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もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

世界価値観調査を学ぶ-2

2022年08月19日 | 社会・政治問題

 第7回世界価値観調査結果のうち、新聞に取り上げられた「戦争になった場合、あなたは国のために戦いますか?」という設問の回答結果に関する私見である。

 新聞に掲載された国はG7、中露、韓国、北欧の15か国であるが、「戦う」と答えた人は全ての国で37.3%(イタリア)~90%(中国)であるのに対し日本は13.2%と極めて低率である。また「戦わない」と答えた人は日本では48.6%と高い比率を示し、残余の38.1%は「わからない」と答えている。日本での「戦わない」人48.6%が突出しているかと云えば、42%が「戦う」と答えたカナダでは、残りの58%もの人が「戦わない」とキッパリと答え「わからない」と答えた人は見当たらない。15か国での「わからない」比率を見ると前述のカナダを筆頭に軒並み10%以下であり、日本の38.1%という数字は驚異的であるように思える。
 何故に日本で「わからない層」が突出しているのだろうかと考えてみたが、「わからない」の真意は「考えたこともない」ではないだろうかと思うが何故日本人は考えずにいられたのだろうか。
 おそらく「戦争は民間居住地域を離れた場所(関が原)で正規軍同士が行うもので、非戦闘員は埒外でいられだろう」、「戦闘は米軍・自衛隊が当たれば十分で、非戦闘員(市民)が武器を持つことは悪である」、そして究極は「平和憲法を持つ国を侵略する国は無いから対日戦争は起きない」であり「市民の生活を保障してくれるなら為政者は日本人で無くても良い」であろうと思う。
 さらには「税金を払っているのだから、国家(自衛隊)は万民の安全を保障してくれる」という儚い願望に縋っている人もいるかもしれない。
 これらの人々は、いま中国が武力侵攻して幾許かの戦闘の後に香港型の一国二制度を提示してきた場合は、容易に同調する危険性をすら内包しているかもしれないとも危惧している。
 また、「わからない層」には「武器も扱えないのにどう戦えば良いのかわからない」という存在も考えられるが、ロシアのウクライナ侵攻前に本ブログで「日本でも民兵養成を考慮すべき」と書いた節には、時期尚早・市民が武器操法に習熟する必要は無いという冷ややかな反響を得たが、今回の価値観調査結果を見る限り「荒唐無稽の暴論」では無かったと思っている。
 今、西欧・北欧を中心に徴兵制復活の動きが顕著で、既にフランスでは夏休みを利用した選抜的(応召は任意)徴兵で10万人近い高校生が団体行動の基礎や救急法を習得したとされ、将来的には対象者全員の短期の強制徴兵に踏み切るといわれているが、真意は「戦わない層」を減らす以上に10%の「わからない層」に国防とは何かを考えさせる機会を与えることではないかと推測している。

 電通総研によると、日本は第7回(波)調査を2019年9月に実施したが、その後に起きた武漢コロナパンデミックによる価値観変化を探る意味合いもあって、独自に2020年11月に2019年と同じ質問票、同じサンプル抽出方法で再調査したとしている。いずれもウクライナ事変が起きていない時期であるので、国防に関する現在の比率・分布は聊か異なっているだろうとは思うが、コロナ禍・ウクライナ・経済不安・難民等によって引き起こされる過度の排他的かつ偏狭なナショナリズムが蔓延する前に、この価値観調査を政策に反映させる必要があると考える。


世界価値観調査を学ぶ-1

2022年08月18日 | 社会・政治問題

 先日「世界価値観調査」の結果が公表されたが、同調査について良く知らなかったので、ネット情報を頼りに俄か勉強を試みた。

 「世界価値観調査」は1981年に始まった欧州価値観調査が発展したもので、世界の異なる国の人々の社会文化的、道徳的、宗教的、政治的価値観を調査するため、社会科学者によって行われている国際プロジェクトで、対象国も当初の22ヵ国から約80か国にまで拡大しているらしい。
調査は、1981年、1990年、1995年、2000年、2005年、2010年、2019年と計7回(波)実施されたとされており、実行委員会の詳細は良く分からなかったが、日本は1990年(第2波)から電通総研が調査を行い分析には東大(第6波)や同志社大(第7波)が参加しているようである。
 調査方法は、18歳以上の一般個人1,000人程度を対象にした面接による詳細なアンケート方式で、質問は政治観、経済観、労働観、教育観、宗教観、家族観等に関する250項目にも及ぶとされている。
 調査は、約5年間隔で質問票・調査方法を揃えて実行されるとされているが、各国で独自の質問が追加されたりカスタマイズされたりして必ずしも同じではないようである。また、実施年が各国によりずれるために一つの調査を「波」と称しているので、調査結果を「傾向・トレンド」と捉えているらしいのが、リアルタイムの世評を知るための一般的な世論調査とは一線を画しているように感じた。

