玄文講

日記

マックス・ウェーバー「職業としての学問」(個性信仰批判2)

2004-10-26 17:04:50 | 
前回に引き続き「個性批判」をもう一題。
社会学の巨人マックス・ウェーバーが1919年1月にミュンヘンで行った講演をまとめた本がある。その題名を「職業としての学問」という。

日々の仕事(ザッヘ)へ帰れ

これはその講演でのウェーバーの言葉である。
彼が批判したのは第一次大戦後間もないドイツ、未来に何の光明もない絶望の時代に生きる青年たちであった。ウェーバーは彼らに向かって叫んだ。

「近ごろの若い人たちの間では一種の偶像崇拝がはやっている。

ここで偶像とは「個性」と「体験」のことである。
この2つのものは密接に結びつく。すなわち、個性は体験からなり体験は個性に属すとされるのである。この種の人たちは苦心して「体験」を得ようとつとめる。
なぜなら、それが個性を持つ人にふさわしい行動だからである。

さて、お集まりの諸君!学問の領域で「個性」を持つのは、その個性ではなくて、その仕事(ザッヘ)に仕える人のみである。

このことたるや、なにも学問の領域に限ったことではない。
芸術家でも、自分の仕事に仕える代わりに何かほかの事に手を出した人には、我々の知るかぎり偉大な芸術家は存在しないのである。
自己を滅して専心すべき仕事を、自分がどんな人間であるかを「体験」で示してやるための手段と思っているような人は学問の世界では間違いなくなんら「個性」ある人ではない」


当時の人々は
現実のかわりに理想を
事実のかわりに世界観を
知識のかわりに個性を
専門家のかわりに全人を
教師のかわりに指導者を欲した。
つまり彼らは壮大な話に飛びついたのである。

ウェーバーはそんな彼らの「軽薄さ」や「弱さ」が気にいらなかった。
そして彼はザッへに帰れと青年たちをたしなめたのである。
彼にとって真の「個性」「芸術」「学問」とは己を滅して専心する仕事を持つ者にしか成し得ない事業なのである。
だが、当時のドイツにはその仕事そのものがなかった。彼らは壮大な話に飛びつくしかなかったのかもしれない。

ドイツはその後ご存知のとおり「妄想幻魔大戦」を始めて世界をひっかきまわした。
仕事を得られなかった者たちの哀れな末路である。