国会は年中行事の衆参両院での予算委員会審議が今まっさかりだ。審議と言ったところでそこで議論が練られて与野党意見を止揚した結論に昇華するというわけではなく、最後は政府原案通りに「強行採決」で決まるのである以上結論は決まっている。四の五の言わずに粛々と会議を時間通りに消化してその敏腕ぶりを魅せつけようという議長と「そうはさせじ」と抵抗する野党。議題の中身は異なるとも会議のフローはこういう調子でここ例年通りに進んでいるようだ。
それにしても、この模様をNHKのテレビ中継で見ていて実に不愉快なのは、「不規則発言?」に対して居丈高に静止命令を頻々と発する衆院予算委を取り仕切っている議長殿の発言だ。質問者と政府委員との間に存在する意見の違いが際立ってくると当然会場はざわつく。「不規則」発言と称する野次が飛び出してくる。分けても政府に反対の党派である「野党」席から野次は多く発せられるのは当然だ。議長は与党委員から選出されている以上議院内閣制では政府側に賛意を有しているのも「当然」だ。当然だけに近頃この国にはびこる「忖度」を野党に対して働かせて議事を進行させれば議場が荒れなくて済む。
つまり、会議の運営における議長の役割は餅つきの要領だ。議長は杵をもって政府が提供した粗くふかした蒸かし米たる「議案」を叩いて餅にする役割。それに対して与野党を問わず委員は合いの手を入れてまんべんなく餅にするように「手返し」をするのが役割だ。杵を揮う議長と合の手を入れる与野党委員、そのリズムを旨く取るのが議長の役割だろう。
しかるに棚橋泰文衆院予算委員長は「合の手」役に口数多く指図する。実に権威主義的である。結果、会議は混乱して結果的に時間を空費するか、実質審議時間(餅つき時間)を失った委員、特に野党委員に不満がつのり、結果的に餅はコブ餅になってしまう。
これについて遥か少年時代の学級会を思い出す。筆者の少年時代は戦後民主主義の最盛期、月一回開かれるクラス会は模範的な民主主義の実習場であった。4年生の時だった。タケちゃんが議長に選出された。会の最中タケちゃんは発言者の意見にいちいち注意や補足を加えた。それがうるさいと言ってみんなから苦情が噴出し始め、やがてそれが止まらなくなってしまった。ついに、タケちゃんは泣き出して学級会は散々たる事態に発展してしまい、最後にタケちゃんは解任されてしまい、泣きなき教壇にしつらえた議長席から降ろされてしまったのである。
あの光景を何十年ぶりに思い出しながら、棚橋委員長を解任するには何とすればよいのかなどと空想を逞しゅうしつつTVの国会中継に見入っている。「野次は議場の華」、誹謗中傷や人権侵害でなければ少々の逸脱の有無は「言論の府」の活力のバロメーターであろうに。「お願いだから静かにしてください!」などという情けない議長の声は聴きたくない。それより立法府に対して審議をお願いしている行政府の責任者たる安倍総理大臣が不規則発言(野次)を盛んに飛ばしている。棚橋氏は、これをこそ止めさせるのが議長の役割である。
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