福島原発事故メディア・ウォッチ

福島原発事故のメディアによる報道を検証します。

海江田、万死に値する&御用学者は二度死ぬ

2011-07-27 18:26:58 | クロスオヴァー
今日のメニューは、
・海江田経産大臣は、万死に値する
・元日本原子力学会会長・田中俊一の「除染ビジネス」
です。お楽しみください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
***海江田経産大臣は、万死に値する***

朝日新聞によれば、

『「現場の人たちは線量計をつけて入ると(線量が)上がって法律では働けなくなるから、線量計を置いて入った人がたくさんいる」と明らかにした。「頑張ってくれた現場の人は尊いし、日本人が誇っていい」と称賛する美談として述べた。』

『美談』ですって、語いが貧しいね。ふだんは経産官僚の操り人形・リモコンロボットである海江田万死大臣が、ここでは最高責任者として、なけなしの独自性を発揮してのご発言であろう。だって、東大・京大出のエリート官僚なら、こんなワキの甘い言説は吐かないよう十分訓練されているだろうから。金の力と、社会的強制力で無理やりやらせていることを政治的・文学的に着飾ること、その辺がタレントあがりのお背のび大臣の持ちネタなのだろうが、それがセオリー通りの伝統回帰で、「xxxx(四字伏字)のために死ね」という「ミンゾク的自己犠牲」精神のファシスト的称揚に行きついてしまうのが、みじめで悲しい。

経産省に言ってやろう。「海江田発言に抗議し、謝罪と辞任を強く求めます。「線量計をおいて作業した作業員は日本の誇り」と言われた海江田大臣の発言に強く抗議します。明白な法律違反を閣僚が賞賛するなど許されません。まして所轄の原子力発電所が事故を起こし、大臣として事故と事故処理について謝罪すべきところ、まったく無責任な、あるまじき発言です。このような発言を不用意にしたことは、海江田氏が人の命を軽視していることを露呈するもので、道義的にも許されません。作業員の方に謝罪して、職を辞してくださるよう、強くお願いいたします。」と。

さて、その朝日新聞だが、二日後の記事で、『東電、保安院とも現時点では該当事例を把握していない』と、困ったチャンの勇み足大臣のしりぬぐいをしている。この経産官僚を代弁する記事を書いたのは、「電力不足危機」、「原発再稼働貫徹」、(柏崎も福島第一も)「地震で損傷なんてことはない」という一連の記事を書き続けている、原発村大字朝日在住の佐々木英輔(敬称略)。たかがジャーナリストのくせに、国家百年の計なんて調子で、肩に力が入っている。本当は、高級官僚になりたかったのかな?

***元日本原子力学会会長・田中俊一の「除染ビジネス」***
7月26日のNHKスペシャルで、原発事故後の飯舘村を取材したドキュメンタリーが放送された。一つ一つどのエピソードにも、怒りと悲しみを新たにしたが、とりわけ見逃せない点、虚を突かれた点二つ。
・若い農家の父親が、土地を「ぜんーぶ」汚染されてしまった後でも、農業へのこだわりを断ち切れずにいた。ここで、子どもを幼稚園に入れて、小学校に入れて、・・・・とダメになってしまったことを数え上げていた。その父親の彼は、農閑期には東電福島原発で働いていたのだという。その彼のところに、ホールボディーカウンターによる検診の通知が来て、彼はそれを受けた。原発で仕事をしていた当時より、高い値が出た。仕事時の被ばくに加え、飯舘村での被ばくが加わったからだ(消防団として、他地区からの避難の人の世話で、長い時間、戸外で活動することもあったという)。以前は1500という値でも精密検査、と言われていたのが、今回、2200だった。ところが、それで何でもない、と言われてしまう。彼は、その後村を出て、現金収入を得るために働かねばならないが、それは今度も東電だった。彼の場合は、今度は火力発電所だったが、同じようにして、原発にもどらざるを得ない人も「たーくさん、いる」と言っていた。土地と自然という生活の基盤を奪われて、家族をバラバラにされ、そのうえ、現場でも離れていても被ばくさせられる。そうして追いつめておいて、またしても、原発の現場で働かせる。原発産業が、個人の命・生活をとことん利用しかすめとることをこんなによくわからせてくれた話はない。
・田舎の人々をとことん利用しようということに関しては、東電に後れを取らない人物がもう一人出てきた。元日本原子力学会会長・田中俊一(敬称略)である。この男は、原発事故後、はやばやと反省文など出して、ざんげのポーズをとり、仲間を引き連れて飯舘村の除染に乗り出した。このエピソードは良心の呵責に耐えかねた「御用学者の回心」として、週刊現代6・11号などにも紹介された。しかし、この男の行動は、そんなかわいらしいものではない。Nスぺ中で、しっかり馬脚を現した。田中が村の区長さんに提案していたのは、放射能汚染物をためる施設を飯舘村村内に建てることだ。ちゃんと近代的な建物の完成予想図も持参してきていて、こんなに広い村なんだから、「谷一つぐらい」つぶしてもどうってことないだろう、という口調だった。それしかない、云々と。原発推進の時も、こんな言い方で、地元の人のためらいを御用学者の権威でいたぶっていたのだろう。この男のしたいことは『除染ビジネス』の先駆けか。いずれにしても、こいつが東電にも、政府にも、原発業界にも、御用学者にも、自分自身にも、原発事故の責任を取らせようと思っていないことは確かだ。被害にあった住民を何とかごまかしてそこに住まわせてしまおう。それで何とかなれば、結局は原子力産業のためになる。「住民のため」というおためごかしのうわべにごまかされてはいけない。こいつの目的は、飯舘の人たちに放射能と「共生」(長崎大・高村教授の飯舘村での講演)することを強制すること、そして大好きな「施設」を福島中に建設することなのだ。

最新の画像もっと見る