がしらのブログ

~回遊根魚の独言~

古い橋 Part 2

2008-04-22 23:53:15 | Weblog
これもこの間見つけたふるい橋の跡です。龍神村の旧板弦橋です。画像の橋の下の方に見える突起物がそうです。御墓じゃないですよ。(苦笑)

大体、古い橋は新しい橋より下のほうに有る場合が多いです。

この突起の上に鉄塔が立っていた可能性も有りますが、これを見て想像するに、小さな細い橋だったでしょうね。人一人渡れるくらいの。渡るの怖かったでしょうね。だからこそ新しい橋が出来たんでしょうね。

対岸には見当たりませんね。おそらく、新しい橋を造るときに撤去されたんでしょう。

こういうものでいろいろ考え、想像するのが楽しいんです。

正直、エジプトのピラミッドとかの遺跡よりも、こういう身近な遺跡の方が興味がわきます。

まあ、もし近所にピラミッドがあったら、また考え方も違ってくるでしょうけどね。

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2 コメント

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むかしばなし (やせかます)
2008-04-24 21:36:01
むかしむかし、明治時代の終わりころでしょうか、祖母がちいさかったとき、北郡には小さい橋しかありませんでした。増水したら渡れなくなる橋。学校への行き帰り、その橋を渡れないときは、うんと上か下まで迂回しないとなりません。栗栖川からの帰り、雨が降ると川の増水と競争するように、様子を見ながら帰っていたようです。
あるとき、小さい祖母が橋を渡っていた時、足を踏み外し 増水した川に落ちて、川岸に必死ですがりつこうとするのですが、何度上がろうとしても どうすることもできず もがいていたとき、ちょうどそこを通りかかった おとなの人がいて、手を差し伸べてくれて 命拾いしたのでした。
「あのとき、おばあちゃんが流されてたら、○○ちゃんも生まれてないで」ときどき、話してくれたので覚えています。
その手が、どなたの手だったのかは
わかりません。ちいさい女の子だったから、本人も知らなかったのでは?と思います。

長々とごめんなさい。
でも…橋を見て 古い板橋のこと思い出して… それから「手!」を二日続けてみて…
ひょっとして!???わからないから…
その節は、大変お世話になりましてありがとうございました。
おかげで、その子から孫もひ孫も出来まして、わたしは北郡にお便りさせてもらってます。
おお、なんと不思議な。。。合掌

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北郡橋 (がしら)
2008-04-25 16:37:37
>やせかますさん

北郡にも、古い吊り橋の跡がありますが、明治時代でしたら、もっと下の方に橋があったのでしょうね。

そんな出来事があったんですか~本当に、その手は、どちら様の手だったのでしょうね?

そのとき、おばあちゃんが流されてたら、僕とやせかますさんとの出会いも無かったってことになりますよね。そう考えると不思議というか・・・ありがたいですよね~。

大変興味深いむかしばなし、ありがとうございました!m(_ _)m
こういう昔話、好きです。
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