A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

喜多見/世田谷3

2011年01月16日 | デジタル
浄土宗慶元寺。江戸氏/喜多見氏の菩提寺。
秩父平氏の江戸氏は今の江戸城の場所に最初の江戸館を建てた。
三浦氏を横須賀の衣笠城で自刃させたり、頼朝の挙兵の際に関東で一目置かれた存在であった頃が一族の勢いはピークであった。
太田道灌に江戸館を追われ、木田見に逃れ、平氏一族の反乱でも破れ衰微して行く。
世田谷城の吉良氏の家臣となって生き延び、徳川期には旗本となり、喜多見氏へと改性されさせられる。
徳川家にとっても、江戸氏を名乗る一族は目障りであったに違いない。
綱吉の時代には、例の生類哀れみの令の先棒を担がされていたようで、生彩がない。
元禄の頃に、分家筋の刃傷沙汰の巻き添えを食って、改易、お家断絶になっている。
人気という点では、太田道灌に及ばない一族である。
菩提寺の慶元寺は元は江戸館の近隣にあったが、室町中期に、ここに移された。
一族の五輪塔はかなり古い形と思われるが、初代の頃までさかのぼれるものなのかどうか、残念ながら年号まで読み取れなかった。
この一帯には稲荷塚古墳をはじめ古代の痕跡が残されているし、慶元寺の広い寺域内にも古墳がある。
世田谷といってもほぼ狛江市との境界に近い土地であり、狛江一帯は古代に朝鮮半島からの渡来人により開発された地域でもある。