 「世界価値観調査」は、国境・政治形態・人種・宗教を敷衍した価値観を横並びに示すもので、社会科学者にとって興味・意義を持つ以上に、為政者にとっても統治方法や政策決定、就中、国家の将来を計るうえで有効な調査であるように思える。
 余談であろうが、もし自分がアンケート回答者に選定された場合を考えると、自分の浅薄な知識と経験では多岐にわたる項目のいくつかには答えに窮するのは確実に思えるし、ウエブサイトに公開されている調査結果についても、自分の理解を超えるものに思えて、閲覧・勉強を止めてしまった。

 次回は、新聞報道された範囲と内容に関して考えることとした。


貨幣価値を考える

2022年07月24日 | 社会・政治問題

 安倍元総理の国葬が決定したが、未だに反対の意見も根強いとされる。

 各種世論調査でも国葬賛成意見は7割近くに上っているとされるが、一方で怪しげな市民団体の公費支弁停止訴訟や国葬自体に反対するデモの様子が報じられている。
 反対理由の一つが、総額で2億円を超えると予測される公費支出に対して「多額の国費」とされることで、関係者(主導者)らしき人物が映像で「我々の多額の税金が」又は「コロナ支援に回すべき」と述べている。以下は、税と金銭に無知な繰り言、疑問である。
 国葬の費用は2億円超と公称されるが、それは直接経費のみの積算額で自治体の警備、広報費、残業代まで含めた間接経費を併せれば10億円以上に膨らむだろうと思っているので、経費10億円として推論・暴論を進めることにする。
 国葬に対する国民の税負担を眺めると、消費税を含めた納税者を1億人としても国葬費用10億円を単純計算すれば一人当たりの税負担は10円となる。言いたいのは、税負担する1億人が各自10万円のコロナ給付金を受け取っていることである。持続型支援金を含めれば200兆円を超える国費が国民の手に渡ったことになるが、コロナ給付金10万円にすら多額の国費の浪費という意見は一向に聞こえてこなかった。
 安倍元総理の功績が国葬に値しないという意見は、個々人の判断として尊重すべきであると思うが、10万円の国費を受け取りつつ10円の負担・返還を多額とする主張には共感できない。

 先に、安倍総理の功罪を測る天秤の両方の皿には等価値を持つと思える事績を乗せて天秤の傾きを見るべきと書いたが、こと国費についても10円と10万円を乗せた場合に10円の方が重いという天秤秤は欠陥品と思わざるを得ない。
 先の参院選で2%超の得票を得て政党要件を維持した”護憲”社民党の福島党首は「護憲」が国民の支持を受けたとはしゃいで見せたが、社民党の天秤秤は2%を多数意見と表示しているのだろうか。
 民主主義にあっても少数意見は尊重すべきとは思うが、民主主義の大原則は多数決原理で少数意見を封じることであれば2%の少数意見は封殺されるべきで、国葬における7割の賛成は十分過ぎる数字であると思う。国葬に対して強固に反対している人々は民主主義の原則に従わない若しくは無知な存在であろうと極論できるように思える。
 イギリスは僅差の国民投票結果でEU離脱を選択したが、これこそが民主主義の原点であるように思える。


