桜宮高校や女子柔道の「体罰」をはじめ、最近のセクハラとかパワハラなどのニュースを見るたびに思うことがある。
それはもちろん、それぞれにあってはならない出来事で上に立つ立場の人間は十分に心しての言動を心がけねばならないと思う。
が、同時にこれらの概念はほとんどが西欧からの輸入品で、西欧とはかけ離れた東洋の端に存在する日本人の遺伝子や日本の歴史経緯や社会構造と順応させるためのフィルターが必要なのではと思う。
というのは、最近、京都の歴史をネットで見る機会があり、その時にもともと日本に存在していた「八百万の神」の世界に仏教が伝来した時の日本人の反応を知った。
いわゆる「神仏習合」というものだが、そこには驚くほどの日本人の懐の深さというか大らかさが垣間見える。
仏の教えも神の教えも、とりあえず自分のためになるなら何でも吸収しょうとした先人の「受け入れ」の思想が感じられる。
その日本人の感性を西欧の白人社会やイスラムの社会に輸出できたら戦争などたちまち消滅するのではと思ってしまう。
(まあ、別の意味で戦争を欲する社会構造には無易だが)
体罰もセクハラもパワハラも、マン・ツ―・マンの関係にあり、西欧イズムにしたがって現象面だけでとらえると日本人の「こころ」を失ってしまう。
今こそ、「日本人のこころ」を意識して解決を・・・