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もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

司令部当直幕僚を考える

2022年11月07日 | 自衛隊

 韓国での集団雪崩事故から1週間が経過し、警察等の対応が明らかになりつつある。

 関心を持ったのは、所管警察署の当直責任者が人事課長(女性)で、事故発生時には指令室を離れて自分の席で業務していたとされることである。
 警察の、それも韓国警察の当直勤務の在り方は知らないが、海自における各級司令部の当直体制・態勢もほぼ同様ではないだろうかと思った。
 自分が司令部に勤務したのは30年も前であるので、いささか以上に様変わり(改善)されていると思うが、当時は今回の韓国警察署と同様であった。
 海自の司令部においては勤務時間外の当直責任者は当直幕僚と呼ばれ、自分が勤務した当時の中級司令部では日常的に部隊運用に関係する防衛部員以外にも総務部や経理部で相応の階級以上の人員を以って輪番で当直幕僚を務めていた。流石に指令室を離れる当直幕僚はいなかったと思っているが、防衛部員と他部員とでは当直幕僚としての初動対処には温度差があったように思う。
 初動対処の大要に関してはマニュアル化されてはいたが、事態の把握と投入部隊に関する初動処置には当直幕僚の判断・裁量に任された部分も多いために、過大に待機を命じたり、必要な部隊に情報が配布されなかった事例もあったと思っている。
 当直幕僚には命令権がなく部隊を動かすためには命令権者の決済を得る必要があったが、時間を短縮するために出動を考えられ部隊に対しては予告・要請という形を取らなければならなかったものの、例え命令権を持たない当直幕僚からの要請であっても、部隊は直ちに人員呼集や機関の準備に着手するのが常識であるために、空振りに終わった場合の当直幕僚は隷下部隊からの冷ややかな視線や隷下部隊指揮官からの辛口に耐える必要があった。
 防衛部員と他部員で温度差が生じるのは、準備を要請する部隊の範囲・規模に関して、任務優先で経費や部隊の迷惑に鈍感で上級者からの叱責にも慣れている防衛部員の当直幕僚は過大に、それらを重視する他部員の当直幕僚は少なめに判断する傾向にあったと思っている。その傾向は教育の課程や日常の職場の雰囲気で生まれるものかと思うが、今回の韓国の被害者数と出動人員には、当直責任者が人事畑の人間であったことも無関係とは思えないように感じられる。

 一般社会や企業でも、このような現象はあるのではないだろうか。社長が営業畑出身者と経理畑出身者では企業活動の力点・方向性が変化するケースもあるようで、社長交代によって社風が一変することもあるように思っている。
 現代人は、生来の人格と同じくらい教育等によって培われた後天的人格を併せもって社会生活に順応せざる得ないと思っている。古人も「餅は餅屋」と示しているように、適材適所は不変のものに思える。


元自衛官を問う-2

2022年07月13日 | 自衛隊

 一部の識者から、軍人・元自衛官のテロという僅かな共通項を基に、二・二六や五・一五の再来を危惧する主張がある。

 二・二六や五・一五は明らかな政治色を帯びたテロルで、今回の私怨絡みの犯罪とは全く異なるものと思うが、一部の識者にとっては全てを同一視することが反軍のテーマとして適当であるという選択によるものであろうか。
 二・二六や五・一五に対して、一般的にはクーデターと理解され、極端には馬鹿な軍人の暴発と見られているが、自分は、両方のテロ事件は世界共通のクーデター概念とは異なるもので、社会主義的な格差是正・構造改革を要求する過激デモに近いものと思っている。
 旧制中学においては「成績1・2番は海兵・陸士に、3番目は帝大に」が一般的で、優秀な人材は陸海軍に集中していたように思う。東大入学者と云えば陸士・海兵志望者の後塵を拝した、若しくは身体的理由から止むを得ず東大に進学したという状況にあり、当時の日本を牛耳っていたとされる内務省官僚も、陸凱軍のエリートには及ばないという負い目を感じていたのではないだろうか。
 一方、当時の世相は都市と農村の格差は拡大し、かつ徴兵によって働き手を失った小作農家の疲弊は極限に近付いていたように思われる。
 通常、クーデターにおいては政権掌握を企図する者が起こしたり、最低でも擁立する指導者について明確であるが、両事件の首謀者が貧農次三男の応召兵家族の窮状を身近に感じていた大尉&中隊長クラス以下の階級であったことは、決起・発起の理由が自身の栄達よりも富の再配分による格差是正と都市偏重の構造改革を求めるものであることを示している。現に彼等の主眼は「君側の奸を除く」であり、民の窮状を放置しているとともに自分よりは数等下位の思考・判断力しか持たない政治家・官僚を粛清すれば、決起の真意は上聞に達して「今よりは数等ましな・国民の窮状に対して有効に対処」できる政権・指導者が配されることだけを期待している。
 二・二六や五・一五による構造改革の目論見は潰えたが、富国強兵の根幹である農村を建て直すための次善の策である「新たな農地を獲得するための大陸進出」は敗戦という形で幕引きとなるまで継続したと思っている。

