もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

老後2000万とソイレントグリーン

2019年06月11日 | 与党

 「夫婦で老後をマァマァ暮らすためには年金以外に2000万円が必要」との麻生財相の発言に、野党が目くじらを立てている。

 野党の反発は、”年金100年安泰”としていた政府見解と異なるとするものであるが、肝心の”老後の対する蓄え”については論点・争点から外しており、両者いずれも大多数の国民の現実と実感からは遠いもので、“目糞鼻糞”の感が強いと思う。本日は、自分の懐をさらけ出す恥を忍んで2000万円を持たない者の代表意見である。麻生大臣の云う”マァマァ””の暮らしとは如何なるものであろうか。年に1回海外旅行できる生活か、月に一度豪華なグルメを満喫できる生活か、その辺の塩梅には個人差が強いために持つ人と持たない人では相当な意識の違いがあるだろう。持たない自分は、今日の米に事欠かなければ良しとしているので年金だけで十分であり、多くの蓄えは必要ないと考えている。しかしながら病気や痴呆にたいする対処は?と聞かれると答えに窮する。意識・気力が確かなうちに余命を問われる病気になった場合には高額医療を断る気持ちは持っているが、その場合も年金だけでは充当できないだろうし、耄碌した場合の介護は年金と介護保険で十分とは思えない。いかほどの金額かは分からないが、やはり麻生大臣の云う蓄えは必要なのだろうと暗澹たる先行き不安に捉われる。閑話休題。2000万円発言に触発されて、チャールトン・ヘストン主演の「ソイレント・グリ-ン」という映画を思い出した。物語は、食糧危機を迎えた近未来、政府がソイレント・グリーンと呼ぶ食糧を配給している一方で、高齢者は自分の生涯で最も輝いた一時を映像で見ながら死ぬことができる終末施設で生涯を終えることを強制されている。皆様の想像通り、ソイレント・グリーンの原料は終末施設での死者であったとする内容であった。当時は荒唐無稽と感じられるものであったが、少子化のために労働人口では高齢者を支え切れない社会が出現すると、あながち残酷・荒唐無稽では済まされない示唆を含んでいるように感じる。姨捨山の物語では、優しく、かつ、幾ばくかの余裕がある息子が床下に母親を隠すが、老人の扶養・生存に多額の支出を余儀なくされる現代社会にあっては、自分のように蓄えのない高齢者は、いかに良くできた子供と云えども扶養することは困難で、共倒れする現象も既に現出している。

 的外れな前提と現状認識による与野党の論戦はさておき、老後への蓄えは必要であると思う。持たない自分としては既に手遅れであるが、若者には自分の轍を踏んで欲しくないと思うものである。繰り言になるが、自分の入隊前後の制度(労使契約?)では、勤続15年で年金の受給資格が生じ、年金額は最終給与月額の6割とするものであった。アァ!


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