A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

曾我物語

2005年12月14日 | 街の底で
 丸谷才一の「忠臣蔵とは何か」によれば、「仮名手本忠臣蔵」の背景には「曾我物語」の曾我十郎、五郎の兄弟の仇討ちがある。
 実は、わたしの母方の叔父兄弟が、十郎、五郎であった。何故兄が十郎で、弟が五郎なのかが、子供の頃の謎であった。一郎、次郎のように、小さい数の方が兄であるべきではないかと思えたからだ。
 歌舞伎の「曾我物語」を知るに至って、はじめて、曾我兄弟にならって、兄が十郎、弟が五郎であったことを理解した。うちの母親は歌舞伎などにまるで興味がないのに、ある時、突然曾我兄弟のことを口にしたことがあった。それで、ははあと、長年の疑問が解けたのだ。
 祖父は牛を飼う馬喰(ばくろう)であった。「曾我物語」は、どこかで芝居を観たか、だれかに教わったかしたのであろうか。
 祖父は、鳥打ち帽を被り、ニッカボッカのズボンを履いて、冗談好きで、孫たちをよく笑わせる人であった。どこかしらわれわれ素人衆と違うところがあって、気っ風がよかった。旅館のような大きな家に大家族で住み、自分は牛の納屋の隣の部屋で祖母と起き伏ししていた。ガラス戸を隔てて、納屋が見渡せ、納屋は夜でも裸電球が必ず、煌々と明るく燈っていた。
 仲間の客が誰かしら、毎日訪ねてくるので、お茶とお茶菓子、キセルのたばこ盆がいつも居間にあった。上がりかまちに腰掛けて、終日長話をするのだった。
 近くに大きな牛市場があり、市が立つと賑やかだった。育てた牛が高く売れると、その日は牛鍋である。弱い酒に酔い、孫たちにあれこれ指図して、うれしそうに振る舞った。
 こういう馬喰の生活も、日本から消えてなくなった。今では誰も知るものは、いないであろう。