 彼等の目指した構造改革が、戦後のGHQによる農地改革や財閥解体で実現したのは歴史の皮肉であるが、二・二六や五・一五首謀者の主張をもう少し冷静に分析すれば、大東亜戦争は起きなかった、若しくは形を変えていた可能性がある。
 安倍元総理の災禍を二・二六や五・一五の再来と危惧する主張に同根・並行して、現在を昭和初期の閉塞的状況と同様に見立てる主張も見られるが、単眼的に「戦力拡大反対」の一点に絞るのではなく、政治家が汲み取らない国民感情という側面からも眺めて欲しいものである。


元自衛官を問う-1

2022年07月12日 | 自衛隊

 事件当初から、安倍元総理の襲撃犯は「元海上自衛官」と呼ばれていた。

 「呼ばれていた」と過去形で書いたのは、昨日あたりから報道でもその呼称が使用される頻度が減ってきたからである。
 本ブログでは、富山県の交番襲撃・拳銃強奪事件を始めとして、高校卒業後の短期間に在職した者(特に犯罪者)をも「元自衛官」と呼称することに疑問を呈してきたが、なかなかに改まる気配が見えないものの、昨日訪れたブログで「41年間の人生中の3年を突出させることの不条理」を記した方がおられて、救われた思いがする。
 一般企業でも、高卒入社3年の社員を企業を代表する存在とは認めないだろうと思う。
 本日は、殆どの方が知らないと思える海上自衛隊における新入隊員の処遇等について紹介したい(聊か古い経験をもとに進めるので、若干の間違いがあるかもしれないが)。
 採用された隊員は2等海士に任命されて教育隊で3か月程度の新隊員教育を受けるが、教育の大半は漕艇(カッター)等による体力作り、隊員としての服務規定、小銃取扱・手旗信号等の基礎教育である。教育期間終了時に大職域(甲板・機関・経補・航空)が指定されて部隊に配属される。
 部隊(艦艇)においては、乗艦後2週間程度の「新乗艦者教育」を設けて艦独自の内規・部署や艦の一般的性能等を教育して各小職域(班)に配置する。新乗艦隊員を受け入れた班は「対番」と称する先任者を指定して、マン・ツー・マンで艦内生活、当直勤務、部署配置を習熟させるが、一人で当直勤務できるまでには乗艦後1か月程度を擁するのが一般的で、ここまで来るのに既に半年近くを要している。
 入隊後約10か月経過して1等海士に昇任し、この前後に4か月程度小職域の基礎知識を学ぶために術科学校の海士課程に入校する。海士課程を修了すれば特技が付与されるが、艦での扱いは漸くに半人前であり、軽易な作業は任されるものの重要な作業では上級者の助手ができるレベルでしかない。1等海士1年で海士長に昇任するが、既に入隊後2年近くを経過している。
 海士の身分は「任期制」で、任期終了時に継続任用するか退職するかを選択できる制度であり、いわば契約社員に等しいものである。陸上自衛隊は全ての任期を2年としているが、海・空自衛隊では第1任期を3年間、以後の任期を2年間としている。海士は任期を重ねたのち昇任試験をクリヤーすれば職業軍人と呼ぶべき海曹となるが、不幸にして昇任試験をクリヤーできなければ概ね30歳前後に継続任用不可となって退職せざるを得ない。

 長々と、新入隊員の処遇を記述したが、海上自衛隊在職3年の隊員の実像が分かって戴けたのではないだろうか。
 勿論、個人差はあるであろうが自分を振り返っても、1任期中の3年間は部署に慣れ、命じられた仕事をこなし、雑用処理に手一杯であったと記憶している。


