A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

尾道は移動祝祭日だから

2005年02月28日 | 旅の破片
 昨夜、尾道から新幹線で帰宅した。海沿いに歩くと聞こえる船のエンジンの音と、国道側を歩く時の、列車の音が、まだ耳の奥に残っていて、旅のけはいが完全に失せてしまったのではないのを感じる。
 先ほど、モノクロフィルムを現像して、水洗用のトレイに沈めたところ。

 私の父は、戦時中に十代で、呉の海軍工廠で働いていた。尾道はたまの休日に遊びに出かける町であったらしく、繰り返し、懐かしそうに話すことがあった。だから私は行ったこともない尾道のことを、子供の頃から知っているような気がしていた。
 
 ヘミングウェイは、1920年代を過ごしたパリについて「移動祝祭日」というエッセイを書いた。その中でこう言っている。
 「もし君が幸運にも、青年時代にパリに住んだことがあるなら、君が残りの人生をどこで過ごそうとも、パリは君についてまわる。なぜならパリは、移動祝祭日だからだ。」
 私も同じように、こう言ってもいいはずだ。
 「子供の頃を尾道で過ごした人は幸福である。何故なら尾道は移動祝祭日であるから。」

倉敷から尾道へ

2005年02月27日 | 旅の破片
 25日夜、新幹線のぞみにて岡山へ。駅近くのホテルに宿泊。インターネットは接続できないため、ブログも更新できず。

 26日早朝、倉敷へ移動し、阿智神社の辺りと町屋を1時間ほど撮影。倉敷は美観地区というものがあるのだが、箱庭的なテーマパークになってしまっているので、ちょっと苦手。
 仕事が終わり、夕刻、尾道に移動して、海辺のホテルに宿泊。尾道駅前のウォーターフロントは再開発され、モダンな感じに護岸されている。島影に日が沈んだ後、向島のドックが、赤、緑、黄、白でライトアップされている。
 海岸線と山陽本線に挟まれて長い商店街が続いているが、商店はあらかた閉まっていた。ところどころに飲食店の明かりが認められ、商店街の終わった先に、飲み屋街の明かりが見られるが、人通りは多くない。焼肉店で夕食し、ホテルへ戻った。