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もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

ポスト菅政権を考える

2021年09月04日 | 与党

 菅総理が総裁選出馬を断念した。

 菅総裁の辞任に関しては、一部評論家の「ある程度予測されていた」との後付けコメントもあるが、我々にとっては電撃的若しくは急転直下の感が深い。
 我々以上に「青天の霹靂」と受け止めたのは、最大野党の立憲民主党であったらしく、まさに周章狼狽の様相に見える。枝野代表は「無責任な辞任を怒りを以て受け止めている」とコメントしているが、内閣不信任案を上程、早期退陣はおろか政権の禅譲まで迫った過去を考えれば、退陣は自党の主張が実現したことで勝利宣言しても可笑しくないものである。不信任や退陣による政治的混乱は覚悟して政権期交代主張を繰り返していた公党代表が、今更に論理破綻の「無責任」とするのは理解できない。また枝野代表は「自民党全体に政権を運営する資格はない」と言葉を継いでいるが、そこには国民生活よりも「衆院選を不人気な菅総理の下に戦いたかった」という、所謂「語るに落ちる」が明らかに思える。
 何故、枝野代表は勝利宣言できなかったのであろうかを考えると、政府に政策で挑むことをせずに「ひたすら政府の失点を突いて相対評価を上げる」ことにのみ注力するという姿勢に尽きると思う。しからば、立民や枝野氏の相対評価が高まったかと云えば、立民の支持率は6%強、枝野総理待望は3%弱の体たらくである。政権担当の準備が整ったと豪語する立憲民主党や総選挙での政権交代を主張(期待)する在野の意見でも、「何を」、「どう」変わるか具体的に述べたものは見当たらず、菅総理と自民党政権は「ダメだ!!ダメだ!!」の大合唱に過ぎないとするのは言い過ぎだろうか。
 これまで立民が反対若しくは非難してきた諸々、中国製以外は世界的に払底しているワクチンを現政権以上に確保できる方策を持っているのか、病棟増設等の医療体制整備に要する人的確保の方策はあるのか、集団的自衛権と安保関連法を否定しても尖閣・日本の防衛を達成できる方策を持っているのか、辺野古移設を中止しても普天間周辺住民の危険軽減の方策はあるのか、コロナ関連給付金を拡充しても財政は立ち行くのか、高級官僚の人事権を政権の基礎作りのために恣意的に運用することは無いのか・・・。具体策を持たない反対は小学生でもできることで、これまでの反対を見る限り、鳩山総理の「トラスト・ミー」的主張や姿勢に思えてならない。
 鳩山政権への政権交代にあっては、支離滅裂ではあってもマニュフェストで成功したが、柳の下に二匹目の泥鰌はいない。今後は、政策の波及するところまで見据えた政策・政権構想を掲げて欲しいものである。よしんば、「米軍と袂を分かち、かつ個別的自衛権完遂のために核武装する」という政策であったとしても、首尾一貫していれば納得できるが。

 菅総裁の不出馬によって自民党総裁選の行方は更に混迷の度を深めており、自分の求めている高市総裁誕生にも光明が射したと思っている。政局評論家雀からは、細田派・麻生グループの支援によって決選投票では勝機ありとも聞こえてくる。が、高市総裁で臨んだ場合の衆院選はどうなるのであろうか。


