閑蔵駅を出た後は、左側の座席に移動して左手に広がる大井川渓谷の雄大な地形と自然を眺めました。
そして関の沢鉄橋を渡りました。高所恐怖症の私がなぜか恐怖心を覚えずに下も覗き込める、不思議な日本一高い鉄道鉄橋です。
よく見ると沢の川の両岸の崖面の各所に崩落跡がありました。南アルプス山系の地質は脆くて崩れやすく、崩落や崖崩れが多発しています。梅雨や台風などの時期は要注意です。落石はしょっちゅうで、それによって井川線が不通になってしまうこともしばしばでした。
関の沢鉄橋を渡った後は、周辺の地形から険しさが無くなって、山々の姿も丸くなって線路沿いの地形も次第に開けてまいります。この変化だけでも、眺めていて楽しいものでした。
大きなカーブで先頭のDD20形機関車が「ボーン」と警笛を長めに鳴らしましたので、時刻表を見て、予定通りに次の尾盛駅に着くな、と気付きました。閑蔵駅での約1分の遅れは、いつの間にか取り戻したようでした。
12時48分、尾盛駅に着きました。左側のホームは短くて狭くて薄い板のようなので、よく見ないと分かりにくいです。上図は、そのホームに先頭のDD20形機関車が入ろうとする瞬間です。
右側の座席に移りました。
尾盛駅のかつての貨物扱い用ホームです。
かつての貨物扱い用ホームのほぼ中央にある小屋は、クマに出会った時の避難用小屋を兼ねているそうですが、実際にクマに出会って避難したケースは年に何度あるのでしょうか・・・。
12時49分に尾盛駅を出て、うねうねとカーブの連続を走るアプト式列車。
12時57分、接岨峡温泉駅に着きました。ここで一気に秘境から下界へと戻ってきた気分になりました。
接岨峡温泉駅の駅舎です。昭和三十四年(1959)8月に川根長島駅として開業して以来の建物がいまも使用されています。川根長島駅は、平成二年(1990)10月の長島ダム建設に伴うアプト式区間を含む新線の開通と同時に、接岨峡温泉駅に改称して現在に至っています。
駅舎の南側に、上図の車庫があります。以前の井川線は一日に7、8便が運行されていて、最終便はここ接岨峡温泉駅止まりとなったため、機関車はこの駅に夜間滞泊となって上図の車庫に格納されていたそうです。
その車庫の横の車道からのアングルが接岨峡温泉駅の撮影ポイントであるそうで、この時も撮り鉄らしいのが二人見えました。 (続く)