この写真は、兵庫県赤穂市御崎にある「伊和都比売神社(いわつひめじんじゃ)」の鳥居です。
兵庫県に住みながら、初めて来てみました。ここを目指してと言うわけではなく、毎年この時期になると無性に「かきおこ」が食べたくなるので、岡山県日生にある「お好み焼きタマちゃん」までやってくる、ついでというやつです。
せっかく岡山まで脚を伸ばしたので、帰りはどこかに寄って帰ろうとスマホで観光地を検索していて偶然この地が目に入り、やってきたというわけです。いろいろと出かけたつもりでいましたが、灯台もと暗し、兵庫県の中にも素敵な場所はたくさんあるんだと改めて思うわけです。
ここが伊和都比売神社の境内で、この向かい側に海を望む鳥居が立っているのです。
こんな感じ。この鳥居の先に向かうと瀬戸内海。向こうに見えるのは、なんと家島群島と小豆島。家島をまじまじと見たのは初めてです。
ぐるりと見回すと
とこんな感じで、タマちゃんでかきおこ食べておなかいっぱいでしたが、
ふらふらと入ってしまいました。そこには素敵な景色が広がっていて、おいしいスイーツがございました。
一日中、ぼんやり眺めていたいなあと思っていましたが、ちょうどお昼時、たくさんのお客さんが待っていましたので、仕方なく出てきました。このチーズケーキ、とてもおいしかったです。
この神社を海の方へ降りていくと、
「きらきら坂」と名付けられた素敵な坂道が続いていました。
その先には、いつまでも眺めていたい海。
再び神社の方へ向かう道が続いていて、
あちこちにこんな作品があって、独特の雰囲気があります。このほそい海沿いの小道沿いにある建物を見ていると、スペインかどこかの外国のようです。行ったことないけど・・・
目の覚めるような青い空。CGの合成かと思わせるような青さでございました。
延喜式内社(えんぎしきないしゃ) 伊和都比売神社 由緒
当社は今を去る一千余年前、延喜式神名帳にその名を記載する古社で『伊和都比売大神』をおまつりしています。当時から、朝廷をはじめ国司の格別の尊崇を受けたお社です。
伊和都比売大神は、もともと伊勢外宮の豊受比売(とようけひめ)といわれ、また播磨一宮の伊和大神、即ち大穴牟遅神(おおなむちのかみ)の比売神ともいわれ、古くから『御崎明神』と称された赤穂御民族の祖神様です。
もとは大園と呼ぶ前方海上の八丁岩の上に、おまつりしてあったものを江戸時代に赤穂藩浅野家初代藩主、浅野長直が現境内地に社殿の建立着手、孫である三代藩主浅野内匠頭長矩の治世、天和三年(一六八三)に完成し、御遷座されました。現拝殿は昭和五年(一九三〇)に現在の場所に再建され、その際に御本殿は再建ではなく天和三年当時のままの姿で拝殿北側に建材変わらず移築され、御祭神は今も 変わらぬ空間で私達をお守りしてくださっています。
神社周辺『御崎』は、「播磨なる御崎の石だたみ海の底まで行くぞ見る」と詠われているように、奇岩の上に老松が舞う、岩礁の地です。
かつては、日本海軍、海戦の勇将 『東郷平八郎』 元師をはじめ、歴代連合艦隊司令長官の崇敬厚く、しばしば艦隊を率いて帝国海軍の勇士が参拝しました。現在でも船員漁師など、航海安全と大漁祈願は後をたたず遠近問わず参拝者が訪れ信仰が盛んです。
なお特に珍しいのは古くから若い男女による姫神信仰が盛んで、縁結び、或いは恋人を得るにご利益のある『姫守』をうける方が多く、赤穂御崎の景色と共に人気が有ります。
とても素敵な時間を過ごさせていただきました。
さて、かきおこのタマちゃんを記念に
ついでですが、帰り道が夜になりましたので、久しぶりに「東六甲展望台」に寄って帰りました。知っている人は知っている、ドラマ半沢直樹で上戸彩と堺雅人がロケをした場所。
この日は、めっちゃ寒い日(若者言葉ですみません)で、外に出たのは数秒でしたが、夜景も堪能し家路につきました。
さて、新しい我が家の車「カローラツーリング」はめっちゃ走る。すんごいで~と宣伝しておきます。
何なんでしょう。この99.9km/Lというのは。たった8キロほどの道のり、どこを走ったんだかわかりませんが、あっ「芦有ドライブウェイ」だなきっと。
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