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もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

ペルソナ・ノン・グラータの顛末

2022年10月10日 | 社会・政治問題

 日露外交官追放合戦の顛末を、佐藤優氏の主張に頼って忘備録とすべく整理してみた。

 一連の経過を時系列で整理すると。
〇9月22日 在ウラジオ領事がロシア当局に拘束され、3時間後に解放。解放直後に外務省はロシアに抗議したが、領事の安全確保を考慮して非公表
〇9月26日 ロシアが当該領事をペルソナ・ノン・グラータ(PNG)指定。48時間以内の国外退去を要請
〇9月27日 日本政府が領事拘束の事実を発表
〇9月28日 領事出国
〇10月4日 政府は対抗措置として、在札幌ロシア領事をPNG指定、10日までに国外退去を要請
となる。
 佐藤優氏によると、1956年の日ソ国交回復後、ソ連時代を含めて日本の外交官をPNGに指定したのは初めてとされている。自分の記憶では、ソ連スパイの摘発・拘束等があったと思っていたが、彼らの身分は外交官特権を持たない「通商代表部員」であったのだろう。さらに、在ソ連駐在武官であった海自1佐が任期途中で交代(国外退去?)させられたことを知っているが、佐藤氏のカウンターには計上されていないようである。
 佐藤氏は問題点として、
1 外交特権に保護されるべき領事を拘束したロシアの不誠実と国際慣例の無視に無視に対する対応の遅さ
2 衆目の眼前で、資料と現金を交換した領事の稚拙な行動
を挙げておられる。
 自分も、2項の外交官のスパイ技術について、外交官がどの程度の諜報技術を教育されているか知らないので、佐藤氏の主張を鵜呑みせざるを得ないが、政府の対応については、ロシアに対する抗議と同時に国民に公表するとともに、対抗措置としての札幌領事の追放は、電光石火で行われるべきと思う。以前にも書いたことであるが、在日外交官の違法駐車反則金の不払いなどの不行跡は目に余り、さらに公安関係者では彼等のスパイ行為等をも把握しており対抗してPNGに指定できるリストは持っているのではないだろうか。
 外交官のスパイ容疑に起因する追放合戦(応酬)は国際的には良く見られるもので、国策の衝突による追放や召喚(引揚げ)とは次元を異にすると思っているので、在札幌領事のPNG指定は、小門の出し遅れで、岸田氏お得意の過度の熟慮・逡巡の結果ではないだろうか。

 一連の動きを見て、外務省と政府の使い分けが良く理解できない。相手国に抗議の程度を明確にするため、大臣と総理というレベルを使い分けているのであると思うが、こと国際問題に関しては「外務省が抗議」と発表する際には、官房長官ならば「総理は外務大臣に抗議させた」とし、外務省報道官では「外務大臣は総理の命を受けて抗議した」とされるべきであると思う。
 主体性の見えない「外務省の抗議」は、真意が伝わらないのみならず、本ブログ記事に散見される、主語の無い・不明瞭な文章と同じであると思う。


リスキリングを学ぶ

2022年10月09日 | 社会・政治問題

 朝食の食器洗いをしながらであるが、テレビからリスキリングという言葉が聞こえてきたので、食洗の手を止めて視聴しようと一瞬思ったが、財務・厚労・法務大臣の叱責が怖くて断念した。

 ネットで調べてみると、リスキリングは既に2020年ころから「新成長戦略」に関連して経産省や経団連から発信・提唱されている取り組みであることを知った。
 リスキリング(Reskilling)は、字面通りに職業能力の再開発・再教育を意味しているが、現在の職務に関する事項についての能力の向上(スキルアップ)や、そのために一旦仕事を止めて学び直す「リカレント教育」とは異なって、主として企業が自社に不足する能力・人材を「新規雇用に依らず自社の社員を教育することで補おうとする取り組みであるとされている。
 なにやら目新しい取り組みに聞こえるが、これまでの「配置転換」や「出向」と呼ばれていた取り組みの看板架け替えに過ぎないようにも思える。自分の周りでも、東洋工業(マツダ)の経営危機にあって生産ラインの組立工が営業職に配置転換されて販売促進に四苦八苦し、造船不況では溶接工が関連企業の食品販売に出向させられた例を知っている。これまでは、配置転換や出向を命ぜられた場合、当該職に必要なスキルは個人が努力して会得する必要があったが、取り沙汰されているリスキリングはこれらを企業内で組織的に教育しようとするだけであるように思える。
 海上自衛隊では、艦艇の主機関の主流が蒸気タービンからガスタービンに移行した30年前、深刻なガスタービン要員の不足に直面した。その際は、些かパッチ充ての感があったが、蒸気機関やディーゼル機関のベテランである上級海曹を含む隊員に数週間の教育でガスタービン機関を習熟させる転換教育で要員不足に対処したことがある。これもスキルアップではなく立派なリスキリングであるように思う。

