A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

蒲生郡日野40/湖東

2008年12月31日 | 旅の破片
12月30日
今日で、とりあえず仕事納め。
まとまって1週間ほど休めるのならば、ありがたいのだが、実際は暮れも正月もあったものじゃない。
暮れだからと云っては、期限付きで大量の仕事の処理をせねばならず、正月だからと云っては、空騒ぎに付き合わされる。ちょっとツライ日々なり。それでも、今日は何度も、「よいお年を」と挨拶を繰り返し、そうしていると暮れの気分が次第に馴染んできた。
江戸、明治の頃の文章を読むと、1月は月半ばまで正月のうちで、ゆったりとした時間が流れている。庶民にとっては、実際はそうでもなかったのかもしれないが、とりあえず文章の中にはそういう時間の流れが残っている。そういうものを求めて、漱石でも、芭蕉でもいいのだが、ちょっと読み返してみたくなるのがこの季節だ。
年末になると、例年、じっくり読みたい本を探す。未読の新刊と馴染みの古典があれば万全だ。ところが今年は、読んでみようという新刊が見つからなかったのだ。どういうことだろう。こっちの好奇心が衰えたのか、それとも世間が斬新な本を出せないほど疲弊した年だったのか。

関西人の眼から見ると、東京の人が下町を散策したり写真を撮ったりしているのが、非常に些細な違いを針小棒大に拡大してありがたがっているように見えるという意味のことを、司馬遼太郎の文章であったか、少し揶揄的に書いているのを読んだことがある。むべなるかな。
東京では、関東大震災以前の近代建築と町並みはほぼ残っていないし、過去は地形と記録から再構成してみなければならない。零細なものは、かつてあったくらしからは切り離されて、残すために残すという形になっていることが多い。これがちょっとツラクなることがある。
地方と東京のバランスを取りながら、その間を振り子運動し、写真を撮り歩くのが、自分の性に合っているし、一番楽しめるようだ。

ネオパンSS