自民党総裁選を考える

2021年08月27日 | 与党

 自民党の総裁選が9月29日投開票で行われることとなった。

 現在のところ菅総裁に挑むのは岸田文雄・下村文博・高市早苗の各氏と観られているが、石破茂・河野太郎氏の動向も注目されている。
 勝手な評価であるが、岸田氏は外相時代の実績を見る限り次席指揮官が精々、下村氏は菅総裁以上の調整型、石破氏は学者型で、いづれも総裁・総理それもコロナ過という難局に相応しい指揮官たり得ない。さらに河野氏は、紛れもなく親ロ韓の家系・家訓の継承者で、祖父一郎・父洋平が遺した負の遺産が現在までも日ロ・日韓関係の障害となっていることを思えば、総裁・総理にしてはならない人物と思っている。
 となれが高市早苗氏しか残らないが、男尊女卑論者の自分でも、松下政経塾修了者としての明晰な頭脳と明快な論理は、有事の総裁・宰相として相応しく思える。総務相として、電波管理に関しては偏向メディアの免許取り消しもちらつかせる等、改革のための強権発動も辞さない指導力は魅力である。残念ながら、高市氏は立候補に必要な20人の推薦人の確保も疑問視されているが、党内の風向きが変わることに期待したいと思っている。
 一方、総裁選日程の決定に因って、総選挙は自民党総裁選の後になることが確実視され、10月21日の議員任期満了を以ての総選挙ともなれば11月末の投開票となる
 この事態を受けて、何が何でも菅総理の不人気の下で総選挙を戦いたい立憲民主党が、苦笑を禁じ得ない諸々を晒している。立憲民主党は6月の時点で、菅政権の対コロナ対策の不備等を掲げて内閣不信任案を提出した。内閣不信任案は、可決された場合には内閣総辞職若しくは国会解散が選択されるもので、立民は6月の時点では総理の交代か総選挙を望んでいたと解される。しかしながら、僅か2か月しか経たない現在では、総理の交代も起こり得る総裁選の早期実施に反対するという論理的矛盾を主張するのみならず、安住国対委員長に至っては「横浜市長選の敗北責任を菅総理に負わせるのは酷」と菅総裁再選にエールをすら送っている。高市氏と同様に松下政経塾出身の福山幹事長は「感染拡大の最中に総裁選を行うことには違和感」としているが、6月には良くて9月にはダメという論理が成立するには「6月までのコロナ対策は糾弾に値するものであるが、以後の2か月間のそれは十分である」との前提が必要であるが、それらの主張がなされないことを考えれば、「国民に寄り添う政党」を看板とする立民と雖も、政権奪取の政争・政局を最優先する政治屋集団に過ぎないとも思える主張である。

 コロナ閉塞感によって立民政権の誕生に期待し、その誕生も有り得る情勢であるが、さて、枝野政権の具体的なコロナ対策・経済政策・弱者支援・エネルギー政策・外交政策・安全保障政策について知っている人は皆無であると思う。何故なら、連合との選挙合意でも神津会長が求めたように政権構想が無いことに起因している。
 菅総理の支持率は30%台に低下しているにも関わらず立民の支持率も微増したとは言え10%にも届いていないのは、何でも反対党の立民が具体的な政策を持たない現実を有権者が知っているためであり、コロナ禍の非常時にあっては素人集団に実験的な政権運営を託す余裕がないことを賢明にも見抜かれていることであると思っている。


新自由主義を学ぶ

2021年08月23日 | 与党

 経済学に暗いので、巷間で批判・攻撃されている新自由主義の功罪を勉強した。

 付け焼刃なので的外れや誤った点も多いと思うが、一般市民の平均(以下?)レベルの考察・観察と割り引くとともに、新自由主義反対論者からの御教示を期待しています。
 各国の経済政策を一言でいえば「経済活動と富の配分に関する政府の関与」をどの程度にするかであり、新自由主義は政府の規制・関与を「野放し」と表現できるほどに最小化して、経済を完全な自由競争と市場原理に任せる政策を指していると思う。
 新自由主義の対義語は何かといえば、政府関与の度合いに応じて共産主義・社会主義・社会民主主義と様々であり、新自由主義反対論の多くが、政府関与の度合いをどの程度にすべきかという「立ち位置」を明確にしないままに語られているため、自分のような素人は新自由主義の良否について判断に迷っているのが現実である。
 日本の戦後史を振り返ると、3公社5現業、電力大手の地域分割、米の統制、公定料金の設定、等に見られるように、資本主義社会では稀有の社会主義的経済政策を採用し復興には一応の成果を挙げていた。しかしながら、公的な独占経済体制・企業は競争力を失うとともに官財癒着の弊害が顕著になったことから、次第に政府の規制は緩和され、小泉政権以降は新自由主義と称される様相を呈したものと思う。この変化については、野党の「岩盤規制撤廃」の主張・努力にも沿ったものであり、社会主義的経済から新自由主義に移行したのはリベラル政党の功績で、彼等も「規制緩和を勝ち取った」と勝利宣言した事例も少なからず記憶しているが、大きな政府構想を掲げた枝野氏が、どこら辺り釜では不明ながら先祖がえりを企図しているのは皮肉なものである。
 新自由主義経済は、必然的に過酷な競争原理を資本家と労働者に求めるために、当然の帰結として階層の分化と格差を生むとともに、アメリカ社会では「肥大化した資本家が政治権力すら握った」とまで囁かれている。
 一方で、社会主義型・多少穏健な社民主義的な経済政策は、国民が向上心や勤労意欲を低下させて経済活動を低迷させることは歴史が証明しており、中国の人民公社の失敗程ではないにしろ、コロナ禍の猖獗制御に一応の成果を見せたアメリカで、過剰な休業補償に馴れた労働者が職場に戻らないという事例も報告されている。

