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もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

海保救難体制と海自の機関待機

2022年05月25日 | 自衛隊

 知床観光船の引上げが難渋しているが、遭難者の捜索・救助体制に関する問題も一部で取り上げられれている。

 議論されているのは、海保ヘリコプターの現場到着に3時間超を要したことである。
 海保の説明によると、事故が起きた4月23日13時13分に救助要請の118番通報受信、9分後の13時22分釧路航空基地に出動指示が出されたが、釧路基地所属ヘリ2機のうち1機は整備中で他の1機も別の任務に当たっていたため、任務中のヘリを呼び戻して燃料補給と機動救難士2名を乗せて離陸、現場到着は16時30分であったとされている。
 海保のヘリに依る救難体制は、全国に点在する10基地から半径185Km圏内を「1時間出動圏」と設定して、通報から1時間以内で現場に到着できる範囲としているが、北海道では機動救難士が待機しているのは、事故現場から直線距離で450㎞離れた函館航空基地のみで知床を含む道東や道北は「圏外」であった。
 今回の教訓から海保は、救難ヘリと機動救難士の増強や救難基地の拡充を図って「エアレスキュー空白地帯」解消を目指すとしているが、基地の増設、装備の取得、要員の養成の必要があることから空白地帯解消には早くても2・3年は掛かるように思える。
 航空機の運用と海保の基準を知らないので、ヘリが離陸するのにどれくらいの時間がかかるのだろうかは分からないが、海保には空白地帯解消と費消時間短縮のために頑張って欲しと願っている。

 海自艦艇は整備・休養のための純停泊中であっても「機関始動までの時間を逆算した機関待機」の基準が定められており、機関待機が発令されていない場合でも復旧に長時間を要する修理作業は片軸ごとに行って、1軸は使用できる状態に維持しておかなければならない。また、乗員の上陸区域も概ね2時間以内に帰艦できる範囲に留められていることから、艦艇は2時間程度で緊急出港できる状態で停泊している。
 台風接近の場合等で緊急出港の度合いが高い警戒停泊中にあっては「機関待機」が令され、最も緊急性の高い「機関即時待機」では、機関は始動可能な状態に維持され、乗員も艦内若しくは部署に配置した状態で待機する場合もある。
 一般家庭でも、旦那が出先から電話で「何時でも出かけられるようにしておけ」と家族に伝えることがあると思う。「機関即時待機」はまさしく同様な手順であるが、一つだけ異なる点は「家族(機関員)」が不平を漏らすことが許されないことである。


横須賀乱闘事件とSP

2022年05月16日 | 自衛隊

 横須賀市内どぶ板通りでの米兵同士数人の乱闘騒ぎが報じられた。

 報道では、何やら沖縄駐留兵士の非行にも似たニュアンスを言外としていたが、この程度の喧嘩が全国放送に値するものとは思えない。
 この程度の騒ぎはベトナム戦争当時のどぶ板通りでは日常茶飯事、海上自衛隊でも一帯を立入禁止にしていたほどで、一般市民も余程のことが無い限り近付かなかったように思う。そんな背景から、夜間には海軍のSPが常時巡回していたが、近年では一般市民も安全に通れるように変化しビジネスホテルまで建っているので、SPの姿も見かけなくなっている。
 ちなみに、ネットで「SP」を検索してみたら、《standard playing record》1分間78回転のレコード、《save point》セーブポイント(野球用語)、《security police》1975(昭和50)年警視庁に設置された要人警護のための警官・・・で最後の方に《shore patrol》米国海軍憲兵隊と出てきた。
 しかしながら、SPは司法権を持つ憲兵(MP:Military police)ではなく、歓楽街等における水兵の風紀を取り締まるためのもので、海上自衛隊で使用する「巡察隊」が適当である。
 SP若しくは巡察隊は、乗組員や陸上基地勤務者で臨時に編成され、自衛隊の艦隊集合では自衛官が、米軍艦隊の寄港地では米軍が、日米共同訓練時等では日米混合で行われる。自分の経験でもグアムやハワイで日米が合同してSPを編成派出したことがある。
 装備は号笛と警棒のみであるので、力不足と思われるかもしれないが、アメリカ人の特質・習性を知ってみるとこれで十分である。
 ハリウッド映画でも、取集のつかないほどの乱闘騒ぎでもMP(憲兵)やSPの笛が鳴り響いた途端、当事者は雲の子を散らすように逃げ出す様が描かれるし、ギャングに対しても「警官に手を出すとお終いだゾ」が決まり文句である。
 米国人は、任務遂行中の人間に対して暴力を振えば罪が数倍になることを知っており、軍人の場合には説諭・注意程度で済まされる喧嘩であっても、MPやSPのように任務に当っている者への暴力は軍法会議にかけられ重営倉、最悪の場合は不名誉除隊(免職)に発展する行為である。
 過去に目撃した事例では、グアムの水兵クラブで足を投げ出して腰かけている水兵の足をSPが物も言わずに蹴り飛ばしていたが蹴られた方も反抗の素振りすら見せなかったし、呉港では喧嘩していた水兵同士が仲良く金網付きのSPトラックに大人しく収容されていた。

