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もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

自衛艦の食生活

2022年01月21日 | 自衛隊

 18歳から55歳までの多くを集団給食で過ごしたためか、食事に対して好き嫌いもない代わりに関心も薄い。

 「艦内生活の楽しみの一つが食事である」とはよく聞くが、乗員はさほど食事に関心を持っていない。
 現在では大きく改善されたが、それでも食堂は狭く・椅子も少ないために、1時間強の間に200人近い乗員の食器を準備し、食事し、後片付けを済ますためには、一人に許容される喫食時間は10分程度であり、さらには立直者との食事交代などの理由から数分間で食事しなければならない場合もあって、とても食事を楽しめる雰囲気ではない。そのため、海軍以来の伝統「早飯・早○○ 芸のうち」は今も受け継がれているように思う。
 そんな慌しい食事であるが、集団調理・集団喫食には「好き嫌いを治す」という素晴らしい一面がある。陸上部隊の食事では嫌いなメニューには売店や営舎外居住者用の有料食堂で腹を満たすことが可能であるが、艦船には代替の食事を得る方法がない。かって、カレーと鶏肉が食べられない同僚がいた。陸上部隊での新隊員教育では売店等の活用で凌いでいたが、艦船ではそんな手段もなく、不満を訴えても別メニューを与えてくれる「優しいお母さん」はおらず、周囲からも「アッ!そう」の冷ややかな反応が返ってくるだけである。やむなく本人は「おかずなしの白飯」で我慢していたが、2・3か月後には嫌いであった物の全てが食べられるようになった。
 思うに、好き嫌いは「習慣病」「贅沢病」に近いもので、選択が許される環境でのみ存在し得るものであるように思える。好き嫌いではなくアレルギーが原因で「食べたいけれども食べられない」というケースもあるが、自分の経験では「鯖」を我慢していた隊員を2名知っていただけで、その2名に対しては優しいお母さんに代わる調理員から「鯵の干物」や「卵焼き」の特別メニューが支給されていた。

 現在は、生鮮食品の調達を容易にするとともに緊急補給にも便なるように各定係港ごとに標準献立が決められており、在泊艦艇は「ほぼ同じメニュー」の食事を摂っているが、かっては献立も艦が独自に作成して食材を請求していたために、決められた経費の枠内であっても「艦ごとの食事の良し悪し」が顕著であった。昔ほどではないが標準献立の現在でも、食材を遣り繰りして1品加えたり、調理法に1工夫したりと調理員の努力に応じて各艦の評価が取り沙汰され、特に海軍カレーではルーの仕込みや隠し味に艦(調理員)の特色があり、調理員の転勤によってはA艦の味がB艦の味になることも多い。
 ともあれ、自分が現在でも生き永らえているのは集団給食による栄養管理の恩恵でもあるのかもしれないと感謝しているが、切羽詰まった動機からであっても、好き嫌いや偏食の悪弊を正して貰えたOBも多いのではないだろうか。


艦内号令詞の思い出

2022年01月14日 | 自衛隊

 艦内が「号令詞」で統制されていることは良く知られていると思う。

 未だ海軍の匂いが濃厚で、自衛官=公務員という認識は希薄で、外の世界を「娑婆(シャバ)」と呼んでいた頃(昭和40年代以前)の「号令詞」で、現在では記憶している人も少なくなったであろう思い出の記録である。
 食事の準備は「食卓番 手を洗え」と号令されていたが、特に朝食準備では甲板掃除の終了と合わせて「別れ 休め 顔洗え 食卓番 手を洗え」と号令された。まさに乗員をタイトに統制する海軍の空気そのものであったが、号令を聞き知った市民からは「自衛隊さんは号令がないと顔を洗うこともできないのか?」と評判されていたらしい。
 2000時(現在は1930時)には、副長もしくは当直士官が、艦内の規律・清掃・火気・健康・衛生状態を確認するために要所を検分する巡検があるが、巡検終了を知らせる号令も「巡検終り 酒保開け 煙草盆出せ」で、就寝前の束の間の開放・休息を許可するニュアンスに満ちていた。
 食事と並んで最大の楽しみである上陸(外出)についても、止業15分前に「上陸員 開け」という温情号令があった。この号令で上陸番に該当する者は仕事を止めて風呂に入ることができるという段取りで、鬼軍曹も上陸番の若年隊員を快く配置から解放してくれた。それでも、機関員は、油に汚れた手を洗って、食事して、風呂に入って、制服に着替えて、定時5分前までに整列するためには55分間しかなく、止むを得ずに定時から30分後の「遅れ上陸」にならざるを得ない場合も多かった。
 戦闘準備は「合戦準備」と称されるが、当時の「合戦準備 夜戦に備え」との号令も思い出深い。現在では昼・夜戦の区別はないが、当時は探照灯、照明弾、応急照明の準備を入念に確認する必要があったことから令されていたものと思っており、歴戦の強者にすれば当然の号令詞であったのだろう。
 当時の軍艦では、プロペラ回転数(速力)を敵潜水艦から察知されることを回避するために、両軸の回転数を変える「跛行(はこう)運転」と云う運転法があったが、「ばっこう運転」との通称で「ばっこう運転始め 右(左)軸 大」と令されていた。その後、跛行運転は長らく「ちんば運転」と称されていたが侮蔑用語であることから「対潜欺まん運転」と変化したものの、マスカ・プレリ装置の装備等で運転法そのものが意義を失っている。

