福島原発事故メディア・ウォッチ

福島原発事故のメディアによる報道を検証します。

福島の第4の災害は福島の権力者だ!: 佐藤雄平知事・演出『いつもの福島』パフォーマンスの害悪

2011-05-15 00:28:13 | クロスオヴァー
5月14日19時のNHKニュースは、福島県知事が池袋で福島の産物と観光の安全性をアピールするイベントに出席したと報じた。テレビはにこにこしながら選挙の時と同じ「ガンバロー」コールをするこの政治家を大写しにした。NHKのサイトによれば、

『福島県の佐藤雄平知事をはじめ、「JA福島五連」の関係者や会津若松市の旅館のおかみなどが参加し、佐藤知事が「正しい情報を知っていただき、福島の応援団になってください」と呼びかけました。』

そして、『安全性が確認されたものであることを強調』された農産物等の物産を販売し、それを買った東京の消費者の声を伝えていた。

『「福島のお酒を買いました。頂いた野菜は早速食べたいですし、福島にも行ってみたいと思いました」と話してい』『子どもを連れた男性』『「福島を応援しているという気持ちを伝えたくて来ました。周りの人たちにも、安全だということを伝えたいです」と話して』いた『福島を訪れたことがあるという女性』などだ。

商品の販売や観光誘致のために東京で宣言され、ゴールデンタイムのNHKトップニュースの一部で報道された「福島の安全」。そのニュースの直前には、メルトダウンが確実となった1号炉の圧力容器に穴が開き、さらに格納容器も漏れた大量の汚染水が地下にたまり、「今までで一番高い」2000ミリシーベルト/時という放射線量を記録したことが伝えられ、さらに海には、ここ数日、基準値の3000倍とも6千数百倍ともいう濃度の放射性物質が放出され続けている現状における「福島の安全」とはなんだろう。

原子炉だけではない。原発から50km以上離れた福島市でも通常の30-40倍という放射線量を観測している現時点で、満面の笑みとともに『福島県はいつもの福島県で皆さんを迎える』というのは、この知事はいったいどういう神経をしているのだろう。

この福島県知事はむろんガリガリの原発推進派。東電のトラブル隠しの後、ごね始めた前知事を追い落としてプルサーマルを認めたのもこの男。それが、事故後、東電を相手に「怒り」のパフォーマンスをして、あたかも自分を被害者の側・住民の側に置き、政治的・行政的責任をうやむやにする演出。3月には東電社長に門前払いを食わせたが、社長のほうにしてみれば、今まで利権同盟のツーカーの間柄だったのが、この冷たさはなんだ、と裏切られた気がしたろう。4月末には社長に会い、『「今のような状況では(福島原発の)再稼働はありえない」と釘を刺した』のだそうだ。ここでも東電を許さないという、かっこをつけた。だが、これまでの経緯を考えれば、知事も東電と同罪。社長が謝罪するというなら、知事も同じく原発誘致と容認・利権癒着とで、県民に向かって謝罪しなければならない立場のはずだ。

そのうえ、笑うことも泣くことも政治的パフォーマンスとして習得しているこの県知事は、そのとき以下のような奇妙な発言をしている。朝日新聞によれば、

『事故以来、県外へ約6千人の子どもが避難したことを挙げ、「これまで県民の流出を抑えようとがんばってきたが、一瞬のうちに消え去ってしまった」と時折声を詰まらせた。』

のだそうだ。『県民の流出を抑える』ことがこの男の至上命題だ。安全を求めて『避難』するなどもってのほか。だから、原爆体験の「特権」と原爆被爆研究の権威とをかさに着て科学も医学も振り捨てて、安全でなくても「安心」し、根拠がなくても国家が決めた基準に従うのが「国民の義務」という、およそ不信感以外は何も生み出しそうにない長崎大・山下某などというマッド・ドクターを県公認のアドバイザーにして住民に被曝リスクを強要する。「出てゆくな、出てゆく者は許さんぞ」と。