 テレビ番組では、外国企業で事務職を技術職に転換して成功した例が紹介されていたが、終身雇用が原則である日本ならば余剰人員を即席教育で配置転換させることも可能であろうが、意に添わぬ職(配置)からは「Fuck」と吐き捨てて別の企業に移動することが当たり前と思っていた外国で、そのような変化があったことを見れば、欧米人と雖も「雇用継続による安定」は魅力的に映るように変化したのかもしれない。
 番組では、この取り組みが社員の給与所得改善にも寄与できるとされていたが、高額の給与で他企業からハンティングするよりも些かの教育費出費で人材を養成する方が経営側に有利な点も見逃せないようにも思える。
 また半面、これまで配置転換は悪と捉え争議や訴訟に発展するケースもあったが、リスキリングは労働者にとっても新たな自分の能力の発見や、これまで無縁であった職の魅力発見と云う正の面もあって、これまで労使対決が当然とされてきた組合活動に捉われない新たな労使関係となるのかもしれない。


弔辞演出発言に思う

2022年10月02日 | 社会・政治問題

 昨日のフジテレビ「日曜報道」で橋下徹氏のコメントを聞いて「まさか、そんなことが!!」と思った。

 橋本氏のコメント要旨は「菅前総理の弔辞は広告代理店の演出であるという意見は許せない」と云うものであったが、ネットで調べると問題の発言者は、テレビ朝日報道局の局員で「羽鳥慎一モーニングショー」のコメンテーター玉川徹氏で、件の発言は同番組中でなされたものらしい。
 洋の東西を問わず、弔辞や通夜の席で語られる故人生前の業績・行跡は、余程のことが無い限り「美化」若しくは「言い回しによるソフト化」に彩られているのが一般的ではないだろうか。また、それが個人に対して生きている人ができる最後の務めであるとも思っているが、菅氏の弔辞はそれらの認識を超えて、安倍氏の生前の政治・外交姿勢を浮き彫りにするとともに哀悼・哀惜の念を伝える真の・出色の弔辞であったように思う。
 そんな「卑しい発言をする」玉川徹氏とは?、とWikipediaで調べるとこれまでも多くのフェイク発言が指摘され、その都度謝罪しているようである。今回も、発言を撤回し謝罪しているとされるが、一旦口にしたものは取り消す術がなく、撤回・謝罪を観逃した視聴者も多いこととと思う。Wikipediaに載せられたフェイク発言は一度だけでも降板に値するもので、複数回のフェイク・不適切発言にも拘わらずに生き延びているのは、テレビ朝日ならではの社風・報道姿勢の事情からであろうか。

 産経新聞の「から(韓)くに便り」では、国葬以前には日本国内の国葬反対動向に注力していた韓国の報道が、国葬後に東亜日報が「反対デモ参加者の多くが白髪層で、若年層は世論調査で国葬に賛成したり献花に訪れる人も多い。反日活動の方向を見直すべきでは」としているとしているような変化を見せていると伝えている。
 韓国ですら、日本の将来動向を決定する主勢力が40代前の階層の主張に移ったことに気付きつつあるが、日本の識者・言論界のみが半世紀も前の心情左派思考で日本の世論をリードしていると錯覚しているように思える。
 立憲民主党の支持が上がらないのは、主張が白髪層にしか響かないもので、更に悲観的であるのは現在の白髪層も年を追うごとに順次更新され、あと10年もすれば核心的支持者の多くが鬼籍に入るだろうことを思えば・・・。


国葬を振り返って

2022年09月28日 | 社会・政治問題

 安倍元総理の国葬が終わった。

 地方在住・コロナ禍の現状からテレビ参列・ネット献花を余儀なくされたが、武道館における儀式は総体的に成功裏に終わったのではないだろうかと思っているものの残念な点もある。
 1は、やはり国葬反対派の活動である。会場周辺での反対では主催者発表で1万5千人が活動したとされるが、主催者の過大宣伝を割り引けば実数は1万人弱であろうか。日本人の美徳・常識として葬式の邪魔など考えられないが、既に従来常識では測れない日本人が増えたのだろうか。国葬に対する世論調査では、賛成30%、反対30%、どちらかと云えば反対40%とされているので、数字的には献花に訪れた人2万人と同数程度の反対者が集結してもおかしくないが、1万人しか集まらなかったのは「国葬には反対だが、何も式典の邪魔をしてまで」と考える常識人が少なからずいたせいであろうと安堵しているものの、暴力的に反対を強要する様はBLMの愚行に通じるように思った。
 2は、NHKの報道姿勢である。式典の映像に「反対意見の割合」や「経費」のコメントを被せて、恰も国葬が国民の総意でないことを暗示する画面作りで、生まれて初めて抗議の電話を掛けたくなった。また、テロップの準備もない「おざなり」な映像作りは、公共放送としての存在・使命を自ら捨て去るに等しい行為と思った。このことは、民放各社でも同様であったようで、ネットにも苦情が散見される。NHKの映像については国際映像として世界に発信されるであろうことを思えば、制作担当者の政治的意図をちりばめたかの映像は、日本を貶めるものに他ならないのではないだろうか。