 「歌は世につれ」との言葉があるが、海上自衛隊の号令詞も機器装置の近代化や勤務態様・隊員意識の変化によって、よりスマートに変化しているが、号令詞は変われど閉鎖空間に長時間拘束されるという海上生活・艦船勤務の本質は変わらないように思える。
 アデン湾での情報・監視活動に長期行動する海自隊員に声援を送りつつ、駄文終了。


RIMPAC92'の思い出

2021年12月20日 | 自衛隊

 補給艦に乗ってRIMPAC92'に参加した。

 参加国は、米・日・加・豪・韓の5ヶ国で、海上自衛隊の兵力は、第2護衛隊群の護衛艦8隻、補給艦・潜水艦各1隻、ヘリコプタ8機、対潜哨戒機8機という大兵力であった。
 パールハーバーに集結した演習参加艦艇は45隻以上とされているが、その全てが埠頭係留で、さらに埠頭には艦船への給電設備と給油設備が備わっているという贅沢さで、貧乏海軍(海自)では想像できない基地機能であった。流石に全艦艇に電力を供給する程の余裕はなく電力受給は電機関係を修理する場合に限定されたが、埠頭での給油は、バージ(油船)に頼っている海自から見るとうらやましいものであった。
 補給艦のように大量の燃料を搭載する場合は、専用の給油岸壁で行う必要があった。その際、担当者(軍属)への缶ビール6本の袖の下で貯油・給油施設を窺うことができたが、覆土防護されたタンク群は圧巻であった。対米戦争劈頭の真珠湾攻撃で南雲機動部隊は基地機能破壊のための2次攻撃を行わなかったが、燃料タンクだけでも破壊しておれば米海軍の行動を制約することができて、ミッドウエー海戦も違った展開になっていただろうにと悔しく思ったものである。
 米海軍では、0800時と日没時の軍艦旗掲揚・降下に際して、在泊艦艇の国歌を吹奏する慣わしである。RIMPAC92'でも5ヶ国の国歌が陸上の拡声器から流され、その間(10分近く)乗員は挙手の敬礼のまま「気を付け」する必要があるが、補給艦の停泊場所は拡声器から離れていたために国歌が終わった時が聞き取れず、見張り員を配して僚艦等の動向に倣う必要があった。資料ではRIMPAC2018'の参加国は26ヶ国とされているので、この伝で行けば国歌吹奏時間は1時間近くにもなるであろうことから、何らかの対策が取られているのではないだろうか。
 以前にも書いたことであるが、ハワイ停泊中の各艦にはオートボーンと呼ばれる海軍回線電話が設置された。オートボーンにはランクがあり、個艦には緊急時には割り込み・遮断される回線が、司令部には遮断機能が無い回線が割り振られた。電話帳には世界各地に展開する米海軍基地が網羅されており、オーシャンネイビーの底力が滲み出ていた。さらに裏技を使えばオートボーンから海自回線に接続することも可能であるのかも知れない。

 最近の産経抄で「真珠湾と云う名称は無い」ことを知った。確かに、海図(港図)にもパールハーバー(真珠港)と書かれており、山本五十六提督の書簡や連合艦隊の作戦計画にも「布哇真珠港攻撃」と書かれているそうである。
 今更、真珠湾⇒真珠港への呼称変更は必要ないと思うが、アメリカ側の「リメンバー・パールハーバー」はさておき、徹底を欠いて悔いを残した戦訓を忘れないためにも、「真珠湾を忘れるな」は日本でこそ語り継がなければならないように思う。


中露合同訓練と帽振れ

2021年10月25日 | 自衛隊

 新華社通信が配信した、中露合同演習を終了して両国艦隊が分離する画像を見た。

 中露合同演習は、2012年から毎年(昨年はコロナ禍で中止)行われており、「海上聯合2021」と銘打たれた今年の演習には中露艦それぞれ5隻が参加したとされている。
 防衛省発表等によって合同演習等の概要を振り返ると、10隻の艦船は10月11日に対馬海峡を通峡して日本海に、10月14~17日にウラジオストック周辺海域で潜水艦・露空軍機も参加した合同演習、18日に津軽海峡を通峡して太平洋に、その後日本列島に沿って南下、23日に大隅海峡から東シナ海に入ったとされている。
 このように、ほぼ日本を一周したことで、中露海軍は自衛隊の対応力や通信能力について少なからぬ情報を得たものと推測されるが、防衛省・海空自衛隊が正しく評価して適確な対応策を採ってくれるものと期待している。

