写真入りブログ第二弾。
唐突だが、武蔵野線新秋津駅から見た西武線である。
このちょっと右側に西武線の秋津駅がある。
ご存知の方もいると思うが、武蔵野線が1973年に開業して以来、
この両駅のそれぞれのホームの端から端までの直線距離は
100メートル足らずであるにも関わらず、
乗り換え客はいったん一般道に出て300メートル程の道を
歩く必要がある。(地図)
なぜかと言えば、地元商店街の強硬な反対のために、
両駅の連絡通路の設置が出来なかったためだ。
新秋津駅の一日乗降客数が3万5千人、その多くが乗り換え客と
考えれば、毎日3万人以上が約10分ずつ余計に歩かされている
ことになる。
これは膨大な社会的損失である。
昔、美濃部都知事(1967~79)という人がいて、
「一人でも反対すれば橋は作らない」などということを
言っていた。
今なら、それじゃ何も出来ないじゃないか、
と思う人が多いだろうが、当時はそういう発想が
大きな影響力を持っていたのだ。
もちろん、できれば何らかの妥協点を見つけて、
みんなが納得してやっていけるならそれに越したことはない。
しかし、そういう手法は確信犯的に反対を続ける人達には
通用しないということが、十分理解されていなかったのである。
2005年の郵政選挙は、そういう棒を飲んだような反対を
続ける特定郵便局長達や郵政族議員らに対する、
国民の怒りが炸裂したものだったと思う。
つまりは「一人でも反対すれば橋は作らない」論の限界を、
多くの国民が理解するに至ったということではないだろうか。
であれば、1973年にはできなかった両駅の連絡通路開設の強行が、
今なら多くの国民の支持のもとで実行可能なのではないか?
見るところ、今はJRも西武もあきらめムードのようだ。
しかし、沿線人口の減少やモータリゼーションの進行の中で、
乗り換えの利便性の向上は両社に取って得るものは大きいはずだ。
また、国に取っても公共交通機関の利用促進の観点から
積極的に取り組んでいくべき問題であるだろう。
国内には同様の状況にある箇所が他にもいくつかあるようだ。
関係者には、摩擦を恐れず、大局的な視点で
問題の解決に動き出すことを強く希望したい。
唐突だが、武蔵野線新秋津駅から見た西武線である。
このちょっと右側に西武線の秋津駅がある。
ご存知の方もいると思うが、武蔵野線が1973年に開業して以来、
この両駅のそれぞれのホームの端から端までの直線距離は
100メートル足らずであるにも関わらず、
乗り換え客はいったん一般道に出て300メートル程の道を
歩く必要がある。(地図)
なぜかと言えば、地元商店街の強硬な反対のために、
両駅の連絡通路の設置が出来なかったためだ。
新秋津駅の一日乗降客数が3万5千人、その多くが乗り換え客と
考えれば、毎日3万人以上が約10分ずつ余計に歩かされている
ことになる。
これは膨大な社会的損失である。
昔、美濃部都知事(1967~79)という人がいて、
「一人でも反対すれば橋は作らない」などということを
言っていた。
今なら、それじゃ何も出来ないじゃないか、
と思う人が多いだろうが、当時はそういう発想が
大きな影響力を持っていたのだ。
もちろん、できれば何らかの妥協点を見つけて、
みんなが納得してやっていけるならそれに越したことはない。
しかし、そういう手法は確信犯的に反対を続ける人達には
通用しないということが、十分理解されていなかったのである。
2005年の郵政選挙は、そういう棒を飲んだような反対を
続ける特定郵便局長達や郵政族議員らに対する、
国民の怒りが炸裂したものだったと思う。
つまりは「一人でも反対すれば橋は作らない」論の限界を、
多くの国民が理解するに至ったということではないだろうか。
であれば、1973年にはできなかった両駅の連絡通路開設の強行が、
今なら多くの国民の支持のもとで実行可能なのではないか?
見るところ、今はJRも西武もあきらめムードのようだ。
しかし、沿線人口の減少やモータリゼーションの進行の中で、
乗り換えの利便性の向上は両社に取って得るものは大きいはずだ。
また、国に取っても公共交通機関の利用促進の観点から
積極的に取り組んでいくべき問題であるだろう。
国内には同様の状況にある箇所が他にもいくつかあるようだ。
関係者には、摩擦を恐れず、大局的な視点で
問題の解決に動き出すことを強く希望したい。