 兵隊に甘いとの声が聞こえてきそうであるが、この程度のトラブルは文化の違いであり、日本人に被害が及ばない限り笑って済ませるのが賢明と思う。また、今回の乱闘でもSPが到着すればたちどころに収まったように思う。
 日本でも、職質に当っていた警官を車で引きずった事例や、逮捕される際に「暴力は止めて」と訴える映像が流れて、任務執行者に対する軽視の風潮があるが、公務執行妨害罪は罪3等程にまで加算・重視することが必要ではないだろうか。


防衛予算の増額論議に思う

2022年05月14日 | 自衛隊

 防衛費を対GDP比2%に増額することの是非に関する議論が盛んである。

 防衛費増額については、ウクライナ事変に触発された危機感もあって、世論調査でも「大幅に増額」と「ある程度増額」が過半数を示し、「現状でよい」の2倍近くに達しているとされている。
 元々、2%以上という数字はNATOが加盟国に求め、過去にはトランプ氏が米軍支援の代償として友邦に求めていた数字であり、数字自体は軍事的根拠を持ったものではないと思っているが、この動きに関して、公明党と立憲民主党が「正論」を述べている。
 「正論」は、「数字(総額)ありきでなく、増強の詳細に関する議論が必要」とするもので同感であるが、両党のこれまでを考えると聊かの「?」と「危惧」を抱かざるを得ない。そもそも防衛費の上限を「概ねGDPの1%をシーリングとする」慣例は、公明党と野党の要求に沿う政治判断から生まれたもので、専守防衛に必要な兵器体系の方向性や兵力所要の積み上げによって生まれたものではないことである。  このことは、国会論戦や予算成立後における党首の談話でも、防衛費の総額、上限死守の功績、近隣国配慮に関しては触れられるものの、防衛装備の中身に関してはあまり触れられなかったことでも明らかである。
 政治が軍事費をコントロールすることは絶対に必要であるが、政治家が軍事に精通していなければ装備の詳細までコントロールすることは不可能ではないかと思っている。
 かって、帝国議会で陸軍の大幅増強を承認する一方で海軍の要求を減額した際、海軍大臣が「もし大陸に兵力を派出する必要が生じた場合、海軍は輸送力を持たないので政府・陸軍は九州~対馬~朝鮮半島に陸橋を掛けて対処して頂きたい」と述べたという逸話があり、連合軍のノルマンディー上陸作戦が成功したのはヒットラーが戦術指揮・部隊配備まで行ったためとされている。

 公明党と立憲民主党が、防衛費の総額論争に終止符を打って装備の詳細までを論議するのは日本の防衛に関して一歩の前進とも思えるが、野党議員諸氏には軍事常識の習得と、政治・外交と軍事の相互作用についてこれまで以上の研鑽が求められると思う。
 願わくば、B29に対して竹槍しか持たせ得なかった轍は踏んでもらいたくないものである。


