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もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

西日本新聞の「盛り」

2021年09月12日 | 社会・政治問題

 麻生太郎副総理兼財務相が、記事の訂正と謝罪を求める通知書を西日本新聞社(福岡市)に送ったことが報じられた。

 記事は、「菅総裁が麻生氏に、党役員人事で麻生派の河野太郎氏起用を打診した際に『おまえと一緒に、河野の将来まで沈めるわけにいかねえだろ』と声を荒らげた」としたものである。
 攻防の概要は、「記事にあるような発言をした事実はない」「記事を執筆した記者から取材を受けた事実はない」「記事の訂正と謝罪を強く求める」と抗議した麻生氏に対し、西日本新聞社はマスメディアの定型句「記事は十分な取材に基づいている」と反論していることである。
 真偽は不明ながらこの小咄的報道が成立するのは、麻生氏周辺が「首相という立場的に目上の人にあのような言葉遣いはしない人」としていることに対して、受け手である読者には《麻生氏ならば「言いかねない」若しくは「言ったかもしれない」》との認識があることであるように感じられる。
 昨今は、事実を誇張することを「話を盛る」と云い、バラエティ番組では盛んに見られる。しかしながら、バラエティで「盛る」ことが容認または笑いに変えられるためには不可欠の条件が必要で、1は「対象者が同席している場合」、2は「ツッコミで「盛り」を和らげ・修正してくれる人が存在する人が居る」ことである。1の場合には「盛り」の応酬・訂正で場を盛り上げ、2では「盛り過ぎやろ」や「ホンマカ」のツッコミを機に「盛り過ぎでした」で一件落着という進行になるが、2条件のどちらも無い場合には、単なる悪口となり「盛られた話」は事実となってしまう。
 マスメディアの報道も先に挙げた2条件のどちらも満たさない一方通行であるために、盛られた悪口は事実と捉えられて独り歩きを始めてしまう。

 いかに、麻生氏が福岡県の飯塚、火野葦平描く「花と竜」の川筋者にルーツがあるとしても、小学校以来学習院で学ぶとともに会社経営や日本青年会議所の会頭などの組織運営に携わった経歴を見る限り準公式の場で「おまえ」という言葉は使用しないであろうことを考えれば、西日本新聞の記事には「盛り」の気配が濃厚に思える。
 記者の取材先が本人や同席者であるとは考えられないので周辺取材や伝聞に基づいていると考えるのが適当と思うが、伝聞には伝聞者の「盛り」が含まれているのは避けられないことは心しておく必要があったように思う。
 「おまえ」や「沈める」等のセンセーショナルな字句を使用しないで「拒絶」や「断固拒絶」という言葉で会談の場を描写すれば、ニュース性は十分にある内容になったであろうが、発言を「盛った」ことでニュースとしての価値まで失ったように思える。「話を盛る」ことに違和感を持たない世代の記者が増えるにつれ、今後とも「客観的に伝えればニュースとして価値ある事実が、盛ったためにフェイクと化す」ことは増えるのではないだろうか。


パラリンピック閉幕

2021年09月06日 | 社会・政治問題

 2020+1パラリンピックが閉幕した。

 自己批判するならば、これまでパラリンピックにさほど関心を持たずに過ごしてきたが、巣ごもりの今回は相当な時間・関心を以て応援(観戦)したように思う。その中で、競技者が障害を負った背景や障害克服の経緯、とりわけ障害をものともしない強靭な精神力に感銘を受けた。また、インタビューでは、これまで支援してくれた人や社会に感謝する言葉はあっても、健常者を対象に整備された社会インフラに抗議したり、改善を要求するような言葉を聞くことは無かったように思う。表現は適切でないと思うが、パラリンピックに出場できた選手は、ある程度恵まれた環境にある・若しくは獲得できた人で障碍者の平均値ではないだろうとは思うものの、彼等は社会が歩み寄ってくれることを期待する以上に、それを克服する努力と強靭な精神力を持っていることを示しているように思えた。
 翻って我が身は、社会に対して「何と不平・不満を持って・述べて」いることかと忸怩たる思いが残る期間でもあった。
 本日の産経抄で知ったことであるが、パラリンピックの原点は、終戦後間もない1948(昭和23)年7月のロンドンオリンピック開会式当日に、ロンドン郊外の病院で開催された戦傷者のアーチェリー大会とされ、前回の東京大会にも傷痍軍人が参加されていたそうで今回大会でもアフガン紛争の傷痍軍人が多数参加している。オリンピックは、古代ギリシャで競技大会開催当日は戦闘を止めて競ったことが原点とされ近代オリンピックも意思を継いで平和の祭典とされているが、残念ながら全世界平和裡に開催されたことは無い。意地悪く、戦争が有れば戦傷者が生まれるのが当然で、それらの人々に競技大会を提供する目的からパラリンピックが生まれたとするのは深読み・曲解に過ぎるだろう。

