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覚之助墓
覚之助の墓石は、後部が土中に沈み込み、仰向くように傾いていた。雨は止み、いつの間にか、うるさいくらいの蝉の声に変わっていた。
覚之助は長男で、非常な秀才であったようだ。戊辰戦争に参加してからも、父文助の元へ夥しい手紙を送っている。板垣退助からも嘱望されていたが、会津で流れ弾を受け、妻子を家郷に残したまま亡くなった。享年三十五歳。
こんなに墓ばかり撮影した旅は初めてであるが、仏式の戒名ではなくて、生前の本名に忌み名を付すという形の墓は、なかなかにいいものだと思った。35ミリフィルムは、お墓を撮るのにまことに適した縦横比であるナと感心。
覚之助の墓石は、後部が土中に沈み込み、仰向くように傾いていた。雨は止み、いつの間にか、うるさいくらいの蝉の声に変わっていた。
覚之助は長男で、非常な秀才であったようだ。戊辰戦争に参加してからも、父文助の元へ夥しい手紙を送っている。板垣退助からも嘱望されていたが、会津で流れ弾を受け、妻子を家郷に残したまま亡くなった。享年三十五歳。
こんなに墓ばかり撮影した旅は初めてであるが、仏式の戒名ではなくて、生前の本名に忌み名を付すという形の墓は、なかなかにいいものだと思った。35ミリフィルムは、お墓を撮るのにまことに適した縦横比であるナと感心。