小火器射撃

2022年03月01日 | 自衛隊

 ウクライナの軍民の激しく・勇敢な抵抗が報じられている。

 国内ネット上には、「市民に銃器を持たせたり火炎瓶を作らせるなど言語道断」という非戦論も散見されるが、ウクライナ市民の愛郷・愛国の情には頭が下がる思いである。
 本日は、海上自衛官の小火器射撃についての思い出あれこれである。
 新隊員は、幹部候補生学校や教育隊で「人生初の軍用小火器」の射撃を体験する。使用されるのは幹部候補生は拳銃を、一般隊員は小銃をそれぞれに体験するが、実射撃までには小火器の性能、構造、操作法、分解結合等についての基礎教育を受け、さらに射撃前には、射場における安全管理や手順について繰り返し教育されて射撃訓練に臨む。
 一般的に海自では、小銃は200m先/2m四方の標的を伏射で、拳銃は20m先/1m四方の標的を立射で体験するが、射場では初体験の珍事に事欠かない。
 自分は射場指揮官になったことはないが、体験・見聞したところでも、安全装置解除を忘れて引金が引けずに銃器故障と申告する者、他の動作に気を取られて装填された銃口をあらぬ方向に向ける者、引金を引けない者、引き金を引く瞬間に目をつぶる者、隣の標的を撃つ者、などが一回の射撃訓練で数名は出現する。
 今は死語になったであろうが、自分が入隊した頃は、引き金を引くのは「暗夜に霜の降る如く、秋に木の葉の散る如く」と教えられた。「引金を引くこと」に集中すると不必要な力が加わって銃口がブレることを戒めるものであるが、確かに小銃射撃で銃口1°のブレは200m先の標的では2mを超える誤差となって標的を外してしまうことになる。拳銃射撃では小銃以上に銃の保持が難しいことから、銃口のブレはさらに大きいことになる。そんなこともあって、100名内外の訓練では標的に一発も当たっていない「弾痕不明」者が、確実に複数名は出ることになる。
 射撃訓練を重ねるごとに弾痕不明者は減っていくが、海自における小火器射撃は年間1回であるので、複数年在職した隊員の中にも何名かの弾痕不明者がいるのではないかと思っている。
 小火器は、必中を期す狙撃銃を除いて多量の弾丸で敵の自由な動きを制約することが主な目的で、いわば「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」武器であることを思えば、それで十分ともいえる。そのため、現在の小火器は、完全自動銃で、口径を小さくして弾倉装弾数と携行弾数を増やすように進化している。

 40年も前に読んだ落合信彦氏の本では、小銃弾生産数を敵の戦死者数で除した数値が、第一次世界大戦で500発、二次大戦で5千発であったが、ベトナム戦では5万発と書かれていたように記憶している。
 このことと、一夜漬けの体験では命中など覚束ないことを併せ考えると、ウクライナでの一般市民への小火器交付はロシア兵を殺すことを期待しているのではなく、ロシア軍兵の自由な動き(跳梁)をある程度制約することを期待するとともに、正規軍では市民保護まで手が及ばないための自衛手段としての、やむを得ぬ補完手段であろうと思っている。


F15戦闘機の救難に思う

2022年02月15日 | 自衛隊

 航空自衛隊小松基地所属のF15戦闘機墜落事故で殉職した操縦員2名(1佐・1尉)が帰還したが、殉職した隊員に心からの哀悼を捧げる。

 事故は、1月31日の夕刻、基地離陸直後に基地の西北西5㎞に墜落したものであるが、操縦員はブルーインパルスにも選抜されるほどの技量であったことから突発的な故障であろうとされている。
 遺体捜索には海自と海保の艦艇・航空機が当たったとされるが、海自兵力の詳細は明らかでないもののネット上の写真等を見るとヘリ空母型護衛艦「ひゅうが」と潜水艦救難母艦「ちよだ」であるよう思える。
 今回の事故では、墜落地点がほぼ特定されていることから、捜索には直ちに「ちよだ」の深海潜水員を投入したことで早期の機体発見と遺体収容ができたものと思うが、自分が経験した一時代前の航空機救難について書いてみたい。
 昭和50年代中頃、海自ヘリコプターが美保関北方で墜落し、搭乗員の一部は脱出・救助されたものの正副操縦士は機体とともに行方不明となった。
 自分が乗っていた掃海艇は半月に及ぶ「むつ湾掃海特別訓練」を終えて舞鶴帰投中であり、墜落の一報と機体捜索参加の命令は能登半島沖で受けた。舞鶴入港後に燃料や糧食を緊急補給して、直ちに墜落海面に急行したが海域到着はヘリ墜落から4日後であった。海域到着後に機雷探知機による機体発見に努めたが、乗り組んでいた掃海艇の機雷探知機は旧式で物体の識別能力も低く、加えて現場海域の水深は150mと探知能力の限界に近かった。位置極限の方法は「クラスター法」といって墜落予想地点を含む海域を規則的に走行して、探知機が「何かある」と複数回反応した箇所を候補地点(クラスター)とする前時代的なものであった。5日程の努力の結果複数個所のクラスターを作成したものの識別は不可能であったが、漸くに呉・横須賀基地から最新鋭掃海艇が到着して識別した結果、墜落ヘリコプタの位置を示す浮標を設標できたのは、墜落から半月以上も経っていた。
 遺体の引き上げについても、当時の海自には深海潜水の技術・装備がなかったので、民間船「ネリウス」のダイバーが2名の頭部を収容し得たのは、墜落から2か月近くも経過していた。

 今回の事故と往時の事故の事後対応を比べると隔世の感に打たれる。
 今回の報道では、30年近いF15戦闘機の安全性と事故原因に関するものが殆どであるが、今回の救難・救助活動における装備や技術の向上にも目を向けて欲しいと願うところでる。なぜならば、これらの進化は、何時かは国民の不測の事態に対しても有効に機能することが期待できるからである。