気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

紫野大徳寺4 禅刹の中心伽藍

2022年06月09日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 龍源院を出て、次の拝観場所の大仙院に向かいました。その途中で中心伽藍の建築群の横を通るので、U氏が「とりあえず南から順番に見てゆこう。法堂は工事中だから見られないらしいけどな」と上図の建物を指さしました。

 

 大徳寺の中心伽藍の南に位置する勅使門です。伽藍の中軸線上の山門前に建ちます。寺伝のひとつ「龍寶山大徳寺世譜」によれば、江戸期の寛永十七年(1640)に内裏の門を下賜されたのに該当します。一説では内裏の南門あるいは陽明門とされていましたが、平成十一年からの修理工事によって慶長造営内裏の西唐門であったことを示す墨書などが発見され、寺伝が正しいことが裏付けられました。国の重要文化財に指定されています。

 

 ですが、建物の現状はかつての内裏の門であったものにしては質素でした。本来ならば破風や冠木鼻を飾っていた錺金具(かざりかなぐ)や懸魚(げぎょ)、兎毛通(うのけとおし)、端隠(はなかくし)の覆輪を包む金具(かざりかなぐ)などが失われているためです。U氏は「破風鼻先と茅負の取り合い部に金具が残っているよ」と指さしていましたが、それらは後補でした。

 

 勅使門の西側にまわり、柵越しに上図の山門を見ました。上層の軒下に「金毛閣」の額が掛かっており、それが山門の正式名称を示します。もっとよく見ようとしましたが、周囲に数本の木が林立しているために建物の半分ほどが隠れていてよく見えませんでした。
 それでU氏が「ちょっと反対側へ回ろう」と提案し、また勅使門の南を回って東側へ移動しました。

 

 東側からも山門の姿はあまりよく見えませんでした。禅刹の三解脱門「空門」「無相門」「無作門」に因んで三門とも書きますが、大徳寺の文献では「山門」の表記のほうが多いそうです。

 この「金毛閣」は下層が大永六年(1526)に連歌師宗長(そうちょう)等によって寄進され、上層が天正十七年(1589)に千利休の修理寄進によって完成しています。上層内陣には釈迦三尊像および十六羅漢像が安置されています。内陣の天井ならびに円柱には長谷川等伯の筆と伝える雲龍、天人、仁王などの彩色画があります。禅寺の唐様山門としては東福寺のそれに次ぐ古い建築遺構であり、国の重要文化財に指定されています。

 

 続いて、山門の北に並ぶ上図の仏殿に行きました。大徳寺の開山当時の伽藍には含まれませんでしたが、後に仏殿の制が追加されて徹翁義亨(てっとうぎこう 大徳寺第一世住持)により創建されましたが火災で失われ、江戸期まで再建もされずに機能を法堂に兼ねさせていました。
 現在の建物は寛文五年(1665)に江雲宗龍(こううんそうりゅう 大徳寺第八十四世住持)の勧化により富豪の那波九郎左衛門常有(なわくろうざえもんじょうゆう)が寄進建立したものです。国の重要文化財に指定されています。

 

 仏殿前に聳え立つイブキの大木の説明板。U氏はこの種の説明文も二度読みしていました。しかし、その後で「イブキの山も今宵限り・・・」とジョークを呟いていましたので「イブキじゃなくて赤城やろ」と突っ込んでおきました。

 

 仏殿の内陣を拝みました。中央須弥壇上に本尊の釈迦如来像をまつり、その左右後方に祖堂、土地堂が設けられています。それらの堂内には達磨、百丈、臨済、開山、梵天、帝釈の諸像がまつられています。
 本尊釈迦如来像の前に並ぶ三つの牌は、後醍醐天皇、開山大燈国師、徹翁義亨和尚のそれです。つまりは大徳寺の勅願、開山、第一世にあたります。本尊釈迦如来像の背後の障壁に描かれる雲龍は、海北友松(かいほうゆうしょう)の筆と伝わります。

 

 仏殿の天井には円環の天人散華画があります。もとは法堂にあったのを移したもので、「古法眼」こと狩野元信の筆とされています。それを双眼鏡で眺めながらU氏が、思いついたように聞いてきました。
「おい星野、狩野元信の「古法眼」ってのは官位か何かかね?」
「ああ、実際に法眼に叙せられたからや。官位は他に幾つかもらってるが、法眼が極位(ごくい 受けた叙任の中で最高の官位)やな。室町幕府の御用絵師やったし、足利将軍の近侍でもあったからな」
「ふーん、幕府の奉公人でもあったわけか・・・」

 

 それから法堂の横を通りました。普段から公開されていないのか、扉も閉じられて静まり返っていました。その建物の後ろ半分ぐらいには足場が組まれて屋根から覆いが懸けられてあったので、何らかのメンテナンス工事を行なっていたようでしたが、案内も無いので詳細は分かりませんでした。  (続く)

 


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