A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

月見のおわら(9月30日)

2006年09月30日 | 越中八尾 おわら風の盆
 上越新幹線MAXとき、北陸線はくたか14号と乗り継いで、5時頃富山着。ホテルのチェックインを済ませて、5時50分富山発、猪谷行きの電車に乗って八尾に向かった。ひと月前と違って、もう夜闇が迫っている。乗客も地元の人ばかりの様子。八尾駅からは、タクシーには乗らないで、諏訪町まで歩いた。途中上新町の喫茶明日香の前を通りがかった。お客さんがいっぱいで盛況な様子なのを、尻目に、そのまま諏訪町へ入った。ちょうど7時頃になっていた。

 諏訪町と上新町で各町の町流しが行われた。諏訪町、天満町、鏡町、東町の順で坂下から上へ流すのを見物し、ビデオを回した。今回は写真はほとんど撮らず。観光客だけの集団とおわらを見るのは、実に落ち着かない気分なり。最後は上新町の輪踊りだけど、9時過ぎには終わるので、まことににあわただしい。そして富山行きの終電は、10時01分だ。終わったとたん、駅へ向かって一目散。上新町から十三国橋までの夜の町をビデオで撮影しながら、坂を下った。聞名寺から先は、ひとっこひとりいなくて、用水の水音と虫の声が高く響くだけだった。


 やはり「風の盆」は、他にかけがえのない特別な行事であって、「月見のおわら」はそれの代用にはなりえない。それに、ちょっと思ったのは、こういう催しは、いち観光会社がやらずに、八尾の町か保存会の主催で行って、地元に経済効果をもたらすべく、もっと計画を練ったらいいのに、ということだ。余計なお世話だけれど。「月見のおわら」では、観光客は、夜直前にバスでやって来て、おわらだけ見ると、あっという間にいなくなってしまう。日中の「坂のまちアート」や、民謡フェティバル、音楽祭、コンサート、大道芸などの企画と組み合わせて、やってみたらどうだろう。八尾にはジャズもよく似合うと思う。

 明日もまた朝から八尾へ行くつもり。デジカメ画像には、もう随分前からあきあきしていて、今回はライカとモノクロフィルムに先祖帰り。人生は短いので、自分の好きな写真を自分のためだけに撮る所存なり。


月見のおわら

2006年09月28日 | 越中八尾 おわら風の盆
9月30日(土)、10月1日(日)の夜、「月見のおわら」。
行きたいのはやまやまだけど、今いろいろと戦略を練っているところ。ちょっとだけ仕事が押せば、無理になるなあ・・・

♪行こまいかね 行こまいかね 月見のおわらに
  月見をしたなら それから仕事を やろまいかね♪ (朗々と唄う)




会津七日町3

2006年09月26日 | 流離譚(土佐山北郷士列伝)
越後街道沿いの七日町を歩いていて、ちょっと驚いたのは、聖書の言葉を引いた看板が次々に現れることだ。
他の土地でも、時にこういう看板を見ることはあるが、ここの数の多さ、執拗さ、土俗的な感じは、ただ事じゃない。
「流離譚」の最後は、明治の早い時期から、土佐山北の女たちに浸透して行くキリスト教の問題になる。
維新に翻弄された土地柄には、共通して、キリスト教を早くから受け入れる土壌というものが醸成されたのかもしれないと思った。
このあたり非常に興味深し。

「楽しい時も、悲しい時もおわら」

2006年09月24日 | 越中八尾 おわら風の盆
今晩、「旅の香り」、「田舎へ泊まろう」の2番組が放送。
喫茶「明日香」の、かなたさんご一家の様子も放送された。

八尾の方がどういう思いを込めて、風の盆の町流しをしていらっしゃるのか、伺い知ることはできないが、やはり観光客は、その思いを、そっと見守る気持ちが必要だ。
人はそれぞれの人生で、死別、生別を経験している。だから風の盆は、ある人にとっては、祭りであるし、別の人にとっては、盂蘭盆会であるし、託す気持ちは人さまざまだ。

「楽しい時もおわら、悲しい時もおわら」
云うべき言葉もない。