A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

鉄砲洲の赤穂藩上屋敷

2005年12月01日 | 街の底で
 さて12月になった。晦日に向かって追い立てられるような日々の始まりである。
 暮れには、TVや活字で忠臣蔵がやたらと繰り返される年もあれば、そうでない年もあって、今年はそうでない方の年である。

 赤穂淺野家の上屋敷は鉄砲洲にあった。淺野内匠頭の江戸での居宅であるが、例の江戸城松の廊下の刃傷の後は、即日切腹となり、遺骸はそのまま泉岳寺に運ばれたので、鉄砲洲の上屋敷には戻らなかった。
 赤穂は塩田で有名であるが、一方行徳から小名木川、八丁堀船入、道三堀(日本橋川)と続く水路は塩の輸送路である。八丁堀船入に隣接する鉄砲洲に、赤穂藩があったということは、製塩という繋がりからして何か関連がありそうである。