THE BOOKハンター!

~〈本の虫〉の痛快読書日誌~

人気鑑定士の中島誠之助氏が小倉で講演!

2008年09月24日 | Weblog
 北九州市小倉北区の西日本総合展示場・新館で19日から開かれている「第30回西日本陶磁器フェスタ」を記念して、北九州国際会議場で22日、テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」で「いい仕事してますねぇ~」の台詞で有名になった骨董商・古美術鑑定士の中島誠之助氏(70)の講演会があり、500名招待の抽選で当たった私は聴きに行きました。今回はその講演会の模様を紹介します……。

 「皆さん、陶磁器ファアには、もう行った?」
おなじみの和服姿でステージに登場した中島氏は開口一番、こう言った。
中島氏ははじめに、陶磁器は古来、中国から日本に伝わり、大名の嗜好品とされてきたが、江戸時代から庶民のものにもなったことを話し、「講演前に1時間ほどフェア会場を見て回りましたが、実用性よりもデザインを重視した若い陶芸家の作品がたくさん売られていて、新しい風を感じました」と述べた。
 テレビ番組「なんでも鑑定団」は放送16年目、今週で736回を迎える。この番組を企画したのは、大学を出て間もない青年のスタッフで、在京のキー各局に売り込んだが、「視聴率が取れない」 と断られ続け、最後にローカル局のテレビ東京に採用された。中島氏は番組開始の半年前から企画に立ち会っていたという。「物事を深く掘り下げる番組を作るローカル局と聞いて、これはいけるなと思いました。心配していた視聴率もはじめから15%を超え、25%にもなる人気番組になりました。計算高くてケチな島田紳助と感性の豊かな石坂浩二のバランスのとれた司会、品の値段や本物か偽物かを明らかにするだけでなく、その品に秘められた人間ドラマにも光を当てたことがよかったと思いますね」。
 一般社会を人と人の信頼によって成り立つ「生産性が利く社会」と呼ぶ中島氏は、骨董・鑑定の世界を「生産性が利かない社会」だという。はじめから疑いの目で品物を見て、偽物だと知っていても本当のことを言わず、利潤を重視する。
 骨董業をしていた父にあこがれてこの世界に入った中島氏は、父に隠れて夜な夜な倉庫から木箱を取り出して中の品を見ていたが、戻す時の紐の結び方でばれていた。そこで、結び方をまねて勉強したという。「昔は親子でも簡単に技を教えてもらえず、自分から盗んで学ばなければいけなかった。それが今では子弟関係がなくなり、身内だと簡単に子に技を教えてしまう。だから、それ以外は何もできない。食品の偽装が近ごろ問題になっていますが、昔はあった職人気質がなくなってきたからだと思います」
 中島氏は長年の鑑定士経験をもとに、「お金を持っている人が買ったものに偽物が多い。ハングリー精神がないから、本物と偽物の見分けが下手になる」。番組でも、図録や本でよく勉強してきた人やその品への思い入れが深い人に限って、偽物を持ってくる。知識が先だと欲が出て、偽物を買ってしまうという。「良い目利きになるには、自分で体感すること。お金をかけて美術館や本などで本物に触れて、目を養っていかなくてはいけません」。中島氏によると、インターネット・オークションに出された品は、16年ほど前にはほとんど本物だったが、今では偽物ばかりだとか。本物が出尽くし、中国で日本向けの偽物が大量に生産させて売る業者が出現したためだ。「骨董を買うのは、もうやめちゃいなよ!」と中島氏。
 「悪い物(偽物)を救うのは『思いやり』。偽物だと分かっても、その中できらりと光る小さなものを見つけて褒めるのも大事だと思います。また、新しいものを評価し、若い作家を育てるという新しい役割も番組に加える必要を感じています」。
 骨董の値段を高めるためには、その品をじっと持っているのではなく、手放すことが必要。その品が多くの人の手を渡り歩き、出世の段階を踏むことで名品になる。「はじめに手放した自分には儲けはありませんが、心の勲章が付きます」。
 中島氏は骨董界で日本漫画の価値が近年高騰していることを挙げ、手塚治虫の漫画原稿が番組で1800万円と鑑定され、2200万円で売れたことを紹介した。

 「番組を20年続けようと紳助と約束しているので、あと残り5年、頑張っていい仕事をしていきます! 偽物も擁護していきたいですね」
 
 江戸っ子の歯切れの良い中島氏は、興味ある話を次から次へと紹介し、講演時間を延長。まだまだ聴いていたいという思いでした!

「記者になりたい!」(池上彰/新潮文庫)

2008年09月17日 | Weblog
 本書は、元NHKの記者・キャスターで、人気番組「週刊こどもニュース」のお父さん役として親しまれてきたフリー記者の池上彰さんが、記者になってからの半生をふりかえりながら、将来「記者」など報道関係を目指す若者らにジャーナリズムの世界の光と影を分かりやすい言葉でつづったエッセイ集。報道の仕事に関心を持っている私にとってこの本は面白く、夢中になって読みふけりました。
 中学生の頃にベストセラー「続・地方記者」(朝日新聞社)を読んで感動し、記者になることを決めた池上さんは必死で勉強して、NHKの記者に採用されました。それから30年以上、各部署で活躍しますが、記者よりもキャスター時代が長くなりそうだった時、定年前にNHKを退職しました。それは、生涯「記者」という肩書きを誇りにしたいという思いからでした。
 本書では、入社してからの各部者での体験、当時の大ニュースをどのように取材・報道したのかなど、興味深い話がぎっしりと詰め込まれています。当時のことを知らない読者のために事件や専門用語などについて解説したコラムや写真も盛り込まれており、池上さんが長年培ってきた読む人(テレビでは視聴者)へのサービス精神が現れています。
 難しいニュースを専門用語を使わずにいかに説明するか、視聴者の視点に立った報道の仕方とはどんなものなのか……など池上氏が現場で出くわした疑問と答え(実践)、現代のジャーナリズムの問題点などについても書かれており、メディアへの関心や興味が深まります。
 日航機ジャンボ墜落事故の取材に関する裏話には、前々回に紹介した長編小説「クライマーズ・ハイ」と重複することも書かれており、特に興味深く読みました。

「娘よ、ここが長崎です 永井隆の遺児、茅乃の平和への祈り」(筒井芽乃/くもん出版)

2008年09月05日 | Weblog
1945年8月9日、原爆が落とされた長崎で、自ら重傷を負いながらも、献身的な愛で人々の救護にあたり、「長崎の鐘」「この子を残して」などの著作を通して世界中に平和を訴え続けた永井隆博士が生まれて、今年で100年になります。本書は、その遺児・茅乃さん(昨年に死去)が平和の尊さを語り伝える回想録で、昨年出た新装版です。
 原爆が投下された「あの日」から38年後、筆者が中学生の娘と高校生の姪とともに長崎に帰郷し、長崎国際文化会館(現・長崎原爆資料館)を訪れる場面から始まります。
そして、原爆が投下される少し前の頃の生活や、投下直後の悲惨な状況、大学病院に勤めていた父親の被爆者への必死の救護活動、父親の闘病生活と死、その後の著者自身について、写真を交えながら赤裸々に語り、子どもたちに平和の尊さを伝えています。