野田元総理が、小池新党の踏み絵公認に抗して「先の離党者(玄葉光一郎氏?)の股はくぐらない」と啖呵を切った。
志操のない蓮舫代表を幹事長として制御できなかったとはいえ、世に害毒を垂れ流し、老醜をさらす鳩山・菅両元総理に比べれば気骨ある行動といえるが「韓信の股くぐり」を引用した表現の真意は若者に理解されたのだろうか。いかにも古色蒼然とした表現で、ターゲットとしている無党派層には響かないだろうと思う。長くなるが「韓信の股くぐり」を辞書から引用すると
【「韓信」とは、漢の天下統一に功績のあった名将。韓信が若い頃、町のごろつきに喧嘩を売られたが、韓信は大志を抱く身であったからごろつきと争うことを避けた。言われるまま彼の股の下をくぐらされるという屈辱をあえて受けたが、その後韓信は大成し、天下統一のために活躍したという故事から、将来に大望のある者は、目の前の小さな侮りを忍ぶべきという戒めである。】
このことから、「野田の股くぐり」が逸話として成立するためには野田氏が後に大成して存在を評価されることが必要であり、右顧左眄することなく節を全うし健全野党の中核とならんことを希望するものである。民主党政権下では、まだましであった野田氏へのエールであるが、政権を執って欲しいとは願うものではない。