艦内での挨拶

2022年07月02日 | 自衛隊

 本日は艦内での「挨拶」に関するあれこれである。

 ここ1週間のうちに2回、病院待合室(患者待機所)で数時間過ごすことを余儀なくされたが、看護師さんの患者呼び込みに対して1度で応じる人が少ないことに気が付いた。殆どの看護師さんが名前を2度呼ぶので、それを1度とカウントしての上である。さらに、返事をする患者に至っては、1度の呼び込みで対応する人の2~3割であるように感じた。
 勿論、診察を俟つ患者は何らかの疾病・症状を抱えており、即座に対応できない人や返事をするのも億劫な人も多いだろうが、それにしても少な過ぎるように感じた。
 海上自衛隊に入隊または初めて乗艦した隊員がまず教えられるのは、呼びかけに返事をすることと相互に挨拶を交わすことであるように思う。
 海上自衛隊には独特の挨拶があり、上陸等で艦を離れる場合には当直者や後事を託す者に対して「お願いします」と挨拶し、帰艦した場合には「有難うございました」と挨拶するのを例としている。階級・職責に開きがある場合や親しい間柄では、「願います(頼む)」や「有難う」に短縮される場合もあるが、鬼のような艦長でも出艦する場合は当直士官に「願います」の一言を残す。
 かっての映画で、吉田善吾提督から山本五十六提督への連合艦隊司令長官申し継ぎの場面で、吉田提督が「願います」という場面が描かれているし、特攻機で出撃する搭乗員が見送りの上官・同輩に「お願いします」と挨拶したことは知られているが、これらも特別なことを依頼する意味ではなく、万感の意を込めつつも一般的な挨拶の形である。
 一方、「返事をしない」ことは、自衛隊・一般社会を問わず相手を無視若しくは相手に不服従を示すもので、「返事をする」ことは艦内生活は勿論のこと一般社会でも人間関係を円滑・正常に保つ基本的なマナーであるのではないだろうか。
 軍隊組織における挨拶の1形態と看做される敬礼については、自衛艦旗掲揚時(0800)以降は、幹部に対してや舷門通過等の場合を除いて、曹士間の敬礼は省略するとされているが、言葉による挨拶には強制規定もない代わりに省略規定もない。しかしながら、人間関係なかんずく団体生活を円滑に保つ必須アイテムであることから、社会が如何様に変化しても艦内での挨拶の美風が廃れることは無いと思っている。

 待合室の固い長椅子に座りながら、通常の立ち振る舞い可能と見受けられる紳士然とした同年配老人が、2度3度の呼びかけに無言で応じる姿を見て、「この人は如何様の人生・社会生活を送ってきたのだろうか?」と疑問に思える事態を散見して、老人は現役世代に対する感謝と労りの心を忘れるべきでないと思った。


自衛艦乗員の投票

2022年06月25日 | 自衛隊

 参院選たけなわであるが、本日は乗員の投票についての懐旧談である。

 艦艇乗員は、母港停泊中は一般と同じように投票所で投票する。現役時代は投票開始が0800時であったために、0745までに帰艦しなければならない当直勤務者は投票できないことになるので、投票日当日に限っては帰艦時刻が延長されていたが、そうなると艦での無料朝食が採れないことになった。当時の呉港周辺には、1軒だけ早朝からやっている小さな一膳飯屋があり、いつもは早出の工員さんが利用する程度であったが投票日当日は投票して帰艦する自衛官で商売大繁盛、自分も普段の艦内喫食では味わえない新鮮な雰囲気を味わったものである。
 投票日当日に行動が予定されている場合は艦ごとに纏まって不在者投票を行ったが、1個護衛隊ともなれば有権者も3・400人に上り、当時の方法は記入した投票用紙を封密するためにその資材・手間だけでも選挙管理委員会には相当な負担になったことだろう。さらには、不在者投票所は概ね市役所に1か所だけに開設されていたために、投票する側でも1日仕事であった。
 抜き打ち解散等によって不在者投票ができない状態にあっては、若年隊員の頃は棄権を余儀なくされたが、その後、艦艇でも選挙管理委員指定のうえ投票所を設置して投票できるように改善された。しかしながら、この場合も投票用紙は出港前に配布を受けたり、航空便で輸送されたりと間に合ったものの、選挙公報は間に合わずに通報された候補者名だけで投票しなければならない場合もあった。
 かっての投票はこのような状況であったので、艦艇乗員の投票率は相当に高かったのではと思っている。纏まっての不在者投票や艦内投票所での投票率は100%で、一般投票所での投票に関しても棄権した場合は何時しか班長の耳に入って小言を言われたので、敢て愚を犯す乗員はいなかった。

 現在、世界的に投票率の低下が懸念されており、各国では棄権者に罰則を設けたり、投票者に何らかの恩恵・恩賞(エサ)を与えることで投票率の改善を目指している。低投票率は日本でも顕著で、本朝のTVでも投票者に割引する飲食店が紹介されていたが、国政選挙ですら50%内外の投票率であることを考えれば、罰則制度も考えなければならないのではないだろうかと危惧している。
 政治に期待が持てないから投票所に足を向けないと公言する人がいる。
 我が選挙区では定員5名に対して22名の立候補者がいる。広報未着の状態であるので略歴だけから推測するに、支援組織もなく300万円の供託金も没収されるであろう候補者も散見されるが、それでも行動する人がいる。
 どちらが、国民・社会人としてのあるべき姿かは改めて問うことも要しないと思うが、300万円不如意で行動できない自分を含め、少なくとも投票だけはしなければと思う。
 投票の際には、改憲勢力に清き1票を!!。