 これで、TOKYO2020は閉幕であるが、今回の強行の意義・功罪はどのように総括されるのだろうか。開会以前から取り沙汰されているコロナ拡大懸念に加えて、既に一部では経費や施設の活用を取り沙汰する主張も報じられている。コロナ感染者数の動向や費用については数字で示されるために争点としては判り易いが、数字を離れた功罪、例えば世界各国の日本評価や国民の高揚感等の受け取り方については、各個人で様々であるだろう。
 自分としては、世界公約を果たし得たこと、コロナに負けない日本を発信し得たことの方を大きく評価したいと思っている。また、オリンピックでは世界に挑戦する日本の若い力を目の当たりにしたこと、パラリンピックでは障害の程度を理解し障碍者の意識の一端を知り得たことで、大きな収穫を得たTOKYO2020と受け止めている。


中高年とは

2021年09月03日 | 社会・政治問題

 紅灯を徘徊する年代構成のデータが報じられた。

 報じられた夜の繁華街人流の年代別データでは、19~34歳よりも35~54歳の方が多いと分析され、記事のタイトルも「夜の繁華街 目立つ中高年」となっていた。
 興味を持ったのは年齢の区切りを35歳としていることである。世間で中高年とは何歳くらいからを指すのだろうかと調べて見たが、多くは40~45歳以上となっていたにも関わらず、今回のデータでは35歳を区切りにしていた。一方「ゆとり世代」も定量的な括りではないが、1966年~1987年生まれの世代を指すとされており年齢的には55歳~34歳に該当する。これらのことから今回のデータ作成者の意図・思惑は「ゆとり世代」の独善的行動を特徴的・類推的に捉えたかったのではないだろうかに思える。
 今回のデータで夜の繁華街人流の主流とされた35~54歳の境遇を考えてみれば、一般的にこの年代は組織の初・中級管理職であることが多く、最もプレッシャーやストレスを感じる団塊であるように思えるので、酒でも飲んで発散しなければ家にも帰れないという一面が有るのかも知れない。こう考えれば、35~54歳の紅灯徘徊は、ゆとり教育の側面もあるかも知れないが、それ以上に初・中級管理者への登用と登用後の教育について考え直す必要があることを示しているように思える。
 中国ウィルス禍は完全に終息する一過性のものでは無く、今後何年にもわたって続くであろうと観られていることを考えれば、感染制御のためには、この階層の意識改革とライフスタイル改善が重要で、管理者への登用はストレスに堪え得る資質と、飲酒以外でストレス解消の方法を持っているということを重視しなければならないように思える。

 民間企業における初級管理者への登用はどのようになっているか良く知らないが、自衛隊では海曹昇任(契約社員的任期制隊員から永続勤務の職業軍人化)や幹部選抜に当たっては、筆記試験合格者について昇任や選抜の適否を一次監督者が調書として作成することになっているが、その際、最も葛藤するのは昇任・選抜によって彼等が得られる生活向上と自衛隊の精強化の天秤である。
 民間企業の人事担当者や上級管理者も同様のジレンマを抱えているものと推測するが、今後は飲酒以外でストレスを克服する術を知っているか否かを管理者登用の要素に加味することが、企業の対コロナ戦争勝利や日本の感染拡大防止に結びつくように思える。
 また、今後の中国ウィルスとの共存社会は、国民の一人一人に今まで以上の自制・自律心涵養を求めるとともに、日本的な群れ社会に属さない独自のライフスタイルを求める社会に変化するように思える。


