラと続けることになった。ダラダラではなく、適宜息を入れる短い期間を設けてメリハリあるものにして、「宣言疲れ」や「コロナ疲れ」を癒やす機会を設けるべきではなかったのか。

 東京都の場合、2020年10月末から第2回目の緊急事態宣言発出の2021年1月8日に向かって感染者数が徐々に上がってきて、12月末のうちに緊急事態宣言の発出を促されていた。1月8日の発出は遅きに逸したと批判を受けている。先に挙げた2021年7月8日の記者会見で菅義偉は「先手先手で予防的措置を講ずることとし、東京都に緊急事態宣言を今一度(ひとたび)、発出する判断をいたしました」と発言しているが、もし10月末に感染拡大の傾向を読み取って「先手先手で予防的措置を講ずる」ために緊急事態宣言を発出、感染拡大を抑える目的からだけではなく、12月20日以降の暮から2021年1月1日を間に挟んで1月末までの皆さんの年始年末の自由な活動を保障するためだとして12月20日以前に宣言を解除したなら、宣言中の人流抑制・外出自粛の動機づけを各自が身につけることが可能となって、感染を抑えることができ、抑えることができた分、解除後のリバウンドにしても少しは抑えることができる。

 だが、そうした手を打つことはせずに逆に正月気分も醒めない1月8日に宣言を発出した。

 年始年末の自由な活動中にリバウンドが生じたなら、次の自由な活動の保障期間を4月の入学・入社・異動シーズンとすると前以って告知し、4月に入ったときの人流抑制・外出自粛の動機づけを与えつつ、リバウンドが生じた期日以降から3月下旬前のいずれかの時点で宣言か措置のいずれかを発出したなら、リバウンドを一定程度か、それ以上に抑えることができて、4月の宣言・措置に対する解除は難しくなくなる。

 このようなメリハリをつけた手順で次にお盆を挟んだ夏休みを自由な活動の保障期間としてそれ以前に感染拡大に合わせて宣言か措置のいずれかを発出していたなら、発出期間中の人流抑制・外出自粛の動機づけを自由な活動に置かない者は先ず考えられないから、同時に感染を抑えることができる。人流抑制や外出自粛に倦んで、「宣言疲れ」や「コロナ疲れ」に見舞われる余裕を与えないことになる。

 だが、菅政権はこういったメリハリをつけた対策は取らずにダラダラと自由な活動を制限し続けてきた。その結果の「宣言疲れ」や「コロナ疲れ」であり、このような疲れからの「人流の高止まり」であり、感染の高止まりという悪循環に陥ることになった。

 西村康稔は2021年4月23日衆議院議院運営委員会で、「この新型コロナウイルスは何度も流行の波が起こるわけであります。諸外国を見ていてもそうであります。そして起こるたびに大きくなってくれば、ハンマーで叩く。つまり措置を講じて抑えていく。その繰り返しを行っていく。何度でもこれを行っていくことになります」と発言していた。この発言を受けて2021年4月26日の「ブログ」に次のように書いた。

 〈もし東京オリ・パラを開催予定でいるなら、今回の緊急事態宣言で感染者が減らないようなら、6月中を期限とした緊急事態宣言と言う「ハンマー」を前以って打ち下ろして、徹底的に感染者を減らしてから、開催すべきだろう。

 感染拡大防止にも無策、緊急事態宣言で与えることになる社会経済活動の打撃に対しての配慮をも欠いているようでは菅政権の責任は決して小さくはない。〉

 これもメリハリのススメである。だが、メリハリとは逆のダラダラで対策で国民の多くに「宣言疲れ」や「コロナ疲れ」は発症させていて、思ったような人流抑制を図ることができず、感染の高止まりを招き、肝心の東京大会中の宣言の発出となった。

 菅義偉は2021年7月8日の記者会見で、「ワクチンを1回接種した方の割合が人口の4割に達した辺りから感染者の減少傾向が明確になったとの指摘もあります。今のペースで進めば、今月末には、希望する高齢者の2回の接種は完了し、1度でも接種した人の数は全国民の4割に達する見通しであります」と発言している。2021年5月28日の記者会見では「イギリスでは1回目を5割打ったら大体ものすごい効果が出たということで、今、マスクなしにしていますけれども」云々と発言している。

 だが、ネットで調べてみると、イギリスのワクチン接種率は1回目終了が86%を超え、2回目終了が64%を超えているが、ここにきて感染が急拡大し、2021年7月19日時点の新規感染者数は31800人、7日間平均で30040人となっている。その理由はインド型の変異株だと言うが、何よりもワクチン接種が進んだことによる社会活動の活発化、つまり人流の大幅な増加にあるとされている。

 日本もインド型の変異株が拡大し続けると、「1回接種した方の割合が人口の4割に達した」としても当てにはならなくなる。菅義偉は情報把握をしっかりとして、安易な希望的観測となるような情報の垂れ流しはやめるべきである。責任問題である。
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八街市自動車児童5人死傷事故から見える子どもの命と成長よりも予算を優先させた道路行政とそれを見過ごした政府の怠慢

2021-07-05 10:52:24 | 政治
 「NHK NEWS WEB」(2021年6月30日 18時22分)

 2021年6月28日、千葉県八街市で下校途中の小学生の列に大型トラックが突っ込み、小学3年生男子(8)と小学2年生男子(7)の2名が死亡、8歳の女子が意識不明の重体、7歳と6歳の男子が大怪我をする酷い事故を起こした。運転手は酒を飲んでいた。供述によると運転手は「右側から人が出てきたので、よけようと急ハンドルを切った」ところ、道路左側電柱に衝突し、その後約40メートル進み、小学生の列に突っ込んだ。

 このような急ハンドル操作の場合、初心者や加齢によって敏捷性を欠くことになった高齢者が慌ててしまう以外は反射的にブレーキを踏む。要するに急ブレーキを踏んだが、制動距離が足りなくて、左側電柱に衝突してしまったという経緯を一般的には取る。だが、電柱衝突後に小学生の列に突っ込み、停車するまでの約40メートルの間に目立ったブレーキ痕はなかっただけではなく、警察の取調で防犯カメラの映像などからは道路に出る人の姿は確認できていないと記事は書いている。「右側から人が出てきた」という供述は大分怪しくなる。

 大型トラックが一定のスピードで電柱に衝突した場合、かなりの衝撃を受ける。映像で見ると、電柱は斜めにかしいでいる。なまじっかな衝撃でなかったはずで、衝撃を受けると同時に右足がブレーキに伸びるものだが、目立ったブレーキ痕なしにそのまま40メートルも走ったということは飲酒だけではなく、居眠り運転の可能性が出てくる。

 運転途中で飲酒する場合、事故を起こさないように運転に神経を注ぐ。事故を起こして、原因が飲酒と判明すれば、最悪、免許取り消しの処分を受け、仕事ができなくなり、生活の糧を失うことになりかねない。他のNHK NEWS WEB記事によると、仕事からの戻りで、事故地点は工場まで200メートル程の場所だったと伝えている。目と鼻の先で運転から解放されると思い、安心して、運転に振り向けていた注意が安心感に取って代わってしまうと、その際眠気を我慢していたなら、睡魔に安々と誘い込まれる要因となる。

 マスコミ報道を見る限り、警察が飲酒だけではなく、居眠り運転までしていたと発表しているわけではないが、飲酒運転事故のこういった成り立ちを意識にとどめておくことができたなら、飲酒がときには居眠り運転につながることまで考えて、酒など飲んで運転はできないはずだが、飲酒運転で2人の子どもの命とその成長を奪い、1人を意識不明の重体に陥れて、無事回復を祈るが、自分に起きたことがトラウマとして残った場合、以後の命と成長が脅かされないことはないだろうし、重症を与えられた2人にしても、同じようにトラウマにさせて命と成長を脅かしかねない酷い目に遭わせることになった。

 特に子どもの命を奪うということはその後の長い成長まで奪うことになるということを考えなければならない。命と成長を奪われることになった子どもたちの家族や親しい友達が見舞われることになる喪失感とその原因が飲酒運転の自動車事故だという不条理は計り知れないだろうし、簡単には癒やすことができずに生涯、その喪失感と不条理を抱えていくことになる可能性は否定できない。

 記事は八街市の話として現場の市道は2008年度から2012年度までの4年に亘って小学校のPTAが毎年ガードレールの整備などを求めていたと伝えている。その要望に対して記事は、〈市は、予算などの制約があるとして優先順位を付けて道路の整備を進めていましたが、より優先順位の高い場所があるとして現場の道路へのガードレールの整備は実現していませんでした。

 また、現場での最高速度の制限については警察との間で検討したことはなかったということです。〉と伝えている。

 要するに子どもの命と成長よりも予算を優先させた道路行政に徹していた。他の予算を振り分けてでも子どもの命と成長を優先させる道路行政を志すことはしなかった。このことは子どもの命の尊厳の軽視に値する。

 この点についての2021年7月1日付「時事ドットコム」記事は次のように触れている。

 市教育委員会教育長加曽利佳信(八街市長北村新司の記者会見に同席)「(2016年度から事故現場を道路の狭さなどから危険と認識していたと説明した上で)看板の設置などはしたが、ガードレールの設置まで至らず、痛恨の極みだ」

 道路の危険性をガードレールの設置ではなく、看板の設置で解消させていた。そしてその程度の予算で片付けていた。

 同記事はPTAによるガードレール整備要望に対しては市は「用地買収、建物移転などから多額の費用を要し、非常に難しい」と回答していた。担当者は「ガードレールの設置は、他の事業を優先して先送りされ、検討していなかったのが事実」

 この市の態度にも子どもの命と成長よりも予算を優先させた道路行政が否応もなしに見えてくる。子どもは国の宝だと言いながら、口先だけで、宝とは程遠い粗末な扱いで済ませている。
  
 もう一つ、2021年7月1日付「asahi.com」から、PTAによるガードレール整備要望に対して市の説明を見てみる。

 〈市は2009年8月、当時の長谷川健一市長名で「歩道の設置とガードレールは、(そのために必要な幅となる)有効幅員の確保が不可能。道路拡幅は用地買収、建物移転など多額の費用を要し非常に厳しい」などとPTA側に回答。PTA側などと協議して、近くの交差点の改修を優先したという。〉

 この発言も予算の点からのみガードレールの設置を捉えていて、子どもの命と成長を守ることよりも予算を優先させた道路行政の域を一歩も踏み出せていない。

 この記事はPTA側からの事故現場のガードレール整備について2012年度以降から要望がなくなったために整備の必要性が認識されなくなったといった趣旨の市幹部の話を伝えている。

 市幹部「毎年度の要望がないと、数多くの道路要望のなかで優先度が下がる」

 記事が、〈実際に今年度時点では、事故現場のガードレール整備の必要性を市建設部は認識していなかった。〉と解説している以上、「優先度が下がる」と釈明しているものの、次年度への申し送り事項としていなかったに過ぎない。その年度に出された要望しか目を通していなかった、つまり優先度を決める対象に入っていなかったということで、「優先度が下がる」云々は責任追及を逃れる薄汚い誤魔化しに過ぎない。

 ガードレール整備に関わる要望の実現の必要性を認めていながら、予算の都合で実現できなかったとしても、その要望を次年度に引き継いで、予算の点からの実現可能性を探るべきを、引き継ぎの努力すらしなかった。怠慢以外の何ものでもない。

 こういった怠慢が事故死を防ぐことができなかった遠因の一つと数えられても、頭から否定することはできまい。

 では、最初のNHK NEWS WEB記事に戻って、過去に小学校PTAが毎年ガードレールの整備等を要請していたことに対する現在の八街市長の2021年6月30日の臨時記者会見発言と市の説明を見てみる。

 八街市長北村新司「幼い子どもが命をなくすのは胸が張り裂けそうな思いだ。残念で悔しい。財源が限られる中、今回の場所は申し訳ないが十分な措置ができなかった」

 北村新司の「幼い子どもが命をなくすのは胸が張り裂けそうな思いだ。残念で悔しい」と言っていることが代償の取り返しのつかなさを真に痛感した言葉であるなら、「財源が限られる中、今回の場所は申し訳ないが十分な措置ができなかった」とする、子どもの命と成長を後回しにして、予算を優先させたことを正当化する発言は出てこない。

 命に関わる危機管理は命を失う前に失わないための創造的な対策を構築することである。失ってからの命の危機管理は他の命には役に立つかもしれないが、当然のことだが、一旦失った命には役立たない。この当たり前の道理を行政を預かる者として厳しく認識していたなら、「今回の場所は申し訳ないが十分な措置ができなかった」程度の責任では済ますことはできない。辞任ものであろう。

 市の説明。予算などの制約があるとして優先順位を付けて道路の整備を進めていたが、より優先順位の高い場所があるとして現場の道路へのガードレールの整備は実現していなかった。現場での最高速度の制限については警察との間で検討したことはなかった。

 この程度の子どもの安全と命に対する危機管理しか弁えることができなかった。結果、現在は60キロとなっている最高速度をより低い最高速度に抑えることを警察に要望することになった。

