これは、すごい本である。すご過ぎる本である。本を読んでこれほどの衝撃を受けたのは久しぶりのことである。
この本は人知を超えたバカの話である。とにかく私は笑いっぱなしであった。何と説明すべきだろうか。
例えばあなたの身の回りのバカな人やそんなバカな人の起こしたトラブルを思い起こしてみていただきたい。この本に出てくるバカは、あなたの思い起こしたバカを10倍に膨らませてから七味唐辛子とカレースパイスをドラム缶一本分放り込んだくらいのバカである。とにかく驚異的なまでのバカなのである。
例えばある日、マリファナでヘロヘロになった自分の弟セージ君とその友人たちの醜態に腹を立てた著者は、弟の友人を家から蹴り倒しながら追い出し、弟と大ゲンカして腕をナイフで刺され15センチの裂傷を負い、それに反撃して弟をタコ殴りにすると彼の家財道具を全て庭に放り捨てた。
そんな時に道中で車にはねられて首に小枝をさしたままの姿の彼の叔父さんが平気な顔で板谷家にやって来て、事の顛末を詳しく聞いた後の著者の父親ケンちゃんとの会話がコレである。
「なぁ、ケンちゃん。セージって何型?」
「えっ……………………昭和型だろ」
「違うよ、血液型を尋ねてんだよ」
「ああ、そっちの方かぁ。確か……Aじゃねぇか、勘だけど。……で、それが何?」
「A型って、長髪の人が多いんだってよ」
「お前、物知りだなぁ。ま、いいや。バアさん、ソバ茹でてくれ。腹減ったから」
著者曰く「これにて、バカ同士の話し合い終了。情けなくて涙が出そうになった」だそうである。この本にはこんな話が30以上も詰め込まれているのだ。あー、ホントにスゴカッタ
しかしこの本は決して自分より下の人間を見て優越感にひたれるような本ではない。
この本のバカは見下ろせる類のバカではないのだ。むしろ私は終始、雲の上の存在を見上げている気分だった。
そして何よりも彼らは見ていて何故か心地良くなってしまう不思議な存在である。
例えば彼ら板谷家は80歳過ぎの秀吉という名前の家に勝手に住み着いた明らかに分裂気味の家政婦(なんてありえない人物設定だ!)というフリークスさえも受け入れて日常の一部にしてしまうのである。
このバカの寛容力の深さはなんだろうか!
人々が闇を嫌い、遠ざけ、フリークスもキチガイもこの世に無きものとして扱われ、清潔さを装うあまり下品な存在は無視され、誰もが自分の信じる正義と理想のために他人を攻撃し排斥しあう現代において、ただひたすら全てを受け入れ、飲み込み、やわくちゃにしてしまうこの寛容さに私はひたすら憧れてしまうのである。
この本が心地よいのはきっとそのせいなのだろう。
この本は人知を超えたバカの話である。とにかく私は笑いっぱなしであった。何と説明すべきだろうか。
例えばあなたの身の回りのバカな人やそんなバカな人の起こしたトラブルを思い起こしてみていただきたい。この本に出てくるバカは、あなたの思い起こしたバカを10倍に膨らませてから七味唐辛子とカレースパイスをドラム缶一本分放り込んだくらいのバカである。とにかく驚異的なまでのバカなのである。
例えばある日、マリファナでヘロヘロになった自分の弟セージ君とその友人たちの醜態に腹を立てた著者は、弟の友人を家から蹴り倒しながら追い出し、弟と大ゲンカして腕をナイフで刺され15センチの裂傷を負い、それに反撃して弟をタコ殴りにすると彼の家財道具を全て庭に放り捨てた。
そんな時に道中で車にはねられて首に小枝をさしたままの姿の彼の叔父さんが平気な顔で板谷家にやって来て、事の顛末を詳しく聞いた後の著者の父親ケンちゃんとの会話がコレである。
「なぁ、ケンちゃん。セージって何型?」
「えっ……………………昭和型だろ」
「違うよ、血液型を尋ねてんだよ」
「ああ、そっちの方かぁ。確か……Aじゃねぇか、勘だけど。……で、それが何?」
「A型って、長髪の人が多いんだってよ」
「お前、物知りだなぁ。ま、いいや。バアさん、ソバ茹でてくれ。腹減ったから」
著者曰く「これにて、バカ同士の話し合い終了。情けなくて涙が出そうになった」だそうである。この本にはこんな話が30以上も詰め込まれているのだ。あー、ホントにスゴカッタ
しかしこの本は決して自分より下の人間を見て優越感にひたれるような本ではない。
この本のバカは見下ろせる類のバカではないのだ。むしろ私は終始、雲の上の存在を見上げている気分だった。
そして何よりも彼らは見ていて何故か心地良くなってしまう不思議な存在である。
例えば彼ら板谷家は80歳過ぎの秀吉という名前の家に勝手に住み着いた明らかに分裂気味の家政婦(なんてありえない人物設定だ!)というフリークスさえも受け入れて日常の一部にしてしまうのである。
このバカの寛容力の深さはなんだろうか!
人々が闇を嫌い、遠ざけ、フリークスもキチガイもこの世に無きものとして扱われ、清潔さを装うあまり下品な存在は無視され、誰もが自分の信じる正義と理想のために他人を攻撃し排斥しあう現代において、ただひたすら全てを受け入れ、飲み込み、やわくちゃにしてしまうこの寛容さに私はひたすら憧れてしまうのである。
この本が心地よいのはきっとそのせいなのだろう。