A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

檮原紀行

2007年04月29日 | 流離譚(土佐山北郷士列伝)
 昨夜は、高知駅前のホテルに宿泊した。
 今朝の高知は、気持ちよく晴れ渡っていた。6:05、土讃線、高知発須崎行きワンマン列車に乗車。これから檮原(ゆすはら)に向かうところ。先ほど中学生のサッカー部員が乗り込んできて、車内は、行き交う土佐弁で充ちている。ここから先は、どこまでエアエッジが接続できるか不明なり。
 列車は、晴れた田園風景の中を進む。中学生たちは、佐川で下車して行った。車内は急に閑散として、列車が走る音だけに戻った。世間がゴールデンウイークというのがウソのようだ。
 吾桑(あそう)、多の郷(おおのごう)という変わった駅名あり。7:45 須崎着。須崎(すさき)は、高知県西部の、太平洋岸に近い、小さな市である。高知県は高知市以外というと、小さな町や村ばかりになる。
 8:17 高知県交通の杉の川方面、檮原行きのバスに乗車。これより四国山脈の山中に向かう。とたんにエアエッジが繋がらなくなった。

 山裾を縫うようにして山中に入り、9:45 頃檮原役場前着。川沿いの平地に開けた小さな集落であるが、農協や郵便局、旅館、コンビニ、スーパーなどあり。駐在所で道筋を尋ねるが、茶や谷方面は、平日でも、5便くらいしかバスが出ておらず、今日は休日とあって、朝、昼の2便の様子。12:35の便までは待てないので、タクシーに乗ることにした。この山中にタクシー会社があるのが不思議なくらいだが、無線で予約が入ってきている。運転手さんも竜王の出身ということであった。
 単車線の山道をうねうねと登り、10:20頃竜王橋着。この橋のたもとの民家こそ、「土佐源氏」の山本槌造の住み家である。

 檮原に関心が向いたのには、ふたつの理由がある。幕末の土佐からの脱藩の道という面と、宮本常一の「土佐源氏」の舞台という面とである。坂本龍馬が檮原の関所を抜けて脱藩したというので、それがこの町の観光資源になっている。竜馬脱藩のひと月後に、同じ経路で脱藩したのが、吉田東洋を暗殺した、安岡嘉助と那須信吾らである。
 2年前から「流離譚」の現場を見る旅を、断続的にやっていて、土佐山北、小高坂、十津川、会津七日町と辿ってきた。那須信吾の養子に入った家がこの檮原であったし、天誅組の吉村寅太郎の出身もこの近くである。嘉助の脱藩の行跡を確認しておきたいという目的がひとつにはあった。


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2 コメント

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Unknown (ガイ)
2007-04-30 06:41:05
ここがそうなんですね。旅のルポすばらしいですね。
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Unknown (goldenbough(胸の振り子))
2007-04-30 18:06:17
そうです、ここが「土佐源氏」の舞台なんですよ。
一段低くなって、八重桜(?)の咲いているお宅ですね。
水車小屋はなくなっていますが、子孫の方は住んでいる様子です。

連休どこか旅行するのですかとガイさんが書いておられたので、内心ドキッとしました。
ここに出かける予定だったんです。
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