 要するにスクールゾーンとしての時速制限も、各地で進んでいる通学路の最高速度を30キロに制限する「ゾーン30」も設けていなかった。例えて言うなら、朝陽小学校の登下校路は荒野の中に存在していたようなものだった。

 最高速度を抑えたとしても、飲酒運転や居眠り運転に役には立たない場合がある。歩道やガードレールのない狭い道路の車の運転は対向車が近づいてこない限り、歩行者がいなくても、左側からの飛び出しを用心するためにほぼ道路の中央を走ることになるが、学童を含めた歩行者を見かけた場合、対向車がなければ、速度を緩めながら、道路中央よりも右側に進路を取って走行、歩行者を遣り過してから、道路中央に進路を戻し、対向車がある場合は、歩行者の脇を十分に走行できる間隔があったとしても、歩行者の手前で道路中央よりも左側に車を寄せて徐行、対向車が通り過ぎるまで待ち、対向車が通り過ぎてから、道路中央に進路を戻して制限速度内の走行をするのが一般的な運転の慣習となっているが(あるいは最近の道路交通法改正でそういう取り決めとなっているのかもしれない)、このような歩行者優先の運転を殆どのドライバーが実践していたとしても、歩行者優先のこの運転方法をプリントして、行政は自区分内のトラックや乗用車を所有する全ての事業所に対してこのプリントした内容を用いた説明会を道路交通法が定める講習会とは別の要請という形で最低月に1度はドライバーに行うように持っていき、歩行者優先の意識を常に新たにさせるように努力すべきではないだろうか。

 この努力を受けてドライバーが歩行者優先の運転を日々心がけるようになったなら、日々の習慣は体に染み付き、例え酒を飲んで運転する不届き者が出現したとしても、アル中にまで発展していない限り、最大限の注意を払う可能性は否定できない。

 NHK NEWS WEB記事は八街市教育委員会が事故現場の市道を通学路とする児童の精神的な負担を考慮して、当面、登下校のためのバスの運行を決めたと伝えている。登校用に午前2便、下校用に午後4便の運行予定で、この通学路を使う八街北中学校の生徒も利用できるようにし、さらに現場付近に警察の移動交番車の配備や市の職員などによる見守り強化も行なわれるとしている。

 全てが命を失う前の命の危機管理ではなく、尊い命が失われたあとからの対症療法の部類に入る危機管理となっている。

 別記事によると、現場は朝陽小から西に約1・5キロの見通しの良い幅6・9メートルの直線個所だそうで、ドライバーの抜け道になっていたと伝えている。

 事故があった市道は県道77号線と1キロ程離れた間隔でほぼ平行に走っていているから、県道は渋滞が多く、時間短縮のために市道が抜け道として利用する道路となっているということなのだろう。抜け道を利用するドライバーは急いでいるからで、渋滞で失った時間を取り戻すために自然とスピードを上げてしまう。スピードを上げない抜け道利用者がいたら、抜け道利用の意味をなくしてしまう。

 今回の事故を起こしたドライバーの会社は事故地点から200メートル程の場所にあるそうだから、抜け道として利用していたわけではないだろうが、通学路が抜け道となっていた場合は、抜け道利用を防止するために大型トラックを所有している近辺一体の事業所に通学路を抜け道として利用しないように要請したり、県道から抜け道の市道に入る各枝道入口に「通学路につき学童の命と将来を守るために抜け道として利用しないこと」という看板を立てるのも一工夫だが、自身の時間短縮を優先させて、看板を無視するドライバーはなくならないだろう。

 そういった場合に備えて通学路の信号機を工夫すれば、抜け道としての利用価値を低めることができる。先ずスクールゾーンの信号機の数を多くして、メインストリートの各車両用信号機を一斉に青にするのではなく、最初の信号機を青にしたら、次の信号をすぐに赤にして、しかも赤の時間を長くする。信号の形式を知ったドライバーは急加速、急スピードが役に立たないことを学習して、ゆっくりと発進して、スピードを抑えて次の信号まで走ることになる。スクールゾーンの終了地点までその方式とする。

 但し車両用信号機の赤信号が長いと、歩行者用信号機の赤信号も長くなって、歩行者はなかなか横断歩道を渡れないことになる。現在は車両用信号機が青となると同時に歩行者用信号機も青になるが、歩行者用信号機を先に青にして、歩行者が渡ることができる一定の時間後に車両用信号機を青にすれば、車両用信号機を長く赤にしておくことができるし、巻き込み事故を減らすこともできる。

 このようにスクールゾーンの信号機が多いことも、車両用信号機の赤信号の時間が一般よりも長いことも、車両用信号機の赤信号が青になるよりも先に横断歩道の歩行者用信号機を青にすることも、ドライバーの多くは学童の命と将来を守るためだと否応もなしに学習し、自らの認識としていくはずである。

 この学習と認識が飲酒運転や居眠り運転の戒めとすることもできる。勿論、信号機の増設はそれなりの予算を必要とするが、道路拡張よりも少ない予算で子どもの命と将来を守る、命を失う前に失わないための創造的な対策の部類に入れることができる危機管理とすることができる。

 マスコミ報道に誘導されて、菅義偉が2021年6月30日に開いた八街市の自動車事故を踏まえた交通安全対策の重要な課題を話し合う「交通安全対策に関する関係閣僚会議」(首相官邸/2021年6月30日)を覗いてみた。菅義偉の発言だけが載せてある。

 菅義偉「この度、下校中の小学生の列にトラックが衝突し、5名が死傷するという大変痛ましい事故が発生いたしました。亡くなられたお子様の御冥福をお祈り申し上げますとともに、負傷されたお子様、そして御家族の皆様方に、心よりお見舞い申し上げます。

 今回のような大変痛ましい事故が、いまだ後を絶ちません。必要な捜査と原因究明を直ちに行い、関係する事業者に対して、安全管理を徹底してまいります。

 トラックの運転手において、飲酒の疑いもあると聞いております。飲酒運転は言うまでもなく、重大事故に直結する極めて悪質で危険な行為であり、根絶に向けた徹底を行います。

 これまでに取りまとめた、子供や高齢運転者の交通安全のための緊急対策は、今回の事故の発生を受け、速やかに検証を行うことにしました。今後このような悲しく痛ましい事故が二度と起きないように、通学路の総点検を改めて行い、緊急対策を拡充・強化し、速やかに実行に移してまいります。

 関係大臣においては、子供の安全を守るための万全の対策を講じることとし、必要な対策を速やかに洗い出していただくようお願いいたします」(以上)

 菅義偉は重大事故の「根絶に向けた徹底を行います」との文言で、「根絶」を目標とすることと、「これまでに取りまとめた、子供や高齢運転者の交通安全のための緊急対策は、今回の事故の発生を受け、速やかに検証を行うことにしました」ということで、「子供や高齢運転者の交通安全のための緊急対策」の「検証」を約束した。 

 前者の約束「根絶」の目標は政府が「国民の命と健康を守る」役目を負っている以上、当然である。「未就学児等及び高齢運転者の交通安全緊急対策について」(内閣府)の「第2節 子供の交通事故の状況」には、〈近年の12歳以下の交通事故死者数の推移を見ると,全体として減少傾向にある中で,5歳以下については2008年の44人から2019年は24人に,6~12歳については52人から21人に減少した。〉とあるが、減少を以って良しとすることは子ども一人ひとりが持つ命の尊厳を蔑ろにすることになる。減少したとしても、12歳以下の45人もの子どもの命とその成長が自動車事故で無残にも奪われている。子どもの先々の成長を楽しみにしていた親の希望や夢までを奪う。

 自民党はネットで探したところ、2012年6月5日2019年5月28日に政府に対して「道路交通の安全対策に関する緊急提言」を行っている。単数、あるいは複数の重大な自動車事故が発生するたびに「緊急提言」行っているのかも知れないが、ネット上に2回分しか見つけることができなかった。但し言えることは2012年6月5日の「緊急提言」を約7年後の2019年5月28日に再び提出しなければならなかったということは2012年6月5日の「緊急提言」が実のある形を結ばなかったことを物語ることになる。

 2012年6月5の「緊急提言」は危険箇所の交通指導取り締まり、信号機やガードレールの設置、歩道の拡幅、通学路の見直し、PTAによる安全パトロールの効果的な改善措置、学校及び幼稚園・保育所等周辺の最高時速30kmの「ゾーン30」の原則的設定、交通指導・取り締まりの徹底よる「人優先空間」の形成、自動車のスピードリミッター(自動速度抑制装置)の早期実用化等々を提言し、2019年5月28日の「緊急提言」では全国的な通学路の安全点検に加えた園児等が日常的に利用する道路、 園外活動のための移動経路の安全点検、危険箇所の信号機、道路標識・標示やガードレールの設置、通学路の見直し、保護者や民間ボランティアによる子供の見守り活動の実施、警察官等による現場での交通安全指導、「ゾーン30」(最高時速30km)整備の加速化、幼稚園・保育園の散歩等の園外保育に備え、ドライバー等に周知させるためのキッズゾーン(仮称)設定の検討等を提言している。

 この両提言に見る肝心な対策については今回の自動車事故を受けた千葉県八街市の学童通学路には殆ど形を取っていない。2012年6月5日だけではなく、2019年5月28日も提言を繰り返し、これらの提言が八街市の学童通学路で具体化できていないということは、千葉県八街市だけを抜け落としていたというわけではないはずだから、政府が提言を受けて通学路の総点検を各自治体に指示し、その報告を受けたものの、改善点を必要とする自治体に対して子どもの命と成長を守る危機管理の構築に必要な、国からの予算づけを行なわなかったのか、最優先の解決事項として自治体の予算そのものの見直しを指導して、改善の実施を求めなかったのか、実施したこと・できなかったことの結果報告を自治体から受けて、その報告を検証しなかったのか、いずれかの手続きを厳格に実行していなかったことになる。

 政府が全ての手続きを厳正に実行していたなら、千葉県八街市の子どもの命と成長を守る危機管理の実現よりも自らの予算だけを頭に置いた道路行政を阻むことができたはずだ。つまり政府は全自治体に対して全ての手続きを厳正に実行していなかった。そして既に断っているように千葉県八街市だけを緊急提言が求めている各施策の実施対象から省いていたわけではないはずだから、提言のうち、改善すべき点の取り組みは各自治体の予算任任せになっていたことになり、千葉県八街市のように子どもの命と成長を守る危機管理の構築に振り向ける予算を欠いていた自治体は提言を受けた取組みを実施せずにスルーしてしまっている例も存在することになる。

 と言うことは、政府は自民党の提言を受けて、通学路の総点検を各自治体に指示し、その報告を受けて改善点の取組みを要請したものの、その取組みの成果に関しては全ての自治体に亘って厳密に検証していなかったことになる。

 となると、菅義偉が「交通安全対策に関する関係閣僚会議」で、八街市の事故を「5名が死傷するという大変痛ましい事故が発生いたしました」と言ってはいるが、各自治体の児童安全対策に関わる取組みの成果を厳密に検証していなかったことが八街市の子どもの命と成長よりも予算を優先させた道路行政を見過ごすことになり、このことが事故の遠因となったと指摘できないことはない。政府の怠慢そのものであろう。
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麻生太郎と山口那津男は都議選応援で市民の立場に立った政治の声なき声を吸い上げる役目を忘れ、縁故主義を暗に強要

2021-06-28 08:33:43 | 政治
 2021年6月25日付 「日刊スポーツ」 麻生太郎大先生、今回の都議選告示日に青梅市選挙区の自民党新人候補の応援演説に駆けつけて、名言を吐いたようだ。件の自民党新人候補にしたら、大名誉なことだったに違いない。何しろ麻生太郎は自民党きっての知性派であり、理論派なのだから。この自民党候補が男性だからいいものの、もし若い女性だったなら、知性豊かで、言葉の駆使に長けた、その自由闊達な理論が心地よい幻惑を与え、心地よさのあまり、麻生太郎80歳が相手であったとしても、不倫をも厭わない性的な陶酔感の迷い道に誘い込んでいたかもしれない。
 
 青梅市選挙区は自民党49歳男性候補に対して都知事小池百合子特別顧問の都民ファーストの会47歳男性候補の一騎打ちとなっている。当然、自民党候補による麻生太郎相手の不倫の間違いは起きないことになる。

 麻生太郎「(小池氏が特別顧問を務める都民ファーストの会の)代表の国会議員がいないから(国に)話が通じない。従って知事が自分でやる。過労で倒れた。同情してる人もいるかもしれんけど、(小池氏が)そういう組織にしたんだから。自分でまいた種でしょうが。自民党とつながってる人がいなきゃ話がつながらない。一番上が国会であるならば」

 要するに都民ファーストの会所属の立候補者を都議会選挙で何人当選させたとしても、会所属の国会議員が一人もいなければ、都民ファーストの会支持都民が望む国政に関わる各種政策は国会にまで反映されず、その実現は望みがない。実現を望むなら、自民党に第一党を取らせて、自民党国会議員とのつながりを持たせることだと言っていることになり、国政に関わる政策の実現は国会議員とのつながりが条件となるという縁故主義を持ち出していることになる。

