玄文講

日記

昨日の補足「パクリの巨匠」「文化と遺伝」など

2005-06-08 03:08:15 | 人の話
昨日は文化は伝播するものであり、模倣は必ずしも悪ではないことを主張した。
しかし言葉足らずと思われる点が幾つかあったので追加したい。

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コピーはオリジナルには勝てないと言われている。
しかし何かを参考にして後から作ったもののほうが面白くなることもある。
むしろ後続が先発より面白い例のほうが多い気さえする。
たとえば次の巨匠がそうだ。

パクって巨匠と呼ばれるようになった人

逆に昔の作品は今の作品より劣っているからダメだと言われたりもする。

ここ数年、手塚治氏の原作をもとにして多くのアニメやマンガが作られている。
映画ブラックジャックやPLUTOなどがそれなのだが、(私には)原作より面白くなっているように見える。
しかしそれをもって手塚氏がすごくないと言う人はいないであろう。

ライト兄弟の作った飛行機が59秒しか飛ばなかったからと言って彼らを否定することがないのと同じことだ。
最初に何かをやった個人は偉大なのである。

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私は人間の性質が全て後天的に環境からの影響を受けて形成される、とは考えない。

あらかじめ人間には生まれながらに組み込まれた性質がある。
それはより効率的に文化を模倣し、学ぶための仕組みである。

たとえば幼児は親が何を考えているかを予測しながらマネしており、自閉症児にはそれができないことが知られている。
先天的な遺伝子の仕組みが文化の伝播に影響を与えているのだ。

遺伝と環境は相互に依存を与えている。
環境の影響だけが強調される傾向があるが、カエルの子はカエルという言葉にも真実は含まれている。

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私はすべての文化が保存されるべきだとは考えていない。
文化の多様性という言葉はどこかインチキくさい。
より便利な文化が自然淘汰で生き残るということを極端に無視しているように見えるからだ。

原始的な文化しか持たない民族が便利さを求めて近代文明を輸入するのはよくあることだ。
伝統を守れと言っているのは外野だけで当事者たちは迷惑がっているということもある。

たとえば合掌造りの古い家屋をマンションや快適な家にしたいのに、国から文化財に指定されて困っているという話がある。

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民族性に言及するのと人種差別は紙一重だ。
私も民族性は全体的な傾向に過ぎないとみなし、過度の一般化をしないように注意しているつもりである。
また民族性は遺伝よりも環境の影響により獲得されるものであり、人種の性質ではない。

(追記)
民族性と偏見をどうやって区別するのか、と言われると返答に困る。

それは有名な日本研究書である「菊と刀」で分析された日本人像が当たっているようでもあり、偏見でもあるように感じるのと似ている。

また自分が見知っている外国人だけから、その国の全体像を想像するのも乱暴な考え方かもしれない。
個人の体験を安易に普遍化している。

しかし民族ごとに特性があるのも確かなことと思われる。
私見では韓国人の民族性は

「人情が厚い」「大雑把」「激情に走りやすい(怒りすぎて死ぬことができるほどだ)」「愛国心が強い(体重自慢はこの延長にある)」「差別に無頓着」「ケンチャナヨ(気にすんな)」

というのがある。やはり偏見だろうか。