 本日のお題は、海上自衛隊の「お別れ」や「見送り」の儀式についてである。
 「お別れ」や「見送り」の際、映画等ではハンカチを振る場面もあるが、一般的には手を振ることが多いと思う。今回新華社から配信されて映像でも、中露艦隊の分離に際しては両艦乗員がお互いが手を振り合っている。
 海上自衛隊では「お手振り」ではなく、旧海軍の伝統に倣って帽子を振り「帽振れ」「帽元へ」という立派な号令詞もある。真珠湾攻撃のために発艦する攻撃機に対して乗員が、ラバウル基地を離陸する攻撃機に山本長官が端正に、帽子を振る映像でお馴染みであるが、現在でも「洋上給油を終えて離脱する米艦に」「桟橋での見送り者に」「離任する指揮官や退艦する乗員に」「定年退職者に」・・・と、数限りない場面で「帽振れ」「帽元へ」の号令が掛かるが、実は「帽振れ」は礼式規則には定められていない儀礼である。
 何故に海軍・海上自衛隊では「お手振り」ではなく斉一に帽子を振るのかは定かではないが、勝手に手を振る行為は、視認距離内の僚艦に対する場合は手旗信号と誤認されたり信号員の手旗信号を見落とす危険性が有ることや、運用作業時にあっては部下に対する手信号と錯覚されることを予防する意味から、始まったのではないかと考えている。
 自分も幾度となく「帽振れ」の号例を掛けたり「帽振れ」に送られたが、「帽元へ」で着帽した際の寂寥感や区切り感は、殊更であったように思う。

 最後に、忘備録として中露合同演習の参加艦船を記す。
〇中国海軍
 ・レンハイ(南昌)級ミサイル駆逐艦1隻
 ・ルーヤン(旅洋)Ⅲ級ミサイル駆逐艦1隻
 ・ジャンカイ(江凱)Ⅱ級フリゲート2隻
 ・フチ(福池)級補給艦1隻
〇ロシア海軍
 ・ウダロイⅠ級駆逐艦2隻
 ・ステレグシチー級フリゲート2隻
 ・マルシャル・ネデリン級ミサイル観測支援艦1隻

 


海水風呂の思い出

2021年09月16日 | 自衛隊

 時折、海水風呂を懐かしく思い出す。

 艦船勤務の楽しみの一つが海水風呂である。海水風呂の好みについては、「海水風呂絶対」から「真水絶対」まで個人差が大きいが自分は海水絶対派であったように思う。
 海水風呂は、概ね距岸20マイル程度以遠から行われることが普通であったと記憶しているが、40℃前後に温めた海水からほのかに立ち昇る磯の香りにも似た浴槽に身を沈めていると、将に至福の思いがしたものである。
 医学的な効能はともかくとして、海水風呂は艦船勤務者の職業病とも云える「水虫」に絶大な効果を発揮したように思う。艦艇では、概ね2日に1度の入浴であるので1週間ほど行動すれば3.4回の入浴機会があるが、相当な水虫でもその程度の入浴で影を潜めたと記憶している。
 更に自分にとっては癒し効果が絶大であった。若年隊員であった頃は、交代入浴や当直勤務等、時間に追われているので「カラスの行水」にならざるを得なかったが、歳を経ると幾分の長湯を満喫できるようになり、船の動揺に身を任せつつ傾斜によって時折浴槽からこぼれる海水の音を聴きながらの海水風呂は格好のアロマテラピーであった。
 ちなみに、日本温泉協会の資料でも海水風呂に似た「塩化物泉」の効能として、きりきず・末梢循環障害・冷え性・うつ状態・皮膚乾燥症が挙げられているので、あながちのようにも思える。
 では、海水風呂にすると艦艇の貴重な真水の節約に繋がるかと云えば、真水風呂と同等もしくは真水の使用量が多くなることもあった。海水浴で経験するように、海水でシャンプー・石鹸の泡立ちが悪い、海水のぬめり感を洗い流すためにシャワー時間が長いことによるものだろうが、これらを差し引いても海水風呂に軍配を挙げたくなる。
 また、海水浴や海水風呂で使用したバスタオルが柔らかくなる経験から、繊維の柔軟効果もあるのではとも思っているが、実証実験が行えないままになっている。

 疾病や精神安定について温泉と同等の効能、繊維の柔軟効果、何より懐旧の情を満たしてくれるであろう海水風呂(塩分濃度3.4%)であるが、再現しようとすれば団地サイズ浴槽の我が家でも、2‣3袋の食塩が必要となって財務大臣はもとより下水を管理する市長様からもお叱りを受けることになるだろう。そのため入浴剤使用で妥協しているが、これとても「洗濯に残り湯が使用できない」とする環境大臣との長い折衝の末に勝ち取った権利であるが、海水風呂の雰囲気には到底及ばず、悪戯に郷愁を刺激することにしか至っていない現状である。