FATFを知る

2021年08月31日 | 社会・政治問題

 FATF(金融活動作業部会)なる国際組織の存在を知った。

 新聞の解説によるとFATFは、マネーロンダリングやテロリストへの資金供与を防止する目的で1989年に設立・37カ国が参加している。FATFは、参加国に調査団を派遣して不当な資金の流れに対する政府等の対策を調査して格付けするとともに、改善を促す組織とされていた。今回の格付けで日本は、3段階評価の2番目の「重点フォローアップ」とされ、監視が甘い国で早急な対策強化が必要な国に分類された。
 自分は数度にわたって、活動資金の出所が不透明であることから市民団体やNPOは「胡散臭い存在」と書いた。しかしながら今回のFATFの指摘で、NPOに寄せられた寄付金や交付金が背後に隠れた実質的支配者に流れること監視が不備であることが指摘されていることを考えれば、自分の想像以上に出金の方が脅威とされているのであろう。
 NPOは、2020年度末で認証法人50,896団体、認定法人1,208団体となっている。NPOになるためには所轄庁に申請(無料)する必要があるが、所管庁の審査は書類審査のみで、認証基準に適合すると認めるときには設立を認証しなければならないとされている。ネットには「認証率100%」を謳う代行業者もいることから、認証は作文の巧拙で左右されると推測される。認証法人のうち、「運営組織及び事業活動が適正で非営利活動の健全な発展の基盤を有し公益の増進に資すると見込まれる」ものについは認定法人とされるが、2,020年度末の法人数で計算すると認定法人は全体の2.4%に過ぎないことから、大半のNPOはチョット身を引いて眺めるべき存在であり、一部には危険なNPOも存在するように邪推できる。
 また、NPOへの寄付については税法上の優遇が与えられることから、自分には想像もできない金額の流れが有るのだろうとも推測できる。
 一方、NPO法人からの送金先についての監視は、云うに易く行うには困難で、近年は電子マネー決済、暗号資産、デジタル資産などを活用する等、手口が巧妙・多様化しているともされており、特に地方銀行は、送金先の実態を暴力団関係を除いては把握していない場合が殆どであるともされている。NPOやNPOからの送金先の実質的支配者は、おそらく公安関係者しか把握していない物であろうが、それらのデータを一般と共有することは、捜査や人権にも影響することから不可能であるように思える。

 明かにIS支持者の主催するNPO法人等は色眼鏡で見ることも可能であるが、悲しむべきことであるが、難民支援や貧困支援という人道的NPO、野生動物保護を掲げる団体にすら実質支配者を隠してテロリストの集金に手を貸しているNPOも存在しているのかも知れない。
 政府はFATFの指摘・勧告に対して、3年を目途に何らかの改善を図ることを求められているが、「角を矯めて牛を殺す」に至らない改革を模索して欲しいものである。門外漢の自分には確たる方策は思いつかないが、認証法人は設立後、一定期間経過後に立入審査を受けて認定法人にならなければ認証を取り消すということではどうだろうか。


横浜市長選に考える

2021年08月24日 | 社会・政治問題

 横浜市長選が終わり、立憲民主党推薦の山中竹春氏が当選した。

 横浜市民ではないので、選挙結果と横浜市民の選択を論うこと適当ではないとは思うが、敗北した候補者について考えてみた。
 自民党推薦で国家公安委員長まで勤めた小此木八郎氏は、敗れるべくして敗れ、かつ、無様に負けたの感が深い。
 ID野球で名を馳せた故野村克也氏は「勝ちに不思議の勝ち有り、負けに不思議の負け無し」との名言を残しているが、小此木氏の敗戦は「IR誘致反対」を公約した段階で、既に決していたように思える。小此木陣営は、自民党支持者に加えてIR誘致反対勢力の取り込みを目論んでいたものであろうが、結果的にはIR反対票は山中氏に流れ、誘致推進派の票は林市長に流れる結果となったものと思っている。
 無様な敗戦と書いたのは、「付け焼刃的な選挙公約」は決して有権者には響かず、却って候補者の人物像を「変節漢」と際立たせることにしか繋がらないことである。これまでにも国政・自治体選挙の如何を問わず、所属政党の政策や自身の議会活動実績に反して「消費減税」や「改憲阻止」を突如として掲げる候補者が散見されたが、有権者の嘲笑に迎えられ好結果には結びつかなかったと思っている。小此木氏も、横浜市100年のために政府とのパイプを以てIRを推進と論陣を張れば、敗れたとしても市民の啓蒙や爾後の市政に大きな影響を与え得たのではないだろうか。
 選挙に敗れた小此木氏と林氏は、ともに政界を引退するとしているが、林氏は、少子化による税収減少の補完手段としてのIR誘致が容れられなかったとは言え清々しく選挙結果を受け容れて、節に殉じた人物と評価されるであろうが、小此木氏にあっては、節を曲げて不確かな世論に迎合しようとした変節漢として後悔を残しつつ余生を過ごすことになると思っている。

 小此木氏の敗北を変節の故と書いて来たが、実は選挙戦で掲げたIR誘致反対の本意・本気度は不明である。ただ一つ言えるのは、IR誘致反対が真の所信であったならば、自民党の推薦は辞退したであろうことだけである。首長を選ぶにあたって有権者は、強いリーダーを求めるとともに、未知数ではあっても斬新な人物に期待を寄せることから、山中市長当選も必然であったのかも知れない。
 以後は、横浜市民の物語となるが、市議会での支持基盤に難点を持つ山中市長の選挙公約実現の前途は、必ずしも洋々たるものでは無いようである。