福島原発事故メディア・ウォッチ

福島原発事故のメディアによる報道を検証します。

バカは雨を止められるか?:5月7日土曜日「超巨大サウンド・デモ」

2011-05-04 23:43:24 | クロスオヴァー
4月10日に高円寺で反原発デモをやったおかしな集団「素人の乱」が、今度の5月7日(土)には渋谷で「超巨大サウンド・デモ」という反原発の事象(イベント)を呼びかけている(大阪・神戸・名古屋でもある)。前に、高円寺のデモ紹介のときに言及したが、この「素人の乱」の中心メンバーは松本哉(はじめ)氏である。この人の本「貧乏人の逆襲は」はいきなりこんな宣言で始まる。

『最近、「格差社会」とか何とか言って、妙に「上を目指せ」的なプレッシャーが強いが、そんなバカバカしい今の世の中の流れなんかに乗っていられるか!アホくさい!中途半端なサラリーマンになって30年ローンで家を買い、逃げられなくなってニッチもサッチも行かなくなったり、パッとしない男と結婚して退屈な主婦生活を送ってストレスで子供の首を絞めちゃったり、会社に忠誠を誓って働いてバイトから正社員になり、さらに昇進してバリバリの出世してるつもりだったのに実は単にこき使われているだけで挙句の果てに鬱病になって死んじゃったり、こんなくだらない話はない・・・。やい!こうなったら、もう開き直って好き勝手にいきていくしかないぞ!』

氏は、貧乏人の復権を主張する。貧乏人なんて、ついこの間までどこにでもいて、自分たちは貧乏人だという「自覚」を持って、「金持ち」とは一線を隠して生きていた。ところが、超高度消費社会とやらの到来で、消費している自分(たとえ100均ショップでも)の癒しと解放が、貧乏人の誇り(!)=あいぜんててーを排除し、「低賃金でコキ使われ」たあげく、わけのわからない「消費欲に駆られ・・・マヌケなものを買ったりして、また文無しに戻る」。「テレビをつければ消費者金融のCMで金を借りろとうるさい。」そういうサイクルから抜け出さない限り、私たち自身が消費されてしまうことになって終わるだろう。

そして、もちろん原発もこのサイクルの中心にデンと構えている。原発は「安価な電力」で「豊富な消費生活」を支え、「きららかなイリュミネーション」で夜の街をかざり、「ブランド」の「差異化」を身につけた「ファショナブルな若者たち」が、「洗練された文化」と「ソーシャルライフ」を「エンジョイ」する解放された社会を演出する。こうした流れに利権と権力の源泉を見出すものは、だから原発を、「甘受する」と言いつつ、実は支持する。原発をやめれば、それと一緒に自分の都会的・文化的「財産」が失われてしまう、と感じるのだ。都市生活と結びついた文化的なステータスを守ろうとするもの、公認文化資本の所有者が、金銭的な原発利権保持者と一緒になって、風評被害におびえる庶民をしかり、インテリジェンスあふれる「リスク」論を展開するのはこういう事情だろう。野田秀樹氏や糸井重里氏らのなんだか不健康に過剰な反応はこんな見方を示唆する。

ところが、ここに騒ぎが好きで、騒ぎで楽しむ貧乏人がいる。騒ぐのに金はかからない。「夏には停電が来るぞ」「エアコンなしでうだる暑さだぞ」と脅されても、なあに、電気がなくたって楽しく涼むやり方なんて、いくらででもあるよ、と動じない。どうせ、オレ、窓の開かない高層ビルの超モダンオフィスなんかで働いてねーもん、と。
 
こういう「怠け者」の貧乏人を、松本氏は「マヌケ」とか「おおバカ」とか、政治的に正しいとは言いがたい呼称で呼んではばからない。これに対して、立派な貧乏人のくせにオレもちょっとした「勝ち組」かな・・・なんて思っている人もいる。こうした人は原発利権者や文化利権者たちに同化して「原発をやめるのはやっぱり無理」とか、「放射能に過敏な人はやっぱり低脳」とか思ってしまう。「同化」することが彼らのステータスだと思われるからだ。

ArecoNote3の有田氏はCCRの大ヒット曲「雨を見たかい」に言及していた。「雨」は当時確かに爆撃を連想させた。降ってくるのは爆弾。雨は今度は私たちの上にも降る。ところで、CCR=ジョン・フォガティーには「雨」関係のもうひとつのヒットがある。フール・ストップ・ザ・レイン(Who’ll stop the rain ?)である。「誰がこの雨を止めるのか?」と、問いかけているこの歌を、中・高生だった私は、「バカが雨を止める」という意味だと思っていた(なんと、DJの萩原健太氏もまったく同じ誤解をしていたとラジオで聞いたことがある)。

インテリや洗練された文化人、お金のかかったかっこいい人やそれに同化するいい子、「せいぜい優秀な模範囚」「よほど優秀な奴隷」、「思い上がってはいかん!」

開き直った貧乏人の恐ろしさをしらしめてやろう!」、バカが雨を止めるのだ!


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