内閣参与が、学校安全基準=20ミリシーベルト/年の設定を批判して抜け駆けの辞任をした時、福島県知事は国の担当者に向かって『不快感を示し』『強い口調で抗議した』そうだが、それは、専門家参与が内部から批判するような安全基準のいい加減さを指摘し、より信頼できる基準作りを求めてのことではない。毎日新聞によれば、
  
『「年間20ミリシーベルト」の基準に異論を唱えて内閣官房参与を辞任したことについて、佐藤雄平知事は・・・「国の基準に従って一生懸命やってきたのに、これでは県民が困惑する」と国の足並みの乱れに対し、不快感を示した。』

政府の内部で不統一があっては、こちらがせっかく恥知らずのリスクアドバザーなどを動員してなりふり構わず展開している安心(「安全」ではないぞ!)キャンペーンに傷がつくではないか。しっかりしろ、ベンチがあほでは野球ができん!と息巻いたのだ。

ArecoNote3の指摘によると、そもそも署名運動まで引き起こした学校安全基準を、20ミリシーベルト/年という異常に高い点に設定したのは『地元の要望』だというラジオ報道がある(このラジオ記者のトンチンカンぶりは、ジャーナリストというものがモラルも視点も持ち合わせていないただのおしゃべりオヤジであることをよくわからせてくれる)。県民『流出』への恐れ、小佐古辞任に対する県知事の反応、アドバイザーたちの狂気の遊説(山下教授は福島医大の入学式で、医師・看護師を目指す新入生に、『福島で学んだ君たちはまぎれもなく世界一の学識を持てる』(オレが長崎でやったように)と祝辞(!)を述べていた)、等々を考慮すると、この報道は信ぴょう性を帯びてくる。

再びArecoNote3に導かれて見つけた福島大学有志の方たちのサイト「福島大学原発災害支援フォーラム」はまっとうな内容だった。「提言」で彼らは言う。微量放射線被ばくによる健康被害に関しては、「影響がない」から「漸減するが危険」「低線量でも危険」まで諸説ある。県が「影響がない」と主張するアドバイザーのみを採用し、他の諸説の広報を怠っているのは不当だ。少なくとも他の立場の専門家の講演を開催すべきだ、と。全くその通りではないか、また、「危険」予測が存在する以上、予防原則からもマスク着用などの防護策を勧めるべきではないか、と。こうしたことを県(そして大学当局)がやりたくないのは、『福島県はいつもの福島県』であることを、住民がどれだけ放射線にさらされようが絶対に維持したい利権保持者と、この県知事が一体になっているからだ。「提言II」を読むと、このような虚構の安全・安心のための強制装置が、住民たちのつながりをこわし、個々人の心をむしばんでゆく様子が悲痛に伝わってくる。「フクロウの会」にコメントを寄せてきた福島の親御さんたちの迷いと心理的な苦しみを私は思い出した。この出口なしの状況に対処するために、「提言II」があげる以下のポイントは傾聴に値する(サイト本文内の各ポイントへのコメントもぜひ参照してください)。

(1)「低線量の被曝なら安心である」と決めつけないでください
(2)結論を出すまでのあいだは、とりあえず防護してください
(3)悩み考えることから逃げないでください
(4)それぞれが悩み抜いて出した答えは、互いに尊重しましょう
(5)理想と現実は別ですが、理想を変える必要はありません

福島県知事は、低線量の被曝は安全と宣伝し、誇張された「安心」を誇示するためにも防護などは不要とし、放射線への恐れや悩みは「いつもの福島」にふさわしくない不安を誘発し、住民の「流出」につながりかねないからこれを「風評被害」と決めつけ、理想にこだわって被曝の現実を受け入れられない人や「安心」した行動をとれない人を、集団から排除し、押しつぶす方向に「安心」した人々を誘導している。

この男にとっての政治は、原発事故があろうとなかろうと、金儲けのためのごまかしとだましなのだ。


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