 【縁故主義】「社会学の分野においては、同族・同郷者に限らず同じ共同体に属する人間の意見ばかりを尊重し、排他的な思想に偏る内集団偏向のことを指す」(Wikipedia)

 自民党所属の国会議員・都道府県会議員・都道府県市区町村議員は自民党総裁を頂点に一種の共同体をなしている。勿論、他党も同じである。

 この都議会議員が国に要求しなければならないような政策の実現は都議会議員と同じ党派を組む国会議員とのつながりがモノを言うという主張は都議会議員が掲げることになる政策の元となる都民の要望はその都民と支持という形でつながる都議会議員が存在することによって政策としてよりスムーズに取り上げられることになるという順繰りの効用として説いていることになる。だから、麻生太郎は都議会止まりではない、国会ともつながる人脈が必要だと人脈を利用する縁故主義を求めることになった、

 (2018年にブログに載せた画像。)

 つまり都民ファーストの会を支持する都民の要望が政策として取り上げられるのは都議会止まりで、その先の国政に関することは国会では取り上げられることは難しいと断言したことになる。「自民党とつながってる人がいなきゃ話がつながらない」としていること自体が、「自民党とつながってる人がいれば話がつながる」という縁故主義の主張そのものとなる。ここでは要望の妥当性や一考の余地は排除される。
 
 確かに縁故主義は以前から存在している。自民党が経済優先の政策を取り、経済優先が企業優先の形を見せるのも一種の縁故主義であり、ときには特定企業の利益を代表するような態度を取るのも縁故主義の範疇に入る。日本の代表的な大企業1500社近くと団体を会員としている経団連が自民党の最大のスポンサーとしてバックについていて、会員企業・団体に自民党への政治献金を呼び掛け、最近では毎年20億円以上の政治献金で自民党および自民党国会議員を潤わせていることから生じているその見返りとしての企業優先の縁故主義でもある。自民党は立党当時から企業・団体を代表してきた。

 例え何らかの縁故で繋がっていなくても、声なき声を吸い上げて政策として実現させていくことが政治の役目の一つとしなければならないはずだが、麻生太郎は自身が元企業経営者であり、自民党自体の企業寄りの縁故主義に災いされて、声なき声を吸い上げる政治の役目を頭の中に入れておくことができなかったのだろう。

 麻生太郎はまた、都知事小池百合子が過労で入院した原因を都民ファーストの会関係の議員を国会に送り込んでいなかったことから、国との交渉に関してなのだろう、いわば縁故主義が効かず、何でも自分一人で国に掛け合わなければならないことになった、自分で「そういう組織にした」でのあって、「自分でまいた種」だと批判しているが、意味させていることは自分で種を蒔いた結果の自業自得説となる。だが、あくまでも縁故主義に立った自業自得説であって、麻生太郎自身も、さらに自民党も時と場合に応じて縁故主義から自由となる柔軟性を抱えていたなら、決して出てこない自業自得説であろう。

 こういったことから、麻生太郎は自らが体質としている、自民党自体も体質としている縁故主義を振りかざして、国に話を通す政策に関しては国会議員を抱えていない都民ファーストの会の都議会議員候補者にいくら投票しても役には立たないと応援演説を行い、縁故主義が有効となる国会議員をたくさん抱えている自民党にこそ投票すべきであることを裏返しの意味に置いた。

 公明党代表の山口那津男も同じく都議選の応援演説で縁故主義を暗に強要し、結果的に政治の声なき声を吸い上げる役目を排除している。「山口代表の街頭演説(要旨)」(公明党/2021年6月21日)

 記事冒頭、〈公明党の山口那津男代表は、7月4日(日)投票の東京都議選で23氏全員の当選をめざし、感染防止対策を講じて都内各地で開かれた街頭演説会で、党の実績や政策などを力強く訴えています。ここでは、その要旨を紹介します。〉と書いてあって、どの選挙区のどの公明党立候補者を応援した際の演説なのかは不明である。要の発言のみを取り上げる。

 山口那津男「一方で他党はどうかと言えば、都議会第1党の都民ファーストの会は、区市町村にほとんど議員がいません。国会議員もいないため、現場の声を吸い上げて実現することは困難です」

 奇しくも麻生太郎と同じ趣旨の応援演説となっている。当然、麻生演説と同じ意味を取る。現場の声を吸い上げるのは同じ党の区市町村議員や国会議員が存在して、その縁故が必要条件となると縁故を暗に強要、山口那津男本人は決して気づかないだろうが、麻生太郎同様に政治の声なき声を吸い上げる役目をすっかりとよそに置いてしまっていた。

 言うべきことは、勿論自公で第1党を目指すことは重要だが、「都民ファーストの会は国会議員を持っていませんが、会支持の都民の国政に対する要望は多くの都民に有益性が認められると判断できる場合は自公与党が国政に反映できるように努力します」であって、縁故主義など振り回すことではなかったろう。

 でなければ、政策そのものを問題にすべきだった。都民ファーストが掲げる政策に反論するか、批判を試みるか、あるいは自党の政策のメリットを訴えることだけにとどめておく選挙応援演説であるべきを政策とは無関係に党を同じくする区市町村議員、都議会議員、国会議員というつながりが「現場の声を吸い上げて実現する」条件だとする縁故主義を持ち出したということは麻生太郎と同様に都民に暗に縁故主義を強要したことになる。この強要は縁故主義こそ、政治の要だと訴えていることに変わりはない。

 一政党の代表がこの程度の認識しかないとは情けない。

 縁故主義は行き過ぎると、利益誘導に姿を変えることになる。森友学園の新しい小学校設立に安倍晋三とその夫人安倍昭恵が熱心に後援していると見て、財務省が国有地を小学校の建設用地として秘密裏に格安に払い下げた疑惑も、安倍晋三夫妻と森友学園理事長との深いつながりを忖度した縁故主義から発した財務省による一学校法人に対する利益誘導であろう。

 安倍晋三が長年の友人とする加計孝太郎理事長の加計学園新設医学部設立認可に政治的便宜を図り、異例の速さで認可に持っていったとされる疑惑についても、安倍晋三の長年の友である加計孝太郎に対する縁故主義がそうさせた利益誘導そのものの疑惑であるはずだ。

 こういった大掛かりな縁故主義からの利益誘導ではなくても、国会議員が地元選挙区の特別な支援者という縁故主義から何らかの便宜供与を図る利益誘導も数多く存在して、なかなか縁故主義から抜け出すことはできない。だとしても、国会議員は国の政治一般を扱う立場にあり、日本国憲法がすべて国民は法の下に平等であると規定している以上、縁故主義を基本姿勢とするのではなく、声なき声を吸い上げて政策として実現させていく政治の実践を基本のところに置くべきであって、麻生太郎や山口那津男みたいに国会議員と同じ党派のつながりで都議会立候補者に対する投票を都民に求める縁故主義を暗に強要することなど、政治家の資質としては以ってのほかということになる。
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菅義偉の発言どおりに五輪開催を可能とする程にワクチン接種の効果が出るのかは疑わしい 危機管理の常道からいけば、五輪は無観客

2021-06-21 10:52:35 | 政治
 菅義偉が2021年6月17日に緊急事態宣言からまん延防止等重点措置への移行、その他についての「記者会見」を行い、「感染防止とワクチン接種の2正面作戦」でオリンピック開催に踏み切る発言をしている。尤もオリンピック開催について直接的に「2正面作戦」の言葉を使ったわけではなく、「私は、この国会の冒頭、国民の皆さんの安心を取り戻し、希望を実現すると申し上げました。感染防止とワクチン接種の2正面作戦に全力を挙げ、一日も早い安心の日常を取り戻します」と社会の安定化について言及した「2正面作戦」なのだが、趣旨としてはオリンピック開催に向けた感染防止対策の切り札としてワクチン接種に期待をかけているのだから、オリンピック開催も感染防止対策とワクチン接種の「2正面作戦」と見ることができる。

 この記者会見でも、「今回のワクチンについては発症予防や重症化予防の効果が期待されており、正に感染対策の切り札だと言っても言い過ぎではないと思います」と発言しているし、2021年6月9日の党首討論でも、「ワクチン接種こそが切り札だ」と発言。他の記者会見で「切り札」と言う言葉を使っているいじょう、オリンピック開催に関してもワクチン接種に頼ろうとする部分は大きいはずだ。

 当然、2021年7月23日から8月8日の東京オリンピック、2021年8月24日から9月5日の東京パラリンピックまでにワクチン接種が相当に進んでいて、ワクチンが感染防止対策の主役に踊り出なければならないことになる。その理由は緊急事態宣言もまん延防止等重点措置もオリンピック前には解除するだろうからであり、解除と同時に一般的な人流も、開催を受けた人流も、増加が共に進んで感染拡大に進むことになるだろうし、その感染拡大を緊急事態宣言にもまん延防止等重点措置にも頼らずに決定的に抑える役割を担わせようとしているのはワクチン以外にはないからだ。

 但しワクチン接種が進まない状況で感染拡大が進んだからと言って五輪期間中に緊急事態宣言かまん延防止等重点措置を発出して人流抑制をお願いした場合、一方で人流の増加を促すオリンピックを開催したままだとしたら、そのご都合主義は菅政権の打撃になる。是が非でも感染防止対策は緊急事態宣言の発出やまん延防止等重点措置の発出に頼るのではなく、ワクチンに頼らざるを得なくなる。

 記者会見で言及している緊急事態宣言とまん延防止等重点措置の各決定については左に画像を載せておく。

 では、ワクチン接種をどれ程に切り札としているのか、そのことに言及している発言を拾ってみる。

 菅義偉「ワクチンの接種は、この1週間で合計730万回、1日平均100万回を超えるペースで増加しています。累計の接種回数は2700万回を超え、1度でも接種した人の数は2000万人を超えました。自治体や医療関係者などの御協力に、心から感謝いたします」

 ワクチン接種を切り札にしているからこそ、接種回数を刻々と告げなければならない。

 河野太郎は1日のワクチン接種回数について2021年6月11日の「記者会見」(内閣府)で次のように発言している。

 河野太郎「1日の増分や1日の接種回数は、色々ご議論がありますので、申し上げておきますと、昨日(10日)に公表した回数の一昨日(9日)からの増分は約101万回でございます。9日の8日からの増分は約102万回というふうになっております。さかのぼると8日火曜日の増分は109万回、7日月曜日の増分は土日を含んでおりますが、165万回ということになっております。

 VRS(ワクチン接種記録システム――各自治体が個人の接種履歴を入力、国が管理)の1日の入力の一番多かった日を見ると、6月2日と6月8日が、医療従事者の分を足して見ますとだいたい73万回です。7月2日を見ると、最初の入力値から1.5倍ぐらい増えています。6月8日は1.2倍になっていまして57万回ですから、あと0.3ぐらい増えると恐らく60万回は超えてくると思います。これに加えて、医療従事者への接種回数の十数万回が乗ってきますので、1日の接種回数は今のところ80万回程度は達成していると思います。これ以外にVRSにまだ入力ができていない横須賀市や所沢市等の大きな自治体が恐らく1日に数千回ほど接種していると思います。実力で80万回程度は達成していると思いますので、100万回を目指してしっかり頑張っていきたいと思っております。職域接種にも期待しております」

 VRSは接種した日付、接種対象者の性別、年齢等の個人の接種履歴を入力、これらに基づいて接種回数が算出されるはずだから、入力遅れが日を跨いでいたとしても、接種した日付に戻して接種合計数を計算しなければならないはずだが。河野太郎は増分が100万回を超えた何だと意味もないことを言っている。大体が何日の増分は何回だと計算できること自体が接種した日付が入力されているからで、それを無視して入力した日付の接種回数に上乗せること自体、おかしな計算方法となる。

 菅義偉が「1日100万回だ」何だと言っているから、無理に合わせようとしているとしか見えない。要するに「実力で80万回程度は達成していると思いますので、100万回を目指してしっかり頑張っていきたいと思っております」と発言しているところが正直な回数なのだろう。

 1日の摂取回数を正確に把握できていないことは国の情報管理という点で問題はあるが、2021年6月17日時点で「累計の接種回数は2700万回を超え、1度でも接種した人の数は2000万人を超えました」としている発言から累計の接種回数2700万回から計算しても、日本の2016年10月1日現在の推計全人口1億2693万3千人で、人口の21%しか摂取できていないことになる。

 6月12日以降のいつかの時点で1日100万回を超え、さらに110万回に達するかもしれないが、均すことにして6月12日以降1日100万回で計算すると、7月末まで50日×100万回=5000万回。この5000万回に先の2700万回をプラスすると、7700万回。全人口の約60%が7月末までに少なくとも合計の接種を終えている計算になる。

 但しこの60%が確実な数字になるかどうか、この記者会見での記者との質疑から見てみる。

 山本文化放送記者「総理にワクチンに関連してお話をお伺いしたいと思います。先ほど、総理が1週間で730万回を超えて1日平均で総理が目標に掲げた100万回を達成したと明らかにされました。また、職域接種もスタートし、今後は若い人も含めて接種を加速するお考えのようですが、そうなりますと、国民の5割接種も視野に入ってきたのではないかと考えられます。いつ頃5割接種実現する見通しなのか、その点についてお聞かせいただきたいのと、また、インド株への懸念があるものの、5割接種が実現できれば、様々制限を受けている社会経済活動に具体的にどのような希望の光が見えてくるのか、総理の見解をお聞かせください」

