気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

私のガルパン模型製作におけるバイブルの一冊

2021年06月16日 | ガルパン模型制作記

 サークルの6月の定期会合にて、モケジョのエリさんに「星野さんがガルパンの戦車プラモ作るのに参考にした本、たとえばバイブルみたいな感じの本とか、そういうの一冊挙げるとしたら、何ですか?」と訊かれました。
 すかさず、「アマモの2013年3月号です」と即答しましたら、「ええー、2013年ってそんな昔の本なんですかー」「なんでガルパンアハトウンクじゃないんですか?」とミカさんやマユコさんに問い返されてしまいました。

 ですが、本当に私にとってのガルパン模型製作におけるバイブルの一冊は、上図のアーマーモデリングの2013年3月号です。この一冊がいまでも最上の参考資料として常にデスクの書棚に在ります。目の前にありますから、開いて読むこともしばしばです。

 思えば、私がガルパン戦車プラモデル制作を始めたのは、2013年の5月半ば、アニメの最初の放送が終わった直後のことでした。その頃はモデルグラフイックスでのガルパン模型記事はまだ無いに等しく、「ガルパンアハトウンク」も刊行前でした。公式発の設定資料そのものが殆ど無く、完全にゼロからの手探りでのスタートだったのです。
 なので、ガルパン仕様の検証作業も、アニメの録画データからキャプチャー画を沢山作って、画像を一枚一枚見て探しながら進めました。しかも当時は、すでに対象車輌のプラモデルの大多数が売り切れで入手困難となっており、キットの現物を見てチェックする事すら叶わなかったのでした。

 

 そんな状況のなかで、従来は艦船キットが専門でAFVそのものが未知の世界に等しかった私にとって、最も手頃で頼りになる模型誌が、アーマーモデリングでした。サークルの先輩方に教えられ、勧められて初めて購入したのが、その2013年3月号でした。

 当時は5月半ばでしたから書店には6月号が並んでいたのですが、その書店の古書コーナーにバックナンバーが数冊あって、表紙がⅣ号戦車D型のこれが良さそうだな、と手にとったのが3月号だったのでした。開いてみて、上図のページを目にして、大洗女子学園の戦車の幾つかが揃ってるな、と気付いてますます気に入り、買ったのでした。

 

 この一冊に、Ⅳ号戦車、八九式中戦車、38(t)戦車、ヘッツアー、三式中戦車、B1bis、チャーチル、と7輌ものガルパン関係戦車の製作ノウハウ記事が詰め込まれているのでした。製作の進め方や塗装の方法、必要なツール類の説明が満載で、初心者にとっては有り難いほどに分かり易い内容でした。

 この一冊を参考にすれば、大洗女子学園の主な戦車が作れそうだ、と思いました。その数日後に立ち寄った模型店で、前述の7輌のどれかのキットがあったら買おうと考え、見つけたのがファインモールドの公式キットの三式中戦車だったのでした。それが私のガルパン戦車制作の第1作目となったわけです。

 

 諸記事のうちで、一番参考になったのが、戦車用語の解説集ページでした。当時は初めて聞く用語も多かったため、アニメを見ていて分からなかった言葉があったりしましたが、このページで全て解決しました。拙ブログのガルパン模型製作記事にて綴っている戦車用語は、全てこの一冊の戦車用語の解説集ページで学んだものが基本になっています。

 

 すでにガルパン戦車の製作紹介記事が収録されていました。御覧のとおりⅣ号戦車のH型仕様ですが、当時はまだプラッツの公式キットも発売されていませんでしたから、タミヤの適応キット一択での制作しか有り得ませんでした。

 しかし、この内藤あんも氏の製作記事はプロの目線で書かれているために、初心者の私にはよく分からずじまいでした。初めて目にする戦車用語ばかりが並ぶので、それらの意味を調べるのが大変でした。内容的にも細かすぎて完全にマニア玄人向けの文章でしたので、とても参考にならないな、と感じまして、それ以来ずっと、この種の製作記事というのはあまり参照していません。
 むしろ、ネット上におけるファンの先行製作レポートの方が同じアマチュア目線、同じ初心者感覚で述べられるために分かり易く、共感も持てて色々と参考になりました。

 そんなわけで、アーマーモデリングの2013年3月号という一冊は、色んな意味で私にとってはバイブルです。しかも、それに続く4月号および5月号が完全なガルパン特集号となり、特に5月号が黒森峰女学園関係の車輌の特集であったのが、その後の私のガルパン模型の方向を決定づける結果となりました。
 そして7月号も8月号もガルパン記事が満載だったため、個人的にアマモは2013年度のバックナンバーが最も面白かったな、と今でもつくづく思います。あの頃のガルパンファンのプラモへの情熱が一番ピークだったのではなかったか、と思い返してみたりします。

 それらのスターティングポイントの位置にあった2013年3月号ですから、バイブルと言っても最上級のそれだなあ、と今でも手にとって眺めてしまう次第です。

 

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