 新自由主義の行き過ぎによる格差是正や中国を世界の工場視する体制改革は必要であると思うが、政府の関与を如何ほどにすべきか、極めて難しい選択であるように思える。
 なお、新自由主義反対論の多くは、新自由主義で達成した現在の経済規模をベースにして改革を論じているが、社会(社民)主義的経済は必然的に減速・縮小する運命にあるとともに、規制の強化は起業意欲の減退や新規参入者の減少を招きかねない面も持っており、後世の青少年からアメリカン・ドリームを奪う危険性を持っていることを考慮して論じて欲しいと思う。


ネトウヨ・ネトサヨ・ではの守

2021年07月13日 | 与党

 過去3年分の自分のブログ記事タイトルを自分流に区分けして、取り出しやすいようにリンクを張ってみた。

 一覧をつらつら眺めるに、全般的な傾向として自分はネトウヨと呼ばれる範疇であるように感じた。一般的にネトウヨとは『広義にはインターネット上で右翼的・保守的・国粋主義な発言や行動を取る人々の略称であるが狭義の捉え方は各個人によって差異がある』とされている。一方、ネット上で左翼的な論調をする人々に対しては対義語として「ネトサヨ」なる言葉があり、当然のことながら両者についての明確な定義はなく、単に双方が相手を問答無用に罵り・蔑むための曖昧ツールとして定着しているらしい。
 自分は、なるべく反対の意見を持つ人の主張(ネトサヨ?)も読むことにしているが、「成程!!そうなんだ」と全面的に共感する場合よりも、ちょっと「ここは違うのでは?」と思うことの方が多いのは、やはりネトウヨ膏肓の故であるのだろう。
 ウヨ・サヨ分岐の時期や契機は様々であろうが、自分を振り返れば極東軍事裁判(東京裁判)関係の資料(勿論公刊の雑誌であるが。)を読んだことではないだろうかと思っている。高校卒業までの我が家の購読紙は朝日新聞で、昭和31(1956)の田英夫氏「第1回南極観測船(宗谷)同乗記」は今も鮮明に覚えており「天声人語」は毎日読んだ記憶があるが、朝日新聞の左傾記事にも影響も受けず、入隊後にもさしたる思想教育は受けないまま、東京裁判記録に影響されたのは海曹(下士官)になって艦内生活に若干の余裕が生まれた20代後半であった。
 さらに、自分の生国は教育委員会の左傾ぶりが報じられたり歴代革新系議員を選出するというお国柄であるので、教師からは些かの自虐・反日教育は受けたであろうが、先生の言葉など右から左の悪童であったことも幸いしているのかも知れない。閑話休題。
 自分も、自説補完のために他国を引き合いにして《どこどこの国では・・・》とすることも多いが、この姿勢を「ではの守」と呼ぶらしい。
 些か手遅れの感じではあるが、ネトウヨ気質を改め(薄め)るとともに、「ではの守(かみ)」までに至らぬ「ではの掾(じょう)」程度に留めようと思っている。