 今回の国葬のゴタゴタからか、一部に「総理経験者の葬送については一律に「国葬でない葬送とすれば」という意見があるらしいが、国葬の意義を忘れた意見であると思う。思い出すだけでも歴代総理には、女性問題で短命に終わった人、今に禍根を残す談話を残した人、フクシマについて誤った意見を国際機関に送った人、日米関係を危殆に曝すとともにクリミヤ正当化・韓国での土下座行脚を続ける人、等々、脛に傷持つ元総理が綺羅星の状況で、これらの人を十把一絡げ・同等に葬送するとしたら、安倍氏の国葬以上の非難囂々の修羅場となること請け合いに思う。

 最後に、今回の国葬儀に際しては、各フェーズの結節に円滑を欠いていたように思った。例を挙げれば、車列の捌き、ドアマンの配置、SPの乗降、献花者の誘導などであるが、45年振りの国葬で計画者・従事者がほぼ初体験であれば致し方の無いところかと思える。「次回はもっとスマートに」と云いたいところであるが、「羹に懲りて膾を吹く」の例えの通り、今後「大喪の礼」を除いて民間人に国葬を贈ることは多分無いのではと思える。
 しかしながら、今後とも起こり得るかもしれない「国難に殉じた戦士」等を顕彰するためにも、国葬と云う理念は保ち続けて欲しいと願っている。


ヒグマ「OSO18」を知る

2022年09月24日 | 社会・政治問題

 北海道の標茶(しべちゃ)町で、「OSO18」とコードネームされたヒグマが跳梁を重ねていることを知った。

 被害は、令和元年7月以降、同町を含む周辺自治体併せて子牛65頭(被害額4000万円)に及んでいると伝えられている。
「OSO18」の特質は、川の中を歩いて匂いによる追跡を不可能にし、人目を避けるために道路を歩かず、罠を的確に回避し、驚かせるための音響装置などに惑わされず、と極めて狡知で、目撃されたのも令和5年の1回だけとされている。
 かって、熊は知能が低く芸も覚えないために、世界中で芸のできる熊を飼育するのはボリショイサーカスだけといわれ、同サーカスでもオートバイに乗る熊はライオン等の猛獣とは違って、演技中も口輪を嵌められていたように記憶しているが、「OSO18」の行動を見ると学習能力に秀でており、将に"熊中の熊"であるように思える。
 我々世代は、虫・鳥・獣について人間に益をもたらすものを「益(虫・鳥・獣)」、反対に害を為すものを「害(虫・鳥・獣)」との区分を教えられた。年を重ねて記憶も曖昧になった今では、雑穀を食べる雀は害鳥、稲に付く虫を食べる燕は益鳥、くらいしか覚えていないが、熊はどちらに分類されていたのだろうか。
 「OSO18」もいずれは駆除される運命と思うが、恒例の通り動物愛護・自然保護団体は「保護・共生」を役場に電話攻勢し、一方で地元猟友会の代表は「ここに住んでから云ってくれ。命がかかった問題なんだ」と、鳥獣被害顕在の度に繰り返される展開とも報じられている。

 自分は、極端な自然愛護家でもなく直接の被害者でもないが、牛喰い等により「獣倫に外れた」獣に対しては、駆除すべきと考える。
 ネアンデルタールは4万年前に、ホモサピエンスも3万年前に洞窟壁画を描いているが、モチーフがいずれも野生動物であることを思えば、狩猟・採集時代にあっては野生動物は全て食料(益獣)であったが、時代が進んで農耕で食料を手にする時代になると家畜化された動物は益獣、農耕に寄与しない動物は害獣として駆除の対象になったと思っている。
 更に時代が進んだ現代では、全ての生物は保護すべきで、人は動物の命を奪う権利は無いという基本的鳥獣権に近い主張が定着しつつあるが、ヒトの生存と文化を守るためには、鳥獣を一定数(山林等の自然環境下で採餌し人に害を与えない程度)に駆除しつつ共生することが必要があるように思う。
 現在「OSO18」は子牛喰いで食料を得ているが、頭の良い個体であるので「牛よりも人の方が狩るに容易い」ことを知って、人喰いに変身するのは時間の問題ではないだろうか。