KDDIの通信障害に思う

2022年07月06日 | 社会・政治問題

 KDDIの通信障害が漸くに復旧した。

 電気通信インフラの障害については、10年程以前においては一般利用者にあっては通信の不便程度の限定的な影響しかなかったであろうが、キャッシュレス決済が広く浸透した今での骨幹通信機能のダウンは、深刻な影響を受けたものと思う。今回の障害の原因や影響については門外漢であるが、エンドユーザーの行動については一部疑問に思う点がある。
 それは、障害の最中に放映された中に、エンドユーザーと思しき女性が「故障の原因を問い合わせたが、明確な回答が無かった」という場面である。
 システムダウンに対して関係者は全力を挙げて復旧作業に当たっているであろう時期に、エンドユーザーが復旧予定や代替手段を問い合わせることは理解できるが、故障の原因を問い合わせて知ることには、あまり意味が無いのではと思う。
 自衛艦でも時折エンジントラブルが起きる。その時の第一報は「○○故障。出し得る速力〇ノット」で良いとされている。このことは、艦の運動のための速力が必要な艦橋(艦長)にあっては、運動のために使用できる最大速力を把握して対処することが最優先で、故障の原因については当面知る必要がないこと、優先順位が低いことに依っている。
 一般企業等でも同じと思うが、契約違反等に依って損失や信用を損なう事態が起きた場合、経営者は「如何に手当てするか」「如何に拡大を防ぐか」の処置に全力を傾注し、原因の探求は後回しにするのではないだろうか。
 東日本大震災の福島原発事故で、当時の菅直人総理が行った、現場の初動対処に口を挟んだり、東電に事故原因の早急な説明を求めたり、閣僚の現地派遣を急いだり、との行動が、事後検証において事故に対する初動対処を混乱させ・遅らせた最大の要因とされている。

 残念なことではあるが、機関故障に際して「故障の原因は?」「なぜ起きたのか?」「復旧予定は?」と矢継ぎ早に繰り出す艦長もおられる一方で、「エンジンが故障したら、まずコーヒーを頼んで一服する」とされる方もおられる。機関の故障に際しての矢継ぎ早の質問・怒声に対しては、シレっと「調査中」と答える図太さが現場の混乱を最小限に抑える特効薬であるが、相手が艦長ならまだしも、総理大臣であればそうもいかないだろう。
 今回のシステム障害にあっても、エンドユーザーが王様然と不急の問い合わせを行って、復旧作業者が無用のストレスに晒されたことが無ければ良いのだが。


犯罪者と公務の執行に思う

2022年07月05日 | 社会・政治問題

 アメリカで、逃走を図った黒人の交通違反者が、追跡した警官から60発近い銃弾を浴びせられて死亡したことが報じられた。

 報道では、逃走犯が拳銃を車内に残していたことから、丸腰の犯罪者を射殺したことと8人もの警官による斉射に焦点が当てられている。
 公務執行者に甘いとの指摘を覚悟して書けば、銃社会のアメリカでは「警官に過剰な反抗をすれば射殺されるおそれがある」ことは、犯罪者を含めて国民の常識ではないだろうか。それでも逃走を図ったのは直接容疑の交通違反以外にも捕まりたくない犯罪を犯していたのではと考えられる。また、大量発砲の原因は追跡した警官が一人の指揮官に率いられたチームではなく別々のパトカーに分乗した混成チームであったことも大きいと思う。
 アメリカでは犯罪者若しくは警察の追跡を逃れようとする者は銃を携行している可能性が高いので、警官が自己防衛のために先制発砲することは避けられないように思えるとともに、経験未熟な警官であれば、一旦引き金を引いた後にはパニック症状的に弾倉を撃ち尽くすことは十分に有り得るように思える。
 一般的に、公務執行者にあっても人間に向けて銃を発射するためには射撃訓練で標的紙を狙うのと違って「強固な使命感」若しくは「ある種の狂気」が必要とされる。1970(昭和45)年に起きた「ぷりんす号シージャック事件」は、犯人を狙撃(射殺)解決した事件として日本で唯一の事件であるが、狙撃を担当した警察官はオリンピックも夢ではない射撃能力を持っていたが、狙撃を命じた指揮官等は一様に「警官が本当に犯人を撃てるかどうか」を真剣に案じたとされている。
 現在ではシューティングゲーム等の蔓延で、発砲忌避(躊躇)のハードルは下がっているのかも知れないが、銃社会のアメリカはさておき日本では未だ警官が不用意に対象者を射殺したり全弾を撃ち尽くす事態は発生していないが、外国人による銃器犯罪の多発等によっては正当防衛(専守防衛)の鉄則が崩れ去ることも起こり得るように思っている。

 アメリカの事件と時を同じくして、日本で歩道に乗り上げて児童等に軽傷を負わせた高級外車の運転者が、徒歩で逃走したことが報じられた。まだ、ひき逃げの疑い濃厚な運転者は特定されていないが、なにやら交通事故以上に加重される行為を隠したい思惑があったのではと勝手に邪推している。
 我がPCにも「別件逮捕のタネ無し」とは大見得を切れぬところであるが。老い先短いながら我が身を正して生きて行こう。