 記事中に触れた田秀夫氏をウィキペディアで振り返ってみた。秀夫氏の祖父は勅選議員や台湾総督を務めた男爵健治郎氏、父は鉄道省国際観光局長や華中鉄道副総裁を勤めた男爵誠氏で、秀夫氏は将に華族のおぼっちゃまである。英夫氏は東京帝国大学入学直後の1943(昭和18)年に学徒出陣で海軍兵科第4期予備学生となり昭和19年に少尉任官、本土決戦に備える第16震洋特別攻撃艇隊長として宮崎県の赤水基地(現延岡市)に配属され訓練を重ねていたが、終戦により海軍中尉で復員したとなっている。
 海軍の絆からであろうか、政治姿勢は異なるものの中曽根康弘元総理(海軍主計少佐)との親交も篤かったとされている。


高橋洋一氏・竹中平蔵氏の言を読み解く

2021年06月09日 | 与党

 元内閣参与の高橋洋一氏がTwitterでの発言を批判されて更迭された。

 改めて書くまでも無いと思うが、高橋氏は日本のコロナ禍の現状についてジョン・ホプキンス大のデータを列挙した上で「この程度の『さざ波』で五輪中止とかいうと笑笑」と呟いたとされる。氏のTwitterを見ていないので各国の感染率を試算した。医療態勢が整っているであろうことと、データ隠しが少ないであろうG7における感染者の対人口比を高い順に並べると、アメリカ10.1%、フランス8.9%、イタリア7.0%、イギリス6.7%、ドイツ4.4%、カナダ3.7%、日本2.9%となっている。日本ではPCR検査や抗体検査母数が少ないために無症状感染者が統計に現れていないという反対意見があるので、対人口死者比についても並べてみたら、イタリア0.2%、イギリス0.19%、アメリカ0.17%、フランス0.16%、ドイツ0.09%、カナダ0.06%、日本0.007%となり、日本の感染率や死亡率はG7中で最低であるように試算できる。
 改めて、この数字を念頭に置いて高橋氏の発言を眺めると、あながち暴言と切り捨てるのは明らかに行き過ぎであるように思えるが、ネット上に見られる高橋氏への批判コメントの多くが、一様に「これだけ人が死んでいるのに・・・」という枕詞を付けて述べられているので、科学を越えた単なる情念の差異に起因する攻撃であるように思える。閑話休題。
 竹中平蔵氏がテレビ番組で「(世論の6・7割が五輪中止としているが)世論は間違ってますよ。世論はしょっちゅう間違いますから」と述べてこれまた批判されているが、熱情に浮かれた世論が国を誤らせた例は数多いと考える。古くは衆愚政治と揶揄される直接民主制で国を失った古代ギリシャ、近世には、世界に冠たるドイツを標榜するヒットラーに政権を託したドイツ、米英討つべしという世情が大東亜戦争を決意させた日本という好例が有り、EU離脱を国民投票という世論で選択したイギリスの正否は現在進行形で示されるであろう。
 これらのことは、熱情下・危機下における世論や多数決が極めて危険であることを教えており、それを防ぐために多くの国は憲法に緊急条項を設けて国の存亡が問われる場合には憲法の一部を停止・凍結して、時の指導者に大きな権限を付与する仕組みを準備していると思っている。これらのことを踏まえて竹中平蔵氏は「世論はしょっちゅう間違える」と表現したものと思っており、堀江貴文氏が「まァそうだわな」と賛意を寄せたのも肯けるものである。

 高橋氏や竹中氏は統計や歴史を基に持論を述べているもので、コロナ全集中のあまりにヒステリックに即応するのではなく、一呼吸おいて冷静に吟味・対処する必要があるように思える。
 反対意見を瞬殺する愚は、日本統治の功罪を学門的に解明しようとする動きすら「親日」と一蹴する隣国が反面教師となって我々に教えてくれているではないだろうか。