 この5割接種は2021年5月28日の「菅記者会見」(首相官邸)で毎日放送の三澤記者が集団免疫という言葉は使わずに感染率低下の線引を「日本国民の半分、50パーセントの接種」に置いて、50パーセント接種達成の明確な期限の提示を求めたのに対して菅義偉は期限については答えずに「イギリスでは1回目を5割打ったら大体ものすごい効果が出たということで、今、マスクなしにしていますけれども」云々と、1回目の接種で国民の5割接種後に感染抑止の大きな効果が出ていること、マスク無しの生活ができていることを伝えていて、1回目のみの5割接種でも感染防止効果が大きいことを示唆している。こういったことをいつか発言していて、このことに基づいた1回目接種5割に置いた一応の集団免疫説なのかもしれない。

 一般的には多くのワクチン接種によってそれぞれが免疫を持ち、感染が広がりにくくなる集団免疫を獲得するのは国民の70%接種が必要とされているが、記者、菅義偉、両者共に国民の1回目接種50パーセントを一応の集団免疫の基準としていることになる。

 となると、先の計算での7月末合計接種回数国民の約60%で少なくとも1回目接種5割接種の達成に近づいている可能性は出てくる。

 菅義偉「先ず、ワクチン接種については、関係者の皆さんの多大な御協力いただく中で、極めて速いペースで進捗しているというふうに理解しております。先ほど申し上げましたように、直近1週間では730万回、1日平均100万回を超えるペースで増え続けています。昨日までに2700万回を超えております。

 希望する国民の半分の方が接種される時期については、現時点で明確な数字を持っているわけではありませんので、ただ、今のペースで増え続けた場合、今月中に4000万回を超える見込みであり、7月末までに希望する高齢者の皆さんには2回接種できる、こうした報告も受けています。

 さらに、これ21日から大学や職域、産業医の先生方を中心に、そうしたところで接種も始まります。一番新しい数字では既に3,123か所、1,280万人分、そうした申請もあるというふうに報告を受けました。

 いずれにしろ発症や重症化予防の高い効果というのは、このワクチンには世界の例からしても見込まれますので、いずれにしろ重症化リスクの高い高齢者の皆さんへの接種が進むことで、医療の負荷というのは大幅に減るだろうと、こういうふうに予測しております。

 さらに、ワクチン接種が進むことで状況が一変して皆さんが街に出てにこやかな顔で食事している、そうした海外の映像を見る度に、一日も早く、ああした日を日本も取り戻すことができればなという、そういう思いの中で、私自身、全力で取り組んでおります」

 菅義偉はこの記者会見でも、5割接種の明確な時期について答弁を避けている。2021年6月16日の時点で2700万回。残る14日間の6月中に「4000万回を超える見込み」と言うことなら、1日接種回数100万回の計算となって、合計4100万回となる。当然、オリンピック初日の2021年7月23日までの23日間に1日100万回と計算したとしても、2300万回。合計6400万回。人口の50%に届くことになるが、2度接種者が入っているから、1回接種者は50%を割るかもしれないが、5割接種を一応の集団免疫の基準とするなら、相当な接種人数となる。

 但し1日100万回の接種で「今月中に4000万回を超える見込み」と割り出すことができるなら、ファイザーのワクチンは1回目から3週間後が2回目の接種、モデルナ社のワクチンは1回目の接種から4週間後が2回目の接種となっているから、VRSの個人の接種履歴に基づいてそれぞれのワクチンの2回目接種までの間隔日数を入力していけば、5割接種が見通せるはずだが、見通せないこと、あるいは見通さないことはやはり情報管理という点で問題が生じる。

 菅義偉はワクチン接種を感染対策の切り札とし、5割接種を一応の集団免疫に置いていながら、集団免疫への確約となると歯切れが悪くなる。

 テレビ東京篠原記者「総理と尾身先生にお伺いいたします。総理は、先日の党首討論で、11月までには希望する人全てのワクチン接種を完了させるとのメドを示されましたが、この時点で集団免疫は獲得できるという認識でしょうか」

 党首討論で菅義偉は立憲民主党代表枝野幸男に対して「今年の10月から11月にかけては必要な国民、希望する方全てを終える、そうしたことも実現したいというふうに思います」と答弁している・

 菅義偉は「今回のワクチンについては発症予防や重症化予防の効果が期待されており、正に感染対策の切り札だと言っても言い過ぎではないと思います。一方で、ワクチンの感染予防効果については現時点で明らかになっていないものの、前向きな評価や調査研究があるというふうに承知しています」と前置きして、相変わらず、直近1週間、7日間で730万回となった、1日の摂取回数が100万回を超えたとか、摂取回数を言うだけで、集団免疫については「まず尾身先生に聞いて、専門家の先生はあまり申し上げていないのですけれども、そうした(集団免疫の)体制にはどんどんどんどんと近づいていくと、こういうふうに思っています」と自らは明確に答えずに尾身茂に説明を任せている。

 政府分科会会長の尾身茂は2021年5月28日の菅記者会見では「集団免疫というような状況、そのような状況ですよね。感染がどんどん下がるというような状況がなるべく早くするために、オールジャパンで(ワクチン接種に)努力すべき、今、時期だと思います」と集団免疫に肯定的な意見を持たせていたが、ここでは10月、11月にワクチンの接種率が上がったとしても、若者の接種率が高齢者の接種率程上がらない可能性から小さなクラスターが起きるかも知れないが、現在以上に感染の防御がしやすくなるといった説明をしている。

 このように姿勢が変わった理由は続けた発言から窺うことができる。

 尾身茂「(接種が進めば)安心感はある。(感染が置きたとしても)コントロールしやすいけれども、既に全員が、実は皆さん御承知のようにイギリスはワクチンの接種率が非常に高いですよね。しかし、そこで急にロックダウンなんかを解除すると、あっという間に新規の感染者が増えていますから、あれだけの接種率をやっても、人々の行動次第では、たまたまイギリスはまだ重症者とか死亡者は抑えられていますけれども、ともかく新規の感染者は、あれだけ行っていてもですよね。社会の行動、人々の意識あるいは政府の対応の仕方、自治体の対応の仕方ではすぐに行ってしまう(感染がすぐに拡大してしまう)ので、私は、そこは、(ワクチン接種が進めば)安心はするのだけれども、急に解除みたいなことはしないでやった方がいいと思います」

 ワクチン接種率の高さが必ずしも感染防止に繋がらないことを理由に行動規制の緩和時期決定の重要さについて警告を発している。

 先ずはイギリスの接種率を見てみる。2021年5月24日付「BBCニュース」がイギリスでは2021年5月22日に1回目の接種が3794万3681人、2回目の接種が2264万3417人となったと英健康安全庁(UKHSA)2021年5月23日発表を伝えている。イギリスの2020年の人口は約6790万人。国民の半数を超えて、1回目の接種率56%ということになる。

 記事は、〈イギリスでは22日、1回目あるいは2回目のワクチン接種を受けた人の数が76万2361人と、1日あたりの接種数としてはこれまでで2番目に多かった。〉と伝えているから、2021年5月23日の英健康安全庁の発表から、この記者会見までの25日経過を計算に入れると、1日平均接種50万回と見積もったとしても、1250万回。国民の70%近くの国民が少なくとも1回目と2回目を合わせた接種を終えていることになる。成人の43%が2回の接種を完了したとの報道もイギリスでの接種の進み具合を示している。

 但し記事はワクチン接種がインドで確認された変異株に効果を持たせるためには2回の接種完了が必要だとする英健康安全庁トップの警告を伝えている。

 この警告が実際の形を取ることになった。6月17日菅記者会見から2日前の2021年6月15日付の「NHK NEWS WEB」

 〈インドで確認された変異ウイルスによる感染が国内で急速に拡大しているとして、新型コロナウイルス対策の規制をほぼ撤廃する計画をおよそ1か月延期すると発表しました。〉というものである。

 イギリスのイングランドでは新型コロナウイルス対策として続けてきた規制を今年3月から段階的に緩和、6月21日にはナイトクラブの営業などほぼすべての規制が撤廃される見通しだったが、5月以降、インドで確認された変異ウイルスのデルタ株が急速に拡大、新たな感染の90%以上を占めることになって、ここ1週間程は1日の感染者が7000人を超える日が続いたため、ジョンソン首相は6月14日、規制の撤廃を7月19日に延期すると発表した。

 ジョンソン首相「規制を撤廃すれば、ウイルスがワクチン接種のスピードを上回り、数千人が犠牲になる事態が現実に起こりうる。ウイルスは根絶できず共生しなくてはならない」

 但し記事はイギリスの保健当局がデルタ株に対してはワクチンの2回接種は有効だという見解を示していて、7月19日までに18歳以上の国民のおよそ3分の2に2回の接種を完了させるため、接種の間隔を短縮するなど対応を急ぐ方針だと伝えている。

 と言うことは、菅義偉が2021年5月28日の記者会見で発言した「イギリスでは1回目を5割打ったら大体ものすごい効果が出たということで、今、マスクなしにしていますけれども」云々の発言、1回目接種5割に置いた一応の集団免疫説は全くの無効となる。このことと2021年6月15日付「NHK NEWS WEB」記事を読むか、教えられるかして、菅義偉は「今回のワクチンについては発症予防や重症化予防の効果が期待されており、正に感染対策の切り札だと言っても言い過ぎではないと思います」としながらも、「一方で、ワクチンの感染予防効果については現時点で明らかになっていないものの、前向きな評価や調査研究があるというふうに承知しています」と感染予防効果は否定しないものの、その効果は明確に証明れていないことを以って集団免疫について曖昧な態度を取ることになったのだろう。

 尾身茂のイギリスを例に取ったワクチン接種率の高さが必ずしも感染防止に繋がらないことと、そのこととの関連で訴えた行動規制の緩和時期決定の重要性は尾身茂を含めた総勢26名の専門家で纏め、政府と大会組織委員会に提出した「2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会開催に伴う新型コロナウイルス感染拡大リスクに関する提言」(NHK NEWS WEB/2021年6月18日 20時20分)の中でも述べられている。

 〈2 世界の感染状況

・世界の新型コロナの感染状況をみると、今もなお、1日あたり約40万人の感染者と約1万人の死亡者が報告されています。北半球では、特にアジアのこれまで感染者の少なかった国でも感染者が急増する国が見られています。南半球のアフリカ・南アメリカの多くの国々では、感染者の増加傾向が見られています。

・北半球のうち、欧州や北米などの先進国では、感染者数が減少しています。ワクチン接種の促進が感染者数の減少に貢献したことは事実ですが、そのほかにも各国で取られてきたロックダウン等の対策や気候など、様々な要因が影響したと考えられるため、ワクチン接種がすべてではないことに留意すべきです。実際にワクチン接種が相当程度進んでいる英国でも、感染者の増加は確認されているため、今後の動向には注意が必要です。〉――

 「ワクチン接種の促進が感染者数の減少に貢献したことは事実だが、・・・・・ワクチン接種がすべてではないことに留意すべきである」と、ワクチンに頼り切ることの危険性を訴えている。

 となると、いくらワクチン接種が進んだとしても、オリンピック開催時も、開催後も、10月になるのか、11月になるのか、2回目接種が終わるまで、菅義偉が記者会見冒頭発言の最初の方で述べていた「感染防止とワクチン接種の2正面作戦」は続けるべきであり、菅義偉がワクチン接種がさも進んでいる例として報告を受けていると何度も挙げている「7月末には希望する高齢者への2回の接種が完了する見込み」も、他の大多数の2回接種が進まない限り、高齢者の重症化は少ないかも知れないが、2回接種完了していな他者への感染、重症化という懸念は完全には払拭しきれないことになる。

 こういったことからだろう、専門家の提言はオリンピックは「無観客とすることは、感染拡大のリスクを最も軽減できます」としているが、65歳以上高齢者のみならず、12歳以上国民の大多数がワクチンの2回接種が終わる見込みがない中でのオリンピック・パラリンピックは専門家の提言どおりに無観客とすべきだろう。

7月末には2回接種が完了予定の高齢者が五輪の観客として少数しか見込めないだろうことも無観客とする理由となる。2019年6月3日付「PRTIMES」が取った〈全国の15 歳以上の方に聞いた「東京オリンピック事前抽選申し込みに関する調査」〉

 有効回答数:850 名(一都六県で計500 名:その他の地域で計350 名)
 アンケート全回答者数:8407 名

 Q1. あなたは、2020 年に開催される東京オリンピックの式典や競技などを、実際に会場で見てみたい
と思いますか。(単数回答)【n=8407】

 (nは質問に対する回答者数で,100%が何人の回答に相当するかを示す比率算出の基数)

(希望年代別観客層)

「どちらでもない」は無関心派、「見たいと思わない」と「全く見たいと思わない」は拒絶派と見て、除くことにする。60代以上は「とても見たいと思う」が9.6%で、「見たいと思う」が24%の合計33.6%と最も少ない。観客という立場に立った場合、65歳高齢者の2回接種は他への影響は逆に最も少なくなって、無観客とすべき一つの理由となる。

