今年も9月1日から4日明け方まで、越中八尾へ通い詰め、おわら風の盆で明け暮れるノーテンキな三日間を過ごして来ました。昨年は震災があり大きくこころが揺らいだ年でした。こういう時にこそよく観ておこうと臨んだ風の盆でしたが、母親が入院した直後だったので、諸事片付けなければならない事が山積しており、最終日を観ずしてそのまま帰省となりました。それ故、何かモヤモヤしたこころ残りが疼く一年を過ごした気がします。
8月31日夜富山入りしました。八尾へ通い始めた最初の年に、沈む夕陽を追いかけながら走る特急はくたかに乗っていると、車内が隅々まで真っ赤な光で満たされ、光の中で塵埃がきらめくという光景を見せてくれたことがありました。大袈裟に言うと「こ世の終り」という時空間でした。それをもう一度見たくて、同じ時刻のはくたかに乗るのですが、その後一度も目にしたことがありません。この日も進行方向で日が沈み空は焼けるのですが、やはりはくたかは銀河鉄道にはなってくれませんでした。
写真を撮っていると、同じ光には二度と出く合わさないと知るのですが、この赤光もそういう光景のひとつなのでしょうか。経験を自分の中で模倣することの無意味さを教えてくれているのでしょうか。おわらもその日、その時の一瞬のきらめきの中にしかないとこころに決めて、やって来た今年の風の盆でした。
1日の零時を回ると八尾では正式行事を待ちきれない町の人たちが集まって夜流しをします。私服で、リラックスして集まった人たちが、人出が多くなりすぎた正式行事では味わえなくなったおわらを自分たちの手元に取り戻そうとするかのように町流しを始めます。三々五々集まって来た地方衆が、てんでに調弦していたかと思うと、阿吽の呼吸で、空気が定まり、三味線が最初の三音を強く弾き出します。そして今年のおわらが始まります。これを何度か見ましたが、ちょっとゾクゾクします。モダンジャズが好きな人はこの光景は馴染みが深いでしょう。ちょうどあんな感じと思っていただければ、近いかも知れません。
今年はパラパラと小雨は降ったのですが、すぐに止み、普通に行われたと翌日聞きました。わたしは帰りの足がないので、富山の定宿で早く休みました。