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もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

我々の責任だ

2022年12月15日 | 防衛

 岸田総裁の発言が論議を呼んでいる。

 問題視されているのは、自民党役員会終了後の記者会見で茂木幹事長が岸田総裁のメッセージ「(防衛費増額は)今を生きる国民が自らの責任として、重みを背負って対応すべきものだ」を紹介した部分である。
メ ディアが伝える市民の反応は、「上から目線」、「国民に責任を押し付ける」に集約されるようであるが、発言が総理としてではなく党総裁としてなされたことを考慮しなければならないと思う。
 岸田氏は自民党総裁と内閣総理大臣という二重人格を持っており、当然のことながら両人格では思考と発言が異なってくる。
 二重人格という概念は、一般国民には定着していないものかと思うが、軍隊組織では普通に行われている。例えば、海自の地方総監は隷下に実働部隊と後方支援部隊を有しているが、〇〇指揮官という別の人格も持っており、隷下部隊と他部隊の後方支援要求が競合した場合は〇〇指揮官として隷下を犠牲にしてでも他部隊を優先しなければならない場合も多い。
 岸田議員にあっても、今回の防衛費増額に対して、総裁(議員)としては増税を要求するものの総理としては国債を選択するケースが生じてもおかしくない。このことは、長所でもあり短所でもあるが、議院内閣制の宿命であると思う。
 「国民に責任を押し付けるもの」という意見について、相当の識者も同調しているのは疑問に思える。国民主権とは国民が選択した政権の結果に責任を負うべき概念で、55年体制の変革を民主党に求め、その失敗を正すために再び自公に政権を渡したことも主権者たる国民が責任を果たした結果である。領主を選ぶことができなかった封建制下では、土地や生活基盤は領主が守るもので責任は全て領主にあるであろうが、指導者を自由に選べる我々は政府と同等・一蓮托生の責任を有しており、国土の防衛と雖も埒外ではない。このことを身を以って示してくれているのがウクライナ国民である。一般的に朝鮮併合や大東亜戦争は軍部と政権の暴走とされるが、一方で一般国民もそれらに協力したという忸怩たる内省を持っているのはこのことに由来するもので、健常な思考であるように思う。
 「上から目線」の評価については、「我々の責任」と修文されていたものの茂木幹事長が修文前の原文を基に会見したとされるが、後出しの申し開きである公算が高いのではと疑っている。ともあれ、修辞に無知な政治家は多いので、真意を伝え国民の無用の疑惑を除くために党や内閣等は専門の報道官を置くべきである。ホワイトハウスや中国外務省の定例会見における報道官は、豊富な語彙と多彩な修辞を駆使して、的確に真意を伝えていることを参考にすべきと思っている。

 我々は、戦うことを嫌って兵士の全部を傭兵とし、戦時負担増を嫌って宿痾ローマに勝利しつつあった闘将ハンニバルへの兵站を打ち切り、ローマ降伏後の多額の賠償金を完済し終えた宰相ハンニバルを既得権益保護のために異国に追った挙句に国を失ったカルタゴ市民を思い出すべきと思う。
 国防は政府・自衛隊がするものではなく国民が一丸となって初めて達成できるものであり、必然的に失敗の責任は国民にあるという世界基準を当然視して欲しいものである。