 危機管理の常道から言っても、1回の摂取ではワクチン接種の効果が出るのかは疑わしい以上、無観客にすべきだろう。
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菅義偉のコロナ禍から国民の命と健康を守ることができていると判断不可の状況下での五輪開催は人命軽視行為&枝野幸男の党首討論に見る学習不足

2021-06-14 09:53:39 | 政治
 2021年6月9日に菅内閣初となる党首討論が行われた。コロナ禍のオリンピック開催の是非が当然のこととして主要議題の一つとなったが、その議題については2021年6月7日の参議院決算委員会でのオリンピック開催に関わる菅義偉の考え方が直近の情報として受け継がれると思うから、そこでの立憲民主党の福山哲郎と菅義偉の質疑の一部を最初に取り上げることにする。

 福山哲郎「復興五輪というスローガンもコロナに打ち勝ったというスローガンも全く国民の共鳴を得なくなりました。残念ながら政権を維持し、選挙に臨む切り札のように言われていることに私は極めて遺憾に思っています。選手や関係者のことを考えると、私もできる限り開催したいと思います。

 しかし何が何でも強行に開催すればいいというものではないと思います。コロナ禍で行われるオリ・パラは失敗は許されません。人命が関わっています。先程水岡委員(福山哲郎の前の質問者で、同じ立憲民主党議員)も言われましたが、IOCの委員が緊急事態宣言の中でも絶対にできるとか、総理が中止を求めても、開催されるという発言は主権国家として看過できないと私は考えます。

 総理は先程発言をされませんでしたが、総理は我が国の総理大臣です。こういった発言をIOCの委員にされることについて総理は何も言わないことは逆に東京で開くオリンピックの国民の思いが折れてしまいます。総理、一言言って頂きませんか。それは違うと。だから、総理として私も判断の一員だと。そう言って頂きませんか」

 菅義偉「私もあとすぐに申し上げましたけど、国民の命と健康を守るのが私の責任だと。守れなければ、やらないと。これは当然のことじゃないでしょうか」

 菅義偉は日本国首相としてオリ・パラの開催・中止・延期の決定権を握っている、あるいは与えられていることを国民に明らかにしたことになる。このことは2020年3月24日、当時の首相安倍晋三がIOC会長のバッハと電話会談、コロナの感染を理由に1年程度延期を申し出て、了承されたことが既に証明している。

 当然、菅義偉が国民の命と健康を守ることができていないと判断する基準をどこに置いているのかが問題となる。

 福山哲郎「海外からは新たな変異株が持ち込まれる可能性もあります。人流も増加します。医療体制が逼迫する可能性もあります。さらに感染者が増加すれば、医療体制が崩壊することも想定されます。政府が繰り返し述べている、総理が言っておられる『安心・安全の大会』を開催するためには開催を可能とする医療体制、感染者の数、そういった指標や判断基準を示す必要があるんじゃないんですか。

 総理、判断基準を示して頂かなきゃいけないんじゃないんでしょうか。(緊急事態宣言の)解除を目的としているだけじゃダメです。さっきの丸川大臣の答弁も全く答弁になっていません。私は(開催の判断基準を示すことが)必要じゃないかと言っているんです。だから、今、答弁をくれとはいいません。そういった物が必要じゃないかと申し上げているから、総理、お答えください」

 丸川珠代「先程申し上げましたシミュレーションを先ず見て、それが一体どのような日常の医療に負荷をかけるのかということをしっかり見て参りたいと思います。今暫くこの数字を詰める。お時間を頂戴したいと思います」

 福山哲郎「一体いつまで出されて、誰がシミュレーションしているんですか。専門家がどの程度が関わっているんですか。尾身会長はこの問題について正式に依頼を受けていないと仰ってます。誰がこのシミュレーションを――」

 丸川珠代「大会よりもかなり前に出させて頂きますが、相手があることですから、今はっきりと期限を申し上げられるような状況にはないんですが、東京都とも前提条件についてきちんと議論をしながら進めているところでございます」

 「相手があることですから」と言っていることはシミュレーションの主体を指しているはずである。「大会よりもかなり前に出させて頂きます」と言っている以上、近々に公表することを「相手があることですから」と回避する正当性は見い出し難い。少なくとも福山哲郎の「誰がシミュレーションしているんですか」の質問に答える責任は有しているはずだが、答えずじまいにした。

 この2021年6月7日の質疑から4日後、6月9日の党首討論から2日後の2021年6月11日付の「NHK NEWS WEB」記事によると、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会が6月11日に東京大会の新型コロナ対策を検討する専門家らによる3回目の会合を開き、観客を入れた場合の人の流れのシミュレーションや対策案などが話し合われたと伝えている。正式名をネットで調べたところ、「東京2020大会における新型コロナウイルス感染症対策のための専門家ラウンドテーブル」となっている。2021年5月28日に第2回会合が開催されているが、議事録を公開していないから、第3回会合も公開されないのだろう。

 記事は、組織委員会は〈現時点で有効な観戦チケット(販売済みの使用可能なチケット)は全競技会場の収容人数に対して42%であることを明らかにした〉としている。このほかに1日で観客が最も多いのは7月31日の東京都で約22万5000人、東京大会の開催に伴う人の流れについて最も多い日で1日34万人の見込み。大会とは別に1日に都外から東京へ観光や出張で訪れる人は25万人、都外からの通勤や通学は194万人、その他海外からの大会関係者5万9000人、国内関係者等1万5000人、都内での競技の体験イベントや食べ物の販売などが行える「ライブサイト」3万7000人などと記事は伝えている。

 都外から東京へ観光や出張で訪れる1日25万人+都外からの通勤や通学1日194万人+その他=225万人の相当な人流となる。人流の増減が感染の増減に対応している以上、五輪開催を受けた人流の増加は数字だけの意味で受け止めることはできなくなる。

 記事は会合メンバーの発言を伝えている。

 岡部信彦座長(川崎市健康安全研究所所長)「残念ながら感染者ゼロはありえないので少しでも減らすことが重要だ。発想を変えて遠隔での観戦を楽しんでもらえないかと提案した。例えばステージ4でステイホームと言っている時に、チケットを持っている人は自由に観戦にとは言えない」

 中村英正(組織委員会メインオペレーションセンターチーフ)「観客上限について6月に方針を示すが、そのあとに何が起きるかは見通せない。当然いろんなケースを想定しないと安心安全な大会は開けない」

 感染の増加と対応しているゆえに人流の増加に対する危機感は強い。

 同じ内容を伝えている「asahi.com」(2021年6月11日 19時22分)記事は、〈全競技会場の最大収容人数の42%が販売済み〉で、〈朝日新聞の試算によると、大会全体の収容人数は1145万席。この42%は約480万枚となる。組織委は「500万枚には届かない。400万枚台」と説明している。〉と伝えていて、公表された「チケット保有者のエリア別の割合」も、〈東京、神奈川、千葉、埼玉にある競技会場のチケット所有者の7割が、この1都3県で生活する地元住民という。〉と伝えている。チケット代を無駄にしないために480万人から30万人引いて観客だけで少なくとも450万人が大会期間中に移動すると計算したとしても、この450万人のうちの7割315万人がオリンピック17日間、パラリンピック12日間、合計29日間で割ると、東京、神奈川、千葉、埼玉で計算上は1日平均約11万人程度が移動することになり、中都市は人口10万人以上の市、小都市は人口10万人未満の市となっているから、中都市と小都市の境目の人口の移動は場所によっては馬鹿にならない人流となる。当然、感染拡大の危険要因と用心しなければならない。但し、ワクチン接種の進行度によって、多少の違いはあるかもしれないが、65歳上高齢者接種完了を7月末とすると、その1週間前に五輪は開催されている。64歳以下も前倒しで行なわれているが、限定的な効果とならざるを得ないような状況にある。

 記事は「観客による人流の増加は、夏休み期間で減少が見込まれる通学者の人流よりも少ない」との声を伝え得ているが、夏休み期間中の通学者がオリンピック開催のお祭り気分に刺激を受けて、ちょっとした買い物に出たり、映画を観に行ったり、ショッピングセンターに出掛けたり、テーマパークに出掛けたりの人流に早変わりしない保証はないことを考えると、相殺されて、その差はたいして変わらないということもあり得る。

 6月7日の参議院決算委員会質疑に戻る。

 福山哲郎「(自席に引き上げていく丸川珠代の背中に向かって)いつから、誰がシミュレーションしているようなことを国会答弁するのはやめて頂きたい。総理、どうですか。基準とか、今言われた感染者数とか、そういった医療体制とか、そういったものの判断基準を示すことが早急にあるんじゃないんですか。総理、お答えください」

 菅義偉「私は先程から申し上げているとおりですね。選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じて、世界から選手が安心して参加できるようにすると共に国民の命と健康を守っていく。これが開催の前提条件であります。こうしたことを実現できるように対策を講じて参りますけども、これが前提が崩れれば、そうしたことを行わないということであります」

 この「選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じて、世界から選手が安心して参加できるようにする」としている言葉は菅義偉が東京大会というエリアだけの「安心・安全」を意図していて、国内一般の「安心・安全」との兼ね合いは念頭に置いていないことが分かる。当然、あとの「国民の命と健康を守っていく」は限定的な意味しか取らないことになるが、この関係は後でまた述べる。

 福山哲郎「前提が崩れるかどうか、何で判断するんですか、総理」

 菅義偉「選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じて、世界から選手が安心参加できるようにすると共に国民の命と健康を守っていく。これが大前提。

 そして具体的な対策としては毎日大会関係者の先ず人数を絞り込んで、これ、当初の半分以下であります。選手大会関係者にワクチン接種を、ここは私が訪米したときにファイザーからこのオリンピック大会・パラリンピック大会への提供を受けましたので、そうした中でIOCが提案する中で、約8割のワクチン接種を行っているということでございます。

 そうして大会関係者の行動を管理をして、一般との、国民との接触、ここは防止をします。入国する前に検査を2回、入国時にまた検査をし、徹底した検査をし、国民との接触を防止する。ま、そうした中で安全に接触を防止する。そう言うことによって感染の危険性がないように、そこはしっかりと講じていきたいと思います」

 党首討論の参考のためにここまでを取り上げる。菅義偉は「国民の命と健康を守るのが私の責任だと。守れなければ、やらない」を日本国総理大臣としてのオリンピック開催の条件とした。これを受けて、福山哲郎が「総理が国民の命と健康を守ることができていないと判断する基準は」と一言質問していたなら、「選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じて、世界から選手が安心して参加できるようにすると共に国民の命と健康を守っていく。これが開催の前提条件であります」といったこれまでも国会や記者会見でほぼ同じことを散々に答弁してきたことの繰り返しを演じさせることは止めることができただろう。このような答弁自体が「国民の命と健康を守ることができていないと判断する基準」を説明する言葉とはなっていなからだ。

 菅義偉はまた大会関係者の行動管理によって「国民との接触を防止する」ことが感染防止対策となるようなことを言っているが、それはあくまでも大会関係者から国民への感染防止対策であって、五輪開催による人流増加を受けた国民から国民への感染防止対策は抜け落としたままにしている。もしかしたら、組織委員会は「東京2020大会における新型コロナウイルス感染症対策のための専門家ラウンドテーブル(第3回会合)」の人流増加が数字で示されることになるこの報告を党首討論後に合わせるよう公表したのだろうか。緊急事態宣言もまん延防止等重点措置も基本的には人流抑止が感染防止の主対策となっている。五輪開催はその逆の人流増加を招くことになるから、報告で明らかになる人流増加はそのまま感染増加のリスクに目を向けさせることになり、菅義偉にとって都合の悪い情報となるからである。

 「選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じて、世界から選手が安心参加できるようにすると共に国民の命と健康を守っていく」と言っていることは大会関係者から国民への感染防止対策の効果を出したときのみに言えることで、五輪開催による人流増加を受けた国内一般での国民から国民への感染防止対策には一切触れていないから、その点での「国民の命と健康を守っていく」方法論は除外していることになって、必然的に「選手や大会関係者の感染対策」は「国民の命と健康を守っていく」ことを保証する感染防止対策としては万全な役目を果たすとは言えない限定を受けることになる。

 要するに菅義偉は「選手や大会関係者の感染対策」が国内一般でのあらゆる感染リスクにも対応させた「国民の命と健康を守っていく」万全策であるかのように思わせる擬装を行っているに過ぎない。

 菅義偉が五輪開催に関する発言で五輪という空間の「安心・安全」を言い立てているだけで、一般社会の「安心・安全」に言及しているわけではないことをブログに何度も書いてきたが、この手の擬装と対応している。だから、分科会会長の尾身茂は開催した場合の国民への感染増大の危険性を含めたリスク管理の必要性を訴えることになっている。

 では、以上のことを認識した上で、「党首討論」 (THE PAGE/2021/6/9(水) 18:51配信)から立憲民主党代表枝野幸男と菅義偉の遣り取りのうち、オリンピックに関係する議論を取り上げ、最後に日本維新の会共同代表片山虎之助と菅の遣り取りに一言触れてみる。

