福島原発事故メディア・ウォッチ

福島原発事故のメディアによる報道を検証します。

小佐古内閣官房参与の政府批判と辞任:推進派学者の「一抜けた」!

2011-04-30 17:59:25 | 新聞
内閣官房参与の小佐古敏荘・東大大学院教授が辞任した。小佐古氏は政府の場当たり的対応(「もぐらたたき的」ということばも使われた)が事態の収束を遅らせていると批判し、現場の作業員の被ばく限度引き上げは行政手続きを無視している、と指摘した。そして、朝日新聞によれば、

『会見では特に、小学校などの校庭利用で文部科学省が採用した放射線の年間被曝(ひばく)量20ミリシーベルトという屋外活動制限基準を強く批判。「とんでもなく高い数値であり、容認したら私の学者生命は終わり。自分の子どもをそんな目に遭わせるのは絶対に嫌だ」と訴えた。「通常の放射線防護基準に近い年間1ミリシーベルトで運用すべきだ」とも述べた。』

御用学者の牙城・東京大学教授にして、政府の中枢にいる原子力専門のセンセーが、福島のお母さん、お父さんたちのように20ミリ・シーベルトは「とんでもなく高い、容認できない数値」であり、「「自分の子どもをそんな目に遭わせるのは絶対に嫌だ」と訴えた」のである。さすがに今度ばかりは、反原発派の誇張された過敏な反応、神経質、風評被害、などと言って済ますわけにはいかないだろう。

小佐古氏はまぎれもない原発推進派&被曝強制派。会見では「私のヒューマニズム」などとの表現も使われたようだが、ご経歴・ご実績から判断すると、あまりヒューマニズムとご縁の深い方とも思われない。むしろ、原爆症認定訴訟の国側証人などの御用を忠実に務めて、今日の地位を築いた方だろう。そうでなければそもそも内閣官房参与のポストも来なかっただろう。そうしたお国の御用を「学者としての生命」をかけて務めてきた忠実な○(一字伏字)のこの変節、この反抗、この抜け駆け、この裏切り、である。センセーが突如ヒューマニズムと学問的良心に目覚めたというよりは、政府の「対策」の内部がよほどひどいことになっていると解釈したかほうがいい。沈みかかった船から、思い切って海に飛び込んだ、ということではないだろうか。

だから、小佐古氏が「容認したと言われたら学者生命が終わりだ」(日経)と言ったとしても、彼が心配することは、後になってまずいことの責任を負わされること、例えば、刑事訴訟の被告として告訴されることなどではないか。「こいつらと一緒だと、大変なことになる、自分は利用される」という判断ではないだろうか。

その小佐古教授が20ミリシーベルトの子ども被曝基準のほかに抗議したのは以下の点だ。NHK「かぶん」ブログに掲載された声明全文から引用する。原文ではこの段落全体が下線強調されている。

『初期のプリュームのサブマージョンに基づく甲状腺の被ばくによる等価線量、とりわけ小児の甲状腺の等価線量については、その数値を20、30km圏の近傍のみならず、福島県全域、茨城県、栃木県、群馬県、他の関東、東北の全域にわたって、隠さず迅速に公開すべきである。さらに、文部科学省所管の日本原子力研究開発機構によるWSPEEDIシステム(数10kmから数1000kmの広域をカバーできるシステム)のデータを隠さず開示し、福島県、茨城県、栃木県、群馬県のみならず、関東、東北全域の、公衆の甲状腺等価線量、並びに実効線量を隠さず国民に開示すべきである。』

この上さらに、いったいどんな情報・どんな秘密が隠されているのだろう。もうこういう政府に原発対策・復興対策をやらせていてはだめなのではないか。しかし、筆頭野党・自民党はじめとしてどこからもはっきりとした動きはない。

北アフリカの政変のとき、「長年の独裁ゆえに、政権交代の受け皿となる野党勢力が育っていない」と、日本も含めた先進国のジャーナリズムは、いささか嘲笑的に報道した。しかし、変化と社会正義を求める人々の動きは止まらなかった。先進国日本の私たちは、チュニジアやエジプトになれるだろうか。

また、北アフリカの政変では、独裁者が頼みとする軍の一部将官が独裁者を見限って民衆の側についた。そうした動きはいよいよ独裁者の最後を暗示し、民衆を活気づけた。だから、小佐古内閣官房参与の変節・抜け駆けは、彼の過去を清算することにはまったくならないが、歓迎すべきことではある。

文科省の「安全」基準撤回要求の署名締切はきょう4月30日土曜日です!
まだ、数時間あります。(署名フォームは前記事のリンクから)


最新の画像もっと見る