A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

流離譚5

2005年08月24日 | 流離譚(土佐山北郷士列伝)
嘉助墓

 救われる思いがするのは、処刑された嘉助の遺骨が、今は故郷に戻り、母親の墓の隣で眠っていることである。

 覚之助は大阪住吉の陣屋勤務の際に、武市瑞山に出会っていて、その人物と勤皇思想に感銘を受けた。弟の嘉助にも武市に会って薫陶を受けるようにと進めた手紙が残っており、嘉助はそれに従ったものであろう。土佐勤皇党の仲間に加わり、吉田東洋暗殺の刺客に加わったのは、一年しないうちであった。

 脱藩し長州藩、薩摩藩と匿われた後、天誅組の大和義挙という愚挙に参加することになる。

 嘉助は覚之助と違って、それまで土佐を出たことがなく、見聞を広めるような経験も積んだことがなかった。ひたすら武市と勤皇党の影響下にテロリストになる道を選択したのであろうか。筆者は別な見方を試みているが、何分本人が書き残したものは少なく、その折々の心中を窺い知るのは困難である。

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