 枝野幸男「それではオリンピックに関連してお尋ねしたいと思います。総理は月曜日の参議院決算委員会で、国民の命と健康を守るのは自分の責任で、それがオリンピック開催の前提条件である。その前提が崩れたら行わないとおっしゃられました。大変勇気ある、しかし当然のご発言だというふうに思います。国民の命と健康という観点から私は最大のリスクは、開催を契機として国内で感染拡大を招くということだと思っています。総理の言う、国民の命と健康を守るとおっしゃるのは、大会参加者などによる直接的な感染拡大だけではなくて、当然のことながら、開催を契機として国内で感染が広がる。それが国民の命と健康を脅かすような事態は招かないと。こういうことも含むという意味でよろしいですね。確認させてください」

 菅義偉「私自身、オリンピックについても私の考え方を是非説明させていただきたいと思います。東京大会は感染対策、水際対策、これを徹底して安全・安心なものにしなきゃならないと思います。海外から来る選手を始め大会関係者、これ、当初18万人といわれたんですけど半分以下に絞ります。それをさらに縮小する方向で今、検討しています。また、選手など8割以上はワクチンを接種して参加するということを、報告を受けています。入国前に2回、入国時に1回、そしてその後に3回、徹底して検査をし、選手については期間中も毎日行う。その予定であります。

 また、海外メディアなどは組織委員会が管理するホテルにこれ集約をします。日本国民と接触することがないようにGPSを使って行動管理をし、検査もこれ、しっかり行います。また、事前に計画書を出させますから、登録をさせて、違反した場合は強制退去させます。この5月だけでも4回、テスト大会っていうものをやっています。感染対策を含めて、いろんな準備をして、1つ1つこうした対応を行っております。まさに安全・安心の大会にしたいというふうに思います。

 それとよく、私にこれオリンピックについて聞かれるわけですけども、実は私自身、56年前の東京オリンピック大会、高校生でしたけども、いまだに鮮明に記憶しています。それは例を挙げますと例えば東洋の魔女といわれたバレーの選手。回転レシーブっていうのがありました。ボールに食いつくようにボールを拾って得点を挙げておりました。非常に印象に残っています。また、底知れない人間の能力というものを感じました、あのマラソンのアベベ選手も非常に印象に残っています。

 そして何よりも私自身、記憶に残っていますのは、オランダのヘーシンク選手です。日本柔道が国際社会の中で、大会で初めて負けた試合でしたけども、悔しかったですけども、その後の対応、すごく印象に残っています。興奮したオランダの役員の人たちがヘーシンクに抱きついてくるのを制して、敗者である神永選手に対して敬意を払った、あの瞬間というのは私はずっと忘れることができなかったんです。そうしたことを子供たちにもやはり見てほしい。

 さらに当時、パラリンピックが初めてパラリンピックと名前を付けて行った大会です。パラリンピック、障害者の皆さんには、まさに障害者スポーツに光が当たったのがあの日本の大会であります。そしてこのことを契機に、障害者の皆さんが社会進出を試みたい、まさに共生社会を実現するための1つの大きな契機になったというふうに思います」

 枝野幸男「2年ぶりの党首討論ということで、多くの国民の皆さんが、特に感染症から、そしてオリンピックを開催して、命と暮らしを守れるのかどうか、注目されています。総理の後段のお話はここにはふさわしくないお話だったんではないかと言わざるを得ません。私たちは、例えば検査の対象は、私は場合によっては政令でも拡大できる話だと思いますし、100%しないとニュージーランドやオーストラリアのようなことができないのかというと、必ずしもそうではありません。徹底して1人の感染者の周辺を検査するということ自体、アプローチしてこなかったというのは間違いありません。

    ・・・・・・・(中略)・・・・・・・・

 私のお尋ねには、なかなか正面から答えていただけませんでしたが、私はオリンピックに関連してなんとか選手やコーチの皆さんについては頑張られるんだと思います。ただ、例えば、これはオリンピックがもし開催されて、世界中から東京に人が集まる、日本中から人が集まる。そして夜遅くまでテレビで生中継されている。そういう状況のときに例えば感染が広がって、不要不急の外出を抑えてください。夜は飲食店をやめてください。あるいは営業をもう休業してください。こうしたことをお願いできますか。そしてお願いしたとしても説得力はありますか。

 残念ながら、もしリバウンドの兆候が見えても、強い措置を取ってもなかなか国民の皆さんの理解が得られないという状況が、前後合わせると2カ月続くんです。夏休みとも重なります。東京で約半年にわたって事実上ずっとみんな我慢をしてきた。どこかで解除したら緩みは必ず出ます。それによって、急激な第5波でまた医療逼迫、それがオリンピックや、あるいは特に後半にあるパラリンピックに重なったら、どうなるんだと。

 そういうことを考えたら、私は前回の東京オリンピックは、私の生まれた年です。だから私は見た経験はありません。でも生まれたときから、子供のころからオリンピックの年の生まれだね、言われてきたし言ってもきたし、それなりに思い入れがあるつもりですし、選手の努力を考えたら私もぜひ開催したいと思います。でも今日の総理のお答えを聞いたのでは、今のようなリスクも含めて本当に命と暮らしを守れるのか。命を失われたら取り返しがつかないんです。失われた命には、政治は責任を取れないんです。そのことについてのご認識が十分ではないのではないかと、残念ながら言わざるを得ません」

 30兆円規模の補正予算の速やかな編成の追及へと移る。

 枝野幸男は最初に「総理は月曜日の参議院決算委員会で、国民の命と健康を守るのは自分の責任で、それがオリンピック開催の前提条件である。その前提が崩れたら行わないとおっしゃった」と質問の矢を放ったが、菅義偉のこの発言から東京オリンピック・パラリンピックの開催・中止・延期の決定権を日本国首相として握っているということを読み取り、当然確認しておかなければならない、「その前提が崩れたら行わないと判断する基準をどこに置いているのか」の肝心な質問は一言も尋ねもせずに、「当然のご発言だ」で片付けている。

 この「基準」を確認しなければ、開催中止、あるいは開催延期の要求は菅義偉の「安全・安心の大会を実現する」の抽象的な言葉で簡単に跳ね返され続けることになる。

 枝野幸男は次に「総理の言う、国民の命と健康を守るとおっしゃるのは、大会参加者などによる直接的な感染拡大だけではなくて、当然のことながら、開催を契機として国内で感染が広がる。それが国民の命と健康を脅かすような事態は招かないと。こういうことも含むという意味でよろしいですね。確認させてください」と尋ねた。

 対する菅義偉の答弁は大会参加者に対する感染対策を述べただけだから、五輪の感染対策絡みで普段口にしている「国民の命と健康を守る」と同様、大会参加者を通した国民への感染拡大を阻止する観点から「国民の命と健康を守る」と言っているに過ぎない。五輪開催を受けた人流増加によって国民から国民への感染の機会・危険の増大が想定される危機管理の観点からその感染防止対策を打ち出して、その水平線上で、いわば社会全体に目を向けて「国民の命と健康を守る」と確約しているわけではない。枝野幸男がこのことを菅義偉のこれまでの国会答弁や記者会見発言から学習していたなら、何らかの反論を加えることができただろうが、何の反論もしなかった。

 菅義偉が1964年10月の第1回東京オリンピックでの東洋の魔女やオランダの柔道選手ヘーシンク選手やマラソンのアベベ選手の素晴らしい活躍が人々に感動を与えたことと、この大会で初めて開催されたパラリンピックに参加した障害者の活躍が彼らの社会進出、共生社会実現の「1つの大きな契機になった」ことなどを挙げて、オリンピック・パラリンピックの価値を述べ、開催の理由としていたことに対して枝野幸男は「総理の後段のお話はここにはふさわしくないお話だったんではないかと言わざるを得ません」のみで片付けている。つまり1964年の日本の社会と57年後の20021年7月から8月の日本の社会を同列に扱っていることに何の異議申し立ても行なわなかった。

 長い期間に亘って多くの死者・重傷者を出し、医療逼迫を招き、社会・経済活動の極度な制限を強いるパンデミック状態にあるコロナ禍での五輪開催の是非を議論しているのだから、1964年との比較で2021年開催の妥当性を主張し、その主張を正当づけるためには1964年が少なくとも東日本大震災のような大自然災害に見舞われていたか、コロナ同様の何らかの感染症がパンデミック状態にあったものの、それらの災厄を克服した中での開催だったのだから、2021年の現在の状況の中でも開催は可能であるとする議論は成り立つが、1964年はそういった困難に日本社会が見舞われていた中での開催ではなかったではないか、比較することはできないではないかと反論しなければならなかった。

 少なくとも1964年の社会状況と2021年の社会状況を同一レベルで扱っていいのかと尋ねるべきだったろう。つまり菅義偉はオリンピックだけのことを頭に置いて、比較できないことを得々と比較したに過ぎなかった。枝野幸男側から言うと、菅義偉が比較できないことを比較するするのを安々と許してしまった。

 NHKまとめによると、2021年6月12日 23:59 時点での国内のコロナ感染による累積死者数は1万4042人+クルーズ船13人=1万4055人となっている。重傷者数は852人だが、回復して社会復帰している感染者もいるから、述べ人数はずっと多くなる。

 警察庁発表の2021年3月10日時点での東日本大震災での死者1万5899人、重軽傷者6157人、警察に届出があった行方不明者2526人のうちの死者1万5899人に迫るコロナ感染累積死者数1万4055人である。

 要するにコロナ禍から国民の命と健康を守ることができていない。オリンピックというエリアのみが「安心・安全」であればいいという理由は成り立たない。当然、このような状況をオリンピック開催までに断ち切ることができず、続くようなら、開催強行は日本政府のトップ菅義偉による人命軽視行為となる。

 こういった認識を持てずに開催することだけが頭にあるからなのだろう、菅義偉は1964年の第1回東京オリンピックの高校生のときだったという思い出話を素晴らしいことのように語った。菅義偉の脳ミソの程度を疑いたくなる。

 菅義偉は第1回東京パラリンピックを持ち出して、障害者の社会進出、共生社会実現の「1つの大きな契機になった」とその意義を強調しているが、意義を強調する資格は政治に携わる者として国際比較した場合の日本の障害者の社会進出、日本の共生社会実現が質を伴った形で上位になければならない。

 先ず障害者の社会進出を「日本と世界のバリアフリー事情」(NHK視点・論点/2020年10月19日)から見てみる。

 〈野球場の車イス席の設置数を見てみましょう。公式ホームページによると東京ドームは、22席。甲子園は35席です。アメリカ、サンフランシスコの野球場では、300以上の車イス席がどのエリアにも設置。ヤンキースタジアムも500席以上。〉

 約1年前の情報だが、この1年間で日本の車イス席が増えたとしても、アメリカの数に敵わないのは目に見えている。車イス席の数そのものが障害者の社会進出の程度そのものを物語り、共生社会実現の程度を物語っていることになるだけではなく、社会進出や共生社会の質も一定程度示唆している。

 日本障害者法定雇用率は2021年3月から民間企業の法定雇用率は2.3%、国や地方公共団体は2.6%、都道府県などの教育委員会は2.5%となったが、政府が障害者の採用を盛んに尻を叩いているからか、それぞれの実雇用率は各法定雇用率に迫っている。結構なことだが、「障害者雇用からはじまる『働き方改革』取り巻く潮流と未来を予測」(チャレンジラボ/2019.08.08)に次のような一文がある。
   
 〈スウェーデンやデンマークなどは法定雇用率がありません。日本企業にとってみれば、「義務もペナルティもないのに、なぜ障害者雇用を進められるのか」という疑問もわいてくるでしょう。

 私たちがスウェーデンのホテルチェーン企業でヒヤリングを行ったとき、最初に障害者の雇用者数を聞いたところ「カウントしたことがない」と返されました。彼らの間で障害者は「さまざまな特徴・特性を持った人たちの1人」という考え方が自然のようでした。もともと社会全体に、言葉も文化も違う移民が多いという背景もあるかもしれません。〉

 〈もともと社会全体に、言葉も文化も違う移民が多いという背景もあるかもしれません。〉という評価がどの程度の妥当性を持ち得ているかどうかは門外漢として判定できないが、要するに障害者を対等な1個の人間として区別なく対面できている様子を窺うことができる。いくら日本の障害者実雇用率が法定雇用率に迫っていたとしても、対等な姿勢を持ち得た対面を日常的にできていなければ、実雇用率は色褪せることになる。菅義偉が日本社会が障害者を1個の人間視できている環境にまで成熟できているかどうかまで考えて第1回東京パラリンピックが障害者の社会進出、共生社会実現の「1つの大きな契機になった」と言ったかどうかは極めて疑わしい。

 参考までに「note」(2019/11/11 11:49)が行ったアンケート期間2017/8/4~2017/8/10(有効回答者数:326名)のインターネット調査「障がい者に対する差別・偏見に関する調査」を挙げておく。

 「あなたはどのような場所で差別・偏見を受けたと感じた経験がありますか」 (複数選択可)

