ここ数日冬に逆戻りだ。 つい先週までは桜の開花が以上に早く・・なんて言っていたのにだ。
早い年なら今頃本畝作りが終わりマルチ掛けをしていたものなのに、自然にはやはり勝てない。
畑も田んぼも出来ないからこの間に機械の点検や加工等を手掛ける。
僕らの様な小百姓は機械の入れ替えはそうそう出来ないので修理などをしながら出来るだけ長く使うようにしている。
それでも、エンジンを載せ替え部品を取り替えては使ってきた管理機の寿命が近づき、買い換えることにした。
小さな管理機とはいえ結構値段も高く僕にすれば一大決心な事であったが作業中にトラブったらそれこそ事なので思い切った。
そんななか昨日は時間を作って実家のバアチャン(母)を久し振りに見舞った。
僕の家と実家は車で5分ほどもあればの近さだが、僕の哲学もあって(苦笑、滅多なことでは訪れることはない。
お盆以来のバアチャンはベッドで横になっていたが僕が顔を見せるとそれでも起き上がってベッドの縁に掛けて話す元気さを見せた。
89歳になったバアチャンは義姉さんに言わせれば時々ボケが始まってるようで、話していても今の状況が把握できていないところがしばしば見受けられた。
だが、ボケ特有なのか、昔のことは鮮明で随分と昔話に花が咲き僕も忘れていたことなどを懐かしく思い出したりした。
そんなバアチャンが帰り際に「寂しい」と言った。
兄弟姉妹の真ん中に生まれたが皆男運にも恵まれず、姉妹は皆早くに旦那さんに先立たれ僕の父が61で亡くなったのが一番の長生きだったし、兄弟も早くに亡くなった。
その兄弟姉妹も皆この世にはいなく、語る相手がいなくなったのが寂しいと言うのだ。
村の友達もいなくなりディサービスに行くのが唯一の楽しみであったのも体調を悪くし最近はご無沙汰してることも尚更にそう思わせているようだ。
今実家では曾孫が産まれ、義姉さんが子守している。
バアチャンに姉妹や友人はいなくなったけど新しい命が生まれてくるからそれに喜びや楽しみを見出せばいいじゃないかと慰めたのだが
そうやねぇ、と言ったバアチャンはそれでも寂しそうにまた横になった。
元気で動き回れる間は長生きもいいけど、体が弱ってきたら長く生きるってのも容易なことじゃないんだなぁ・・・
今日のこの事を話題にしましたら友人が言うには、家のオヤジは80も半ばになったら弔辞を読むのが務めのようになって寂しいと言ってると言うのです。
何れ僕らもその時が来るのでしょうが、40代になった頃様々な爆弾を抱えて死んだ親父の61まで生きられればいいなぁと思っていました。
一つの区切りとしてそれまで一生懸命楽しく生きたいと思っています。
で、61になって生きていればそこから又スタートを切るつもりで新しいことにも挑戦していければいいと考えています。
あれから10年は確実に寿命が延びて医療も良くなりましたが、その分お薬で生かされてるケースも多いですよね。
お金もあって、高齢だというのにお元気で、傍から見れば恵まれていると思える
超高級老人ホーム住まいのかたが、友達も、部下もみんな先に逝ったと。
お出かけ先は告別式会場ばかりだと。
これも辛い現実ですね。