 職場 56%
 公共交通機関 30%

 実際に第1回東京パラリンピックが障害者の社会進出、共生社会実現の「1つの大きな契機になった」が事実だったとしても、生きていてこその障害者の社会進出であり、共生社会の実現である。コロナで命の保障がなくなったなら、社会進出や共生社会の実現が潰える障害者も出てくる。そして命は健常者・障害者の違いに関わらずに全ての人間に対して相互に保障されなければならない。日本国憲法第13条の「すべて国民は、個人として尊重される」は命の相互的な保障を謳っている。コロナから「国民の命と健康を守る」ことができない状況を放置したまま、五輪競技に於ける障害者の活躍がほかの障害者やその他を勇気づけることになるとの理由で開催することは命の相互保障に反することになる。

 枝野幸男は以上見てきたように菅義偉の「国民の命と健康を守るのは自分の責任で、それがオリンピック開催の前提条件である。その前提が崩れたら行わない」とする発言に対して「その前提が崩れたら行わないと判断する基準をどこに置いているのか」と尋ねる肝心な質問を失念させたこと、
菅義偉の言う大会参加者に対する感染対策が社会全体に目を向けた「国民の命と健康を守る」の確約となっていないことの矛盾を放置させたこと、菅義偉が時代性を無視して第1回東京オリンピック・パラリンピック開催の1964年と第2回が開催される2021年を同列に扱ったことに気づかなかったこと等々は枝野幸男の学習不足から明らかに来ている失態であろう。

 では、日本維新の会の片山虎之助の質問に対する菅義偉のか違った答弁を見てみる。文飾は当方。

 片山虎之助「それからオリパラについては、もう時間がほとんどありませんが、開催する都市というのは東京都なんですよ。開催都市っちゅうんですかね。どうもその東京都があまり出ない。総理がですよ、非常に矢面に立って、オリパラをどうするということで、例えば専門家会議との間のあれでいろいろと攻撃といったらあれですが、攻撃されていますよね。それ本当はもっと東京都知事の小池さんが出なきゃ私はいかんと思うんですよ。後方支援なんですよ、総理は。それが表に出ていっているんで、私はもっとそこの連携がうまくいっているのかと思うのですが、いかがですか」

 菅義偉「私が申し上げたいことを言っていただいて大変うれしく思います。私はそういう答弁をしても責任は全部総理大臣だろうと、国会議論というのはほとんどそうなっています。総理大臣の判断。しかし、ご承知のとおり、今、片山代表からお話しいただいたのが筋道としてはそうだというふうに思います。ただ、私も逃げる気持ちはありませんし、そうした中で国会ではそういう議論になっていることを、私自身は大変残念だなというふうに思っています」

 地方自治法の「第一条の二の②」は国と地方公共団体との間の基本的関係を規定している。〈② 国は、前項の規定(国と地方公共団体との間の基本的関係の確立)の趣旨を達成するため、国においては国際社会における国家としての存立にかかわる事務全国的に統一して定めることが望ましい国民の諸活動若しくは地方自治に関する基本的な準則に関する事務又は全国的な規模で若しくは全国的な視点に立つて行わなければならない施策及び事業の実施その他の国が本来果たすべき役割を重点的に担い、住民に身近な行政はできる限り地方公共団体にゆだねることを基本として、地方公共団体との間で適切に役割を分担するとともに、地方公共団体に関する制度の策定及び施策の実施に当たつて、地方公共団体の自主性及び自立性が十分に発揮されるようにしなければならない。〉

 オリンピック・パラリンピックの開催は「国においては国際社会における国家としての存立にかかわる事務」に当り、「全国的に統一して定めることが望ましい国民の諸活動」の一つに相当、「全国的な視点に立つて行わなければならない施策及び事業の実施」に合致する。だから政府は先頭に立って五輪を誘致したり、カネを出し、国立競技場の建て替えを行ったりする。東京オリンピック・パラリンピックの開催都市は東京都であっても、国が国としての自らの責任上、大きく関わっていて、それゆえに菅義偉が言っていたように「国民の命と健康を守るのが私の責任だと。守れなければ、やらない」と開催だけではなく、開催を中止する、あるいは延期する決定権を国は握っていることになる。

 当然、開催か否かの責任に関しては東京都よりも上位にある。にも関わらず菅義偉は「私はそういう答弁をしても責任は全部総理大臣だろうと、国会議論というのはほとんどそうなっています」と責任逃れの答弁をして何とも思わない態度を取ることができる。

 再び言う。コロナから国民の命と健康を守ることができていると判断不可の状況下での五輪開催は日本の首相菅義偉による人命軽視行為にほかならない。
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丸川珠代の尾身茂発言「全く別の地平から見てきた言葉」はオリ・パラを聖域とする発想であり、自分を何様とする思い上がり

2021-06-07 10:18:28 | 政治
 2020東京オリンピック・パラリンピックは開催国日本、開催都市東京都であり、その競技はオリンピック・パラリンピックの精神と各競技のルールに則って、多分に国家を挙げての開催となるが、そうであるなら、開催国国民の開催に関わる意思・感情と矛盾があってはならない。なぜなら、国家を挙げての開催という状況と国民の意思・感情との矛盾は相反する論理性に立つことになるからだ。国民の意思・感情と矛盾した国家を挙げての開催は独裁国家ならいざ知らず、民主国家では論理的にあり得ないし、成り立たない。

 このような関係を取るのはオリンピック・パラリンピックがどれ程に国際的なスポーツの一大イベントであろうとも、運営そのものは開催国内のイベントということになるからである。オリンピック景気とその後の不景気等々は開催国内の国民生活に深く関わってくる。極端な例ではあるが、東京オリンピック・パラリンピック開催前に東日本大震災のような巨大な自然災害に見舞われ、多くの死者を出している状況にあった場合、開催都市にその影響が皆無であっても、国民は開催に矛盾を感じずに済ますことができるだろうか。

 新型コロナウイルスの感染症についても同じことが言える。感染が社会的に大きな広がりを見せ、国民の移動の自由や社会経済活動を大きく制約し、なおかつ感染拡大を受けた治療・療養の必要人数の増加が医療の逼迫を招き、軽症者や無症状者は入院はおろか、ホテル療養も断られて、止むを得ず自宅療養を選択、家族に感染させてしまう例がなくならない状況をよそに置いて、東京オリンピック・パラリンピックだけが感染対策をしっかりと施して開催が許されるとしたら、開催国の社会状況を無視した振る舞いとなり、しかも無視する主体が開催国の政府と東京オリンピック・パラリンピック組織委員会ということになって、民意を無視したイベントの強硬開催という体裁を取ることになる。

 参考までに東京オリンピック・パラリンピック開催に関して質問した2021年5月15、16日実施の「朝日新聞世論調査」を挙げておく。丸カッコ内の数字は、4月10、11日の調査結果。

◆あなたは、東京オリンピック・パラリンピックをどのようにするのがよいと思いますか。(択一)

 今年の夏に開催する 14(28)

 再び延期する 40(34)

 中止する 43(35)

 その他・答えない 3(3)

 前回調査よりも「中止」、「延期」が増えて、「今夏の開催」が逆に減っている。

一つだけだと都合のいい数字を持ってきたと見られるから、2021年5月の「NHK世論調査」を見てみる。

 「東京オリンピック・パラリンピックの観客の数について、IOC=国際オリンピック委員会などは来月判断することになりました。どのような形で開催すべきと思いますか」

 「これまでと同様に行う」2%
 「観客の数を制限して行う」19%
 「無観客で行う」23%
 「中止する」49%・・・・・

 「開催」合計が44% 「中止」が49%。オリンピックの開催よりもコロナの感染を受けた社会経済活動の制約が解決されること、移動制限が解除されて、自由な日常生活が回復されることを優先順位に置いている。つまり日常生活あってのオリンピックと看做している。

 西村康稔内閣府特命担当相の2021年6月4日「閣議後記者会見」(NHK NEWS WEB/2021年6月4日 14時05分)

 西村康稔「新型コロナウイルスに対応して頂いている医療機関には、ワクチン接種や一般医療もお願いしているうえ、オリンピックでは、熱中症やけがなどへの対応が必要になるので何重にも負荷がかかる。

 〈東京オリンピック・パラリンピックの期間中の医療への負荷を軽減するためにも、6月20日が期限となっている緊急事態宣言のもとで感染拡大を抑え、医療提供体制を確保していく考えを強調〉

 海外から来る人は基本的にワクチンを打って貰う上、体質的に打てない人には、毎日PCR検査をすることも含めた対応でリスクはかなり減らせる。ただ、人の移動によって感染リスクが高まるのを最小化しなければならず、専門家の意見を聞いて取り組んでいきたい」

 「人の移動」と言っていることは競技観戦のための「人の移動」ということであろう。発言している趣意は東京オリンピック・パラリンピックが開催されると、競技観戦等の「人の移動によって感染リスクが高まる」から、「今月20日が期限となっている緊急事態宣言のもとで感染拡大を抑え、医療提供体制を確保」することで感染リスクを「最小化しなければならない」ということであり、感染リスクが「最小化」できれば、結果的に東京オリンピック・パラリンピック開催中の人の移動による感染も極力抑えることができて、医療への負荷もさほど増すことはなく、一般社会の医療体制が維持できることになるということであろう。

 要するに今回の緊急事態宣言によって感染者数を極力抑えることができたなら、自ずと医療逼迫が改善されるだけではなく、東京オリンピック・パラリンピック開催中も感染の機会を少なくすることが可能となって、感染対策をしっかりと講じた選手や大会関係者の「安心・安全」と国民の「安心・安全」が両立可能とすることができるということであるはずである。決して東京オリンピック・パラリンピック開催だけの「安心・安全」を言っているわけではない。

 このことを逆説すると、東京オリンピック・パラリンピックの開催に向けて感染者を中から極力出さず、当然、外に向けた感染も極力なくす感染対策をしっかりと行って、「安心・安全」な開催とすることができたなら、一般社会が「安心・安全」でなくてもいいというスタンスを取っているわけではない。

 政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会会長の尾身茂が2021年5月13日の参議院内閣委員会で東京オリンピック・パラリンピック開催可否の判断材料とする前以っての「医療負担の事前評価」が必要だとする発言を行ったと「NHK NEWS WEB」(2021年5月13日 13時49分)記事が伝えていた。

 記事は書いている。〈東京オリンピック・パラリンピックの開催の可否について「私の立場では開催についての判断はすべきでないし、できないと思う」と述べたうえで、判断に当たっては大会期間中に、どの程度医療に負荷がかかるかを、あらかじめ評価しておくことなどが極めて重要になると指摘した。〉

 だが、この「事前評価」が感染拡大と医療負担の増加を仮定の一つとした場合、東京オリンピック・パラリンピックの中止、あるいは延期の判断が入ってくることもありうる。このことを無視して開催の判断をした場合は事前評価を無視した開催の強行という事態を招きかねない。一般社会の「安心・安全」は念頭に置かずに東京オリンピック・パラリンピックの「安心・安全」だけを優先させて開催を既定路線としている菅義偉や組織委員会、五輪相の丸川珠代辺りにとっては不都合な状況に追い込まれることになる。それゆえに行って貰いたくない事前評価となる。

 厚労相の田村憲久が尾身茂のこの「事前評価」を「自主的な研究の成果の発表だと受け止めさせて頂く」と述べることで政府がお願いしたことではないと距離を置いたのはオリンピック開催を既定路線としている政府にとって開催を脅かしかねない評価が入ることを警戒してのことで、行って貰いたくない事前評価であることが田村憲久の発言に如実に現れている。

 だが、尾身茂は政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会会長という立場上、東京オリンピック・パラリンピック開催の影響を受けた人流の増加が開催のエリア外への感染の拡大に影響して、そのような拡大と連動して医療資源の一部をオリンピック・パラリンピックに取られている関係から医療逼迫が容易に医療崩壊へと発展した場合は感染重傷者の命の保証に手の打ちようがなくなるから、医療負担を想定した開催可否の事前評価を行うべきだと訴えているのだろう。

 と言うことは、尾身茂は一般社会の「安心・安全」を優先させていることになる。つまり一般社会の「安心・安全」があってこその東京オリンピック・パラリンピック開催の「安心・安全」だと位置づけていることになる。

 尾身茂が参議院内閣委員会で東京オリンピック・パラリンピック開催可否の「医療負担の事前評価」の必要性を訴えた翌日の2021年5月14日、菅義偉は首相官邸で緊急事態宣言の対象地域を東京、大阪、兵庫、京都、愛知、福岡の6都府県に加えて5月16日から北海道、岡山、広島の3道県を加えたことを報告する「記者会見」を開いた。
 
 江川紹子(フリーランス記者)「尾身先生が国会で五輪に関して、感染リスクと医療の負荷について、前もって評価をしてほしいというふうに述べられたと思います。これについて政府はどう対応するのでしょうか。そういういろいろなケースを想定して評価するという場合には、それは国民にきちんと根拠とともに示していただけるのかと、このことをお伺いするとともに、尾身先生には、先ほどの感染リスクと医療の負荷についての評価が必要な理由についても教えてください」

 菅義偉「先ず私から申し上げます。前回の質問の際に、マスコミの方が確か3万人ぐらい来られるというような話があったと思います。今、そうした方の入国者というのですかね、そうしたものを精査しまして、この間出た数字よりもはるかに少なくなるというふうに思いますし、そうした行動も制限をする。そして、それに反することについては強制的に退去を命じる。そうしたことを含めて、今検討しております。

 ですから、一般の国民と関係者で来られた人とは違う動線で行動してもらうようにしていますし、ホテルも特定のホテルに国として指定しておきたい。指定して、そうした国民と接触することがないようにと、そうしたことを今、しっかり対応している途中だという報告を受けています」

 江川紹子「感染リスクと医療の負荷についての評価をしてほしいというふうな尾身先生からのお言葉について、これを実行するおつもりはあるのかということを伺いました」

 菅義偉「この(マスコミ等の大会関係者の)行動指針を決める際に専門家の方からも2人メンバーになって頂いて、相談しながら決めさせて頂きます」

 マスコミ等の大会関係者の「行動指針」と「医療負担の事前評価」とは全然別物である。「行動指針」は開催を前提とした行動の手引であり、「医療負担の事前評価」は開催した場合の医療負担の増減を想定し、想定に応じて開催の可否を判定するものであって、開催を前提としてはいない。

 菅義偉は「医療負担の事前評価」をマスコミ等の大会関係者の行動指針にすり替えて遣り過した。この点からも菅政権としては歓迎できない尾身茂の「事前評価」であることが見えてくる。菅義偉は競技選手と大会関係者へのしっかりとしたコロナ対策を前提としたオリンピック開催の「安心・安全」を盛んに言い立てて、開催を既定路線としているが、尾身茂とは逆に大会の「安心・安全」を基準に一般社会の「安心・安全」を切り離しているからこそできるオリンピック開催の既定路線であり、同時に大会の延期や中止の選択肢をも判断材料の一つとすることもあり得る尾身茂の「事前評価」は却って事を面倒にすると見て、無視することにしているのだろう。

 緊急事態宣言とまん延防止等重点措置とワクチン接種の抱き合せで感染を抑制、抑制を受けた感染リスクの最小化を視野に入れることができたなら、このことを理由として「医療負担の事前評価」は必要ないと堂々と言い切ることができるはずだが、言い切ることもしない。2021年5月28日の記者会見でイギリスの例を挙げて、ワクチン接種が1回目だけであっても、国民の5割に達すると効果が出ると発言していたが、オリンピック開催までの5割到達が計算できていないのかもしれない。

 尾身茂の答弁を見てみる。

 尾身茂「今の御質問は、なぜ医療への負荷の評価をしなくてはいけないかということですけれども、実は今、なぜこれだけ多くの人がオリンピックに関係なしに不安に思っているかというと、感染者が500行った、600行ったということよりも、今はやはり医療の負荷というものが、つまり一般医療に支障が来て、救急外来も断らなくてはいけない、必要な手術も断らなくてはいけない、しかも命に非常に直結するようなところまでという状況になっている。

 さらに、医療のひっ迫というのが重要なのは、これから正にワクチン接種というところに医療の人がまた、さらにいろいろな人が、オリンピックだろうが何だろうが多くの人が来れば、コロナにかかるかかからないかにかかわらず、多くの人が来ると一定程度必ず何か具合の悪いことになるというようなこともあるわけですよね。

 そういう中で私が申し上げた理由は、いずれ私は、関係者の方は何らかの判断を遅かれ早かれされると思うのですけれども、それは開催を仮にするとすれば、前の日にやるわけではないですよね。当然X週間、Xデー、Xマンスを、時間的余裕を持ってやるわけで、そのときの医療への負荷というものは、そのとき、分かりますよね、もう医療が本当にかなり良い状況、中くらいの状況、いろいろ分け方はあると思いますけれども、そのことの状況に応じて、仮にオリンピックをやるのであれば、そのX週間後にどのぐらいの負荷で、状況があれだけれども、更なる負荷ということになりますね。そのことをある程度評価するのは、オリンピックを開催する人たちの責任だと私は思います、ということで申し上げたということ」

 長々とした答弁だが、言っていることは新聞報道が伝えている2021年5月13日参議院内閣委員会での発言と同じである。ただ違うのは東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて「医療負担の事前評価」を行うことは「オリンピックを開催する人たちの責任」だと名指ししていることである。勿論、主として開催国日本のトップである菅義偉のことを言っている。

 尾身茂がこの後も「事前評価」の必要性を国会等で言い続けているのは菅義偉が「事前評価」には無関心を装い続けているからなのだろう。何らかの反応があれば、言い続ける必要はなくなる。2021年6月2日付の共同通信配信の「東京新聞」記事。

 先ず2021年6月2日の衆院厚生労働委員会での発言。

 尾身茂「今の状況で(大会開催を)やるのは普通はないわけだ。パンデミック(世界的大流行)の状況でやるのであれば、開催規模をできるだけ小さくして管理体制をできるだけ強化するのは主催者の義務だ。

 何のために開催するのか明確なストーリーとリスクの最小化をパッケージで話さないと、一般の人は協力しようと思わない(専門家としての評価を)何らかの形で考えを伝えるのがプロフェッショナルの責務だ」

  同衆院内閣委員会。

 尾身茂(感染最小化が組織委の「当然の責任だ」との認識を重ねて示した上で)「どのような状況で感染リスクが上がるのか、しっかり分析して意見するのが専門家の務めだ。

 (移動の自粛などを要請する中でのパブリックビューイング開催や選手村への酒の持ち込みが可能な状況について)一般の人の理解、協力を得にくくなる」

 2021年6月3日付「東京新聞」記事。2021年6月3日の参院厚生労働委員会での発言。

 尾身茂「こういうパンデミック(世界的大流行)でやるのが普通ではない。やるなら強い覚悟でやってもらう必要がある。
 
 (五輪開催時は全国から会場への観客の移動、パブリックビューイングなどでの応援といった要因から新たな人の流れが生まれると分析。)スタジアムの中だけのことを考えても感染対策ができない。ジャーナリスト、スポンサーのプレーブック(規則集)の順守は選手より懸念がある」

 そして近く専門家の考えを示すことも明らかにしたという。

 記事解説。〈分科会は、政府のコロナ対策に専門的な知見から提言を行う組織で、五輪開催の可否には関与しない。会長の尾身氏は、世界保健機関(WHO)西太平洋事務局に長年勤務。重症急性呼吸器症候群(SARS)に事務局長として対応した経歴を持つ。尾身氏の最近の苦言は、感染症の専門家の意見が反映されないまま五輪が開催に突き進むことへの危機感の表れだ。〉

 近く専門家の考えを示すと言っていることは2021年6月2日付「NHK NEWS WEB」が2021年6月2日の衆議院厚生労働委員会での尾身茂の発言として伝えている。

 尾身茂「国や組織委員会などがやるという最終決定をした場合に、開催に伴って国内での感染拡大に影響があるかどうかを評価し、どうすればリスクを軽減できるか、何らかの形で考えを伝えるのが、われわれプロの責任だ。

 (考え方の伝え先や時期などについて)政府なのか、組織委員会なのか、いつ伝えるべきかはいろんな選択肢がある」

 尾身茂は「開催に伴って国内での感染拡大に影響があるかどうかを評価する」と言っているが、評価次第では開催中止や開催延期の声が上がることもありうる。

 要するに菅義偉が「オリンピックを開催する人たちの責任」として「医療負担の事前評価」を行わないのであるなら、自分たち専門家で「事前評価」を行い、政府に示すという意思表明であろう。

 こういった国会での尾身発言に対して五輪相の丸川珠代が2021年6月4日の閣議後会見で示した反応を2021年6月4日付「asahi.com」記事が伝えている。

 丸川珠代「我々はスポーツの持つ力を信じて今までやってきた。全く別の地平から見てきた言葉をそのまま言ってもなかなか通じづらいというのは私の実感。

 できる対策は何かということに懸命に取り組んでいる。ひとつひとつの積み重ねが、本格的に社会を動かしていく時の知見になる」

 尾身茂の一般社会でのコロナの感染や医療負担の各状況が人流の増加が伴う大会開催の影響は全くないとすることはできないとする発言を「全く別の地平から見てきた言葉」だと一刀両断に切り捨てている。と言うことは、オリンピック・ラリンピック開催に無条件に同調する言葉以外は"同じ地平に立った言葉"とは看做すことはできないとしていることであり、東京オリンピック・パラリンピックという場を一般社会の関与を許さない聖域とする発想となる。オリンピックはオリンピックでしっかりとコロナ対策を行っていきます、オリンピックに関係のない人間は余計な口出しはしないでくださいとオリンピックを特別視していることになるからである。

 しかも私には「なかなか通じづらい」としていることはそれがオリンピックの開催に適わない「地平」からの言葉であったとしても、一般化して事の是非を判断せずに丸川珠代自身の判断を基準に「全く別の地平から見てきた言葉」だと解釈し、「通じづらい」と価値づけているのだから、極上の思い上がりとなる。

 丸川珠代にとって世論調査に於けるオリンピック開催に不都合な回答も、「全く別の地平から見てきた」「通じづらい」回答に見えるに違いない。

 「我々はスポーツの持つ力を信じて今までやってきた」と言っているが、要するに「スポーツの持つ力」が多くの見る人をして多大な感動を与えることを信じて、オリンピック・パラリンピックの開催に向けて努力してきたということなのだろう。「スポーツの持つ力」でオリンピックの運営に関わるマネジメントを実践してきたと言っているわけでは決してない。この手のマネジメントは収容人数が何人のどの競技会場をどの競技に当てたら、交通アクセスを含めた利便性を提供できるのか、新しく競技会場を建設すべきか等々の検討と決定を行う経営判断能力がモノを言うのであって、「スポーツの持つ力」がなくても、その能力は十分に発揮できる。

 大体が「スポーツの持つ力」の偉大さを口実にして外からの声を「全く別の地平から見てきた言葉」だと遮断できること自体、思い上がりの気持ちなくしてできない。少しでも謙虚さがあったなら、「全く別の地平から見てきた言葉」などとの発言は出てこない。

 一方で「できる対策は何かということに懸命に取り組んでいる」と言っていることは「安心・安全」に競技ができるコロナ対策に関して「できる対策は何かということに懸命に取り組んでいる」ということを指しているはずだ。尾身茂の一連の国会発言に反応させた丸川珠代の発言なのだから、「対策」とは「コロナ対策」でなければならない。

 要するに「オリンピック開催に直接関わる者として私たちは私たちでコロナ対策に懸命に取り組んでいる。オリンピック開催に直接関わらない全く別の地平から見てきた言葉はあれこれと向けないで欲しい」との意味を持つことになる。当然、後段の「ひとつひとつの積み重ねが、本格的に社会を動かしていく時の知見になる」と言っていることは「コロナ対策に向けたひとつひとつの危機管理の積み重ねが、本格的に社会を動かしていく時の知見になる」と指摘していることになる。

 だが、一般社会から比べた場合の東京オリンピック・パラリンピックの世界はごく限られた人数のごく限られた空間での危機管理であり、人の移動の管理という観点から言っても、一般社会の人の移動から比べたら、ごくごく管理しやすい局面にある。それを以って「本格的に社会を動かしていく時の知見になる」とするのは一般社会の危機管理の困難さを考えない思い上がりであろう。オリンピック・パラリンピックを聖域化しているからこそ、たいした「知見になる」との思い込みが可能となる。

 例え「スポーツの持つ力を信じてやってきた」からと言って、「やってきた」ことの全てが信じたとおりに正しいと価値づけることができるわけではない。戦前は天皇の持つ力や国の持つ力を絶対的と信じて、信じたとおりに行動してきたが、その価値判断は間違っていたと気づいた国民は多く存在する。信じたとおりに正しいと全てを価値づけて、どのような状況でも東京オリンピック・パラリンピックの開催が許されるとした場合、「スポーツの持つ力」を国民の生活を脇に置いて絶対視することになる。丸川珠代の発言は国民の生活よりも「スポーツの持つ力」を上に置いた絶対視の構造を取っていることは否定できない。

 菅義偉が2021年6月2日夜、オンライン形式で開催されたワクチン・サミットについて同日、首相官邸エントランスホールで「ぶらさがり記者会見」を行った際、記者に「新型コロナウイルスが感染拡大する中で東京五輪・パラリンピックを開催する意義について」尋ねられて、「正に、平和の祭典。一流のアスリートがこの東京に集まって、そして、スポーツの力で世界に発信をしていく。さらに、様々な壁を乗り越える努力をしている、障がい者も健常者も、パラリンピックもやりますから、そういう中で、そうした努力というものをしっかりと世界に向けて発信をしていく。そのための安心・安全の対策をしっかり講じた上で、そこはやっていきたい、こういうふうに思っています」と答えているが、丸川珠代が「スポーツの持つ力」を絶対視しているように菅義偉も「平和の祭典」を絶対視していることになる。

 「平和の祭典」だからと言って、世の中がコロナの感染で「平和」でなければ、「平和の祭典」としてのバランスを失い、開催することに疑義が生じる。つまりあくまでも世の中あってのオリンピック・パラリンピックでなければならない。
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